★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第410回 ワインは言葉だ

2021-02-26 | エッセイ

 いきつけのお店でのパーティーなどへ、ごく普通の白ワインを持ち込むことがありました(と、時節柄、過去形になるのが残念ですが)。すっきりした飲み口が好きなのと、グラスに注ぐだけなので皆で飲みやすいという程度の理由です。

 そんな私がワインを話題にするとは、我ながら大胆かつ無謀。でも、立花隆の「「ガルガンチュア風」暴飲暴食の旅」(「思索紀行 上」(ちくま文庫)所収)を読んで、是非ともプロの世界のスゴさを紹介したくなりましたので、しばしお付き合いください。

 1984年、日本で開催されたソムリエ(ワイン専門のウェイター)のコンクールで優勝した田崎真也氏と2位の岡昌治氏が、ご褒美として、フランスのワイン生産地を訪問するツアーに招待されました。それに同行取材するという夢のような企画に乗ったのが、ワイン好きの立花です。
 前半は、ソムリエがいかにスゴい存在であるか、そして、後半は、ホンモノのプロがワインをどう味わうか、の2つの話題に絞ってお届けします。ご存知、田崎氏です。

 一流のソムリエになるためには、本場フランスで修行し、最低でも千種類くらいのワインの個性を知り、記憶しておかなければなりません。田崎氏が学んだパリのワイン・アカデミーには、銘酒の試飲コースがたくさんあります。10名程度の生徒に一流の講師がついて、6~7銘柄のワインを一杯ずつ味わい、講師から詳しい解説を聴くのです。

 田崎氏も1年半の間に、このコースを可能な限り受講し、軽く千種類の銘酒を飲んだといいます。受講料は、ワインのランクにもよりますが、1500円~3000円程度で、氏の場合、総額は10万円単位だったとのことです。「日本にいたら千万円単位の金を出さなければできない体験をつむことができたのである」(同書から)
 自国の文化を誇りにし、大切にしているフランスならではの仕組みと感心します。

 フランスで修行するもうひとつの理由は、ワインの本当の個性を知るためには、畑を見る必要があることです。ソムリエ・コンクールで上位に進出するためには、銘酒の産地であるボルドーやブルゴーニュ地方については、蔵元とかブランド単位ではなく、畑一枚一枚の単位でどこからどういうワインができるかを暗記するのだといいます。

 田崎、岡の両氏とも修業時代、徹底的に産地を歩いていますから「この道を行くとどこに出て、この畑の向こうはどうなっていてと、まるで自分の庭のようによく知っているところが随所にある。」との本書の記述に唸りました。

 さて、ワインの味わい方です。「プロの間では、ワインの試飲の仕方が完全に様式として確立している」(同書から)というのです。順にご紹介します。

 まずは、ワインを光にかざして「見る」作業です。何十種類もある色の表現の中から的確なものを選び、表現します。「タマネギの皮のよう(向こうのタマネギの皮は赤いそう)」とか「ガーネット(宝石)のよう」とか、具体的に表現します。
 また、透明度、微小な浮遊物、オリの状況なども見なければいけません。さらには、グラスを傾けてから元に戻し、壁に残ったワインの戻り具合から、粘性を見るというのです。甘口のワインの場合は、グリセリンが多く、粘性が強いからだというんですが・・・たかが「見る」だけでも大変です。

 次の香りをかぐ作業にも2つのステップがあります。
 まずは静かにワインの表面から立ち上るだけの揮発性の匂いをかぎます(「香りの第一撃」と呼ばれます)。次に、ワイングラスをぐるぐる回して、中のワインを強く回転させます。ワインの中の様々な成分に刺激を与えてあらゆる匂いの要素を引き出すのです(「香りの第二撃」)。

 立花によれば、第一撃と第二撃では、匂いはまったく違うといいます。それを言葉でどう表現するかでプロとしての真価が問われるわけです。表現法だけで百種類以上あるといい、それらは、即物的、つまり自然界にあるものに例えられます。スミレ、ジャスミンなどの花、りんご、イチゴなどの果物、麝香、鹿の肉などの動物質のもの、はては、こげたトーストの匂い、堆肥、タバコ、ばい煙までが用いられる世界です。

 本書で知ったのですが、ソムリエ・コンクールでは、どこまで的確にワインの香りを表現できたか、その表現力が一番の評価対象になるといいます。ぴったりであれば、個性的な表現も許されますが、まずはオーソドックスな表現様式を身につける必要があり、用語集まであるというのですから。

 いよいよ最後は、口に含んで味わう番です。まず一口含んで舌で味わいます。「次に、口の中に空気を吸い込んで、その空気を口の中のワインに通して、ゴボ、ゴボとさせる。それによって、もう一度ワインのさまざまの香りを口の中に満たして、それと味との複合をみるのである。」(同書から)もちろんそれも言葉で表現しなければなりません。いやはや、こちらも大変そう。

 感覚、感性を総動員して味わった結果を、どこまで「言葉」で表現できるか。それで勝負するのがワインのプロの世界だ、というのがホンのちょっとだけ分かった気がしました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第409回 フェルメールと手紙の時代

2021-02-19 | エッセイ

 17世紀オランダの画家フェルメールの虜(とりこ)になって、若い頃から国内で作品の「追っかけ」に精を出してきました。美術展をこまめにチェックし、30数点といわれる作品のうち、25点を目にしています。

 退職を機に、夫婦でオランダに旅行したのも、門外不出といわれる彼の「デルフトの眺望」を見るのが、主な目的でした。朝一番でゆかりの地であるデルフトの美術館を訪ね、二人っきりでこの作品と向き合った時の感動は格別で、今でも大切な思い出です。

 さて、彼の作品の中に、後年「恋文」と題されたものがあり、私も日本で見ています。こちらです。

 明るい光が差し込む室内に二人の女性が描かれています。室内の人物像というのは、フェルメールでは馴染みのモチーフです。でも、なんだかドラマチックで、愉快な状況が浮かび上がります。

 楽器を膝に豪華な衣裳を身にまとい、手紙を手にする裕福そうな女主人。傍らの召使いの女性と見交わす目と目が妖しげです。
 「あの方からの手紙ですねっ」
 「あなた、見たの?」

 思わずそんな下世話なやりとりを想像してしまいます。彼氏か、ひょっとしたら夫以外の特別な人からの手紙、、、そんな秘密を共有しているであろう二人の表情がリアルです。

 「名画の謎」(中野京子 文春文庫)の著者も、この作品を取り上げ、同じような見立てをしています。が、そこは専門家、当時の社会的背景へのツッコミが興味深いです。

 「十七世紀はオランダの世紀だった」(同書から)とあります。

 スペインのハプスブルグ家による支配から、血まみれで独立を勝ち取った勇敢な国オランダ。他のヨーロッパ諸国が王政を敷く中、商業を中心とした貴族的共和制とでも呼べるような稀有な政治体制をいち早く実現していました。
 海外貿易による空前の好景気が豊かな市民社会を構築、享受していたことは、この作品の女主人の身なりからも想像できます。

 また、この国はプロテスタント国家でしたから、個人個人が聖書を読むことが奨励されていました。その結果、男子の識字率は57%、女性のそれは32%と、(日本を別にすれば)当時のヨーロッパでは突出していました。手紙もある程度は身近なものであったはずです。

 そんな商業を中心にした市民社会を支えたインフラが、他のヨーロッパ諸国より半世紀以上も先駆けて整備された郵便制度です。

 定期的で確実な配達の仕組みと合わせて、ちょっとした「技術革新」が起こりました。
 意外なことですが、それまで、手紙は開封のままやりとりするのが普通でした。相手に届くまでの間、何人もの人の目に触れるのが前提で、人々も仕方がないと諦めていました。特に、商人にとっては、商売上の秘密が漏れる困った問題です。

 それを解決したのが「封蝋(ふうろう)」という仕組みです。四角い紙の四隅を中央に集め、そこに蝋を垂らし、固まらないうちに印章(シーリングスタンプ)を押します。受取人以外が勝手に開封できません。
 主人が手にしている手紙にも封蠟してあることが、この拡大図(同書から)から見てとれます。

 個人同士でも秘密めいた私信のやり取りが可能になったことがこの作品の背景にあった、というわけです。最先端の仕組みを利用してますのよ、という自慢っぽい雰囲気も伝わってきます。現代に置き換えれば、ブログやってます、インスタやってます、、、というのもいささか色あせて、ZOOMで飲み会やってます、という感じでしょうか。
 一枚の絵からいろんなことが見えてくるものです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第408回 TV語学番組の今ー英語弁講座31

2021-02-12 | エッセイ

 若い頃、リスニング力を付けたいと「テレビ英会話中級」という番組を見始めました。週1回の20分番組で、月毎のテーマに沿った専門家との対談やインタビューが中心です。字幕はなく、冒頭と終わりに講師から簡単な解説が付くだけです。

 ナマの英語に触れる貴重な機会でしたから意気込んで見ました。でも、最初のうちは、本当にチンプンカンプンで、ところどころ単語が拾える程度。録画したビデオを何度も繰り返し見たものです。2年間ほど続けて、少しは力がついたかなあと実感できました。当時は、週1が程よいペースで、映像の魅力もあり、もっぱらこの番組に頼っていましたね。

 リタイヤ生活に入ったのを機に、あくまで趣味として英語の勉強を再開し、スペイン語を新たに始めました。以前(第378回 脱三日坊主のツール(ネットで、前週分の語学放送を、自由に聴けるアプリです。文末にリンクを貼っています))にも書きましたように、選んだツールはラジオです。比較的時間が自由になる中、レベル、内容にバラエティがあり、オーソドックスな作りのものが多かったですから。「脱三日坊主のツール」の登場も有り難かったです。

 さて、あまり関心が向いてなかったテレビの方はどうなっているのかな、と調べてみて、その様変わりぶりに驚きました。

 まずは、なんといっても人気(のはず)の英語です。NHKのホームページで、英語の語学ページとして紹介されているのは、次の8番組(データは、2020年度下期(10月ー3月))です。

 ・もっと伝わる!即レス英会話(週5回 各10分)
 ・エイゴビート2(週1回 10分)
 ・ボキャブライダー(週2回 各5分)
 ・知りたガールと学ボーイ(週1回 15分)
 ・基礎英語0(ゼロ)(週2回 各10分)
 ・リトル・チャロ(週1回 10分)
 ・世界にいいね!つぶやき英語(週1回 25分)

 後ほどご紹介するNHKのアプリで、いくつか内容をチェックしたんですが、タイトルからも想像がつく通りの軽いノリ、バラエティ感覚の作りです。放映時間の合計も、2時間20分(再放送を除く)ですので、「じっくり、みっちり勉強したい」派には、物足りないかも知れません。「即レス英会話」の一画面です。内容は画面からご想像ください。

 昔、「教育」テレビと言っていた頃は、もっと「まともな」語学番組が、もっと「たくさん」あったと記憶しています。「Eテレ」と可愛げな名前になったのはいいのですが、視聴率とやらを気にしてでしょうか、ウケ狙いの番組作りが先行して、「教育」を置き忘れているように感じます。

 さて、英語以外の言語ですが、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、ロシア、ハングル、中国、アラビアと、一応8つの言語がラインナップされています。放送は週1回、各25分ですが、放送時間は深夜0時からとか、早朝6時からとかいうのばかりです。随分片隅に追いやられ、冷遇されています。

 もちろん録画という手もあるのですが、ネットの世界に慣れてしまうと、予約録画して、テレビの前で再生して見る、という一連の手続きが面倒に感じます(テレビ離れが進んでいる私の場合は特に)。

 そこでちょっと便利なツールのご紹介です、「NHKプラス」というスマホ用のアプリです。NHKの「総合」と「教育」の番組がリアルタイムで視聴でき、アカウントを登録すれば、1週間まで遡って、ほぼすべての番組を視聴出来ます。
 androidとiPhoneに対応(iPadにもダウンロードはできますが、リアルタイム視聴の機能しかありません(2020年12月現在))。見逃し番組の検索画面(iPhone版)です。

 ラジオ中心で続けてきた私のスペイン語ですが、このアプリで、「旅するためのスペイン語」の視聴を始めました。ノリの軽さは英語とそう変わりませんが、週に一度、手のあいた時間にサクっと利用できるのが気に入っています。

 便利なツールも登場していることですし、テレビとラジオをうまく使い分けて、ちょっぴり知的な趣味として外国語に親しんでみてはいかがでしょうか。この情報がお役に立つことを願っています。

 冒頭の方でご紹介した記事(第378回 脱三日坊主のツール)へのリンクは<こちら>です。

 それでは次回をお楽しみに。


第407回 ゴダール式読書法

2021-02-05 | エッセイ

 永年読書に親しんできましたから、本のタイトルや著者名を見れば、好みに合うかどうかは、ほぼ間違いなく判断できるつもりです。それでもハズレはあります。
 そんな時は、作家・立花隆の「どんなつまらない本でも、何か得るところはあるから、最後まで読むべき」とのアドバイスに概ね従ってきました。

 でも、読書人の中には、いろんな本の選び方、読み方をする人がいるものだなあ、と「不良のための読書術」(永江朗 筑摩書房)を読みながら感じました。

 とりわけ著者が奨める「ゴダール式読書法」(著者自身の命名)というのがユニークです。
 ゴダールは、フランスの映画監督で、「勝手にしやがれ」、「気狂いピエロ」などの作品で知られ、1960年代を中心にヌーベルバーグの旗手として活躍しました。こちらの方です。

 著者によれば、ゴダールは、映画を観るのも好きだったようです。ただし、1つの作品を見るのは、せいぜい20~30分くらい。やおら席を立って、次の映画館へ、という繰り返し、つまり短時間での映画のハシゴをもっぱらにしていたと伝えられています(もったいないなぁ)。

 で、永江は、読書もこの方式でいけ、というのです。「本はテキトーなところを20~30ページ読めばいい。こんな簡単なことを発見した瞬間、ぼくの人生は変わった。」(同書から)

 とてもじゃないですが皆様におススメできません。私も実践する気は毛頭ないのですが、著者の「過激な」主張にしばし耳をお貸しください。

 この方式に出会うまで、著者にとって読書は苦痛だったといいます。「本は買ったら必ず読まなければならないもの、必ず最後まで読み通さなければならないものだと思い込んでいたから」(同書から)というのです。せっかく買ったのだから読まなければという貧乏性が足を引っ張っていたと告白しています。これは、私も全く同感。が、そこで、彼が出会った、というか発見したのが「ゴダール式」というわけです。

 そこまで割り切れた理由は「1冊の本を選ぶことは、同時に他の本を読む可能性を棄てることである。」(同書から)という言葉に集約されています。
 人生で読書に当てられる時間は限られている。それなら、1冊あたり20~30ページだとしても、もっともっと多くの本を読む道を選ぶのが本当の本好きだ、というわけです。

 とはいえ、とても我々にはできません。ムダを承知で、永江の方法論に、興味半分でもう少しお付き合いください。

 本を手に入れたら、適当にページを開き、20~30ページ読むだけでいいというのです。小説の場合だとやや長めで1章まるごととか、短編集だと1編だけというのもありですが、それでも、50~100ページ、時間にすれば1時間くらいで「これぐらい読めば、たいていの小説は「わかる」」(同書から)というのが彼の主張です。う~む。

 一方で、ゴダール式読書法で一番難しいのは、その本のどこを読むかであるとも書いています。それじゃあ「適当に」というのと矛盾してると思うんですが、専門書とか、啓蒙書なんかだとそれも大事かも。
 で、その手の本の著者が一番力を入れるのは、書き出しだから(永江はこれを「ツカミの法則」と名付けています)、最初の方だけ読めばいい、というわけです。落語だったらマクラ、漫才だったら、最初のやりとりでいかに客を笑わせるかが勝負だから、とちょっと強引な理屈も持ち出しています。
 で、少しでも多くの本を読むためのゴダール式ですから、著者は、さらに速読のテクニックにも触れています。

 テクニックその1は、小説とかエッセイなら、会話文だけを追えというもの。その2は、専門書とか実用書の場合は、キーワードだけを拾っていけというものです。
 う~ん、そこまでしてたくさんの本を読みたいとは思いません。面白い本に没頭するーームダな時間の過ごし方のようですが、それが読書の醍醐味ではないか、と思ったりします。

 結局、永江の主張、方法論を私なりに解釈して、「ハズレの本は、あれこれ考えず、早めに「見切る」」ことにしました。

 先日も「すごい物理学入門」(カルロ・ロヴェッリ 河出文庫)を、このブログのネタにでもなれば、と、あまり中身も確かめず軽い気持ちで購入しました。結果は残念ながらハズレ。
 アインシュタインの一般相対性理論は15ページ、量子論は13ページで済ませています。とても理解できません。というわけで、早々に「見切り」ました。
 永江の過激な本も、ワタシ的にはこんなところで役に立ったようです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

‹追記›2022年9月14日、ゴダール氏が91歳で亡くなったことが報じられました。ご冥福をお祈りします。