★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第347回 「不便だからいい」の研究者

2019-11-29 | エッセイ

 世の中にあるモノとかサービスが「便利」になることは「進歩」であり、いいことだ、というのを多少の疑問は持ちつつ、漠然と信じてました。だけど、「不便だからこそいいこと、うれしいことを探すことをライフワークとしている」先生,いわば「不便の研究家」の話を読んで、目からウロコが落ちました。

 「京大変人講座」(三笠書房)という「変人」先生の「変な」研究を紹介する本に登場する川上浩司さん(京大情報学研究科特定教授)がその人です。

 「手間がかからず、頭を使わずにすむこと」が便利だとすれば、「手間がかったり、頭を使わなくてはいけないこと」を「不便」と定義するところから、先生の「研究成果」の紹介がスタートします。

 まず持ち出されるのが、「ねるねるねるね」という子供向きのお菓子。クラシエというメーカーが出していますが、入ってるのは粉だけ。それを付属の容器に出して、水でよく「練る」ことで食べられるようになります。お菓子作りの最後のひと手間をユーザに任せる「不便な」商品ですが、それを上回る楽しさ、遊び心がウケて、人気商品だとか。同じメーカーは、「甘栗むいちゃいました」という名前の通り、甘栗の皮をむく手間を省いた「便利な」商品も出しているのが笑えます。

 次に例として挙げられているのが、小学生の遠足のおやつです。今はどうか知りませんが、私が子供のころは、「300円まで」のように上限が決められてました。不自由で不便な制約です。でも、だからこそ知恵を絞り、友だちとお菓子を分担して買って、少しでも多くの種類が食べられるよう工夫をしたりしました。不便さには、モノの価値を上げ、モチベーションを高める効果があるのですね。

 そういえば、俳句もなにかと制約の多い「不便な」文芸です。五七五の定型、季語に加えて、句会では兼題というシバリまでかかります。だからこそ、そんな中での工夫が楽しい、そして続けられるのだ・・・・とこれは、私が思いついた事例ですけど。

 「バリアフリー」を謳う高齢者用施設が多い中、あえて「バリアアリー」(「バリアあり」のダジャレです)を売りにしているのが「夢のみずうみ村」(山口県)というデイケアセンターです。
 例えば、「フリー」だと「つまづくと危ないから」という理由で、段差をなくすのですが、「アリー」ではあえて設けます。足の上げ下げという運動を日常生活に組み込み、意識させることで、カラダが衰えるスピードを低減させる効果があるというのです。障害物に色や模様を付けたり、熟練のスタッフを配置したりと、安全対策への配慮も怠りなく、入所は順番待ちが出るほどの人気なのもうなずけます。

 足でこぐ車いす<COGY(コギー)>というのがあります。
 足が不自由な方のためのもので、矛盾しているようですが、車いすを必要とするものの、片足だけは動く、とか、力が弱まっているだけという方も少なくありません。動く足を動かさずに楽に移動するよりも、少し大変でも動く足を使って異動する方が、人は喜びを感じるといいます。ご覧のように、前方に突き出た2つのペダルを、自転車のようにこいで、前進する仕組みです。使う人の立場になって初めて分かることがある、というのをあらためて痛感します。


 さて、車の運転というのは、考えてみれば、アクセル、ブレーキ、ハンドルなど「面倒な」操作の連続です。だから、それらを自動化して「便利で楽に」してしまおうと自動運転車の開発が進み、「技術的には」ほぼ完成の域に達しています。だけど、運転の楽しみのひとつは、そんな面倒な操作を通じて車という機械を自在に操っているという快感じゃないでしょうか。現に、ヨーロッパでは、クラッチ操作が必要なマニュアル車が主流だといいます。そんな楽しみ、快感を奪う自動運転にどれだけのニーズがあるのかな、というのが、日頃から感じる私の疑問です。

 それというのも、本書で、航空機の自動操縦が取り上げられているからです。いまやその技術は完成の域に達し、パイロットの仕事は、計器の監視となっているといいます。「自分で操縦したかったらしてもいい」というのが航空各社の方針だそう。これじゃぁ、散々操縦訓練をし、山ほど勉強した末に手にした資格、技倆の発揮のしようがありません。心あるパイロットは、操縦勘を衰えさせないため、あえて自ら操縦する機会を増やしているといいます。究極の「楽で、安全」を目指した航空機の自動化が、パイロットのモチーベーションの低下という負の効果をもたらしているというのがなんとも皮肉です。

 う~ん、私も、川上先生にならって、(ライフワークとまでは行きませんが)身のまわりにある「不便だからこそいいこと、うれしいこと」を探したくなりました。皆さんもいかがですか?

 それでは、次回をお楽しみに。


第346回「反買い物運動」の伝道師

2019-11-22 | エッセイ

 「感謝祭(サンクスギビング・デイ)」が近づいてきました。ん?と思われる方が多そうですね。11月の第4木曜日と決まっていて、今年は28日に当たります。アメリカ人にとっては、大切な祝日です。

 イギリスからアメリカに渡って来た初期の移植者たちが、その年の収穫に感謝して始めた行事とされています。年に一度、普段は離れて暮らしている家族も集まって、食事などで絆を深めるしんみりした行事のはずだったんですが、近年、だいぶ様相が変わりました。

 それというのも、翌日の金曜日が「ブラック・フライデー」と呼ばれる狂乱怒濤の日になるからです。70年代頃からのことだというのですが、大規模小売店が、一斉に大売り出しを始める日なのです。クリスマスまで続く大規模商戦の初日ですから、お店もとにかく力を入れます。おかげで、お客が殺到して、お店は大儲け。黒字=ブラック、というわけです。

 モノによっては6割引、7割引、普段は何万円もするデジタル機器が10ドル以下とか、ゲーム機がほとんどタダ、などと各店も目玉商品を用意しますが、数は限られます。なので、熱心な客は、前日の早い時間から並びます。家族揃ってのディナーどころではないという本末転倒の事態です。寒い時期ですから凍死者が出たり、当日は当日で、商品に殺到する客同士が衝突してケガ人が出たりの大騒動は、アメリカでは、ニュースの定番です。2018年の狂乱ぶりです。


 そんな買い物に狂奔する人がいる一方で、それをケシカラヌとして、「反買い物運動」というアクションを起こす人がいるのもアメリカという国です。以前(第322回「裁判でマジックショー」)に紹介した「コラムの花道 2007傑作選」(TBSラジオストリーム編 アスペクト刊)という本から、もうひとつ、町山智宏氏(アメリカ在住の映画評論家)が語る「反買い物運動」をとり上げることにします。

 さて、その運動のリーダーが、「ビリー牧師(本名Bill Talen)」なる人物です。ドリフターズの少年少女合唱隊みたいなスモックを着た「使徒」10名くらいを引き連れて、店に乗り込んでは、過激なパフォーマンスを繰り広げます。こちらがその方で、頑固に信念を貫きそうな面構えでしょ。


 「皆、聞け!無駄な買い物は罪だ!悪魔の誘惑だ!ショッピングを今すぐやめないと神の裁きが下るぞ!ハレルヤ!」などと説教を始めたり、「買い物やめろ、買い物やめる」とゴスペルの大合唱をやったりします。牧師と使徒との一問一答形式パフォーマンスの、クリスマス版です。

 「クリスマスって、そもそも何の日なんだ?」
 「貧しい人々を救うために主イエス・キリストが生まれた日です!」
 「じゃあ、なぜその日にiPhoneだの、ニンテンドーだのを買うんだ!?関係ね~だろ!」
 「そうで~す」と答える使徒一同。更に、牧師の質問が続きます。
 「主イエスが一度だけ激怒されて、暴力をふるわれた時がある。それはいつだ?」
 「欲に目を血走らせた商人を蹴散らしたとき、その一度だけです!」
 「ならば、主が一番憎んでいることはなんだ?」
 「買い物です!!ハレルヤ!!」

 主イエスの暴力云々は、聖書に書いてある事実で、キリスト教原理主義的色彩が強い運動ですが、実は、ビリー氏のグループは、宗教団体ではなく、どこかの宗教団体からお墨付きを貰っているわけでもなく、正式の「牧師」でもない、というのです。
 活動のきっかけは、9・11テロの翌日に、ブッシュ大統領が行った「アメリカ経済を救うために買い物をしろっ!」という演説に溯(さかのぼ)ります。
 
 買い物しても儲かるのは、経営者、オーナーだけ。大規模ショップが雇用を産み出す一方で、小さな店は潰れていく・・・・そんな現状への疑問と、キリスト教原理主義的信念に加えて、パロディ精神がビリー氏の活動の出発点のようです。

 そして、町山氏によれば、ビリー牧師を突き動かしている要因がもうひとつあるというのです。それは、同じビリーですが、ビリー・グラハムというテレビ伝道師の存在です。

 ビリー牧師の主張するところによれば・・・
 グラハムのようなキリスト教原理主義者であれば、金儲け主義の世の中とか、地元のビジネスを壊す商売に反対すべきである。なのに、テレビ(今ならネット)を通じての寄付金集めにうつつをぬかしている。誰もそれを批判する活動をしないから「オレがやる」、というわけです。
 なるほど、世俗化したキリスト教原理主義への批判というひとひねりが加わってました。

 とはいえ、お店にとっては大迷惑で、営業妨害ですから、警察に通報されて留置されることもたびたびですが、懲りることなく活動を続けるビリー牧師と仲間の皆さん。信念を貫き、わずかな寄付金だけで貧しいアパート暮らしに甘んじる彼の生き方に共感を覚えます。
 今も元気に活動をしておられるのでしょうか?一緒に活動までは出来ませんが、「無駄な買い物は罪だ」の一点で友だちにはなれそうな気がします。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第345回 大阪弁講座-38「よういわんわ」ほか

2019-11-15 | エッセイ

 第38弾をお届けします。

<よういわんわ>
 この言葉で思い出すのは、戦後まもなく流行った笠置シヅ子の「買物ブギー」(作詞:村雨まさを)です。彼女のこんな写真が残っています。元気そうなオバさんでしょ。


サビの歌詞はこんな具合です(YouTubeで歌を聴けます。文末にリンクを貼っておきました)。

  何が何だかさっぱりわからず/どれがどれやらさっぱりわからず/何も聞かずに飛んでは来たけど/何を買うやら何処で買うやら/それがゴッチャになりまして/わてほんまによういわんわ(繰り返し)


 最後のフレーズを解説します。
 「わて」は自称です。男性が使うことが多いようですが、女性も「年配になると」使用可能になります。「ほんまに」は「本当に」、「よう」は「よく、うまく」、「いわんわ」は「言えない、説明できない」とでもなるんでしょうか。
 誰のせいでもない、自分のアホさ加減、ミスが招いた状況に、呆れ返りながら、「自分でもどう説明したらいいのか分からない」と、自虐的に発するのが本来の意味合いです。

 とはいえ、そこまで考えてるわけでなく、「しもた(しまった)」「ほんまアホやった」などの「気持ち」を反射的に表現して使うことも多いです。この歌でもその意味合いで使われています。しばしば「う」が脱落して、「よいわんわ」となるのは、大阪人におなじみの短縮グセです。

 自分に対してだけじゃなく、相手に対しても使えるんですね。大阪の漫才の締めの言葉の定番です。思いっきりボケた相手に「よういわんわ」
 「開いた口がふさがらん」とか、今風だと「コメントのしようがない」がぴったり。時に、「いい加減にしとき」とか「付き合いきれんわ」という「気持ち」まで表現できます。

 以上がいかにも大阪弁的な用法ですが、ごく普通の使い方もあります。例えば、「あの子、威張ってるから、面と向かってキライや言うたり」のような無理な要求があった時です。
「いやや。そんなん「よういわんわ」」
 とても言えない、言うのは勘弁して、という字義通りの使い方ですね。一応、付記しておきます。

<得心(とくしん)>
 広辞苑には「十分に承知すること。納得すること。」と説明があります。
 でも、関西以外で使われてるのは、あまり聞いたことがありません。古風な言い回しが、現役ばりばりで使われてるお馴染みの例になります。

 まずは、広辞苑にもあるように、「承知する、納得する」という意味での用法。

 「ワイの説明で、「得心」してくれたんやな。あとは、あんたが、自分でやるだけや」とか、「なんや「得心」でけへん(できない)いう顔してるけど・・・もういっぺん、最初から説明したろか?」
 「当然理解してしかるべきことを、理解なり承知する」というニュアンスを含んだ言い方で、ちょっと上から目線的、イヤミ的に使われることが多いように思います。

 もう一つの意味合いは、「十分に満足する、気が済む」ということ。
 「本人がそこまでやりたい、やりたい言うてんねんから(言ってるのだから)、「得心」いくまで、やらしといたらエエがな」
 ただし、こちらも突き放したような冷たい響きがありますなぁ。

 冒頭でご紹介した『買い物ブギー」のYouTube動画は、<こちら>です。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第344回 司馬遼太郎の目配り

2019-11-08 | エッセイ

 司馬遼太郎の小説、エッセイが好きで、幅広く読んできました。


 




 先日、古書店で、「歴史のなかの邂逅」(2011年 中公文庫)という(私には)見慣れない彼のエッセイシリーズの1冊が目にとまりました。歴史上の人物をキーに、作品のあとがき、エッセイなどを、時代区分、テーマ別に、8巻立てに編集したものです。

 誰もが知ってる有名人、彼が取り上げたおかげで有名になった人物のエピソードも盛りだくさんですが、作品化には至らなかった無名の人物にも目配りを忘れない司馬の心根に引かれて、残る7冊も古書店巡りでゲットしました。その中から、無名、ほぼ無名の人物2人を紹介することにします。

 まずは、「所郁太郎(ところ・いくたろう)」(第6巻「「美濃浪人」あとがき」ほか)から。

 幕末、長州に身を寄せていた人物です。当時、この藩は、倒幕派と保守派の対立が激しく、高杉晋作を筆頭とする倒幕派の一員に「井上聞多(もんた)」という男がいました。彼が、ある日、藩での会議が終わって、自宅近くまで帰ってきたところで、数人の凶刃に襲われ、さんざんに切られ、瀕死の重傷を負うという事件が発生します。

 家族が駆けつけた時は、虫の息で、駆けつけた二人の医者もさじを投げ、本人も兄に向かって、首を落としてほしいと手真似で懇願するに至ります。そこへ母親が、井上の背中に抱きつき、兄に向かって「この母とともに切れ」と叫んだため、兄も刀を納めざるを得ませんでした。

 そんな騒ぎの中、偶然、家に入ってきたのが「所」です。井上に励ましの声をかけ、激痛を伴う手術を受けることを承知させます。13カ所にも及ぶ傷の大手術が終わって、井上は命を救われます。当時、なぜそれほどの技術を持った人物がいたのかを調べていた司馬は、見つけたのです。

 幕末を代表する科学者緒方洪庵の「適塾」の入門帳に、本人らしき筆跡で、
 <万延元年八月十五日入門 美濃赤坂駅 所郁太郎>
 とありました。当時の「適塾」の外科医術のレベルの高さをうかがわせるエピソードです。

 さて、その後の所と井上です。
 所は、この事件の翌年、チフスで病没しています。
 一方、井上は、馨(かおる)と名を改め、維新政府の中枢に昇りつめます。大蔵大輔(副大臣相当)時代には、汚職事件に関与し、辞職する一方、のちに初代外務大臣として、不平等条約の改正にも取り組むなど、良くも悪くも、独特の存在感を発揮しました。
 そんな井上の命を救ったことになる郁太郎は、泉下で何を思うのでしょうか。

 さて、もうひとりは。「金六」(第3巻 「要(い)らざる金六」から)です。

 徳川家康が、秀吉から関八州の大守に任じられ、江戸に開府したばかりの頃のことです。まだまだ粗末な江戸城の大手門の前に「金六」という名の男がいつもうずくまっていました。60歳代で、家業は息子にでも継がせていたのでしょうか。家康が行列を組んで外出する時には、声をあげ、おおげさに平(へい)つくばります。それが趣味だったのです。
 家康も、彼の顔と名前を覚えてしまって、見かけると乗り物の戸を開き、「金六」と声をかけながら、その大仰な様子に可笑しさを隠しきれす、微笑んだとあります。
 「(金六は)この微笑を待っていたかのように飛びあがり、行列の先頭へゆき、行列を先導するのである。(中略)「上様のお通りであるぞ。町の者ども、おがみ奉れ」とどなりながら」(同書から)

 それまで関東の地にまったく縁のなかった家康にすれば、これを「政治的に」利用しない手はありません。「金六」と声をかけるだけで、民衆のウケも期待出来るし、下々の者にもやさしい人柄というイメージ(あくまでイメージですが)を与えられますから。
 金六の方はといえば、家康の覚えがめでたいということで、すっかり町の人気もの、実力者にのしあがり、喧嘩の仲裁にまで乗り出す始末。その辺まではよかったのですが、増長した彼は、勝手に町内を巡回し、落ち度があれば、厳しく咎めたてたり、ひとから頼まれもしないのに横合いからあれこれ指図するようになります。
 誰言うとなく「要(い)らざる金六」という言葉が江戸中で広まるほど嫌われ者になったといいます。それでも、「権力」を維持する目的で、月に何度かしかない家康の外出のために、毎日、大手門外でうずくまり続けた金六。

 つかみどころのない権威・ご威光を笠に着るのが庶民。それにすがったり、おもねったりするのも庶民。そんな上に立って、ホンモノの権力を巧みに操る為政者ーそんな構図をくっきり浮かび上がらせる示唆に富むエピソードです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第343回 笑いも世につれーさんま、たけし、タモリ論

2019-11-01 | エッセイ

 相変わらずのテレビ離れで、若い頃は、大いに笑い転げた「さんま」とか「たけし」とかの大御所の名前を番組表で見かけても、「見飽きたなぁ」感が先に立って、リモコンに手が伸びません。

 そんな折、「東洋経済オンライン」というビジネス誌のウェブサイトで、お笑い評論家のラリー遠田氏が、「明石家さんま」を「老害化する笑いの天才」と断じている記事が目に止まりました。社会性、批評性に富むレベルの高いもので、私も大いに頷くところが多かったです。

 ついでなので、「たけし」と「タモリ」については、まったくの私見を書き加えて、ご紹介しようと思います。

 さて、ずっと好感度上位のタレントで、存在感を示し続けてきた「さんま」に、今年、異変が起こりました。氏の記事によれば、「日経エンタテイメント」(2019年8月号)の「好きな芸人・嫌いな芸人」調査で、嫌いな芸人の第1位になってしまったというのです。

 「いい彼氏ができたら仕事を辞めるのが女の幸せ」といった古い価値観の押し付け、「カトパン(加藤綾子)を抱きたい」とのセクハラまがいの発言、最近では、性別非公表のタレントのりんごちゃんに対して、「りんごちゃんなんかは男やろ?」と詰め寄って、顰蹙を買ったりという言動が重なった結果ではないか、というのが氏の分析です。昔ならともかく、性差別、LGBTへの意識が高まっている現在、「セクハラ芸」で笑いを取りに行くのはナンセンスでしかありません。

 「さんま」のもう一つの弱みとして、氏は、ビートたけしの「バカ論」(新潮選書)での「さんま評」を引用しています。< >内が引用です。
<バラエティ番組の中で、素人でも誰でもどんな相手だろうときちんと面白くする。けれど、相手が科学者や専門家の場合、結局自分の得意なゾーンに引き込んでいくことはできるし、そこで笑いは取れる。でも、相手の土俵には立たないというか、アカデミックな話はほとんどできない。男と女が好いた惚れたとか、飯がウマいマズいとか、実生活に基づいた話はバツグンにうまいけど。>

 「爆笑問題」の大田光なんかが、ニュースショーで(テレビ的に)気の利いたコメントができるタレントとして「重宝」されているのを見るにつけ、なるほど、お笑い芸人にも、幅広い教養が求められる時代だと気付きました。むしろ、「さんま」のように、今更芸風を変えようもない、時代遅れの芸人を使い続けるテレビ業界の見識が問われそうです。

 さて、ビートたけしといえば「赤信号、みんなで渡ればこわくない」を思い出します。徒党を組んで悪事を企てる連中を揶揄するのに使われるほどの毒と批評性に富んだギャグでした。
 また、パーソナリティを務めたラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」では「この番組はナウな君たちの番組ではなく、完全にオレの番組です」と公言して、世にはびこる偽善に痛烈な矢を放つなど、まさに一時代を画す活躍、人気ぶりでした。当意即妙、放送コードギリギリの危ないジョークのキレも鋭く、底知れぬ才能で、私も大いに楽しませてもらったひとりです。

 最近も、時折、「たけしのなんとかかんとか」などと銘打った冠番組を、番組表で目にします。う~ん、ちょっと気にはなるんですけど、「昔の名前で出てる」感は否めず、スルーしています。

 と、ことほど左様に、世の中がどんどん変わる中、お笑いの世界で、長期にわたって、人気と鮮度を保ち続けることは、いかに才能があろうとも難しいようです。

 そんな中、時代の流れを読んで、巧妙な変身で、独特の存在感を保ち続けているのが「タモリ」ではないでしょうか。
 その登場は衝撃的でした。イグアナの形態模写、4ヶ国語麻雀、そして「ハナモゲラ語」では、日本語をオモチャにするなど、従来の枠に収まりきらないアナーキーな芸風でした。でも、それだけで生きていけるほど甘くはない、と本人も感じたのでしょう。ほどなく「笑っていいとも」(フジテレビ系列)という格好の舞台を手にしました。

 あらゆる分野のゲストとの日替わりトークでは、彼の教養と笑いのセンスが存分に発揮されました。また、自らが芸を披露するというよりは、いろんな芸人を呼んで、育てるプロデューサー的役割もこなす活躍ぶりが光っていました。

 31年間続いた「いいとも」が、2014年に終わって、どうするのかなと見ていると、なんと「NHK」から、しかも「教養番組」、さらに、「ここ一本に絞って」デビューしました。そう、「ブラタモリ」です。

 全国各地を訪ねて、その地ゆかりの歴史ウンチク話を披露する趣向で、しっかりした台本があるはずです。でも、例えば、京都に残る秀吉時代の遺構である土塁の一部を指して、「これは、御土居(おどい)ですね」とタモリが語ると、いかにも自然で、嫌味なく聞こえます。ベースにある教養のなせる技でしょうか。若いおネエちゃんと一緒で、ホントに嬉しそう。


 でも相変わらず「非NHK的な」黒めがねで登場してるのが不思議です。ーーーいまや「NHK御用達」で、「教養番組」をやってますが、お笑い芸人としてのブランド、原点も忘れてはいませんよ、むしろ、そのギャップを楽しんでほしいーーーそんなメッセージを込めているのかなと想像しています。

 「歌は世につれ」と言いますが、「笑いも世につれ」ないと生き残れない時代なのでしょう。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

<追記>後ほど関連した話題を、「第387回 笑いのヨシモトー強さの秘密」としてアップしています。

リンクは<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。