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第487回 大英博物館のモノ語り−3

2022-08-26 | エッセイ
 幸い好評をいただき、今も時折アクセスをいただいているシリーズの第3弾です(文末に過去分へのリンクを貼っています)。とりあえず、今回がシリーズの最終回になります。
 「100のモノが語る世界の歴史(ニール・マクレガー 筑摩書房 全3巻)から、私なりに選んだ「モノ語り」の最終章をお楽しみください。こちら、大英博物館の正面です。


★サットン・フーの兜(かぶと)★
 まずは能書き抜きで、この恐ろしいまでに力強い造形美をご覧ください。


 イングランド東部東部サフォーク州の海岸に近いサットン・フーから出土したアングロサクソンの兜です。西暦600~650年頃のものと推定されています。1939年の夏、この地の船葬墓から発見されました。
 この地で「イギリス考古学上でも極めつけの心躍る発見がなされたのは1939年の夏のことだった」「何百年もの歳月を超えて、これはわれわれに詩や戦いや北海を中心にした世界を語ってくれる」(ともに同書から)との記述から著者の熱い想いが伝わってきます。
 それというのもこの時代のイギリスは、ローマによる支配が崩壊した「暗黒時代」とされていたからです。埋葬されていた高位の軍人と思われる人物の遺骨は朽ち果てていましたが、埋葬されていた船を復元すると、全長が27メートルという巨大なものでした。アングロサクソンの源流ともいえる「モノ」の発見ーー著者が熱くなるのも道理です。

★アラビアのブロンズの手★ 
 イエメンから出土したほぼ実物大の青銅製の手です。西暦100~300年頃の「モノ」とされています。


 浮き出た静脈、窪んだ爪、骨折でもしたのでしょうか、変形した小指まで実にリアルです。表面に刻まれた文字からその由来が分かっています。
 当時、世界には今日よりはるかに多くの神々が存在していました。この右手は、アラブ世界におけるそんな神のひとり「タラーブ・リヤム(リヤムの強者)」に供物として捧げられたものです。捧げたのは、「タラーブ」なる人物で、神の名をもらっている事からも信仰篤く、かつ、これだけのモノを捧げられるだけの財力の持ち主でもあったのでしょう。
 本来であれば、体の一部を切り取って捧げ、氏族の代表としてその繁栄を祈願するべきところをレプリカで済ませるわけですから、本人の手に近い精巧なものでなければなりません。リアルなはずです。その後、イエメンの支配者は、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教を経て、628年にイスラム教を奉ずるに至りますが、神々の群雄割拠時代を物語る貴重な「モノ」といえます。

★イフェの頭像★
 ナイジェリアから出土した真鍮の像で、西暦1400~1500年頃のモノとされています。歴史的意義とか背景よりも「ここにある作品、真鍮で鋳造されたこの頭部は、紛れもなくなく偉大な芸術品である」(同書から)との著者の激賞に私も全く同感です。ほぼ実物大で、表に刻まれている細かい垂直線が、頭部の立体感を一層際立たせています。


 1938年にナイジェリアのイフェにあった王宮の跡から発見された13個頭部の一つです。発見当初は、そのあまりの美しさに世界中が驚き、ヨーロッパの学者の中には、古代ギリシャの彫刻ではないかと決めつける人も出る始末。もちろん今では、この像がアフリカの王族のモノであり、約600年前に西アフリカに存在した中世の大文明を象徴していることが分かっています。
 レプリカでもいいですから側に置いて、毎日でも眺めていたい「作品」です。

★ルイス島のチェス駒★
 歴史的意義、文明、宗教など堅苦しいテーマにちなむ「モノ」を紹介してきましたので、最後は遊びの歴史に関わる「モノ」を紹介することにします。1831年にスコットランド、ルイス島で発見されたチェスの駒です。素材は、セイウチ牙とクジラの歯で、西暦1150~1200年頃のモノです。


 78個発見された駒のうち、67個を博物館が所蔵しています。キングの駒は、8センチほどもありますから、かなり大ぶりで、ご覧のように、表情も豊かです。
 人間は5000年以上にわたって盤上(ボード)ゲームを楽しんできましたが、チェスは比較的新しく、西暦500年にインドで発明されたと考えられています。
 アジア、中東を経て、ヨーロッパの北部まで伝わってきたわけです。人類の歴史はある意味でパワーゲームの歴史ですが、このボードゲームには人類のロマンを感じますね。

 いかがでしたか?なお、過去分へのリンクは。<第373回><第390回>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第486回 これって古本?の世界

2022-08-19 | エッセイ
 ごく普通の本好きで、新刊書店、ネット書店、それに新古書店も利用して、興味のおもむくままに読書を楽しんでいます。
 でも、世の中には、読書を楽しみつつも、古書店、古本市などを舞台にユニークな本、マニアックな本の発掘、収集にも励んでいる人たちがいます。「本」という共通項で、それらの人たちの苦労話、自慢話を読むのが好きで、当ブログでもいくつか記事にしてきました。
 最近も、「奇天烈!古本漂流記」(北原尚彦 ちくま文庫 2005年)に出会って、「大正・昭和初期の「事件帖」」、「大正期の楽しい火星本」、「金日成がヴェルヌを翻案?」などの怪しげな(?)古本の話題を大いに楽しみました。中から2点を選んでご紹介します、マニアックそうな絵柄の表紙です。


★結婚式のカタログ本★ 
 まずは、こんなものまで(というと、著者に叱られそうですが)古書として流通するのだ、という驚きの一品です。昭和6(1931)年といいますから、執筆時で70年前に三越百貨店から「発行」されました。
 「御婚禮の栞(しおり)」というカタログ(非売品)で、婚礼用品はもちろんのこと、結婚に関する一切合財を扱っています。古書即売会で見つけたとのこと。
 これだけ古ければ、それなりの社会史的、文化史的価値がありそうです。でも、わざわざ入手するなんて物好きですねぇ。

 表紙を飾るのは、日本画の巨匠・鏑木清方による和装・角隠しの花嫁姿という豪華なもの。また、花嫁、花婿の晴れ着写真のモデルには、松竹映画の男優、女優を起用するという凝りようです。
 そして、嫁入り道具です。三越としても一番の勝負所ですから、着物、夜具、家具、食器に至るまで、しっかり、たっぷりとページが割かれています。男性用装飾品なども紹介されていますが、たった1ページだけ、というのに時代を感じて、笑ってしまいました。

 モノだけではありません。結髪、化粧、着付けは「美容部へ」、記念写真は「写真部へ」と周辺のサービスのPRにも抜け目はありません。
 更には、漫画、読み物、「花嫁心得帖」などの実用記事まで載せ、読ませる工夫にも力を入れています。
 小さい頃、家族で買い物といえば、なんでも揃っているデパート1本でした。結婚をビジネスにしていた時代があったのだ、とちょっと懐かしくなりました。

★ベッド博士★
 さて、もう1点は、著者が川崎駅前の古書店で見つけた「ベッド博士」(アドセンター 1983年)なる本。本書にも写真が載っていますが、ネットで見つけたカラー画像です。


 背中を向けてベッドに横たわる女性のヌードが配された大胆な表紙です。アドセンターの所在地末尾が「フランスベッドビル」とあったので、同社のPR本だと判明しました。
 セクシーな表紙とは裏腹に、充実した内容の一端を著者が紹介しています。
「眠りの科学へのイントロ」「どうして眠るのか」「人体の構造と寝姿勢」「性とベッドの構造」など堅い話題から柔らかい話題までカバーしていて、興味引かれます。
 映画評論家・荻昌弘の「映画にあらわれたベッドルーム」では、「市民ケーン」「007危機一発」「オセロ」などさまざまな映画に登場したベッドルームが取り上げられます。う~ん、これだけでも読みたいですねぇ。

 インタビュー「選手生活と睡眠」に登場するのは、なんと当時現役バリバリの王貞治選手!!
 質問に答えて、真っ暗で音が入らないようにしないと眠れないとか、寝相が悪いので特大のベッドでないとダメだなどと語っているといいます。野球とは直接関係のない分野のインタビューに答えた貴重な記録と言えそうです。
 まだまだあります。三遊亭円楽(先代)と作家戸川昌子との対談、1コマ漫画、SEXカウンセラー奈良林祥のエッセイ、立木義浩撮影によるヌード写真、体操指導者竹越美代子の「あなたもできるベッド体操」、そして、図版入り年表「ベッドの歴史」などなど、目を見張る充実ぶり。「ベッド」に関わるあらゆることを読んで楽しんでもらおうという制作者の遊び心が伝わってきます。読めるものなら読みたいですが、入手は極めて困難なようです。う~む、ちょっと残念。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第485回 脳の不思議話byサックス

2022-08-12 | エッセイ
 脳って、つくづく不思議な器官です。宇宙とともに最後まで残る大きな謎ではないでしょうか。
 オリヴァー・サックス氏(1933-2015年)は、イギリス出身の脳神経科医です。若い頃からアメリカに渡り、脳や心に問題を抱える人たちの診察、治療、研究に携わってきました。その豊富な経験を、数多くのエッセイで発表したことでも知られます。
 不思議なことが好きで、関心もある分野ですので、いくつかの作品に接してきました。中でも、最初に出会った「妻を帽子とまちがえた男」(ハヤカワNF文庫)での症例(ケース)は強く印象に残り、それぞれの患者さんと真摯に向き合う氏の姿勢に心打たれました。その中から2つのエピソードをご紹介することにします。画像は、氏と、今回取り上げた本の表紙です。


★妻を帽子とまちがえた男★
 本のタイトルにもなっている「P」なる人物のケースです。優れた音楽家として、長年、地方の音楽学校の先生を勤めてきました。ところが、後年になって、生徒たちの「顔を、顔として」認識できなくなりました。街にある消火栓やパーキングメーターを人だと思って挨拶したり、ということが日常的に起こるようになったのです。はじめのうちは、本人もまわりもそう深刻に受け止めていませんでした。でも、眼科医の検査で視力に問題はないことがわかり、妻とともに氏のもとを訪ねてきたのです。検査でも目に異常はありません。ところが、靴を脱いでの筋肉検査が終わり、靴を履くように促しても、すぐ足元にある靴がわからないのです、挙句は、検査が終わって、帰ろうとする時、妻の頭を帽子とまちがえて、手を伸ばし、被ろうとしました。モノは見えていますが、それが「何かを認識」できないようなのです。
 数日後、自宅を訪ねての検査で、氏は自分の手袋を見せて、これは何か、と尋ねました。
「表面は切れめなく一様につづいていて、全体がすっぽりと袋のようになっていますね。先が五つに分かれていて、そのひとつひとつがまた小さな袋ですね。袋と言っていいかどうか自信はないけれど」(同書から)との言葉が返ってきたといいます。見えたモノが「何かを認識」するって、当たり前のように思ってました。でも、それは脳が持つ特別な機能であり、その機能に障害が出たのがP氏のケース、ということになります。
 日常生活でその問題をどう克服しているのでしょう。奥様によれば、その都度、必要なものを、決まった場所に置いておくのだといいます。P氏は、歌を歌いながら、順番にものを取っていく、というのです。奥様のご苦労を思いながらも、奥様の明るい話ぶりを伝える氏の文章に救われました。P氏から忠告を求められた氏の言葉です。
「どこが悪いのかは私にはいえません、だけど、良いところは言えます。それはね、あなたはすばらしい音楽家であるということ、そして、音楽があなたの生命(いのち)だということです」(同)サックス氏の優しさが、心に沁みます。

★天才の双子兄弟★
 1966年、氏は双子の兄弟・ジョンとマイケル(当時26歳)に出会います。自閉症、精神病、重度の精神遅滞などの診断を受けていながら、二人は小さい頃からテレビ、ラジオに出演し、学者の研究対象になるほどの有名人でした。
 それは二人が抜群の記憶力と特別な能力を持つためでした。過去の日を指定されると、その日の天気、出来事などずっ~と遡っても瞬時に言えます。また、例えば、8万年前のイースター(復活祭)が何月何日に当たるかも答えられるのです。でも、二人の一般的な知能は決して高くありません。知能指数は60程度で、簡単な足し算、引き算も正確にできません。過去のカレンダーを正確に把握するのは、本来、なんらかのアルゴリズム(算出理論)による計算的作業のはずです。二人にそれは無理ですから、彼らの頭の中で、視覚化されたカレンダーが映し出されるという「視覚的作業」(同)が行われているのだろう、というのが氏の推測です。
 ある日、氏が二人を観察していると、ジョンがある6桁の数を言いました。それをニコニコと味わうようにしていたマイケルが、別の6桁の数字を言い、二人はうなずき合っていたというのです。自宅に戻った氏が、数表で調べてみると、2つとも素数(1とそれ自身以外で割ることのできない整数。無数に存在します)だとわかりました。今でこそコンピュータで判定できますが、それでも大きな数が素数かどうかの判定は、とてつもない作業量になります。
 そのことを確かめるべく、後日、氏は二人に8桁の素数をぶつけてみました。最初はとまどった様子でしたが、30秒ほど経って、二人がニッコリうなずき合いました。素数だとわかったのです。
 それからは、氏も含めて三人での素数ゲームが始まりました。9桁、12桁と進んで、1時間後にはなんと、20桁まで進んでしまったのです。現代のコンピュータでも手に負えるかどうかのレベルです。二人には素数が「見える」としか思えない不思議な能力(?)です。
 さて、二人のその後です。氏と出会った10年後に、社会性を身につけるため、別々の施設に送られました。そこである程度の社会性は身についたようですが、数字の対話を禁じられ、「彼らは、数についてのあの不思議な能力を失ってしまったように思われる。そして、それとともに、生の喜びや生きているという感覚もなくなってしまったようにみえる。」(同)
 サックス氏のやるせない思いを共有しつつ、脳、心の病と向き合うことの難しさを痛感しました。

 いかがでしたか?もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第484回 言葉探偵・半藤一利さん

2022-08-05 | エッセイ
 作家の半藤一利さんといえば「歴史探偵」です。昭和史を中心に多くの著作、エッセイを残され、私もずいぶん愛読してきました。一方で、軽妙なコラム、エッセイも読み応えがあります。今回は、氏の「歴史探偵 昭和の教え」(文春新書)から、言葉にまつわるエッセイをピックアップしました。「言葉探偵」ぶりを楽しんでいただこうという趣向です(各コラムのタイトルは独自につけました)。最後までお付き合いください。

★漱石流の罵(ののし)り言葉★
 「吾輩は猫である」の中で、主人公が奥さんに「お前はオタンチン、パレオロガスだよ」と罵る場面があります(私も覚えています)。鏡子夫人の回想録にも「どうせおまえは「とんま」だよといった意味だろうとは察しましたが、はっきりしたわけがわからない」とあるそうなので、漱石が日常的にご愛用の罵り言葉だったようです。
 「オタンチン」というのは、「間抜け」とか「とんま」を意味する子供言葉でしょう。問題は、「パレオロガス」です。
 半藤によれば、これは、皇帝の名前のもじりだといいます。1452年に滅亡したビザンチン帝国の最後の皇帝の名、コンスタンチン・パレオロガス(コンスタンチノス11世)に由来するというのが氏の推測です。あまり有名でもない皇帝ですが、その名を罵り言葉に使うユーモアと、学識に改めて感心します。こちらの方。


 ちなみに、「坊っちゃん」の中でも、「愚物で痴(し)れ者の、抜け作の頓痴気(とんちき)の、盆暗(ぼんくら)野郎の、唐変木の木偶(でく)の坊の朴念仁(ぼくねんじん)の表六玉(ひょうろくだま)のべら棒め」なんて罵り言葉を使っています。根っからの江戸っ子たる「坊っちゃん」の面目躍如です。

★言葉をつくる★
 作家には、通り一遍の言葉を使うだけでなく、「作る」才能も必要なようです。
 再び漱石の出番です。「吾輩は猫である」に、「まず今日のところでは人為的逆上は不可能である」との表現が出てきます。この作品が書かれたのは、明治38年。そして、「不可能」という言葉は、明治42年の「新訳和英辞典」が初出だといいます。なので、これは、漱石の造語だと半藤は推測しています。
 新陳代謝(野分)、生活難(三四郎)、正当防禦(草枕)、自由行動(三四郎)、世界観(虞美人草)、電力(吾輩は猫である)なども漱石の造語とのことで、時代に新風を吹き込んだ漱石らしいです。
 森鴎外は、「交響楽、短編小説、長編小説、詩情、空想、民謡、女優、男優」を、北村透谷は「情熱」を、坪内逍遥は「義務」を、佐藤春夫は「猟奇」を、などの例も紹介されています。
 作品、作風となんとなく関係がありそうで、ちょっと笑えました。

★ジョークで知る世界の国民性★
 沈みゆくタイタニック号のデッキから、救命ボートに飛び降りさせるための国別マニュアルがある、というジョークが紹介されています。
 アメリカ人向けには、「いま飛び込めば、あなたは英雄になれますぞ」
 イタリア人には、「救命ボートには美しい女性が沢山乗っておりますぞ」
 ドイツ人には、「海に飛び込めという法案が、いまお国で可決されました」
 さて、日本人に対してはどうでしょうか?
 「みんなどんどん飛び込んでおられますぞ」というのが正解(?)です。
ちょっと不謹慎な状況でのジョークですが、なるほどと感じました。

 さて、日本のある大学教授が考案したという国別人物鑑定法も紹介されています。1つ質問をするだけで、その人物の何たるかが分かるというのです。
 ドイツ人の場合は、What does he know?(彼は何を知っている男か)
 フランス人だと、What examination did he pass?(彼はどんな試験に合格したか)
 フランス人の場合は、いかに難度の高い試験に合格しているかがステータスなんですね。
 アメリカ人だと、What can he do?(彼は何ができる男か)
 能力主義のアメリカらしいですね。
 イギリスの場合は、What is he like?(彼はどのような男か)
 まんまなんですけど、イギリス人て、とにかく多種多様で、決めつけが難しい人の集まりみたいです。

 最後は、日本人です。どんな質問するのが的確でしょうか?
答えは、What school did he graduate?(ヤツはどこの学校を出たか)です。学歴社会ですからね。辛辣なジョークに思わず苦笑いが出ました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。