★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第244回 ジェームス・ディーンのポルシェ

2017-11-24 | エッセイ

 私は、「不思議なこと」が割合と好きです。

 でも、「とんでも科学」とか「超常現象」とかを、まるまる信じているわけではありません。  
 「現在の」科学で説明できないことを、一刀両断に非科学的とか、単なる偶然とかで切って捨てるのはどうかな、と思うだけ。
 不思議なことを、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ~」「なんでやろ~」と単純に愉しみたいクチ。

 「100万分の1」(ピーター・ハフ 片岡みい子訳 文春文庫)は、副題に、「驚異の奇跡体験141」とあるように、偶然の一致にしては、あまりにも出来すぎてたり、信じがたい奇妙なエピソードを集めた本で、私の好みに合う。その中から、ジェームス・ディーンの車にまつわる話が「不思議やな~」と思うので、ご紹介します。

 ハリウッドの伝説的俳優ディーンが車の事故で亡くなったのは、我々団塊世代が小学生の頃。ご存知こちらの方。


 マイカーなんて夢の夢。まわりを走ってる車といえば、トラックとかバスばかり。俳優という華やかな仕事とはいえ、スポーツカーの事故で死ぬとは、アメリカって、なんて豊かな国なんだ、と思ったことが、記憶に残っています。
 この本を読んで、その死の状況や、事故を起こした車のその後に、結構、謎めいた「偶然」があることを知って、興味をひかれました。

 ディーンが、運命の車と出会ったのは、1955年の夏、ロスアンゼルスのある邸宅の前。シルバーグレイのポルシェ・スパイダーを一目で気に入った彼は、その車を譲り受け、「嫌われ者(リトル・バスタード)」と名付けて、愛車とします。

 しかしながら、俳優仲間や叔父、そしてレーシングカーの世話をしていたスタッフなどの誰もが、その車のことを、なんだか不吉な感じがする、と言う。本人も「自分はどうせスポーツカーを運転中に死ぬだろう」と冗談を飛ばしていたという。

 そして、運命の10月1日。ディーンは、スピードレースに参加するため、整備担当を横に乗せて、ロスアンゼルスから、高速に乗ります。見通しもよく、車も少ない中、愛車の実力を試すため、ディーンは、アクセルを思い切り踏み込みます。

 と、そこへ、学生が運転している対向車線のセダンが、なぜか、ディーンの車のほうへ進路を変更してきます。急な事態に、ディーンのブレーキは、間に合わず、両車は、正面衝突します。ディーンは即死。これだけの事故にもかかわらず、同乗していた整備担当も、相手の学生も無事、というのがまず不思議。

 さて、事故を起こしたポルシェは、まるで呪われた車のように、関係者に次々と災いをもたらします。
 
 部品を使うため事故車を譲り受けた男のガレージで、荷下ろしを手伝っていた整備工の上に、ポルシェが落ち、整備工は、片足を骨折した。

 エンジンを譲り受けた医師は、そのエンジンで走ったところ、コントロールが効かなくなり、死亡。ドライブチェーンを譲り受けた別の医師もそれを取り付けた車で、重傷を負う事故を起こしている。

 二本のタイヤを譲り受けた愛好家は、それにはきかえて走った途端、パンクし、危うく死にかけた。また、事故車から記念品を持ち帰ろうとしたファン数人が、部品の取り外しの時に、ケガ。

 事故車が見せ物として、巡回展示中もトラブル続き。3回目の展示会の時、保管していた倉庫で火災が発生し、倉庫は全焼した。しかし、なぜかポルシェだけは、まったくの無傷だった。 
 次の展示会では、ポルシェがスタンドから落下し、見物人が腰の骨を折ったり、搬送中のトレーラーが衝突事故を起こして、ドライバーが死亡したりと災難続き。

 まさに呪われたとしかいいようのないこのポルシェのその後ですが・・・・
 1960年、展示会を終え、フロリダから、トラックで、返却のため、ロスアンゼルスへ送られました。トラックは確かに、着いたのですが、なぜかポルシェは影も形もなくなっていた。いまだに「行方不明」というから、最後まで「不思議な事件」で、私の「不思議やな~」心をくすぐり続けています。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第243回 アメリカ的不在配達対策

2017-11-17 | エッセイ

 宅配業界がなにかと大変なようです。我が家もネット通販とかを、そこそこ利用してますので、ドライバーさん達のご苦労がよくわかる。受け取った時には、必ず「ありがとうございます」と声を掛けてます。
 朝早くから、夜遅くまで、とにかく時間に追われる仕事で、ドライバー不足もむべなるかなという状況です。

 宅配会社も、料金値上げ、時間指定の見直し、働く人たちの労働条件改善など、いろいろ取り組みを進めているようですが、なかなか先が見えません。

 で、誰しも考えるのは、せめて「再配達」が減らせれば、ということだと思います。

 我が家は、誰かが家にいることが多い方ですが、たまたま不在だったり、チャイムを聞き逃したりで、再配達になることが、時としてあります。再配達を手配し、指定した時間帯には、在宅して、など、それなりのストレスも感じます。

 配達業者さんも、同じ荷物を2度運ぶことになるわけですし、再配達連絡票の作成、再配達の連絡受けなど、付帯する作業が多く、負担にはなってるはずです。

 不在であっても、確実に配達でき、確実に受け取れる仕組みとして、「宅配ボックス」の実証実験が、2016年12月から、2017年3月まで、福井県あわら市で行われました(そのほかにも、いろんなレベルで、似たりよったりのアイディアと仕組みの実験がおこなわれてるようです)。

 共働き家庭106世帯に、配達、受け取りのセキュリティが施された「宅配ボックス」(ミニ冷蔵庫くらいの大きさです)を、玄関先などに設置して、実験が行われました。家電メーカーと、宅配業者2社が参加しました。

 実験の結果ですけど、再配達率は、ボックス設置前の49%が、8%まで減り、配送評者の労働時間が、期間中、一人当たり223時間減るなど、効果があった、と発表されました。
 共働きですから、設置前の数字が高いのを割り引いても、それなりの効果はあったようですが、設置費用、大きさの制約、複数個の配達ができない、など今後の課題も見えてきたようです。(後記:現在(2020年)では、開発が進んでいるようで、これもそのひとつ)



 さて、広大な国土のアメリカでも荷受人不在時の対応は、頭痛のタネのようです。日本と違うのは、不在だとドアのところに置きっぱなしで、配達完了とする業者が結構あるということです。ちょっと信じられませんが、車で乗りつけて、玄関先に置いてある宅配荷物を盗んでいく犯行の映像を見せられると、唖然とします。それで盗まれる荷物が、年間1100万個に達するというんですが、そりゃ、まあ当然でしょうね。

 それなら、不在であっても、「家の中に」荷物を置いていけるシステムを作ってしまおう、と考えるのがアメリカ人です。「新しいことやりたがりの」amazonが実験を始めた、と海外のニュースで報じられていましたが、こんな仕組みです。

 実験に参加する家には、ドアに、スマート・キーと呼ぶデジタル信号で解錠できる錠を設置します。
 そして、ネットでドア付近を監視できる専用のモニターカメラを、「室内側に」設置します。費用の方は、200ドルほどとか言ってましたから、2万円くらいでしょうか。実験といいながら、カネを取るのが、いかにもアメリカ的。

 配送業者は、配達先の玄関に着くと、スマート・キーに到着した旨の信号を送ります。ネットを介して、スマホでその情報を受けた荷受人は、1回限りの使い捨て解錠用のコードを、配達人の端末に送ります。
 配達人は、そのコードで、解錠し、荷物を室内に置いて、配達完了です。

 配達人に、けしからぬ振る舞いがないかどうかは、荷受人が、室内に設置したモニターから送られてくる映像を、スマホで、即チェックできますから、ご心配なく、というわけです。

 家の人が、普段、出入りする時に、スマート・キーの施錠、解錠をどうするかまでは伝えられませんでした。錠がスマート・キー1個だけになるわけですが、防犯上、大丈夫なのかな、などと合わせてちょっと気になりました。

 う~む、でもまあ、家が不在がちで、荷受け件数も多い人にとっては、便利なんでしょうねぇ。
 利用すれば、スマホから、ますます目が離せなくなりますけど・・・

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第242回 連続殺人事件ーその周辺の気になること

2017-11-10 | エッセイ

 座間市で起きた連続殺人事件(現在判明している被害者は9人)の凄惨さ、異様さには言葉を失います。事件そのものは、とても私なんかの手に負えませんので、その周辺で見えて来た「気になる」2つの事を話題にしようと思います。ちょっと重たいテーマで、私の苦手な分野ですが、よろしくお付き合いください。
 
 ひとつは、先日も、お店のマスターと話したのですが、監視社会化が想像以上に進んでいるなぁ、ということです。

 最初に被害者と判明した女性の兄が、ネットを駆使して、不審な交際相手に関する画像を含めた情報を警察に提供し、それが、犯人逮捕につながったのは、いろいろ報道されている通りです。

 被害者女性と犯人の二人が一緒にいる映像は、駅構内だけでも、何カ所ものカメラで捉えられ、駅を出てから、犯人のアパートまでの足取りが、道々の施設に設置されたカメラ記録されていたため、犯人逮捕につながったと伝えられています。

 コンビニのように抑止力として、わざと目立つように設置しているところもありますが、施設側の「協力」も得て、それと分からないように設置されているカメラの数って、相当なものになりそうです。しかも、今どきのことですので、小型、高性能で、映像はオンラインで刻々送信、というのが多いのでしょうから、見えざる「インフラ」となった観があります。こんなタイプが、今は主流のようですね。



 さて、もっと驚くべきことは、そのようにして撮影された映像の分析・解析技術です。

 私が見たニュースでは、お兄さんから画像の提供を受けてから、二人の足取りが判明するまで、「わずか2日」と報道されていました。

 八王子を中心としたエリアの駅を中心に絞り込んだとしても、何十という駅の、何百台ものカメラにもなるはずです。その他の施設からのものも含めて、何日分もの映像データですから、それだけで、気が遠くなるような膨大な「量」です。

 その中から、二人が映り込んでいる映像を探すのですから、まさに大海の中の一滴を求めるような作業です。「顔認証(認識)」という技術と、スーパーコンピュータ級の機器を大量に投入しているのでしょうが、当然の事ながら、被写体は動いています。うつむいたり、横を向いたり、いろんな動きをするはずです。しかも、正面から撮ってるカメラなんてないでしょうから、補正など、膨大な処理をする必要があります。

 更に言えば、何カ所でも撮った映像を、時系列に整理して、足取りを再現する必要もあります。 

 それを「2日」でやってのける日本の警察。スマホ、タブレットであんなことができる、こんなことができると浮かれている世の中を尻目に、今や、防犯カメラを通じた情報収集と処理、そして、その分析で、ものスゴいパワーとスキルを手にしていることになります。今回は、犯人の逮捕につながりましたが、ひとつ間違えば、総監視社会へ踏み出しかねない危険性を孕(はら)んでいることを垣間見せました。

 さて、もうひとつ、気になるというか、今回の事件でもうんざりさせられているのは、プライバシーの報道です。

 一般市民である被害者のプライバシーを「報道」の名のもとに、天下に曝(さら)す権利や必要性がどこにあるのか、というのが私が、ず~っと抱いている疑問です。警察が発表した(ちゃんと捜査してる、というアリバイ作りが主な目的ですけど)からといって、全国の読者、視聴者が、被害者のプライバシーを、根掘り葉掘り知る事にどんな社会的意義があるのか、まったく理解できません。ただでさえ打ちのめされている家族、関係者に対する「報道」の名を借りた「暴力」でしかないと思います。

 過日、新聞を見ていると、二人目の女性被害者の身元が判明した、との記事がありました。例によって、名前、年齢(23歳)などのプライバシーを曝(さら)しているのですが、被害者の写真が載っていて、「小学校の卒業アルバムから」とあるのに、愕然としました。

 新聞社に限らず、マスコミって、なんであんなに、事件の関係者、とりわけ被害者の「写真」を欲しがるんですしょうか。昔は、被害者の自宅へ、各社が争うように押し掛けて、アルバムなどの写真の奪い合いを演じるのが当たり前だった、などという話を聞いたことがあります。

 社風、体質は今も変わってないようで、家族、関係者のガードが堅くて、困り果てた記者が、「え~い、この際、小学校の卒業写真でも、ないよりましだ」とでも考えて、同窓生の間を走り回っている図が目に浮かびます。

 事件の社会性とか、公正な捜査、裁判が行われているか、などには、目を向けるべきです。
 でも、被害者のプライバシーなど、下世話な話題を追っかけ、視聴者、読者の覗き見趣味に迎合するようなロクでもないマスコミは、相手にすべきでないと思います。

 重たい話題に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。引き続きご愛読ください。


第241回 アリをめぐる不思議話

2017-11-03 | エッセイ

 当ブログでは、時折、生き物の話題を取り上げています。ヒトにも興味は持ってますが、それ以外の動物や植物の世界にも関心があって、その種の本を手に取ることがあります。

 先日、その名も 「不思議の博物誌」(河合雅雄編 中公新書)という本を読んでいたら、アリにまつわる刺激的な話が2つ載っていましたので、ご紹介しようと思います。

<アリを食うアリ>
 普通のアリは、昆虫のような小動物とか、花蜜とかを食料にしています。

 しかし、ボルネオの熱帯雨林に生息しているヒメサスライアリは、アリだけを獲物にしています。他のアリの巣に押し入って、幼虫、さなぎ、成虫までもを餌食にしてしまうのです。

 どんなに獰猛で、ゴツいアリかと思えば、体長は、1mmほど。これが、体長2cmを超えるアリや体中にトゲを生やしたアリ、鋭い大顎を持ったアリなどを襲います。こんなアリです。



 とても勝ち目のなさそうな戦いに挑む彼らの戦略の第一は、とにかく数で勝負、ということ。

 女王アリと働きアリが形成するコロニー(家族集団)は、普通数十匹から、数千匹で、1万を超える事はほとんどありません。ところが、このアリは、なんと5万匹から30万匹が集団行動するといのですから、凄まじい。獲物のアリに、数十匹が取り憑いて、切り刻んでしまう。
 戦闘部隊が、巣口で戦っている間に、後続部隊が続々と押し寄せ、死体を運び出します。あっという間に、巣は空っぽにされてしまうというわけです。
 さて、数に頼るといっても、一糸乱れず、統制の取れた集団行動をしなければ、戦いに勝てません。

 そこで、彼らが、採用した第2の戦略が、「目をなくしてしまうこと」。

 ものが見えないから、お互いに、体をくっつけ合っていないと迷子になってしまう。先頭集団の動きが、ごく自然に集団全体に伝わって、統制の取れた行動が可能になるというわけで、実に過激な戦略だけど、理に適っている。

 そして、彼らは、巣も捨ててしまいました。

 物陰で野営しながらの集団放浪生活という道をあえて選んだのです。これだと、エサになるアリの巣を探しやすいという利点がある。さらに、帯状の隊列を作って移動しているから、獲物の巣を見つけた時、一斉に攻撃できる、という利点が加わります。

 かつてのモンゴルの軍隊を彷彿とさせる「生きる知恵」です。

<アリに化けるハチ>
 アリになりすまして、アリの巣の中に住み着き、まんまとエサを横取りしてしまうハチがいます。

 騙すほうは、エイコアブラバチという寄生蜂で、騙されるほうは、トビイロケアリというごく普通のアリ。このハチの大きさは、アリの半分くらいで、羽が生え、糸状の触覚を持つなど、姿は全く似てません。

 で、何で騙すかというと、アリが仲間を識別するための体表ワックス(炭化水素の混合物)を利用するというのです。ハチは、そのワックスを、自分のカラダにこすりつける必要があるのですが、その方法がスゴいです。普通にカラダを密着させにいっても、カラダの大きなアリに食われてしまいますから・・・

 アリの巣に忍び込んだハチは、手近にいるアリに飛び乗って、押さえつけます。前足と中足でアリの足を取り、強く締め付けます(プロレスの「コブラツイスト」技(アントニオ猪木が得意にしてました)を想像してください)。

 アリも必死にもがきますが、ここで、ハチから、とっておきの必殺技が出ます。片方の後ろ足で、カラダを支えながら、もう片方の足で、アリの腹部を小刻みに擦(こす)るのです。
 そうすると、アリは、睡眠薬でも飲ませれたように、おとなしくなり、眠ってしまうのです。ハチは、30分ほども存分にカラダを密着させ、ワックスを盗み取る、という次第です。

 あとは、そのワックスで、仲間のアリになりすまして、エサを、かすめ取るだけですね。それにしても、この必殺技、人間に応用できないのかな、などと、不埒(ふらち)なことを、想像しちゃいけません、いけません。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。