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第227回 おわび・訂正を楽しむ−3

2017-07-28 | エッセイ

 以前お届けした「新聞記者の気骨」(第222回)には、おかげさまで、いろんな方から好意的な評をいただき、喜んでいます。

 読売新聞に限らず、最近のマスコミのヘタレぶり、変節、公正な報道の名の下のぬるま湯的報道に、怒り心頭で、大いに共感いただいたようです。

 さて、「訂正人語 おわびスペシャル」(テイ・アイ・エス刊 噂の眞相編集部編)から、新聞、雑誌の「おわび」「訂正」記事を、編集部のコメント(▼)と、私のコメント(カッコ内)でご紹介してきましたシリーズ(第204回、第216回)も第3弾になりました。

 マスコミのだらしなさは、昨日今日に始まった話じゃない、ということの再確認みたいな趣向ですが、少しでも、溜飲を下げていただければ、幸いです。

 というわけで、早速お送りします。

<おわび>毎日新聞
 13日朝刊の連載「宰相の条件」で小沢前幹事長の写真は裏焼きでした。
▼重病説が流れた小沢さん、裏焼きされたら治る病気も治らないんじゃないか。
(小沢も、今やすっかり影が薄くなったけど、それは、裏焼きのせい?)

<訂正>週刊現代
 本誌7月27日号57ページ「いんけいがしげきを・・・・」部分の文章は大日本図書の教科書の記述ではありませんでした。
▼では、どこの出版社なのか。
(当然の疑問である)

<訂正>朝日新聞
 21日付「海外派兵を問う」の写真説明に「自民党の海外派兵に反対する市民ネットワーク」とあるのは、「自衛隊の海外派兵に反対する市民ネットワーク」の誤りでした。訂正します。
▼いやいや、「自民党」員がこぞって海外派兵、というなら本誌は大いに賛成するのでありますが・・・
(あはは、天下の朝日もやってくれますなあ。派兵されたら、アベには、「撃ちてしやまむ」の精神で、「真っ先かけて突進し」、「昨日生まれたタコの子が~ タマに当って名誉の戦死~」(「湖畔の宿」のメロディーで)となって欲しい)

<訂正>朝日新聞
 17日付の第72回全国高校野球の記録で、千葉大会2回戦、松戸六実と国分の試合結果が「3-2」とあるのは「10-9」の誤りでした。訂正します。
▼確かに”一点差”は一点差なんだけど。間違い過ぎだっていうの。
(コメントのしようがないぞ)

<訂正>読売新聞
 28日付夕刊の東京弁護士会「刑事事件無料法律相談」の電話番号は、NTTの手違いにより誤りでした。正しい番号は03-593-3000です。
▼責任転嫁が笑える。
(素直になれよっ!)

<訂正>夕刊フジ
 17日発行A版の「10の間違い探し」で2枚の絵は同一のものでした。問題を削除し、おわびします。
▼この問題で間違いを10箇所見つけている人がヒョッとしていたらショックで立ち直れない。
(タイトルは「訂正」じゃなく「お詫び」じゃない?)

<花椿>(芦坊注:「資生堂」の顧客向け会報誌です。こちらは最近の号の表紙。)


 花椿10月号の表紙で、”NOVEMBER”表記は”OCTOBER”の誤りでした。訂正並びにお詫び申し上げます。
▼表紙で、しかも”月”をデカデカと間違えるなんて恥のハジ。
(まったくだ)

 いかがでしたか?このシリーズは、とりあえず、今回で終了となります。

 次回以降も新たな話題をお届けしますので、引き続きご愛読ください。


第226回 〆切問題

2017-07-21 | エッセイ

 当ブログは、「毎週金曜日更新」を謳っています。自分で決めた更新のルールですが、4年近く、このペースを守ってきました。

 更新が遅れたところで誰に迷惑をかける訳でもないのですが、根が小心者で、貧乏性、よくいえば、几帳面ということなのでしょう。新しい記事のアップを楽しみにしていただいている愛読者の皆さんの期待にキチンと応えたいとの思いもあります。

 原稿は、新しく書き下ろすこともありますが、日頃から書き溜めてる原稿を使うことも多いです。使う原稿の手直しをしたり、新しいネタを書いたりしてるうちに、すぐ更新の〆切が来る、というのがいつものパターンです。

 アップしたあとは、とりあえずホッとするのですが、書き溜め原稿を使ったら、在庫の補充をしないといけない訳で、「また新ネタ考えなきゃあ」というプレッシャー(自分でかけてんですけど)と闘ってます。根っからの貧乏性が抜けません。

 さて、プロの作家の世界に目を転じると、私みたいな几帳面な人は、まったくの小数派。
 いわく、〆切なんかは、守らなくてナンボ。いわく、キチンと出せば、編集者になめられる。いわく、真面目に渡すのは、散々苦労して原稿を手にする編集者の喜び、生き甲斐を奪う。いわく、原稿なんか遅れに遅れて出すのが、大物作家の風格・・など、作家と編集者の間では、ワイルドなバトルが繰り広げられている模様。

 真っ先に思い浮かぶのが、「井上ひさし」。自ら「遅筆堂」と名乗ってたぐらいで、その遅筆ぶりを、自身のエッセイでもいっぱい披瀝している(遅筆ネタ自体で、だいぶ稼いでいるはず)。
 戯曲が公演に間に合わず、延期になった「事件」もありました。完璧主義ゆえの遅筆、という要素もあるのでしょうが、〆切が近づくと、無性に、テレビ、外出、昼寝、読書など、執筆以外のことをやりたくなる、と書いてるから、性格破綻者気味。編集者を大いに泣かせまくったに違いない。

 「〆切本」(左右社)というそのものズバリのタイトルの本があります。だいぶ話題になりましたので、お読みになった方もいらっしゃることでしょう。こちらが表紙。


 90人の作家(一部、編集者も含む)自身による〆切にまつわる話を集めたもので、当然のことながら、原稿が遅れる言い訳、お詫び大全集の趣がある。数は少ないですが、遅筆作家に対する編集者のうらみ、つらみの文章も興味をひきます。

 しかしながら、私が親近感を持って読んだのは、私と同じ「きちんと〆切を守る派」の作家の言い分。向こうはプロ、こちらは、ど素人。〆切を守るという1点だけでの親近感ですが・・・

 まずは、かの村上春樹。これまでに読んだエッセイの中でも、〆切期日は守ってきた、ということを何度も目にしていたので、「守る派」であることは分かっていました。
 同書の中の文で、彼は、高校時代に新聞を作っていて、しょっちゅう印刷所に出入りした経験に触れています。

 「印刷所のおじさんというのは誰かの原稿が遅れたりすると徹夜をして活字を拾わなくてはならない。気の毒である。印刷屋の植字工の家では奥さんがテーブルに夕食を並べてお父さんの帰りを待っているかもしれないのである」(同書から)
 う~ん、ちょっと、ぶりっ子してる気もしますが、いかにも彼らしい。

 もう一人、史実をベースに、優れた小説を世に送り出した吉村昭の「守る派」ぶり。

 〆切日の10日ほど前を自分なりの締切日にを設定して書き進めるほどの徹底ぶり。だから、期日前に原稿が出来てしまう。〆切を過ぎてから出せばいい、と言う知人の忠告に対する彼のいい分は、
 「書き上げたものが身近にあると落着かず、郵送したりファクシミリで送ったりしてしまう。自分でも照れ臭いので、「早くてすいませんが・・・・」と書き添える。全く因果な性格である。」(同書から)というもの。〆切を守るにも守るなりの工夫と気配りもが必要、ということでしょう。気持ちはよく分かる。

 これからも、自分で決めた〆切を守って、楽しくて、(少しは)ためになるブログをお届けしようと決意をあらたにしています。引き続き、ご愛読ください。


第225回 空耳英語-英語弁講座13

2017-07-14 | エッセイ

「空耳英語」というのを、ご存知でしょうか。

 日本語としてそれなりに意味のある(?)言い回しが、英語として通じたり、そう聞こえるというものです。いささか怪しいものもないわけではないですが・・ 

 高校の英語教師から教わったのは、「掘った芋いじるな」(What time is it now?)でした。(その時は、面白いなあ、と感心しましたが、昔からある定番みたいですね)
 
 サラリーマン時代、英語が堪能な商社マンから、「フィラデルフィア(Philadelphia)という地名は、そのまま英語的に読んでも絶対通じません。「古豆腐屋(フルドーフヤ)」で通じますから」と言われました。確かにそう聞こえます(ドーにアクセント)。

 「それから、電車やバスを降りる時は、「揚げ豆腐(アゲドーフ=I'll get off.)」と言うのが一番です」とも。これは、家人がニューヨークで使って、実証済み。

 ネットから拾ってきたネタで、飛び切りの傑作だと思うのは、「岐阜には、割烹着(かっぽうぎ)でこい!」。さて、どんな英語か想像がつきますか?

 正解(?)は、「Give me a cup of coffee.(コーヒーを一杯お願い)」です。しかるべき場所だと通じそうで、笑えるネタです。

 さて、こんな空耳英語が話題になる(?)のも、日本人には、英語の「発音」が大きなハードルのひとつだからですね。音の種類も、体系、仕組みなどもまったく違いますから、無理からぬことです。
 日本人の場合、自信がないから、ついモゴモゴ言って、分かってもらえず、ますます自信をなくす、という悪循環にも陥りがち。

 このあたりの問題は、別の機会に、あらためて話題にしてみようと思ってますが、もうちょっと真面目で、(使い方次第で)役立ちそうな本を紹介しようと思います。

「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」(池谷裕二 講談社ブルーバックス)がそれです。著者は脳科学が専門ですが、英語も堪能のようです。こちらが表紙。


 タイトル通りの中身で、なにはともあれ、いくつかの実例をご覧ください。

 Nice to meet you. ナイストミーチュ (初めまして(お目にかかれて、嬉しいです))
 Not at all. ナラローウ ((お礼に対して)どういたしまして)
 Is that enough? イゼリナフ? (それで十分ですか?)
 Get out of here. ゲラウラヴヒア (とっとと、出て行け)
 I got it. アイガーレッ (分かりました(了解しました))
 I'm not sure. アイナッシュオ (さあ、どうでしょうか(確信が持てません))
 Say it again. セイーラゲン (もう一度、言ってください)
 Take it easy. テイケリーズィ (気を楽にして)
 I've got to go.  アイガーラゴウ (もう行かなきゃ)
 It's yours,isn't it? イツユオズイズネッ? (それは、あなたのですよね)

 いかがですか?確かに、こう言ってるし、こう聞こえます。
 ちなみに、最初の"Nice to meet you."には、「納豆、密輸」という空耳英語もあります。

 つまるところ、彼らも「省エネ」を基本にしゃべってる、ということなんですね。

 途中の(発音が面倒な)子音は、飛ばす。子音と母音の連続は、ひとつの音にリンクさせる(最初の例の「ミーチュ」のように)。

 発音が楽な音に変える("t"を"n"に変える(トゥウェンティ(20)を、トゥエニィのように)手もあります。
 このへんは、なにかといえば短縮、省エネしたがる大阪弁と通じるところもあって、面白い。

 ただし、英語の発音全般がそう得意でもないのに、カタカナ英語で覚えた表現を、「中途半端に」、「生兵法的に」使うのはお奨めできません。英語ペラペラと思われて、手加減してくれなくなったり、特定の表現だけネイティブ並み、というのは不自然に思われそうです。

 あくまで「知識として」知っておいて、もっぱらリスニングの時に役立てる、というのがいいと思います。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第224回 時計を止める

2017-07-07 | エッセイ

 久しぶりに、スポーツの話題をお届けします。

 決められた時間の中での得点を競う球技は、バスケットボール、ラグビー、アメリカンフットボールなどいろいろあります。なかでも世界的に人気のある球技と言えば、サッカーでしょう。

 日本代表の試合を、テレビ観戦する程度のファンですが、いつも不思議に思うのは、「なぜ時計を止めないのだろう」ということ。サッカー場の時計です。



 かつてよく観戦していたアメリカンフットボールの場合、15分のクォーター制ですから、正味プレイ時間は60分です。

 でも、タイムアウトを取れば(前後半各3回まで)、当然時計は止まります。そのほかに、パスを失敗した時とか、ボールを持った選手がサイドラインを割った時など、時計を止めるためのルールが、きっちりと決められていて、じつにこまめに時計が止まります。なので、「観戦時間」としては、ハーフタイムの休憩を除いて、倍の2時間くらいになるのが普通です。

 大学の試合で、秒単位の表示装置がないスタジアムで行われる場合は、専用の表示装置をフィールドに置くなどして、時間管理をしっかり行います。
 選手も、観客も、秒単位の残り時間を「共有」しながら、選手はプレーを組み立て、観客は、ドキドキ、ハラハラ成り行きを見つめます。
 試合の終盤、逆転を狙う攻撃側は、いかに時間を有効に使うか(うまく時計を止めるか)、守備側は、いかに時計を進めるか(時間を消費させるか)の知恵競べが、極めてフェアに出来、球趣を盛り上げる仕組みです。

 翻って、馴染みのあるサッカーの場合、ということになるのですが・・・・

 90分の試合時間の内、実際にプレーが行われている(ボールが動いている)時間は、40分程度だというデータがあるんですね。約半分というわけで、アメリカンフットボールの場合の経験値とよく合う。

 ラインやゴールの外に出たボールを取りに行く、ボールを入れる、レフェリーの判定にクレームを付ける、強い当たりで選手が倒れる、ゴールの後のお祭り騒ぎ、そして、乱闘、小競り合いなどなど。実に雑多な「ムダな時間」があります。

 だから、前後半にアディショナルタイムというのがあって、各ハーフの試合終了直前になると、主審が、3分とか5分とか決めて、ボードで表示するんですけど、これがよく分からない。
 
 どうも3分ぐらいを基準に、ケガ人が出て、小競り合いがあったから、5分かな、とか、特に何もなかったから、2分とか、ホームチームが負けてるから6分(実際、8分というのを見たことがある)とか、「ええ加減に」、「勘で」決めてるような気がして仕方がない。
 しかも、アディショナルタイムが何分が表示されるのが、各ハーフの終了間際というのも不可解。接戦で終盤まで試合がもつれた場合、3分と5分では、戦い方も違ってくるはずで、フェアとは思えない。

 時計を止めることのメリットはいろいろ考えられます。

 残り時間をきちんと「共有」しながら、フェアに戦える、というのが一番ですが、最近では日本のプロ野球でも導入されてる「ビデオ判定」の導入が可能になる、というのも大きいメリットではないでしょうか。審判も、時間を気にせず、じっくり判定できますからね。

 で、デメリットですが、あまり考えられません。あえて言えば、審判に、時計を止める、進めるの指揮(コントロール)をするという「余計な仕事」がひとつ増えるくらいのことでしょうか。

 いっそ、フットサルの公式戦ルールみたいに、前後半各20分にして、「時間を止める」(ボールがピッチを出た時、ファウルがあった時など)ことにしたらどうでしょうか。「試合時間」がえらく短くなるみたいですけど、他の球技の例からしても、半分くらいは、ムダな時間ですから、「観戦時間」は、実質的に今と大して変わらないはずですし・・・

 「それもこれも含めてサッカーというゲームだ」と、ゴクウさんあたりに言われるのは、百も承知の上での、ど素人の「大胆なご意見」ですけど・・・いかがでしょうか?

 それでは次回をお楽しみに。