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第557回 川柳と落語で初笑い2024

2024-01-05 | エッセイ
 「文芸」の分野で多少実作の経験があるのは、「川柳」です。若い頃、<義理で書く 手紙は古風な 言い回し>が、週刊朝日の投句欄に採用されたことがあります。行きつけのスタンド・バーでの句会でも、川柳っぽい句でウケを狙っていましたが、入賞とはあまり縁がありませんでした。
 「演芸」だと「落語」になります。小さい頃ラジオを通じて、そして今はCDで、志ん朝、談志、小三治などの名人芸を楽しんでいます。
 先日、古書店で、その両方がタイトルになった「落語と川柳」(長井好弘 白水社)が目に止まり、なるほど「笑い」という部分で親和性があるなぁ、と迷わず購入しました。古今の落語家たちの川柳「作品」にも興味を引かれるのですが、今回は、落語をより面白く、より分かりやすくするために川柳がどう活用されているか、に絞って初笑いしていただこうという趣向です。よろしくお付き合いください。

 落語といえば、本題に入る前のツカミともいえる「マクラ(枕)」がつきものです。落語家も工夫を凝らします。そこで川柳の出番です。例えば、江戸っ子とカネにまつわる噺はいっぱいあります。そんな時、よく使われるのが、
<江戸っ子の生まれ損ない金(カネ)を貯め> です。
 「三方一両損」という演目があります。三両入った財布を拾った左官の金太郎。中の書き付けで持ち主が分かりましたので、家まで届けに行きます。ところが、落とし主である大工の吉五郎は「一旦、俺の懐から出ていった金なんかいらねえ。おまえにやる」と受け取ろうとしません。
 言われた金太郎も「そんな金がもらえるか」と突っぱねて、二人は大喧嘩。互いの家主、果ては、大岡越前まで巻き込んでの大騒動、という噺です。
 「宵越しの金は持たない」を信条とし、金に執着するのを潔(いさぎよ)しとしない江戸っ子の意地と意地(と、見栄っ張り(?))のぶつかり合いが引き起こす騒動で笑わせる古典落語の名作です。江戸っ子のホンネとタテマエを見事に皮肉ったこの川柳が、マクラにピタリとハマります。

 江戸時代、商家に奉公に出た子供は、時に数年も働きづめです。無事に年期が明けて、一時、親元に返るのが「薮入り」です。同じタイトルの演目を演じる時のマクラで、よく使われるのが、
<薮入りやなんにもいわず泣き笑い>です。
 3年の年季が明けて、帰ってくる息子を待ちわびる父親と母親。なにしろ久しぶりですから、こんなものも食わせてやりたい、こんなこともしてやりたいと、てんやわんやの大騒ぎを語る演目です。「薮入り」という言葉がほぼ死語で、馴染みのない制度ですから、マクラでその説明を兼ねつつ、この川柳でお客を親子の情愛の世界へ引き込む・・・うまい仕掛けです。

 お馴染み「寿限無」のマクラで使われた川柳を3代目三遊亭金馬師匠(1894-1964)が集めたものが、本書で紹介されています。
<乳を噛めば叱りながらも歯を数え><これほどに親は思うぞ千歳飴>
<子の寝冷え明くる日夫婦喧嘩なり><泣くよりは哀れ捨て子の笑い顔>
 子を思う親の心を川柳に託す落語家の皆さんの苦労、工夫が偲ばれます。

 さて、川柳を「噺の中で」効果的に使うという手があります。8代目桂文楽(1892-1971)が得意としていた廓(くるわ)噺の名作「明烏(あけがらす)」での例が本書で紹介されています。

 さる大商家の若旦那は、「遊び」とは無縁の堅物です。そんな息子を心配した父親が二人の遊び人に頼んで、吉原遊郭へ誘い出させます。「お稲荷さんへのお籠(こ)もり」との名目ですから、大門(おおもん)を鳥居といい、たくさんいる女性たちを「巫女(みこ)」だとごまかしたりのやりとりが落語的笑いを誘います。不審がる息子になんとか花魁をあてがうことができました。で、その後の経過をこの句に語らせます。
<女郎買い振られたやつが起こし番>
 遊び人ふたりは見事にフラれて、若旦那を起こしに部屋を訪ねるハメになったわけです。すると、花魁は若旦那のウブなところが気に入ったようで、しっかりしがみついています。馬鹿馬鹿しくなって帰ろうとする遊び人ふたり。そして噺はオチへ、という趣向です。
 多くを語らず、時間の経過と場面転換に川柳を利用するこんな工夫があるのかと感心しました。

 いかがでしたか?初笑いいただけたでしょうか?なお、関連した話題として、<第367回 落語を「読む」><第533回 江戸の難解川柳を楽しむ>のリンクも合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。
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