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第406回 半藤さんの伝言<旧サイトから>

2021-01-29 | エッセイ

 先日、作家の半藤一利さんが亡くなられました。こちらの方です。昭和史をテーマにした作品を数多く残され、私も随分愛読してきました。ご冥福をお祈りします。

 さて、旧サイトで、故人の「21世紀への伝言」という作品を取り上げていたことを思い出し、<旧サイトから>の第3弾としてお届けします。2015年5月掲載の2回分を1本にまとめました。なお、いずれ続編を新ネタでアップする予定です。

★ ★以下、本文です★ ★

 半藤一利という作家がいます。
 昭和と言う時代を中心に、歴史の検証を続けている反骨の人です。「21世紀への伝言」(2000年 文藝春秋社刊)という作品があります。2000年という区切りの年に、それまでの日本と世界の100年を、豊富なエピソードと名言(単行本では、見開きに4項目ずつ)で振り返った新聞連載のコラム集で、隠れた名著、労作です。

 ひたすら戦争への道を突き進む世の中の動き、暗い世相などの話題も数多く取り上げられています。それらから目をそらすわけではありませんが、明るく、脱力系のエピソードを中心に、最後に辛口の話題1件をご紹介することにします。

<相撲が国技に>
 1909(明治42)年、建物はできたのだが、名前が決まらない。「相撲館」など候補に挙がるなかで、「開館披露文」にあった「そもそも角力(すもう)は、日本の国技、歴代の朝廷これを奨励せられ」という文言に、命名委員長の板垣退助が飛びついて、決定したもの。「国技という新熟語も妙だが、、」などと新聞には書かれたが、決めたもん勝ち。剣道、柔道、弓道がくやしがっている。

<エノケンのカジノ・フォーリー>
 まだ新人だったエノケンも参加して、浅草で旗揚げしたのが1929(昭和4)年。興行的には不入り続きで、頭を悩ましていたら、ある日、突如、お客が入り出した。「金曜日に踊り子がズロースを落とす」という噂が、まことしやかに流れたから。警察は、「マタ下三寸未満、あるいは肉色のズロースは使用すべからず」と禁令を出したが、かえって客を呼び、エノケンも一躍スターとなった。何がきっかけになるか、分からないもの。

<大悪党川端康成>
 第一回の芥川賞は、1935(昭和10)年、石川達三が受賞した。生活苦のため、この賞が欲しくてたまらなかった太宰治は、川端康成から異論が出て、賞を逃したことを聞いて、うらみのたけをぶちまけている。「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す、そう思った。大悪党だと思った」

<志賀直哉の不愉快>
 1937年(昭和12年)、最初に選ばれた帝国芸術院の文藝部門には、幸田露伴、菊池寛、谷崎潤一郎、斎藤茂吉、高浜虚子などそうそうたる顔ぶれである。武者小路実篤の名前はあるが、志賀直哉の名前がないのが不思議で、本人もそう思ったらしい。「私は不愉快になった。これはいけないと思い、無心になろうとしたが、却々、無心になれず、、、、二重に不愉快になった」

<外人と戯れる女性は国外追放>
 世界大戦がなければ、1940年に東京オリンピックが開催されていたのは、ご存知の通り。それに先立つ1937年(昭和12年)に、警視庁がとんでもない事を決めていた。オリンピックには外人選手がたくさん来る。その選手たちと、我が国の令嬢、有閑マダムなどとの間で良からぬことが起こる可能性がある。で、結論は「もしかくの如き大和撫子の本分を忘却したる、いたずらなる外人崇拝に陥るようなことがあった場合は、よろしくこれらの女性を国外に追放すべし」。今も昔も、お上の事大主義的意識は変わらない。

<助手席の由来>
 昭和ひとけたの終わりの頃は、円タクが流行。東京でも、大阪でも、市内ならどこでも、タクシー料金は、一円と決まっていた。その後、業者間の競争が激しくなり、運転手の横に助手を乗せて(そのため、今でも「助手席」と言うのが定着している)「だんな、帰り車だ、新宿まで70銭」などと、無理な営業が横行した。トラブルや事故の増加に頭を痛めた当局が編み出したのが「メーター制」。お陰で助手諸君は全員失業した。

<創氏改名への抵抗>
 1910年の韓国併合以来、日本政府は、植民地朝鮮の日本化を強引に進めて来た。その象徴が、1939年(昭和14年)に公布した「朝鮮戸籍令改正」。祖先を重んじ、儒教道徳を信じる朝鮮の人たちに、日本式の「創氏改名」を強制した暴挙である。中には、創氏改名を逆手にとって、「田農丙下」(天皇陛下のもじり)とか、「南太郎」など反逆調の氏名を作った例も少なくなかったという。現在の日韓関係にも大きな影を落としている。

<米軍は実戦訓練にとぼしい>
 1943年(昭和18年)3月、衆議院決算委員会において、陸軍省軍務局長佐藤少将が、アメリカ軍について、「詳細なる解剖を加え」て、以下のように答えた。
1、米陸海軍はまことに実戦経験にとぼしい。2、大兵団の運用がはなはだ拙劣である。3、米陸軍の戦術は前近代的なナポレオン戦術であって、多くの欠陥を持つ。4、政治と軍事の連携が不十分である。
 「まことにバカバカしい、情けなくなるような話で、これぞ天ツバの見本。敗戦は当然の帰結である。もって他山の石とすべきかも知れない。」との半藤のコメントが身に沁みます。根拠のない楽観論がはびこり、自分に都合のいい事だけを言いつのる風潮への警鐘として、噛みしめるべきエピソードです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第405回 シニアにやさしいTV番組

2021-01-22 | エッセイ

 「テレビ離れ」がすっかり定着している私が、ここ数年来、大晦日に見ている番組があります。

 「年忘れにっぽんの歌」(テレビ東京系)がそれです。NHK紅白に対抗して、ずいぶん前に始った懐メロ番組だと記憶しています。今回(2020年)が第53回ですから、半世紀以上も続いている長寿番組なんですね。始った頃は、もっぱら本チャンの紅白を見てましたし、その後はテレビ離れが進みましたから、私にはずっと縁のない番組でした。

 な~んもすることがない(毎日がそうなんですけど)大晦日、「(夕方4時から10時までの)6時間に100曲」というテレビ欄のうたい文句がたまたま目に入って、途中からチャンネルを合わせたのがきっかけで、それ以来ハマっています。
 なんでそうなったのかを考えてみると、「団塊シニアを主なターゲットに」かつ「奇をてらわず、昔のまんまの歌番組の文法を守った」番組作りだから、のような気がします。具体的には、こんな具合です。

 時代的にカバーしているのは、昭和40年代から、ぎりぎり平成くらいまで、ジャンルで言えば、もっぱら歌謡曲、演歌です。
 登場する歌手の皆さんの年齢も60代から70代が中心で、私と同世代。そんな皆さんが、ナマのバンドをバックに(昔の歌番組(「ロッテ歌のアルバム」とかベストテン番組など)では当たり前でしたが)、今の声で(ナマですから当然ですが)お歌いになります。

 当時と変わらぬ歌いぶりの方には「ほう、日頃から鍛えておられるのだろうな」などと感心します。中には、声がかすれる、キーを外す、なんて方もいますよ。だけど、そんなのは全く気になりません。むしろ「あ~、お声は歳相応だけど、とにかく皆さん元気にしてらっしゃるんだ」という安心感、連帯感を抱きます。ナマだからこその醍醐味です。

 今回も会場は、例年通り中野サンプラザでしたが、時節柄、無観客となりました。出演者が客席に散って、皆んなで北島三郎が作った(との触れ込みの)歌を歌うという趣向でのオープニングがちょっと寂しかったです。

 皆さん歌手、タレント業を元気に続けておられる中で、最高齢は、新川二朗さん。なんと御年81歳。
 <雨~の~外苑~ 夜霧~の日比谷~ 今も~ この目に~優しく~浮かぶ~>
 「東京の灯よいつまでも」の曲が流れて来た時は、あまりの懐かしさに思わず一緒に歌ってしまって、いつも家人に笑われています。こんなカラオケ気分に浸れるのも「懐メロ」ならでは。

 前回までは、背景の舞台がシンプルなのにも好感を持っていました。目まぐるしい場面転換、ギラギラ、チカチカの過剰なライト使い、そして煩わしいだけのバックダンスなど、今時の「ショーアップ超過剰演出」などはなく、シニアの目にやさしい演出が嬉しかったのです。
 でも、今回は無観客ということもあったからでしょうか、ハデな照明使いが目についたのが、ちょっと残念でしたけど。

 さて、進行ですが、司会は、例年、徳光アナと女性との2名でしたが、今回は、竹下景子さんと中山秀征さんが加わっての3名体制。日頃は、しゃべりが仕事の方々もそれは封印して、簡単な歌と歌手の紹介に徹しています。そして、歌手が登場し、持ち歌(ほぼ代表曲、ヒット曲限定)を歌う・・・そんな当たり前の流れが、淡々と続きます。3~4曲毎くらいに、司会者から出演歌手へ短めのインタビューが入るという構成です。そう、昔の歌番組(そう言えば、テレビでの歌番組もすっかり減って今や、この言葉も「死語」になってる気がします)って、こんな具合でしたね。

 番組上の演出、彩りとして、物故した歌手の皆さんがビデオで登場するコーナーも恒例になっています。美空ひばり、テレサ・テン、西城秀樹、藤圭子・・・懐かしいですし、これはこれで、ひとつの趣向です。

 という次第で、舞台裏をあれこれ「忖度」しながら、この番組を堪能しています。今や新しい工夫、仕掛けを受け付けない(られない)体質、気分になってしまったのかな、との思いがよぎったりもするのですが・・・・
 でもまあ、年に1度くらい、古い自分とつき合う時間があってもいいかな、とも思い返しています。騒々しいだけのバラエティ番組が席巻している今のテレビ業界ですが、シニア向けの「落ち着いた」番組作りにも少し目を向けて欲しいものです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第404回 大阪弁川柳-大阪弁講座43

2021-01-15 | エッセイ

 大阪人が二人寄ったら漫才になる、なんて都市伝説があります。そんなユーモアを大事にする土地柄でしょうか、川柳という文芸が盛んで、関心も高い気がします。私も実作まではとても至りませんが、いろんな作品を読むのは好きです。

 大阪出身の作家、田辺聖子さんも、愛好家のおひとりで、造詣も深いです。お気に入りの川柳を集めたエッセイ「川柳でんでん太鼓」(講談社文庫)を再読し、川柳の面白さ、奥深さにあらためて触れました。こちらの本です。

 で、その中から、大阪弁を使っている句を、私なりの(勝手な)解釈と解説で紹介しようと思い立ちました。川柳自体の面白みに加えて、大阪弁独特のニュアンス、バラエティなどをお楽しみいただければと思います。

★会社でのスカタン妻も子もしらず★(岩井三窓)  
 「スカタン」というコテコテの大阪弁がすべてです。例えば「駄目ぶり」と置き換えれば、ごくありがちな句になります。
 「スカタン」だからこそ、いろいろ想像が広がります。仕事ができないのに加えて、いつもボーッとしてる、人の話を聞いてるのか聞いてないのかよく分からない、いつも誰かと仕事以外の話をしてる、そのくせ、酒は大好きで、飲み会になると張り切る、でもまあ、どこか憎めない・・・そんな大阪的人物が浮かび上がってきませんか。

★院長があかんいうてる独逸(ドイツ)語で★(須崎豆秋)
 好きです、こういう句。ドイツ医学を学んだというからには、かなりのご高齢のはず。ごく日常的な場面でも、ついつい、というか、自慢げにドイツ語が出てしまうという微笑ましい人物を想像させます。
 毎度のことながら、英語の"No”にあたる"Nein(ナイン)”との発言でも出たんでしょう。お決まりのドイツ語に、まわりのスタッフも、いつものことですから、半分あきれ、イヤミっぽく「あかんいうてる」と大阪弁に訳してるのが笑えます。

★救急車うちの子供はうちにいる★(富士野鞍馬)   
 「うち」という大阪弁独特の言葉をうまく使い分けています。もともとは、「外」に対する「内」だったのでしょう。最初の「うち」は、主に女性が愛用の「自称」ですが、ここでは自身も含めた家族をイメージさせます。
 後ろの「うち」は、私が住む場所、つまり自宅、我が家ということになります。「うちの子やなくてよかった」川柳だから許されるホンネ丸出しで、「うち」の二度使い・・・達者な句です。

★春雨へ女房と濡れるあほらしさ★(川村良郎)   
 若い女の子との相合い傘みたいなワクワク感はないでしょう。でも、いくら自分の女房だからといって、「あほらし」というのがナゾ。きっと、こんな「あほらしい」やりとりがあったのかなと想像しています。
 「春雨やから、濡れていこか?」「なにを月形半平太を気取っとん(てるの)。私は濡れるのイヤやから、アンタ先にひとりで帰ってんか」

★飲まず打たず買わず残らず小商人★(石川ことえ)  
 句意はどうということないと思います。「小商人」(こあきんど)というのがなんとも辛辣です。「商人」(あきんど)も充分に大阪の匂いがしますが、「小」を付けるだけで、ぐっと濃厚になります。自分の領分を守るのが精一杯で、商売を広げて、儲けるだけの才覚や商才はない、だから「残らず」。
 う~ん、辛いですね。こんな人たちが、世の中を支えてるんですけど。

★立話(たちばなし)長うて犬も坐り換え★(橘高薫風)
 「長うて」の大阪的「う音便」だけで取り上げました。いや~、こういう楽しい句に行き当たるから、「読む」だけでも充分に幸せな気分に浸れます。

 いかがでしたか?まだネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。


第403回 アメリカ漫画で初笑い

2021-01-08 | エッセイ

 昨年末は「和風」で笑い納めいただきましたので、今年の年初めは「洋風」の笑いでいこうと思います。
 過去2回、星新一氏の「進化した猿たち」(新潮文庫版 全3巻)をガイド役にアメリカの1コマ漫画をご紹介してきました(文末にリンクを貼っています)。久しぶりの第3弾で、アメリカ流の初笑いをお楽しみください。

 まずは、「水晶玉占い」です(第1巻「水晶玉の周辺)。
 " look into a crystal ball "( 水晶玉をのぞき込むー>将来(未来)を予測する)という表現があります。水晶玉に相談したり、頼りにしたりする人が多いんでしょうね。水晶玉を挟んでの人間くさいドラマが格好の漫画ネタになっています。

 ジプシー風の占い師が、美人客に「あなたはまもなく未亡人になるでしょう」と告げている。その上で、「しかし、心配はいりません。判決は無罪になると出ています」なかなかのブラックです。

 水晶玉ではありませんが、こんな巧妙な手口も。
 「20ドルで2つの事柄にお答えします」との看板を出している占い師がいる。「20ドルも出して、2つだけなの?」と訊く客に「あとひとつ質問をどうぞ」

 男の占い師が、美人客を相手に困っている。「気が散って、水晶玉に精神が集中できません」
 もちろん、逆のシチュエーションもあります(こちらの方が多そう)。
 美人の占い師が男の客に「水晶玉を見つめてください。私の胸でなく」とか「あたしのお尻に当てた手を放さないと、ひっぱたかれているあなたが見えます」

 さて、私のお気に入りはこちら(各漫画のすぐ後ろに、キャプション(セリフ)を載せました。クイズ感覚で、予想してみてください)。

 

 「こんなに面白いのははじめてよ。はやく見にいらっしゃいよ」

 さて、オフィスを舞台にした漫画の中で、「提案箱」(Suggestions Box)が取り上げられています(第2巻「箱の効用」)。広く社員の声を聞くための仕組みです。今時は流行らない気もしますが、投書する側、受け取る経営陣の思惑が身につまされる部分もあって、テーマを成り立たせています。

 オフィスに入った泥棒。「ドアの鍵は忘れずかけるよう提案します」との投書を入れている。まま、ありがちなパターンかも。
 箱の中から、「社長は働きすぎです。たまには休養なさるべきです」との投書が出てくる。それを読んだ社長はうなずき、フロリダの海岸でのんびり。でも、自作自演だった、というのがオチです。社長思いの投書なんかありえな~い、とのメッセージでしょうか。

 受け取る側の戦々恐々ぶりで笑いを取るのもお約束です。
 提案箱を開けるとウィスキーが入れてある。しらふじゃ読めない、とばかり、それを飲み干しながら、投書に目をやる社長。見るだけでも良心的?
 中身も見ずにゴミ箱行きというのはありがち。ゴミ処理会社の提案箱は、底がシュレッダー、というのがシャレて(?)ます。読むのが怖い経営陣を揶揄しています。投書箱の中から拳銃が出てきて、ギョッとする社長。ホントはこんな制度やめたいんだけど・・・そんな会社側の思いがひしひしと伝わってきます。で、お気に入りはこれ。上司らしき男のセリフは?

 「どれもきみについてのものばかりだ」

 最後は、ちょっとブッソーな拳銃がテーマです(第3巻「拳銃でひとこと」)。章の冒頭で、星がこんな「事件」を紹介しています。アメリカの地方都市の銃砲店で、客が銃を買う。そして、その銃を突きつけて、カネを奪って逃走した、というものです。重大犯罪でも何でもありません。でも、漫画では定番となっている手口を地でいったところにニュース性があった、との星の説明に納得しました。

 「この店で買った拳銃だが、その時、一生もつと保証された。なのに、もう故障した」と客にねじこまれた店主。やにわに、その客を撃ち殺した。「客の一生」に辻褄をあわせた、いかにも漫画的な「解決」です。

 「この拳銃は新品同様。前の持ち主は若く美しい、財産のある未亡人でした」と購入を奨める中古銃砲店の店主。どんないわれの拳銃かお分かりですか?
 亭主を殺し、財産を相続するのに使った拳銃というわけで、1発売っただけの新品同様というのも道理です。

 お気に入りはこちら。女性のキャプションを予想してください。

 「美人に見えたの、お金持ちに見えたの?」

 過去分へのリンクは、<第268回><第324回>です。合わせてご覧ください。

 初笑いいただけたでしょうか?それでは次回をお楽しみに。


新年のご挨拶

2021-01-01 | エッセイ

 2021年 明けましておめでとうございます。

 今年のデジタル年賀状です。

 牛年にちなんだものが見当たりませんでしたので、(似ているといえば似ている)こちらを利用しました。その奇っ怪さ、とりわけ異様に飛び出した目に驚かれたことと思います。

 四川省の長江沿いの三星堆(さんせいたい)遺跡から、1986年に青銅器を中心に膨大な遺物が発掘されました。その中のひとつ、青銅製仮面を模したグッズ(台座を含めて高さは12センチほど)です。ずいぶん前、その出土品を集めた展覧会があり、(普段はこの手のものはあまり買わないんですけど)迫力に押されて購入しました。実物は、人が充分に被れる大きさです。

 約4000年前頃を中心に栄えたとされています。が、中国古代文明のいずれの系統にも属さない謎の文明です。仮面ですからデフォルメはあるとしても、ここまで想像力って広がるものでしょうか。作ったのは宇宙人、または宇宙人をモデルにしたのではないか、なんて考えたりもします。新年冒頭にしては、ちょっとインパクトあり過ぎましたかね。

 日頃から当ブログをご愛読いただきありがとうございます。時節柄、なによりも皆様方のご健康を、そして、ご多幸をお祈りいたしております。
 なお、新年最初の記事は、1月8日(金)にアップの予定です。引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

2021年 元旦  芦坊拝