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第571回 「〜さかい」ほか-大阪弁講座57

2024-04-12 | エッセイ
 大阪弁講座の第57弾をお届けします。

<~さかい>
 先日、車で出かけていた時、ラジオから懐かしい歌のアタマが流れて来ました。

踊り~疲れた~ディスコの帰り~/
これで青春も終わりかな~とつぶやいて~/

 少し年配の方ならご存知だと思います。「大阪で生まれた女」(作詞・作曲・歌 BORO)です。こちらがBORO(ボロ)さん。こんな方だったんですね。知りませんでした。

 曲はやがて、サビに入ります。

大阪で生まれた女やさかい/
大阪の街 よう捨てん/
大阪で生まれた女やさかい/
東京へは ようついていかん/

 聴きながら、「そや、「~さかい」て、コテコテの大阪弁で、講座のネタに使えるな」と思ったのが、我ながら貧乏性で、苦笑いしてしまいました。
「~なので」「~だから」と理由を説明する言い回しです。前に名詞が来る場合は、「~だ」とか「~である」を意味する大阪弁の「や」を付けて、歌詞のように「女や「さかい」」となります。
「アイツは悪知恵が働くヤツや「さかい」、気ぃつけや」のような用例も。
 そして 動詞に続く場合は、「さかい」をつけるだけです。
「こっちはワイがやる「さかい」に、そっちはアンタがやってくれるかな」、「あんたがワァワァ言う「さかい」、まとまる話がまとまらへんがな」なんてのを思いつきました。

 調べてみると、この曲は、1979年にリリースされています。私が30歳ちょっとの頃です。もう少し若い頃に聞いたような気がしていましたが・・・
 東京の女性が、大阪へいくのをいやがる・・・これだとリアル過ぎて、歌になりにくい気がします。大阪で生まれ育って、この街にすっかり馴染んでいる女性が、いまさら男について東京へ行くのを「堪忍(かんにん)してぇ~」となるから、可哀そうやなと(特に大阪のオッチャンなんかは)気持ちが動き、ホロっとなるのでしょうね。
 ここまで東京と大阪を対比させる大胆さ、ストレートさに新鮮な驚きを感じたことを思い出します。

<正味な>
 食品などに、よく「正味○○グラム」などと表示があります。容器とか外装材を除いた実質的な内容量のことです。「正味8時間」働いた、といえば、休憩などを除いた実質労働時間を指します。

 大阪弁だとこれを「正味な」と無理矢理に形容詞化します。どんな使い方してたかなぁ~、と考えて、思い出したのが、かつて人気を誇った「横山やすし・西川きよし」の漫才コンビです。

 とにかく愛用していたのが、横山やすしさん(故人)です。
 「付き合うてる男の子のこと、どう思うねん、てその女の子に訊いても、うつむいた顔を赤らめて、もじもじするばっかりで、要領を得えへんねん。どない思う」と話を振る「きよしさん」に、
「そら、ふたりはデキとるわ。「正味な話し」がっ」と一刀両断する「やすしさん」。
 
「ぶっちゃけて言えば」「早い話が」「結論をはっきり言えば」「遠慮なく言わしてもらえば」などの意味合いです。「話」とセットで使われることが多いような気がします。いらち(短気)な大阪人愛用の「大阪弁」です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第570回 アポロ同時通訳の裏話

2024-04-05 | エッセイ
 アポロ11号が月面着陸したのは、1969年7月20日。私は大学生で、生中継で刻々と送られてくるテレビの映像を見ながら、英語と日本語の同時通訳に接して、大変なスキルと能力が必要な仕事があるのを知りました。メインで通訳をされた西山千さん(故人)の「こちらヒューストン」「万事順調」などは、今でも耳に残っています。
 その時、若くして同時通訳に参加され、その後、日本の英語教育分野でも活躍されているのが鳥飼玖美子さんです。女史の「通訳者たちの見た戦後史」(新潮文庫)を読んで、その時の同時通訳の裏話に大いに興味をそそられました。話題が話題ですので、少しだけ英語も登場しますが、エピソードをご紹介します。お気楽に最後までお付き合いください。

 欧米で初めて同時通訳が採用されたのは、ナチスの戦争犯罪を裁くニュールンベルグ裁判でのことで、比較的新しいシステムです。そして、日本では、7号以来、一連のアポロ宇宙船の報道で、その存在が注目を集め、11号の月面着陸で一挙に脚光を浴びることになりました。
 その背景には、テレビ側の事情もあったといいます。ドラマチックな場面がそう刻々と入ってくるわけではありません。そこで、スタジオに特設のブースを設けて、同時通訳ぶりをテレビ的に「絵として」伝えることにしたのです。顔の売れた西山氏などは、街でオバちゃんに声を掛けられこともあったといいます。

 さて、最大のハイライトである月面に降り立つ瞬間が来ました。

 その時のアームスロング船長の言葉は、公式の交信録では、
< That's one small step for a man, one giant leap for mankind. >
(一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ)となっています。
 教科書にも載るほどの名言ですが、そこを担当した西山氏には「実際には< man >の前の不定冠詞< a >は聞こえなかった」(同書から)というのです。< a man >なら一人の人間(この場合は、アームストロング船長自身)ですが、不定冠詞の付かない< man >だと人間(人類)一般という意味になります。
 「同時通訳は聞いたそばから訳して行くので、「これは小さな一歩です。人間(人類)にとっては」と訳し、次に< giant leap>「大きな飛躍」と続いたので「?」と思いながら訳していったところ、最後に< mankind >(人間、人類)が登場したので、「あれっ??」となる。人類にとって小さな一歩だが人類にとって大きな飛躍では、まるで意味をなさない」(同)というわけです。
 中継終了後、同時通訳の仲間内でも、不定冠詞< a >はなかったはずだと随分話題になった、と女史は書いています。後日談として、船長もやはり緊張していて、あらかじめ用意していた「名言」の< a >を発音し忘れたのが事実らしいとも書いています。通訳の皆さん方の耳、そして瞬時に通訳していく技術がいかにスゴイかを物語るエピソードです。

 西山氏のサポートとして同時通訳を担当した國弘正雄氏もこんなエピソードを残しています。船長が月の石を拾いながらしゃべっているのを同時通訳することになりました。ところがガ~ガ~と雑音がひどく、ろくに聴き取れません。唯一、< origin >(起源、組成などの意味)という単語が聞こえたのを手がかりに、こんな「訳」をでっち上げたというのです。
「「私がこうやって石を集めているのは、こうすることによって月のオリジン(origin)ねー僕は組成と訳したような気がするんだけどー月の組成が明らかになるかもしれないと思って、それを望んで今やっているんです」というふうに訳したわけよ。僕はほっとして、「ああ,良かった。どうやらもっともらしいことを言えたな」と思ったわけよ」(同)
 この訳はニュースでも流されました。後日、交信録で、まったくの「勧進帳」であったことがバレ、テレビ局からお叱りを頂戴した、とあります。後年、同時通訳として名をなした國弘氏にしてこのエピソード。演技力とクソ度胸も同時通訳に必要な資質のようです。

 女史自身のエピソードです。放送前のスタッフとの勉強会で、月に存在すると予想される石の名前を、彼女はだいぶ覚えました。その中の< basalt >という単語が交信の中で出てきました。「「しめた、出た!」と勢いづき、「玄武岩がありました」と大きな声ではっきり訳した」(同)
 正しい訳でしたが、スタジオの学者は騒然となりました。玄武岩は火山の溶岩で出来る石ですから、月でも火山活動があったことになります。月と地球の成り立ちなども含め、専門家を興奮させた、とちゃっかり自慢話をしているのが、ほほえましくて笑えました。

 いかがでしたか?同時通訳の世界をちょっぴり知っていただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第568回 しかも起きた不思議事件-2

2024-03-22 | エッセイ
 「ウソかホントか?」などとアツくならず、「世の中、不思議なことがあるもんやなあ」と、ユルくそのテの話題を楽しむのが私流です。だいぶ以前に「しかもそれは起こった」(フランク・エドワーズ 早川書房)をネタ元に、「不思議な夢の話」とのタイトルでお届けしました(第331回ー文末にリンクを貼っています)。もう少しご紹介したいエピソードがありますので、改題の上、第2弾としてお届けすることにしました。どうぞ最後までお付き合いください。

<<「エドウィン・ドラッドの謎」の謎>>
 イギリスの作家チャールズ・ディケンズが、当時はマイナーなジャンルであった推理小説を書く気になったのは、友人ウィルキー・コリンズのすすめによるものでした。ある雑誌に12ヶ月にわたって掲載する契約が整い、1870年に、「エドウィン・ドラッドの謎」のタイトルで連載がスタートします。

 ところが、6回分を書き上げたところで、彼はあの世に旅立ってしまいました。続編の手がかりになるものは何ひとつ残さずに。
 ディケンズの死の翌年、バーモント州のプラトルボロという街に、トーマス・ジェームズという名の若い印刷工がふらりとやってきます。印刷工としての腕はいいのですが、教養もなく、いい加減な性格の人物でした。自分で探し当てた下宿の女主人が、当時流行の交霊術(故人の霊を呼び出して会話などをする一種のオカルト)の信者だったのがコトの始まりです。会に参加していた彼は、1872年10月3日、女主人に告げます。「自分はチャールズ・ディケンズの霊と交信しており、この大作家から未完の小説「エドウィン・ドラッドの謎」を完成するよう代筆権を与えられた」(同書から)と。
 多くの目撃者が証言している彼のその後の振る舞いです。女主人の計らいで部屋に閉じこもると、椅子に身を沈め、長い時間、交霊状態に入ります。そのあとで、彼は狂ったように原稿を書き出すというのです。それは数ページ分のこともあり、数行のこともあったといいます。
 新聞も取り上げるほど街の大きな話題となり、なんと「書き始めて」1年後には出版される運びとなったのです。店頭に並ぶや、文学界の重鎮たちは賛嘆の声を惜しまず、しがない印刷工は、一夜にして文壇の寵児となりました。

 だいぶ後になって、シャーロックホームズの生みの親、コナン・ドイルがこの「事件」を調べています。それによれば、ジェームズの学力はせいぜい小学5年生程度であり、後にも先にも、文学的才能を示しておらず、この作品が生み出されたのは奇跡だと断じています。
 さて、ジェームズのその後ですが、おちぶれた生活ぶりで、いつどこで死んだのかも知られていません。最後の最後までミステリーいっぱいの「不思議な事件」です。

<<消えた死体>>
 1856年11月のある日、南アフリカのケープタウンで、絞首刑が執行されました。執行されたのは、殺人容疑で死刑判決を受けたものの、冤罪を訴え続けていたゲブハードという人物です。執行の直前まで無実を訴え続けていました、型通り祈祷文を読み上げる神父にも「神父さん、そんな面倒なことはやめてください。かれらは私の肉体を亡ぼすことはできても、わたしの魂まで殺すことはできないのだ!」(同)と叫ぶ中、刑は執行されたのです。
 広く世間の関心を読んでいましたから、2時間掛けて慎重に検死が行われ、棺のフタには厳重にクギを打ちつけ、封をした上で、山の中腹にある囚人専用の墓地の地下2.5メートルに埋葬されました。その後2ヶ月間、武装した警備員が日夜見張るという厳重な監視体制まで取られたのです。

 しばらくして、新たな展開がありました。殺害された人物がいた農場の労働者の一人、ピーター・ローレンツが、被害者の財布を所持しているのを、農場主が見つけたのです。逃げ出そうとしたローレンツを警察に突き出し、調べてみると被害者の時計、指輪なども発見され、ゲブハードに罪をかぶせた、との証言も得られました。
 非を認めた当局は、ゲブハードの遺族に対し、十分な金銭的補償を行うとともに、通常の墓地への再埋葬を命じたのです。
 棺が引き上げられ、封印が元通りなのを刑務所長が確認しました。その上で、棺を開けてみると、なんと、中は空っぽでした。その後の調査でも、再埋葬までの間、棺はまったく触れられていないことが判明しているといいます。魂は天国へ行ったはずですが、肉体はいったいどこへ行ったのでしょう?こちらも、最初のエピソードにも劣らぬ「不思議な事件」です。

 いがでしたか?冒頭でご紹介した前回記事へのリンクは、<こちら>です。なお、もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第567回 柿右衛門磁器が呼んだ幸運

2024-03-15 | エッセイ
 皆様は骨董に興味をお持ちでしょうか?私は一時期、アンティークフェアなどに足を運び、わずかな小遣いから「骨董まがい」のキッチュな品の収集をちょっぴり楽しんでいました。今や熱はすっかり冷めてますけど・・・
 今回は、以前、ネタ元にしました上前淳一郎さんの「読むクスリ」シリーズ(文春文庫:文末に簡単な書誌を付記しています)からの話題です。良心的な古美術商さんに思わぬ幸運が舞い込んだエピソードを、第15巻の「柿右衛門に福あり」からご紹介します。専門的な知識は一切不要です。どうぞ最後まで気軽にお付き合いください。

 絵を志して渡米し、画家として成功する一方、ニューヨークで古美術品のギャラリーを経営する東典男さんの経験です。ご本人が「こんなうまい話があっていいものか」と思うほど、かの有名陶工・柿右衛門の逸品がどんどん集まってきた時期がありました。「柿右衛門窯公式オンラインショップ」からお借りした画像です。

 氏の言葉です。<それも、誰も悪いことをたくらんだわけじゃない。学者をはじめ、みんなが良心的であろうとした結果、私が儲けることになってしまったのです>(同書から)その顛末です。

 10年ほど前からニューヨークのサザビーズやクリスティのオークションで競売される柿右衛門の磁器の値段が、がくんと落ち込んだのです。それまでは、日本の陶磁器の中でも横綱格の柿右衛門の逸品にはオークションでも法外な値段がつき、東さんも手が出せませんでした。
 ところが、ある時期から買手がつかなくなり、信じられないような安値で手に入るようになったのです。どのくらい安くなったのかを東さんは、著者に明らかにされませんでしたが、大暴落といってもよい状況だったといいます。しかも柿右衛門に限っての状況です。「ニセモノでも出回っているのかな」と情報を集めてもそれらしい事実はありません。オークションに持ち込まれるのは、どう見てもまぎれもない本物ぞろいです。自分の目を信じた東さんは、片はしから買い集めていきました。

 そんな状態が数年続き、おびただしい数の柿右衛門が手元にそろったころ、オークションのカタログを見ていた東さんはあることに気が付いて、膝を打ちました。
 以前は、ただ「 KAKIEMON 」 とだけ記されていた目録が「KAKIEMON STYLE 」となっています。そうか、これが原因か、と思い当たったのです。
 佐賀・有田の陶工柿右衛門が、赤の色を美しく出したいと苦労を重ねる話は、私も教科書か何かで読んだ覚えがあります。このエピソードのせいもあって、柿右衛門焼きは彼の独創であり、その秘法は彼の子孫だけに伝えられてきた、と一般に信じられてきました。
 ところが、近年の専門家による研究の結果、その技法の元は、中国の民窯(みんよう=民間の陶磁器製作工房)にあることがわかったのです。
 また、柿右衛門焼として当時ヨーロッパに輸出されていた最高級の磁器は、必ずしも柿右衛門ひとりが作ったわけではなく、有田で多くの陶工たちの共同作業で焼かれたことも明らかになってきました。
 東さんの言葉です。<そこで専門の学者たちは、単に柿右衛門というのはおかしい、正確には有田焼の中の柿右衛門様式、と呼ぶべきだと十数年前から唱えはじめたのです>(同)
 この主張は徐々に浸透し、美術書の説明も柿右衛門様式とするのが一般的になりました。

 学問的には正確になったのですが、これが英訳されて話がややこしくなりました。「様式」に当たる英語は、STYLE(スタイル)です。大手オークション会社も、日本の偉い学者が言うことだからというので、良心的にカタログの表記を「 KAKIEMON STYLE」 に改めました。でも、STYLEには、「亜流」、「贋物(にせもの)」との意味合いがあり、そう受け取られてもやむを得ない、といいます。
 <競売用のカタログに、柿右衛門スタイル、とあるのを見た人たちは、これは贋物だと思って買わなくなった。だから暴落したに違いないのです>(同)と信じた東さんは、自分の考えを関係者に伝えたのです。表記が元の KAKIEMON に戻されると、値段はたちまち跳ね上がって、再び東さんの手の届かないものになりました。<それで、いいのです。でも、あんな頬(ほほ)をつねってみたくなるようなことは、もう起きないでしょうねえ>(同)と東さん。
「安く買い求めた柿右衛門のほとんどは、いま東さんのギャラリーの重要なコレクションとして展示されている」(同)と著者は締めくくっています。

 いかがでしたか?最後の東さんの発言からすれば、十分商売にはなっているようですね。自分の目を信じ、良心的に商売を続ける人には幸運が舞い込む(こともある)というちょっとイイ話でした。それでは次回をお楽しみに。
<付記>「読むクスリ」シリーズは、1984年から2002年まで、著者が週刊文春に連載したコラムを書籍化したものです。企業人たちから聞いたちょっといい話、愉快な話などを幅広く紹介しています。文春文庫版は全37巻です。

第566回 クイズで楽しむ3語英会話-英語弁講座44

2024-03-08 | エッセイ
 第44弾をお届けします。
 先日、書店の英語実用書コーナーで、ある本の帯の宣伝コピーが目にとまりました。
 X  My job is an English teacher.(私の仕事は英語教師です)
  → ○  I teach English.(私は英語を教えています)

 「英語は3語で伝わります」(中山裕木子 ダイヤモンド社)がそれで、通読して、なるほど!がいっぱいでした。後ほど、クイズ形式で、そのエッセンスを楽しんでいただくことにします。私なりに感じたこの本の優れた点は、次の2つです。
・まず第一に、「3語にこだわらない」ということです。
 この種の本の中には、3語を絶対のシバリのようにして、素っ気なかったり、不自然だったり、子供っぽかったり、の例文が混在しているものも見かけます。本書は、コア(核)となる情報を「基本的に3語」で、コンパクトに伝える、のを主眼としていますので、最低限必要な冠詞、代名詞、形容詞、付加情報などが入って、3語で収まらない例文もあります。でも、本当の意味で、実用的かつ役立つ表現が身につく工夫です。
・第二に、「3語で語るための発想、コツをしっかり教えてくれる」ということです。
 対応する英単語を探し、語順を整えて・・・という日本人的「英作文」をやっていると、3語「英会話」になりません。いかに英語的発想に切り替えるかのコツが、例文と合わせて、具体的に紹介されます。丸暗記ではなく、応用力がつく仕掛けです。
 それでは、4つのコツをキーに、クイズ付きでお楽しみください。

<コツ その1>be動詞を使わない工夫
 冒頭の宣伝コピーが格好の例です。be動詞を使わず、この例のように、「何をしているか」を表現すれば、その人が行っていることがダイナミックに、かつ、コンパクトに伝わります。
「I am a student of ○〇University .」(〇〇大学の学生です)ではなく、
「I study linguistics(言語学)at ○〇University.』と専攻分野も含めて表現すれば、学生の本分たる勉強に打ち込んでいる(らしい?)ことが、しっかり伝わります。それではクイズです。
「He is a leader of the project.」(彼はプロジェクトのリーダーだ)を3語英語にしてください。
   → 「He leads the project. 」と出来ましたか?力強くプロジェクトをリードしているのが目に見えるようですね。

<コツ その2>短く力強い能動態を使う 
 受動態(受身形)は主語が明確でない上、文が長くなりがちです。能動態を使いましょう。
「This product can be used for many applications.」(この製品は、多くの用途で使うことが可能です)→「This product has many applications.」のように。こういうhaveの使い方も身に付けたいですね。それではクイズです。
「Tax is included in the price.」(税金は、価格に含まれています)を、能動態にしてください。 
  → 「The price includes tax.」な~んだ、「含まれる」という受身の日本語にとらわれなければ思いつく表現でした。

<コツ その3>条件節は、省略、または後ろに置く
 「もし~なら」とか「~する時は」のような条件節は、日本語でも英語でも当然の前提として省略する手があります。英語だとコンパクトにするこんな工夫もあります。
「When you watch TV, I get irritated.』(あなたがTVを見ていると、私はイライラする」を、
「Your watching TV irritates me.」(君がTVを見ることが、私をイラつかせる)とするのです。
「Your watching TV」を主語にするというのがいかにも英語的。ここで、クイズです。
「If you have questions, you can ask now.」(もし質問があれば、訊いてください)をコンパクトにしてください。
  → 「You can ask questions now」
訊きたいことがある人にとっては、これだけで十分ですよね。

<コツ その4>notを使わず否定する
 notを使うと文が長くなります。それを使わない工夫として、反対語を使うテクニックがあります。「I don't like English.」⇨「I dislike English.」(英語が嫌い)
「no +名詞」を使う手もあります。「I don't have any idea.」⇨「I have no idea.」(考えが浮かばない)のように。ここで最後のクイズです。「今朝は朝食を食べなかった」を「not」を使わず表現してください。 
  → 「I skipped breakfast this morning.」朝食を抜いた、でよかったんですね。

 いかがでしたか?ほんのサワリだけのご紹介でしたが、おススメの一冊です。関心をお持ちの方は、是非ご一読ください。それでは次回をお楽しみに。

第565回 21世紀への伝言by半藤さん4

2024-03-01 | エッセイ
 第4弾をお届けします(文末に過去分へのリンクを貼っています)。作家・半藤一利さんの「21世紀への伝言」(文藝春秋刊)がネタ元です。ちょっと仰々しいタイトルですが、ご安心ください。1960年前後のお気楽で、興味深いエピソードをセレクトしました。どうぞお楽しみください。なお、<  >内は私なりのコメントです。

★現代版ロミオとジュリエットだ ★
 日本の映画界にはミュージカルは当たらない、というジンクスが根強くありました。それで、配給元のユナイトがプリント到着前につけた題名がなんと「ニューヨーク愚連隊」。
 「ウェスト・サイド物語」として1961(昭和36)年12月に封切られ、爆発的ヒットとなったこの映画にはそんな裏話があったんですね。映画の一場面です。

 ロングランはなんと511日に及び、観客動員152万人との記録が残っています。「なあに現代版ロミオとジュリエットだ」と酷評する人もいたようですが、ヒットさせたもん勝ちです。
<当時は珍しかったカタカナ入りのタイトルもヒットに貢献している、というのが私の見立てです。>

★ タダ酒は飲むな★
 戦後、新しい大学制度がスタートして、卒業式での総長、学長の告辞がなにかと話題になるようになりました。1954(昭和29)年の京都大学総長滝川幸辰の「タダ酒は飲むな」を聴かせたい人が、今時あちらこちらに居るような気がします。
 そういえば、1964(昭和39)年に、東大総長の大河内一男の「太った豚になるよりも、やせたソクラテスになれ」というのも随分話題になりました。
<近頃は、そのテの名言をあまり耳にしませんが・・・>

★給与支払いにつかうな★
 1万円札が初めて発行されたのが、1958(昭和33)年12月1日。戦後のインフレもあって、5年前から計画されていたのですが、大難産でした。
「そんな高額の札を出されたら釣りはどうする」
「インフレをいっそう助長するおそれがある」
「月給袋が薄くなって働く元気が失せる」などの意見まで出る始末。大蔵省は「一般の給与支払いには使わぬように」との指示を銀行に出したとか。
<昨今は、だいぶ有り難みが薄れたようでずが・・・10万円札、なんて噂も耳にします。>

★ チョウのように舞い、ハチのようん刺す★
 不世出のボクサーといえばカシアス・クレイ(のちにブラック・モスレムに改宗して、モハメッド・アリ)。彼がリストンを破って、世界ヘビー級チャンピオンになったのが1964(昭和39)年2月25日。81年に引退するまで、3度ヘビー級チャンピオンの座についた唯一のボクサーです。数々の名言を残しています。
「オレはチョウのように舞い、ハチのように刺す」(リストン戦を前に)
「こてんぱんに殴ってやるさ、帽子をかぶるのに靴ベラがいるようになる」(パターソン戦について)
「大勢の黒人は地獄を見ている。連中が自由でなければ、オレたちにも自由はない」(1975年)

★ ゼニの顔見んと、走らんのや★
 競馬にはほとんど関心がない私ですが、「シンザン」の名前だけは覚えています。1965(昭和40)年12月26日、中山競馬場で第10回有馬記念レースが行われました。スタンド前からミハルカスがトップに立ち、逃げ切るとだれもが思った展開に、4コーナーの大外から鋭く追い込んで優勝したのがシンザンです。史上初の5冠馬が誕生した瞬間です。
 無敵のこの馬ですが、併(あわ)せ馬(芦坊注:調教のため、2頭以上で行う練習レース)をすると二流馬に負ける変な癖があったといいます。新聞記者が栗田調教師に訊くと、けろりとしてこう言った。「この馬はゼニの顔見んと、走らんのや」

 いかがでしたか?中高年の皆様には懐かしく、若い方々には「へぇ~」とお楽しみいただけたなら幸いです。なお、過去分へのリンクは、<その1><その2><その3>です。併せてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第564回 ボケとツッコミ考<旧サイトから>

2024-02-23 | エッセイ
 旧サイト(現在は廃止)の記事をお届けします。当時、行きつけのバーで親しくお付き合いいただき、ブログも愛読いただいていたのがイワンさんです。山形ご出身でしたが、大阪での勤務も経験されていましたので、そのあたりの話題でよく盛り上がりました。「大阪のお笑いを素材に何か書いてみたら」とのリクエストに応えたものです。本当に残念ながら、先年、亡くなられました。「なかなかよう書けてたでぇ」との大阪弁での評が懐かしいです。それではお楽しみください。

★★以下、本文です★★
 関西のお笑いが全国区になって、もともと関西の漫才の世界での業界用語であった「ボケ」と「ツッコミ」もすっかり全国的に通用するようになりました。
「関西では、二人寄ったら漫才になる」とよく言われます。小さい頃から漫才に親しんきたからという人がいます。確かに、今やバラエティに埋没している感のある漫才という芸ですが、小さい頃、若い頃は随分楽しんできました。1970年代を中心に活躍された「やすし(故人・画面左)・きよし」のお二人です。

 面白おかしくアホを演じ,会話をリードする「ボケ」と、それを受けて話を展開させる「ツッコミ」の役割分担が、(それとは気づかず)自然に身についていたってことがあるかもしれません。  
 加えて、関西・大阪という風土、土地柄との関連もありそうです。子供の頃、勉強ができる子とか、スポーツが得意な子が人気があるのは当然として、「オモロイ」子というのが、結構人気者でした。プライド高い武士が中心の江戸に対して、商売の町・大阪では、気取りのなさ、面白おかしいやりとりを楽しむ気風が脈々と流れていたように感じます。むしろ、その上に、漫才のような芸が成立している、とも言えそうです。

 そんな土壌の上で、関西・大阪人同士が、「ボケ」と「ツッコミ」を、時に役割交代しながらやり合って、ゲームのように楽しむことも多いです。
 そんな一般人のやりとりの中で「ボケ」とは何か、と問われれば、私は「それは笑いの取れる「自慢」である」と答えます、例えば・・・
「大事な約束、コテッと(すっかり)忘れてもうて、ションベンちびる(漏らす)ほど怒られたわ」「嫁は実家に帰るゆうし、息子はひきこもりで、さっぱりワヤや(すっかりダメだ)」
などと、自分の失敗や困難な状況を、多少の脚色を含めて、自虐的にしゃべるのを苦にせず、面白がる風潮があります。
 それは、とりもなおさず、そんな厄介な状況を面白おかしく、また、客観的に語れる話術があり、加えて「アホを演じられる」という「自慢」です。しかも、そんな厳しい現実とか、やっかいな状況も、(少なくとも表向きは)平然と笑いのめす度量も持ち合わせていることを暗に示す「自慢」でもあります。単なるアホ、ホントのボケでは出来ない芸当です。一筋縄で行かないのが、関西・大阪人だとつくづく感じます。

 そして、「ボケは、ツッコミを誘う道具である」という一面もあります。
 気心の知れたもの同士の場合は、どんなツッコミを入れてくるかを楽しんで、会話を弾ませるきっかけになります。相手によっては、「とりあえず、どう反応するやろか?ヘタなツッコミやったら、それにツッコミいれてもおもろいし・・」と相手の技倆を測ってやろうという底意地の悪さも見え隠れします。ですから、ただ笑ってるだけ、とか適当に相槌を打ってるだけじゃダメなんですね。適切な「ツッコミ」を入れるワザも関西・大阪人には求められます。その実例です。

男A:「なあ、オレのことどう思う?」
女B:「そやな~、背は高いわなあ~」(ボケ)
男A:「見たまんまやないか~、それだけか~?」(ツッコミ)

嫁はん:「なあ、今日の晩ごはん、なにがええ?」
亭主:「そやな、寒なったし、おでんなんかどうや?」
嫁はん:「う~ん、それもええけど、やっぱりカレーにしよ」(ボケ)
亭主:「ほんなら、聞くな~」(ツッコミ)

女A:「この前、コンサート行ったら、女子トイレがえらい混んどってな~」
女B:「ほんなら、男子トイレ行ったらええやん」(ボケ)
女A:「そやな、立ちションの練習にもなるしな、、、て、そんなわけないやろっ」(ボケ+ツッコミ)

 最後は、自分でボケで、自分でツッコミを入れる、ちょっと高度なワザです。いかがでしたか?バラエティ、関西・大阪人の世界に限らず、皆様方の会話を楽しく弾ませるひとつのヒントになれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第563回 愉快で楽しい日本語たち1

2024-02-16 | エッセイ
 身の回りには、愉快だったり楽しかったりする日本語が結構ある、というのを、「若干ちょっと気になるニホン語」(山口文憲 筑摩書房)で知りました。タイトル通り、日本語の乱れなども話題に取り上げられますが、私の関心は、もっぱら「愉快」「楽しい」日本語の方に向けられます。私なりのセレクトで、いくつかご紹介することにしました。どうぞお楽しみください。

★そこもっと★
 いきなりアブなそうな言葉ですが、ご安心ください。著者が家電量販店で、パナソニックの電動マッサージチェアを試そうと出かけました。同社の最新の製品です。

 そこには若いOL風の先客がいて、気持ち良さそうに使っています。そろそろ終わるかなと見ていると、手元のコントローラーのボタンを押すのです。「するとふたたび快感の大波が押し寄せてくるらしく、またもや四肢をつっぱらせ、背を弓なりにして悶絶する。」(同書から)
 散々待たされて、あの青くて丸い大きなボタンは一体何か、と見てみると、そこには「そこもっと」との表示。今、マッサージしてるところを、もっと強く、繰り返して、と指示するためのボタンだったんですね。著者もこのベタで分かりやすい表現には感心しきりでした。いかにも関西の家電メーカーらしいな、と同じ地域出身の私も大笑い。最新機種のパネルに「そこもっと」の表示があるかどうかは分かりませんが・・・・

★チョイあげ★
「株式会社わんわん」というドッグフードのメーカーがあるんだそうです。商品のネーミングが上手で、「犬日和」、「彩色犬美」、「ごほうび」なんて製品を送り出しているといいます。この会社が、犬用のビスケットなどおやつ系の4品目を出して、それに「チョイあげ」というシリーズ名をつけました。
 「チョイ」と「あげる」ためのお菓子、というネーミングに、近頃のペット愛好家への敬意と心配りが感じられます。私たちが子供の頃は、犬とか猫には「エサ」を「やる」ものでした。オス、メスなんて言い方も、愛好家の間では禁句なんですね。「お宅のワンちゃん、男の子さん?女の子さん?」なんて愛犬家同士の立ち話を小耳にはさんだりします。商品名にもペット業界と愛好家の人たちへの配慮が入ってくる時代になりました。

★持って帰り★
 ファーストフードの店ではごく普通の「持ち帰り」(「テイクアウト」とも)ですが、若い人たちを中心に、「持って帰り」という言い方が、普及しつつあるというのです。著者はこんな背景を推測しています。
 テレビバラエティなどで、芸能界の合コンが話題になることがあります。合コンが終わって、芸能人が(関係者が段取りすることもあるようですが)気に入った女の子を連れ出して、二人きりの時間を楽しむのを「お持ち帰り」と称するらしく、私もこの言葉、用法は聞いたことがあります。
 若い人たちは、この業界用語について回る「いかがわしさ」がイヤで、わざわざ「持って帰り」とするようです。なるほど~。若い人たちの潔癖さにちょっと拍手を送りたくなりました。

★「ラレシ」の謎★
 著者が夕方、店じまいしたばかりの様子の八百屋の前を通りかかった時のことです。ボール紙を短冊形に切った値札が落ちていました。そこには、「ラレシ 150円」と書いてあります。はてどんな野菜だろうとの疑問は翌日解けました。「ラレシ」の札の前に山積みになっていたのは、赤くて小さい「ラディッシュ」(日本名ではハツカダイコン)。
 「耳から英語」というのがありました。耳から聞こえたままを文字にしたもので、「アメリカン」が「メリケン」に聞こえて、波止場の名前になったりした例を思い出します。さしずめ「耳から野菜名」といったところでしょうか。
 その後も、この店をウォッチしていた著者が見つけたのが「モロヘアー」。お~っと、ずいぶんアブない野菜名になってますが、正解は、もちろんエジプト原産の「モロヘイヤ」です。
 おもちゃ屋ではこんな発見もしています。万華鏡(カレイドスコープ)なんですが、子供だと読めないと思ったのでしょうね、「まんげ鏡」との表示が。こちらもアブなさでは負けてませんね。

 お楽しみいただけましたか?もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第562回 人名いろいろ7 名字編-1

2024-02-09 | エッセイ
 シリーズ第7弾をお届けします。(文末に直近2回分へのリンクを貼っています)。
 今回のネタ元は、「名字の謎」(森岡浩 ちくま文庫)という興味深い本です。日本人の名字・姓(以下、「名字」)をめぐって、そのルーツ、珍しい名字など様々な話題が取り上げられています。名字にはそれぞれ由緒、由来があります。それらに十分敬意を払いつつ、珍しい名字を中心にご紹介することにしました。最後までお付き合いください。

★名字の数★
 日本人の名字って、どれくらいあるんでしょうか?著者は、10万から30万と推定しています。随分、幅があります。戸籍制度が完備している我が国ですが、利用にあたっては、いろいろ制約があり、それだけに頼ることはできないようです。また、新旧の字体(例:澤と沢など)や異体字(例:島と嶌など)、さらに、読み方で、濁る、濁らないをどうカウントするか、などの問題もあります。そのため、いろいろ苦労、工夫を重ねても、これだけ幅のある数字になるようです。ちなみに、韓国の名字は、270種類です。でも、金(キム)、朴(パク)、李(リ)、崔(チエ)の4つで約半分を占めるといいますから、同姓が多く、「慶州の金」のように出身地を付けて名乗るのが普通だそう。中国は、約1000種類です。日本の種類の多さが際立ちます。
 なお、著者による多い名字のベスト10は、多い方から順に、
佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、加藤、(次点 吉田)となっています。なるほど、友人、知人の顔がいろいろ思い浮かびます。
★ユニークな名字がいっぱいの街★
 富山県西部、庄川の河口に新湊市という小さな市がありました。現在は合併で「射水市」となっています。こんな街並みです。

 人口4万人ほどの市ですが、江戸時代は、加賀藩の港町として栄えました。ユニークな名字、しかもいろんなジャンルのものが多いことで知られます。
 海、魚関係ではずばり「魚」のほか、「海老」「鯛」「魚倉(うおくら)」「波」「灘」など。
 食べ物だと、「米(こめ)」「酢」「飴」「菓子」「糀(こうじ)」のような例も。
 家屋まわりでは、「桶」「風呂」「綿」「瓦」「壁」「横丁」などがあり、
 動植物だと、「牛」「鹿」「鵜」「菊」「草」などの名字も。
 そのほかにも、「山」、「松」、「地蔵」、「音頭」、「旅」、「大工」など、驚くほどバラエティに富んでいます。これらの名字の多くが、射水市独自のもので、近隣の街では見られないといいます。商売の屋号などが由来ではないかと著者は推測していますが、なんとも不思議な街です。

★まるで判じ物ー月日そのままの名字★
 代表選手は、「四月朔日」さんです。「わたぬき」と読みます。昔は、4月1日になると、袷(あわせ)の着物から綿を抜いて、単衣(ひとえ)にした風習に由来します。富山県を中心に、日本海側に点在する名字だそう。「八月一日」と書いて「ほづみ」という名字があります。8月1日に稲の穂を積んで神様に供える行事が元になっていて、群馬県を中心に、関東に多い名字とのこと。かつての暮らしぶりが伝わってきます。
★50音順の始めと終わり★
 学校などではなにかにつけて、名字の50音順で、というのが普通でした。山田さんとか渡辺さんとかは、最後の方になるので、なんとなく気の毒に思ったりしていました。
 さて、その50音順ですが、さすがに「あ」ひと文字の名字はないようです。「あい」と読む「阿井」、「藍」、「愛」、「相」さんなどがが挙げられています。おっと、もっと前があるというのです。それは、佐賀県に実在する「最初さん」。なるほど~、著者に座布団1枚。
 終わりのほうだと、「わん」がつく名字があるのですね。椀田(わんだ)、湾野(わんの)、湾洞(わんどう)などが挙げられています。そして、著者があげる大トリが、「分目」(わんめ)さんで、千葉県市原市にルーツがあるそう。50音順で呼ばれるなら、間違いなく最後でしょうね。
★名字でナゾナゾ★
 先ほどの判じ物に似ていますが、まるでナゾナゾのような名字が実在します。
 「月見里」で「やまなし」と読みます。月見を楽しむには、山がないほうがいいから、という謎解きです。「小鳥遊」で「たかなし」と読ませます。鷹のような強い鳥がいなければ、小鳥たちも安心して遊べる、というわけです。
 極め付けは、「一口」という名字。「ひとくち」ではありません。出口が一つしかない建物から、人々が一斉に出ようとすると、こういう状態になります。そうです「いもあらい」と読みます。う~ん、これは参りました。

 いかがでしたか?同書からのネタがまだ少しありますので、いずれ続編をお届けする予定です。なお、直近2回分へのリンクは、<その5 海外編><その6 開高健編>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第561回 ちょっぴり驚きの英国史2

2024-02-02 | エッセイ
 続編をお届けします(文末に前回分へのリンクを貼っています)。英国出身のフリージャーナリストであるコリン・ジョイス氏の「驚きの英国史」(NHK出版新書)から、あまり知られていない歴史上のエピソードをお届けします。前編ともどもお楽しみください。

★長弓へのノスタルジー
 「イギリスの法律では、自由な身に生まれた男性は日曜日に必ず弓矢の練習に行かないといけないんだ」(同書から)と真面目に信じているイギリス人がいるというのです。「長弓」と呼ばれるご覧のような武器です。

 そういう法律が存在したのは事実で、何世紀にもわたってフランスとの戦いを有利に進め、勝利にも貢献してきました。法律が効果を発揮するようになったのは、14世紀のエドワード3世の時代からです。長大なだけに軽い甲冑なら遠くからでも射抜く威力があり、高い命中精度を誇ります。ただし、使いこなすには日頃から練習に励み、扱いに習熟しておくことが欠かせません。そのための法律、というわけです。そして、その効果は、1332年に宿敵スコットランドを打ち破り、その後のフランスとの100年戦争でも、いくつかの重要な戦いを勝利に導くことなどで実証されました。
 その後、一旦廃止されたこの法律は、16世紀のヘンリー8世の治世になって再び施行されています。よほどイギリス人の心性にマッチするようです。さすがに19世紀ともなると、銃、大砲などの火器が戦争の主役となって、時代の趨勢に合わなくなり、法律は廃止されました。それでも、その存在を信じる人がいる理由を、著者は「もしかするとイングランド人は、この武器にノスタルジーのようなものを感じつづけているのかもしれない」と書いています。イギリスが強かった時代への郷愁ですかね・・・・ちょっと頬が緩みました。
★クリスマス休戦
 ヨーロッパを舞台にした第一次世界大戦は大変な消耗戦でした。当時の戦争は、数百万の兵士が悪臭を放つ塹壕に身を潜めて銃撃しあう、というのが主流です。お互いの塹壕を隔てる幅数百メートルのエリアは「ノーマンズ・ランド(中間地帯)」と呼ばれる泥んこの土地が広がっています。5ヶ月近く、こんな状況の中で戦っていたイギリス軍とドイツ軍に意外なことが起こったのは、1914年12月のことです。
 前線にいた両軍の部隊がいくつもの場所で殺し合いをやめ、プレセントを交換し、クリスマス・キャロルを歌い、ノーマンズ・ランドでサッカーの試合までしました。この自発的な「停戦」に驚いた将校は、敵と親しくしてはならないという命令を厳しく下し、このような「出来事」は、この時限りでした。
 きっかけは、ドイツ兵が塹壕で歌っているクリスマス・キャロルがイギリス軍に聞こえたことだと伝えられています。「とくにドイツ語の「きよしこの夜」が聞こえたことが、「敵」も同じキリスト教徒だと気づかせることになったといわれる(もう少し正確に言うなら、敵も同じ人間だと気づいたということだろう)。」(同)
「同じ人間だとの気づき」を人類が共有していれば、その後の、そして今も続く戦争はなかっただろうに、と私などはつい考えてしまいます。
 さて、このエピソードを、著者は、いかにもイギリス人らしくクールにこう締めくくっています。「歴史的な観点からすれば、クリスマス休戦はそれほど重要なものではないかもしれない。しかし、イギリス人は、この戦争のなかでは最も「正気」だった時間として大切に記憶している。」
★スコットランドへの気遣い
 英国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、そして北アイルランドの4つの「国」から構成される連合王国です。著者はイングランド出身なので、イングランド中心の話題が多くなっています。そのことに気を遣い、スコットランドがイギリスの発展に果たした役割に1章を割いています。
 政治の世界では、1900年以降、4人の首相を輩出しています。学問の分野では、アダム・スミスの「国富論」が、経済への理解を変え、人々の生活に大きな影響を与えました。
 著者は英国人の1日を追いながら、スコットランド人の発明が、いかに日々の暮らしに貢献しているかを紹介しています(発明者名は一部省略しました)。朝食には、「マーマレード」が欠かせません。雨が降っているので「レインコート」を着て「自転車」で駅に向かいます。乗るのは、いささか時代遅れですが「蒸気エンジン(ジェームス・ワットが発明)」で動く列車です。オフィスでは、郵便に貼ってある「糊つき切手」に目をやり、初めて「商品化されたタバコ」で一服します。さて、終業時刻となり、妻に「電話(グラハム・ベル(てっきり、アメリカ人だと思ってましたけど、スコットランド人だったんですね(芦坊))して帰宅です。家では娘が「テレビ(ジョン・ロギー・ベアードが発明)」を見ています。息子は「宝島(ロバート・スティーブンソン作)」の読書に夢中です。
 う~ん、イギリス人に限らず、私たちも大いにお世話になっている、というのがよくわかりました。
 いかがでしたか?なお、前回の記事へのリンクは<こちら>です。合わせてちょっぴり驚いていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。