★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第265回 「最後のオス」になるために

2018-04-27 | エッセイ

 竹内久美子という動物学者がいます。「男と女の進化論」(新潮文庫)、「遺伝子が解く!その愛は、損か、得か」(文春文庫)などの著作があります。

 私もいくつか読んで、分かったんですけど、この先生の関心は、もっぱら、男と女、動物だと、オスとメスの営みというか、生き方を、動物学的に究明しようということのようです。なかなかさばけた先生で、私の好みのタイプ(あくまで関心のある分野が)です。

 そんな中から、興味を引かれた話題を、記憶を頼りにご紹介しようと思います。

 動物にとって、交尾は、子孫を残すための大事な営みです。
 昆虫でも、それは同じことですが、一匹のメスが、複数のオスと交尾する場合、オスから見れば、「早い者勝ち」ではなく、「遅い者勝ち」だというのです。

 メスは、オスと交尾するたびに、精子(たいていは精包と呼ばれるカプセルに入っている)を貯め込んでいきます。そして、産卵の時には、最後に受け取った精包を優先して受精させるという仕組みです。

 ですから、自分の子孫を残すためには、いかにして、「最後のオス」になるかが大事なわけで、昆虫たちも知恵を絞ります(ヒトの場合だったら、結婚というのが、「社会的」には、最後のオスになるための仕組みなんでしょうけど・・・)。

 さて、カワトンボの一種には、ペニスの先に返しがついていて、前に交尾したオスの精包を書き出してから、自分のを注入する。う~ん、これだと、最後にはならないにしても、比較的後ろのほうのポジションを確保できそう。こんなトンボです。



 ギフチョウやウスバアゲハの場合は、交尾のあと、オスがメスの交尾器をふさぐ、という技に出ます。腹部を左右に振り、粘液を出して、メスの交尾器を塗り固めてしまうというんですね。
 まるで、左官屋さんのような荒技。これなら、ほぼ確実に、「最後のオス」になれる。卵の出口は塞がれてないので、産卵はできるので、ご安心(?)を。

 もっと凄い手があります。南米にいるアカスジドクチョウのオスは、メスの体内に、他のオスが嗅いだら性欲が失われてしまう物質(性欲減退臭)を残して行く。これはかなり有効な手に違いない。

 交尾が済んでも、つながったままでいる、という方法もあります。小さい頃、トンボがつながったまま飛んでるのをよく見ました。
 そう言えば、小さい頃、ガキ大将なんかが、「ほら、見てみい。ありゃ、トンボ同士がな、やらしいことしてるんや」なんていってましたが、今、やっと謎が解けました。
 そうやって、メスを独占したまま、産卵場所へ向かうという、これまた手堅い作戦だったんですね。

 ホントにいろんな手があるものです。で、話はヒトの場合に及ぶんですけど・・・・(竹内先生も好きだねぇ)

 ヒトの場合、竹内先生によると、ヒトのペニスに「返し」がついているのは、「カワトンボ」と同じ理由・原理だというのですよ。
 で、ヒトの性の営みでは、うんつくうんつく「スラスト(こすり合わせ)」に精を出すわけですが、これは、カワトンボのオスが、他のオスの精包を搔き出す作業と同じ習性だ、というのです。

 えっ、我々の性の営みって、カワトンボと同じだったの?そんなこと急に言われてもねぇ。あくまで「生物学的」見地に基づく竹内女史の見解、ということで、理解しておきましょう。でも面白い。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第264回 苦痛の講演会

2018-04-20 | エッセイ

 以前、「イラっとするイベント」(第232回)で、ご紹介した会のイベントに、性懲りもなく、参加しています(いろいろネタが拾えたりしますので・・・)。

 会の性格上、講演会が多いのですが、なんとかしてくれ~、と苦痛に感じるのがほとんどです。どうしてそうなんだろうと、最近の講演会を例に、私なりに考えました。

 講演テーマは、日本の山々を移動しながら、狩猟生活に明け暮れる「マタギ」と呼ばれる人々の生活ぶりと文化です。矢口高雄さんの漫画で、言葉だけは知っていました。


 これらの人々と親しく交流している研究者から、直接、話を聞ける機会はそうないので、それなりに楽しみにしていたのですが・・・・

 まず残念だったのは、声が聞き取りにくいこと。お年のせいで歯切れが悪いのは、やむを得ないとしても、背中を丸めて、マイクに口を近づけすぎてしゃべるから、くぐもった声になります。
 内容第一とはいいながら、講演と銘打ってるんですからねぇ。聞きとれてナンボ。講演者にもプロ並みでなくても、マイクの使い方、発声にも気を配って欲しいと、今回に限らず、いつも感じます。

 それ以上に、残念だったのは、スライドの使い方。

 今どきの講演会は、パソコンのプレゼン用アプリで作り込んだスライドを使うのが常識になってます。「うまく、効果的に」使えば、これほど便利なものはありません。
 くどくどした説明より、1枚の画像(ビジュアル)の方が、はるかにパワーを発揮し、リアルに理解できます。

 でも、スライドって、本来、補助手段のはず。聞き手の立場になった時、1時間なりの講演では、話の筋道を見失いがちです。そうならないために、要所要所に立てる案内板、標識みたいなものでいいんじゃないでしょうか。

 これから話す項目とかキーワードをさっと示すだけですから、1枚のスライドに、理想は1項目、せいぜい2~3項目というのが適正ですね。

 だけど、どういうわけか、講演者の皆さんって、ほぼ例外なく、1枚のスライドにあれもこれもと詰め込むんですね。「講演」会なのに、まるで「スライド鑑賞」会。

 で、、今回のスライドも、例のごとく文章がびっしりで、まるで教科書。最前列でもロクに見えません。しかも、それをほぼ読み上げる形で、ノタノタと講演が進行していきます。「見にくい」(というか、ほぼ見えない)スライドを、一応見るのと、「聞きとりにくい」話を聞くのとで二重苦。

 とまあ、文句ばっかり言ってても仕方がありませんので、僭越ながら、私ならこうするけど、というひとつの案をお示ししようと思います。

 講演会の中で語られた興味深い話題のひとつが、熊とマタギの命をかけた駆け引きです。

 で、私が用意するのは、スライドの真ん中に、ど~んと「熊とマタギの知恵比べ」とだけ。

 いかがですか?ちょっと身を乗り出したくなりませんか。獰猛なだけと思われてる熊が、意外と知恵が働くのだ、というあたりを、前フリにすれば「つかみ」はオッケー(のはず)。
 その上で、具体的な事例に入ります。

 最初の事例を紹介するスライドには、スターウォーズのノリで、「エピソード1 バックステップする熊」とだけ。

 「熊が、バックステップ????どういうことかな」と思わせておいて、更に身を乗り出させようという魂胆です。
 
 なんのことはない。熊があるところから、後ろ向きに歩いて、自分の足跡が途中で立ち消えたように見せかけた、というんです。マタギも騙されかけたというんですから、なかなかの知恵者です。

 身振り、手振りを交えて、あくまで「しゃべり」のワザで勝負したいところですねぇ(くどいようですけど、「講演」会ですから)。「次は、どんなエピソードかな」と、聴衆の期待も煽(あお)りながら、エピソード2ヘ・・・・と、まあ、素人の勝手なアイディアですけど・・・・

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第263回 大胆な推計

2018-04-13 | エッセイ

 悪夢の「入試」も遠い昔のことになりました。もう死ぬまで無縁。

 そんなわけで、「世界一「考えさせられる」入試問題」(ジョン・ファーンドン 河出文庫)を気軽に手にとりました。


 オックスフォードとケンブリッジというイギリスを代表する大学の面接試験で、実際に出された難問、奇問、珍問を集めて、模範解答というか、解説をつけたものです。

 「あなたは自分を利口だと思いますか?」(ケンブリッジ(法学))
 「もし、全能の神がいるとしたら、彼は、自身が持ち上げられない石を造ることができるでしょ
  うか?」(オックスフォード(古典学))
 「あなたにとって、悪い本とは何ですか?」(ケンブリッジ(英語英文学))
 「あなたは脳のどこが一番好きですか?」(ケンブリッジ(医学))
 「あなたならリンゴをどう説明しますか?」(ケンブリッジ(社会学、政治学))

 とてもとても、私なんかの手に負えませんが、苦悩しているであろう「受験生」の姿を想像して、少し同情しながら、ちょっと楽しませてもらいました。

 その中に、「クロイドンの人口は?」(ケンブリッジ(地理学))と言う問題があって、解けませんでしたけど、解説の中味が、私なりに理解できましたので、ご紹介します。

 クロイドンというのは、ロンドンの約30(正確には32)ある行政区のひとつです。ロンドンの人口を、1000万人(実際にももう少し少ないそうですが)として、単純な割り算で、33万3000人という数字が出ます。2007年の統計によると、同区の人口は、33万6600人とのことなので、数字のことだけいえば、「当てる」のはそう難しくはなさそうです。もちろん、面接では、数字そのものよりも、根拠、考え方、答え方、機智などが問われるのでしょうが・・・・

 著者もタネ明かしをしてますが、これは、「フェルミ推計」の典型的な問題だと言うのです。
 核物理学者のフェルミにちなむもので、既知の数字を使って、大胆かつ筋道立てて、通常は知り得ない数字を推計する手法です。
 
 彼が学生に与えた課題は、「シカゴには、何人のピアノ調律師がいるか?」というもので、こんな推計が、一例として、よく引用されます。

 シカゴの人口を300万人とします。1世帯の人数を3として、世帯数は、100万です。ピアノの世帯普及率を1割として、10万台のピアノがあり、年に1回調律するとします。

 さて、調律師は、1日に3台の調律ができるとし、週休2日で、年間250日働くとします。ひとりが1年間で調律できるのは、750台ですから、10万台なら、130人と言う数字が出ます。

 大胆な前提、仮定を、いくつも置いた推計です。1日3台の調律依頼が、コンスタントにある、というのが、やや無理があるようにも思いますが、手法は、理解いただけると思います。

 で、この手法なんですけど、かのグーグル社が、「入社試験」でよく出題した、というので話題になりました。
 「スクールバスにゴルフボールは何個入るか?」
 「◯○にあるマンホールの蓋の数は?」のように。

 アメリカのやり方をマネるのがすきな日本の企業でも、ひところ流行ったようですけど、本家も含めて、今は、流行らないそうです。

 就活生のほうの、「傾向と対策」が進んだこともあるのでしょうが、結局、この手の手法では、本当の「アタマの良さ」は計れない、というのが、グーグルも含めた企業の結論だったようです。
 確かに、ある程度、基礎的な数字を覚えて、コツさえ掴めば、なんとかなりそうではありますから・・・・

 「都内で、きのう終電車を逃した酔っぱらいの数」
 「全国で、アカザの杖作りに励んでいる人の数(1名は、把握してますけど)」 

 自分で出題して、自分で推計して・・・・入試も就活もない気楽さと、ボケ防止を兼ねて、時々、楽しんでます。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第262回 歴史に学ぶということ

2018-04-06 | エッセイ

 何年か前のことです。今や「時の人」のアソーが「憲法改正はナチスの手口を学べ」と発言し、世間の失笑を浴びたことがあります。
 「ひょっとこ顔して、エラソーに振る舞うしか能がないあのアホーなアソーが・・」程度の受け止め方が一般的だったようで、あまり大きな問題にはならなかった記憶があります。

 「ナチスの手口」というのを、なんとなく「多少強引な手段を使ってでも」程度に理解し、ナチスを引用する非常識さへの非難以上の追求はなかったようです。

 だけど、歴史に学べば分かるのですが、「ナチスの手口」というのは、決して「強引な手段で」ということじゃないんですね。
 しからばどういうやり口かというと、「あらゆる合法的手段を利用して」ということです。アホーなアソーごときが、自分で勉強するわけないですから、悪知恵が働く役人か御用学者あたりの入れ知恵に違いありません。

 そのために、ナチスの政権獲得までを、ざっと振り返ってみます。

 まずは、1923年の「ミュンヘン一揆」です。この時、ヒトラー34歳。突撃隊員2千人(一説に3千人)のナチス党突撃隊員がミュンヘンのあるバイエルン政府を倒して、ベルリンへ進撃して天下をとるーそんな意図の武装蜂起でしたが、ものの見事に鎮圧されます。さすがにこれは、非合法。

 首謀者のヒトラーは、国家反逆罪で、銃殺も免れないところですが、得意の弁舌もあったのでしょう、禁固5年の判決を「勝ち取り」、なぜか、刑期満了前の25年12月には釈放されました(歴史に「イフ」はないと言われますけど、ついつい「イフ」を考えてしまいます)。

 さすがに、武装蜂起の失敗に懲りたのでしょう。ワイマール憲法下での議会を舞台に、政権獲得のための議席確保をめざした「合法的な」活動が始まります。

 ナチスが政治の世界で存在感を確立した節目の年が1930年です。党員は30万に達し、財界とのコネによる豊富な資金力を背景に、この年の総選挙では、それまでの12議席から、一気に107議席へと躍進し、第2党となります(第1党社会民主党143議席、共産党77議席)。

 そして、同年の11月の総選挙では、突撃隊の暴力事件の影響もあって、196へと議席を減らすのですが、かろうじて第1党は維持します。一方、共産党は100議席と躍進です。

 翌33年1月に、シュライヒャー内閣が、軍部クーデターの危機に揺さぶられ、総辞職します。
ヒンデンブルク大統領は、不本意ながら、ヒトラーを首相に任命します。こんな人物です。

第一次世界大戦時の「元帥」が、「伍長」を任命するというのが歴史の皮肉ですが、ともあれ、ナチスは、遂に政権を獲得したのです。

 同年2月に議事堂放火事件が起こります。ナチスによる自作自演との説が根強い事件ですが、そんなどさくさに紛れるようにして、「ドイツ民族と反逆的陰謀を取り締まるための大統領令」という国民の基本的人権を奪う法律を速成し、緊急の「閣議決定」という手段で決定してしまいます。その日の夜に、老大統領を訪ね、強引に署名させるのです。

 ワイマール憲法の統治に関する規定には、「公共の安寧秩序が著しく損なわれたとき、大統領は回復に必要な措置を講じるため国民の基本権を一時的無効にできる」とありますから、これを持ち出されて、老大統領も署名せざるを得ませんでした。

 この法律によって、ワイマール憲法は、完全に空洞化しました。繰り返しますが、「閣議決定」で決定したのです。

 こうなれば怖いものはありません。同年3月の総選挙で、ナチスは、全647議席中、288議席を獲得しますが、過半数には届きません。共産党は、88議席を獲得するのですが、彼らは、一度も登院することはできませんでした。「大統領令」によって、彼らの議席を剥奪し、ナチスは単独過半数を確保したのです。

 そして、悪名たかき「全権委任法」が、3月の議会で「合法的に」、「多数決で」成立します。 
 同法の第一条です。「第一条 立法権を国会から内閣に委譲する」

 憲法の空洞化に続き、議会の空洞化までを「合法的に」やったことになります。その結果、もたさられた歴史的惨禍は、ご存知のとおりです。

 目を日本の現状に転じれば、安保法制をめぐる権力側の一連の、閣議決定による法制化の手法は、まさに「ナチスの手口」をなぞっていることが分かります。アソーの発言に潜むたくらみを見抜けなかったマスコミ、知識人への苛立ちと、自分自身の不勉強を痛感しています。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。