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第521回 浮世絵がもたらした自由

2023-04-28 | エッセイ
 日本の浮世絵が、フランス絵画、特に印象派に大きな影響を与えた、というのを、中学校の教科書で学んだ覚えがあります。でも、浮世絵と印象派絵画って、どう見ても別物です。どう影響したのかを、わかりやすく説明された記憶はなく、ずっと不思議に思っていました。
「大江戸浮世絵暮らし」(高橋克彦 角川文庫)に、なるほどと納得できる「謎解き」がありましたのでご紹介します。

 まずは、明治期に、日本からフランスに輸出された茶碗とか皿が、北斎、歌麿などの優れた浮世絵で包まれていて、ヨーロッパに一躍ブームを巻き起こした、との有名なエピソードです。
 著者が丹念に調べたところによれば、包んでいた浮世絵は、明治の二流、三流どころのガラクタと呼べる程度のものでした。印象派の画家たちが感銘を受けることはなかったとしても、「実際に印象派が成立した、その根底に浮世絵があったことはまちがいないことです。」(同書から)とのことなので、その説明に耳を傾け、謎解きを楽しむことにしましょう。

 ヨーロッパに浮世絵が入り込んでいった時期、絵画界の主流は、リアリズムを極めた肖像画でした。その代表例として、デューラーの「聖ヒエロニムス」を同書で引用しています。

 手の甲には細かい血管が浮き出ているのが描かれ、目には、こちら側の風景が写し取られているという徹底ぶりです。
 そんな美術界に大変革が起きました。写真の発明です。これ以上精密に現実を写し取る仕掛けはありませんから、当時の画家たちは、失職の危機感を抱き、この苦境からの脱出に悩んでいました。そんな折も折、出現した浮世絵に彼らは心底驚きました。「というのは、浮世絵というのはリアリズムと正反対のところに位置していたからです。」(同)

 話はこう展開します。
 まずは輪郭線の扱いです。ヨーロッパ絵画では輪郭線は描きません。リアリズムが基本ですから、背景との色の違いでモノの輪郭を際立たせます。それに対して、浮世絵の場合、版木に彫って刷りますから、輪郭線が命で、人物、物などをくっきりさせます。
 また、立体感、リアル感を表現するのに不可欠な「陰影」も、浮世絵ではほとんど描かれません。微妙な影の濃淡を、ひとつひとつ「刷り」で表現するのは手間がかかります。無理に付けても、黒一色の影が、絵のあちらこちらに点在して、煩わしく、見た目もよくありません。

 次に、ヨーロッパ絵画を特徴づける「遠近法」の問題です。浮世絵の場合、絵のサイズは通常、縦、横ともせいぜい30~40cmほどです。そこへ厳密に遠近法を適用すると、中心にいる主役たる人物が、うんと小さくなるなどの不都合が生じます。なので、あまり採用はされません。
 それでも、大胆に遠近法を採用した浮世絵を引用して、著者は紹介しています。

 奥村政信の「新吉原大門口中之町」という作品で、店の大きさ、奥行きを表現するのに遠近法を用いています。手法として頭にはあったようです。それでも、手前に並ぶ人物を目立たせるため、大きめに描いていますから、全体としてのバランスはやや欠いているように見えます。

 最後は色使いです。浮世絵もいろんな色は使います。ただし、ひとつのものー例えば肌、着物の生地、髪の毛などーには、ひとつの色を割り当てます(単色構成と呼ばれます)。西洋絵画のように、あらかじめ色を混ぜ合わせたり、絵を描きながら微妙に色を調整したり、ということはありませんし、版画ですからできません。著者は、東洲斎写楽の「市川男女蔵の奴 一平」を引用しています。

 背景はやや明るめの黒一色ですし、各パーツも単色で構成されているのがわかります。浮世絵を見慣れた私たちには当たり前のことですが、ヨーロッパの画家たちには、これが最も驚きだったのではないか、と著者は言います。
 浮世絵と西洋絵画との出会いの中で、「とにかく絵として絶対に成立するはずのないものが絵として美しいという驚きが、浮世絵を勉強することによって、印象派の画家たちにもたらされ、その結果、彼らがどんどん新しい可能性を見いだしていったということなのです。」(同)

 この総括を、私なりに「「絵って何でもありなんだ。もっと自由に描こうよ」とのインスピレーションを、浮世絵が彼らに与えた」と理解して、納得できました。肖像画や宗教画という呪縛から解放されて、光あふれる屋外で風景画を描く、細かい技巧は気にせず感性の赴くままに筆を走らせる・・・そんな自由を手にしたきっかけが、日本の浮世絵だった(のかも)、というのが、ちょっと誇らしいです。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第520回 言葉との格闘技−2

2023-04-21 | エッセイ
 久しぶりに続編をお届けします(文末に、前回(第495回)へのリンクを貼っています)。
 格闘技が大好きな言語学者・川添愛さんの本「言語学バーリ・トゥード」(東京大学出版会)から、軽いノリで、いろんな言葉と格闘する著者の戦いぶりをお楽しみください。

★「絶対に押すなよ!」の意味と意図★
 80~90年代にかけて放映されたスーパーJOCKYという番組の中に、「熱湯コマーシャル」というコーナーがありました。テレビコマーシャルをしたいタレントがルーレットをします。勝ったタレントは、水着に着替えて、熱湯の入ったバスタブに身を沈め、我慢できた秒数(最大30秒)だけ、自己宣伝ができる、という他愛ない企画でした。
 常連の上島竜兵(ダチョウ倶楽部・故人)の場合、いよいよバスタブに入ろうとする時に発するのが「絶対に押すなよ!」です。本書からイラストを拝借しました。

 文字通りの「意味」は、押されて急にバスタブに落ちたりすると危ないから押すな、という強い禁止命令です。でも、「意図」は違います。ここで押されて、ドタバタとバスタブへ入って、「アッチッチ~」と騒げば、ギャグになります。そのきっかけが「絶対に押すなよ!」です。なので、真の「意図」は、「押せ」なんですね。日常生活でも、「意味」と「意図」のすれ違いはあります。「あしたヒマ?」というのは単なる質問じゃないですね。何かやって欲しいことがあったり、誘いだったりするきっかけの質問ですから。
 お笑いの世界では、禁止命令をきっかけに、あえて禁止のアクションを起こさせ、そのギャップをギャグにする、こんなテがあったんですね。さすが言語学者、「熱湯コマーシャル」を例に引いてきた「意図」がよく理解できました。

★怖い「前提」★
 著者は、警察学校の生活をリアルにテレビドラマ化した「教場」を取り上げています。そこで事情聴取の訓練として、警官役とひき逃げ容疑者役とでこんなやりとりがありました。
警官役「○月X日、あなたは現場近くを通りかかりましたね?」
容疑者役「いいえ、通りかかってないですよ」
 容疑者は否定するばかりで、手詰まりになったところで、別の生徒が手を挙げて、警官役を買ってでます。そして、こう訊きます。
「あなたが現場近くを通りかかったのは、○月X日の何時頃でしたか?」
 容疑者役は、一瞬、ぐっと答えに詰まります。教官からもこの尋問は評価されます。そこで言語学者たる著者は気づくのです。これは、「前提」の問題だと。
 つまり、この訊き方は、現場近くを通ったことを「前提」にしていますから、容疑者の立場からはまともに答えてはいけないのです。「いいえ」とか「わかりません」とか「覚えていません」などと答えても、近くを通ったという「前提」は認めたことになる、というのが言語学の立場だそうで、怖いですね。
 この手法をうまく使う手があります。デートして、次のデートの約束を取り付けたい時、「また会ってくれる」と尋ねるよりも、「今度いつ会う」と訊くのがいいのです。会うことを「前提」にした言い方ですから。う~ん、若い頃、この知恵があれば・・・・

★なくて七癖★
 プロの書き手でも、書き癖というのはあるのですね。著者が、編集とか校閲の人からよく指摘されるのは「「カギカッコの多さ」である」(同)と、さっそくカギカッコ付きで書いてあります。
 ご本人も指摘されて気づいたようです。
 普通は、話し言葉や他人の言葉の引用、そして、強調したい言葉や、ひとつの意味のあるカタマリ(例:先ほどの「カギカッコの多さ」)として理解してほしい時などに使います。
 問題は、「「文字通りではない特別な意味」があることをほのめかす場合にも使われる」(同)というあたりにあるようです。漫画で怪しげなキャラが「さあ、「パーティー」を始めようか」と言えば、普通のパーティーじゃないな、と感じる、との例を著者は挙げています。
 したがって「私の文章は、「ほのめかしが多く、なおかつ読みやすさをカギカッコで安易に補おうとしているウザい文章」ということになる」(同)と「カギカッコ」付きで総括しています。
 う~ん、そんなに気になりませんけどね。うまく使えば便利とはいえ、「安易に」「多用する」のは、避けなければ、と自戒したことでした。

 いかがでしtか?なお、前回の記事へのリンクは<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第519回 脳の不思議話byサックス-2

2023-04-14 | エッセイ
 少し間が空きました。続編をお届けします(文末に前回分へのリンクを貼っています)。
 イギリス出身で、脳神経科医としてアメリカで活躍したオリバー・サックス博士の著作から、前回は、2つのケース(症例)をご紹介しました。こちらの方です。

 もう1件、是非取り上げたいケースがありましたので、それを新ネタとし、以前、<旧サイト>で取上げた1件と合わせてご紹介することにしました。最後までお付き合いください。

★時が止まった男★
 まずは、新ネタです。前回のネタ元「妻を帽子とまちがえた男」(ハヤカワNF文庫)からのご紹介です。
 ジミー・Gという49歳の男性が氏のもとを訪れたのは、1975年のことです。街の医師からは、絶望的痴呆、錯乱、失見当識などとの診断が下された末の来診でした。陽気で社交的、活発な性格であることは会話を通じてわかりました。コネチカットの小さな町の生まれで、当時の記憶はしっかりしています。1943年に高校を卒業して海軍に入りました。潜水艦の副通信士を務め、潜水艦名、任務、配属場所、仲間の名前など当時の記憶も確かです。

 でも、博士は気づくのです。「彼の話が学校時代から海軍時代になると時制(テンス)が変わるので、非常に驚いた」(同)。つまり、海軍時代のことを「現在形」で話すというわけです。そこで博士は、それが何年のことか訊きます。返ってきたのは、「(19)45年ですよ。どうかしましたか?」彼は話を続けた。「われわれは戦争に勝ったのです。ルーズベルトが死んでトルーマンが大統領になりました。これからが大変な時代になるでしょう」(同)というもの。更なる検査、観察で、彼は「短期記憶の喪失」という症状であることがわかりました。ほんの数分前の出来事が記憶できません。1945年の終戦とともに、その症状が発症し、その後、ずっと継続していました。ですから、彼の中では、戦後の記憶は一切なく、時は1945年で止まっていたのです。
 その後、彼と博士との付き合いは9年に及びました。症状が改善することはありませんでしたが、「ホーム」と呼ばれる治療施設での生活を通して、落ち着きを取り戻し、「芸術的、倫理的、宗教的、劇的なるものすべてを豊かに享受する身になっている。」(同)
 このケースでも、心優しく、真摯に人間と向き合う博士の姿勢が浮かび上がってきます。

★突発性音楽嗜好症★<旧サイト記事の前書き部分に手を入れて、再掲しました。>
 私は、音楽的素養とはまったく無縁で、楽器は何一つできません。それでも、壮大なシンフォニーや歌謡曲などの音楽作品が、脳の働きによって、実に精妙なものとして受容され、心をゆさぶります。実に摩訶不思議な仕組みとしか思えません。
 今回ネタ元にしたオリバー・サックス博士の「音楽嗜好症(ミュジコフィア)」(ハヤカワNF文庫)では、音楽にかかわる不思議な症例が紹介されています。
「病的に音楽好きな人々(ウィリアムズ症候群)」、「パパはソの音で鼻をかむ(絶対音感)」、「音楽への恐怖(音楽誘発性癲癇)」など盛りだくさんです。なかでも「突発性音楽嗜好症」というエピソードが印象深いので、ご紹介することにします。

 エピソードの主人公は、トニー・チコリアという42歳の整形外科医です。湖のほとりでキャンプをしていた彼は、母親に電話をしようと、テントを出て、公衆電話ボックス(まだケータイがない時代でしたので)のところに行きます。母親との話が終わった時、突然、ボックスに落雷があって、彼のカラダは吹っ飛びました。幸い、短時間の心臓停止はあったと推測されるものの、特に異常は見つからず、2週間ほどして仕事に復帰します。

 ところが、それからしばらく経ったころ「突然、二日か三日にわたって、ピアノ音楽を聴きたくてたまらないと感じた」(同書から)というのです。ピアノといえば、小さい頃、2、3回練習した程度で、好きな音楽は、ロックだといいますから、本人の戸惑いは十分に想像できます。
 遂に、ショパンのレコードを買い集めまくり、全部の楽譜を注文するまでになります。そのうち、彼の頭の中に、音楽が湧き出るように流れ出してきました。ピアノを弾きたいという欲望はますます強くなるのですが、当然のことながら、思うように指は動きません。頭の中の曲を書き留める方法など見当もつきません。そんな煩悶の末に、まったくゼロから、憑かれたようにピアノの猛練習と作曲の猛勉強に励むことになりました。
 そして、遂に、その演奏と作品は、専門家の高い評価を得るまでになったというのです。う~ん、ピアノと作曲の技術を、42歳にして全くゼロからスタートし、完璧に身につけたことになります。雷撃が、ショパンの霊を送り込んだ、とでも考えるしかないような不思議なエピソーです。
 音楽的才能って、誰にでもあって、スイッチが入らない人が多いだけなんでしょうか?そもそも才能って、何なんでしょうか?いろんな事を考えさせられる不思議なエピソードでした。

 いかがでしたか?前回(第485回)の記事へのリンクは、<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは、次回をお楽しみに

第518回 「どや」「大概」-大阪弁講座54

2023-04-07 | エッセイ
 今回の大阪弁講座は、<どや>と<大概(たいがい)>を取り上げます。どうぞお楽しみください。

<どや>
 中島らも(故人)の古いエッセイを読んでいたら、彼が大阪でコピーライターをしていた時に、街で出会った飛び切りの広告コピーを話題にしていました(「西方冗土」(集英社文庫)所収)。
 市内の中之島公園に屋台のタコ焼き屋が出ていて、こんな貼り紙がしてあったと面白がっていました。
「おいしいタコヤキ、二百円でどやっ!?」

 そういえば「どや(っ)」というコテコテの大阪弁があったなあ、と取り上げることにしました。
 「どうだ」が大阪弁的に「どうや」、さらに「どや(っ)」と短縮化されたのが成り立ちのようです。
「~したら「どうだ」」「~するのは「どうだ」」と同じように、助言したり、行動を促すのにまずは使われます。
 「そろそろ時間やで。出かける用意したら「どや」」
 「そういつまでもケンカしとらんと、仲直りしたら「どや」」
 「どや」の言い方の強弱で、軽い助言から、命令調まで使い分けられる便利さがあります。

 もうひとつは、「「どうだ(ぁ)」、スゴいだろっ」なんかで使われる自慢の「どうだ」です。
 「「どや(っ)、オレが一言発言しただけで、全部決まりや。大したもんやろ」
 そうそう「どや顔」というのがありました。自慢げな顔を半ばあざけって使うのですが、「どうだ顔」じゃなく「どや顔」と大阪弁が標準になっているのが不思議です。

 さて、タコ焼きの「どやっ」をどう解するかですが・・・・
 こんなにおいしいタコ焼きを是非食べてくれ、と半ばお勧め、半ば命令調でざっくばらんに訴えてる、そんな大阪のオッチャンの顔が思い浮かびます。
 そして、オレはこんなうまいタコ焼きを作って、しかも200円という安い値段で売ってる、なんと良心的な、、、とちょっぴり自慢の「どや」も入ってる気がします。
 それにしても、大阪人の言語感覚には毎度の事ながら感心させられます。

<大概(たいがい)>
 薩摩弁に「大概大概(てげてげ)」という言葉がある、というのを司馬遼太郎のエッセイで読んだことがあります。人の上に立つ者の心得として、あまり事細かく指示したり、干渉しない、おおまかな方針を示したら、あとは任せる、というような鷹揚な態度をこう評するというのです。
そう、西郷隆盛の顔が思い浮かびます。
 漢字と読み方にギャップがあって、司馬は、中国語か朝鮮語が起源ではないかと推測しています。でも「たいがい」を江戸っ子風になまれば「てぇげぇー>てげ」になりますから、やはり日本語じゃないでしょうか。

 「たいがい」を「たいてい」とか「おおよそ」の意味で使うのは、大阪に限らないと思うのですが、使用頻度は圧倒的に高い気がします。
「その時間やったら「たいがい」家にいてるわ」とか、「用事を片付けて、出かけるのは、「たいがい」昼頃やな」などの用例を思いつきます。

 そして、もう少し幅広い意味で使える、という大阪的特徴があります。その代表的な例が、「たいがい」にしとき」というもの。くどくどと愚痴を並べ立てたり、文句を言ってる相手を嗜(たしな)めるのに最適の表現で、「ほどほど」よりキツイ響きがあります。共通語だと「いい加減にしろ」ってとこでしょうか。
「さっきから黙って聞いてやってたら、いい気になって泣き言や愚痴ばっかり。聞かされる身にもなってみぃ。「たいがい」にしとき」

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。