★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第538回 スパゲッティを正しく食す

2023-08-25 | エッセイ
 デザイナー、俳優、映画 監督など多くの分野で多彩な才能を発揮された伊丹十三さん(1933-1997年)。

 私にとっては、何よりも格別のエッセイストです。スポーツカー、ファッション、料理、音楽、絵画、などあらゆる分野の蘊蓄(うんちく)が上質の文章で披露されているのを心から楽しみました。以前、当ブログでも一つのエッセイを紹介しています(文末にリンクを貼っています)。
 今回はデビュー作「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)から「スパゲッティの正しい食べ方」をメインにお届けします。なお、オマケとして、ネタ元(伊丹さんの本ではなかったと思います)は忘れましたが「スープの正しい食べ方」を付記しました。最後までお付き合いください。

 スパゲッティもスープも、音を立てずに食べるのがマナー、というのは皆様ご存知の通りです。でも、家庭とかファミレスなどでは、皆さん、結構壮大な音を立てておられます。特に、スパゲッティの場合、フォークを麺に突き立ててぐるぐる回すと、際限なく巻きついてくることがありがち。え~い、面倒だ、とばかりにフォークを箸代わりに、ズルズルと啜(すす)り込んで食べる姿をよく目にします。こんな事態を避けるためには、一口で食べられるだけの麺をフォークに巻きつけるのが最大のポイントです。そのうえで、フォークごと口に運べば音もせず、スマートに食べられるのが道理。そのためのノウハウ、手順を氏は熱く(?)語ります。

 前提として、日本でついてくるスプーンは本場では使いませんので、フォーク1本勝負です。
 皿が運ばれてきました。スパゲッティが山の形に盛られています。まずは、ソースと混ぜ合わせ、麺をプレート全体で同じくらいの高さになるように、フォークで地ならしをします。そして、これが大事な作業になるのですが、「皿の一隅に、タバコの箱くらいの小さなスペースを作り、これをスパゲッティを巻く専用の場所に指定する」(同エッセイから)のです。著者によるこんなイラストが載っています。「指定する」なんていうキザっぽい表現が、いかにも氏らしいです。

 いよいよ、指定した場所に麺を持ってくるのですが、1本が50cmほどもある本場モノの場合には2~3本、日本の短いモノでも7~8本が、一口で食べられる量の目安になります。それを「指定」の場所に持ってきて、フォークに巻きつけていくのですが、大事なことがあります。
 それは「フォークの4本の先は、スパゲッティを巻き取るあいだじゅう、決して皿から離してはいけない」(同)ということです。これは私も読後に実験してみました。確かに適量を取り分けて、フォークを皿に接触させたまま巻き取ると、あら不思議、麺がもつれることなく、フォークにスルッと巻きつきました。それでも失敗したら「すぐやり直さなきゃだめだよ」(同)と著者のアドバイスは誠に親切にして、厳格です。
 氏の説く手順にすべて従え、と言うつもりはありません。多少は音がしても、楽しく食べるのが第一です。ただ、フォークの先を皿から離さない、というコツは普段から利用できそうです。ここ一番の勝負どころ(どんなところ?)ではスマートな作法に映るはず。是非お試しください。

 さて、スープです。中学校の英語で、スープは、drink(ドリンク=飲む)ではなく、eat(イート=食べる)だと教わりました。液体を「食べる」のがなんとも不思議でしたが、後年、謎が解けました。drink というのは、液体が入った器に口をつけて、飲み込む動作を言うのですね。コップの水、カップのコーヒー、紅茶などを「飲む」ように。
 スープの場合は、スープ皿には口をつけません。スプーンを介して口に運びます。だから、「食べる」なんですね。
 レストランなどで見ていますと、皆さん、音を立てないよう注意しておられるのは感じます。でも、スプーンから(ゆっくりではありますが)液体を吸い込む感じになりますから、ズッとかすかな音はします。しからばどうするか?スパゲッティ方式の応用です。スープの入ったスプーンを丸ごとパクッと口に入れ、スプーンを抜けばいいのです。音も立てず、スープが「食べられ」ます。欧米の映画でもこの通りのシーンを見た覚えがあります。が、特に女性の場合、あの大きなスプーンを、パクッと咥(くわ)えるのは、抵抗がありそうです。少量をスプーンにとり、傾けたスプーンからおしとやかに流し込む感じでいいのではないでしょうか。

 いかがでした?マナーも大切ですが、美味しい料理を、気の合う仲間と、楽しく、いただくのも大切にしたいですね。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは<第260回 エッセイスト伊丹十三>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第537回 大阪人はアメリカ好き?

2023-08-18 | エッセイ
 長い歴史、文化、伝統などへの誇りからでしょうか、大阪人の中には、東京的なるものに対して複雑な思い、対抗心を抱く人が多いように感じます。
 「大阪的」(井上章一 幻冬舎新書)では、そんな狭い日本から一足飛びに太平洋を越えて、アメリカ的なるものに憧れ、取り込もうとした大阪人の企みが語られています。その興味深いエピソードをご紹介します。

<自由の女神像>
 私には縁のない場所でしたので気付きませんでした。著者によれば、大阪のパチンコ店、ラブホテルなどには、やたら「自由の女神象」(以下、像)が目立つというのです。
 著者が、あるアメリア人に大阪を案内した時のことです。彼は「いったい、この街で暮らす人は、アメリカのシンボルを、どう思っているのか」(同書から)と驚いたといいます。神聖なる「自由のシンボル」を、チープな像に仕立てて、あちらこちらに目立つように設置されては、アメリカ人の誇りが傷つくのもわかります。さらに、大阪府東大阪市の源ヶ橋温泉という銭湯(現在は廃業)の玄関上の2階には2体の立派な像が建っていました。

 松明(たいまつ)の代わりに持っているのは、なんと♨(温泉マーク)です。入浴とニューヨークのシャレでしょうか。1920年代に創業して以来のシンボルで、著者によれば、日本で最初の像ではないか、というのです。そして、この像は、先の大戦でも没収されませんでした。「鬼畜米英」のスローガンからすれば、まっさきに撤収されてしかるべきですが、幸いなことに軍の目を逃れました。さすが「自由の」女神。

<東大阪のホワイトハウス>
 ミカミ工業という建築装飾を業とする会社(本社:東大阪市)の本社ビルです。

 ご覧の通り、本場アメリカのホワイトハウスをそっくり真似ています(大きさは3分の2ほど)。決して社長の道楽ではなく、洋館の建築部材商品(門、扉、手すり、円柱など)を人々に見せるショーケースとして建てられました。社長は、商才に長けた人物だったようで、1984年のこの社屋の竣工式には、大阪のアメリカ総領事館の副総領事が出席し、テープカットまでおこなっています。また、ホワイトハウスの設計図面を貸与するという便宜まで図ったといいます。
 この会社ですが、先の「自由女神像」乱立現象に大いに関わっています。実は、大阪の像の多くがこの会社製です、創業間もないバブル期に、パチンコ店から注文が殺到しました。特定の系列店からの一括注文ではなく、個別店からの注文だったとのことで、社の営業努力が実ったのでしょう。バブルがはじけて、注文は激減したとのことですが、大阪人のアメリカ好きがこんなところでしっかり結びついていました。

<ビリケンー失われたアメリカ文化の保存>
 大阪人には馴染みの「ビリケンさん」です。大阪ミナミの繁華街・新世界にそびえ立つ通天閣に鎮座しています。

 足の裏をなでるとご利益があると信じられ、私も願い事は忘れましたが、なでた覚えがあります。実はこれは、アメリカ由来の愛玩人形が原型です。1908年、シカゴの女性彫刻家が、夢に出てきた精霊を造形化したものだ、というのが通天閣の説明で、幸運のシンボルとしてアメリカでヒットしました。名前の由来は、イヌイット(エスキモー)の人たちが人形をベリケンと読んでいたから、とか、当時のアメリカ大統領ウィリアム・タフトの愛称ビリーにちなむ、とか諸説あり、確かなことはわかっていません。
 日本へ入ってきたのは、1912年のこと。新世界を中心とした13万平米もの広大な遊園地(ルナパーク)が開園したのがきっかけです。一角にビリケン堂が建てられ、千客万来の招福人形として祀られ(?)ました。その人気は東京へも広がり、広告の図柄として、また、花柳界では招き猫や福助以上の人気を集めました。そんなビリケン人気が下火になったのは、ちょっとした政治的事件が関係している、というのが著者の見立てです。
 1916年、寺内正毅が首相になりました。頭に毛がなく、てっぺんが少し尖っていることから「ビリケン宰相」と呼ばれました。しかしながら、元帥陸軍大将も兼ねる権勢ぶりが嫌われ、「非立憲(びりけん)的」などと揶揄される始末。それとともに、ビリケン人気は、全国的に下火になっていきました。一方、本場アメリカでは、20世紀半ばごろまではそこそこ人気を保っていたビリケン人形ですが、1920年代に登場した「キューピー」が人気を集め、世紀後半にはすっかり取って替わられました。
 さて、大阪での状況です。1923年に、さきほどのルナパークが閉鎖され、ビリケンは行方不明になりました。現在のビリケン像は、戦後に再建された通天閣が往時を偲ぶために、1979年に誂えたものです。本場でも日本でもすっかり下火になっている人形を再興し、ニッチなものとして楽しみ、面白がり、ちょっぴり有難がる・・・いかにも大阪的と感心します。

 大阪人はアメリカ好き、というよりは、アメリカを商売に利用するのが上手やなあ、というのが記事を書き終えての感想です。皆様はいかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第536回 米原万里さんの通訳裏話

2023-08-11 | エッセイ
 米原万里さん(1950-2006年)は、ロシア語の会議通訳としてキャリアをスタートし、エッセイストとしても活躍されました。言葉についての話題だけでなく、世界の社会、文化、男女間の問題など幅広いテーマで健筆をふるわれ、私も愛読者のひとりです。今回は、彼女の講演集である「米原万里の愛の法則」(集英社新書)から、通訳業に関わるエピソードをお届けします。なお、文末に彼女のエッセイをネタにした過去記事(2回分)へのリンクを貼っています。合わせてご覧いただければ幸いです。

 さて、多数の国が参加する国際会議などでは、同時通訳が常識です。で、私がかねがね知りたいと思っていたのは、いくつもある言葉を、どういう仕組みで捌(さば)いていくのか、ということでした。
 本書には、通称サミットと呼ばれた主要国首脳会議(日本を含む7カ国からスタートして、当時はロシアが加わり8カ国)での同時通訳のシステムが、ひとつの例として載っています(彼女の画像は私が配置しました)。

 英、独、仏、伊、露の5カ国語は、全て「相互に」同時通訳がされます。そして、日本語はというと、通訳ルートは、日ー英の1本だけ。「英語を通じて」他の4カ国語に通訳される仕組みです。「この図式を見ると、日本語はなにか鎖国時代の長崎の出島みたいな感じがしませんか。それぞれの国は、これだけ緻密な、緊密な関係を築いています。日本は常に英語を経由して築いていくということになります。」(同書から)しかも、すべて英語というフィルターを通して行われることになれば、微妙なニュアンスは伝わりにくいことでしょう。う~む、地理的条件などもあるとはいえ、日本語の孤立性をあらためて実感し、言葉の壁の厚さを思い知りました。せめて、英語教育に力を入れていくしかなのでしょうか。

 米原さんが携わった国際的なシンポジウムでの苦労話にも、さもありなん、と膝を打ちたくなるものがありました。彼女自身も通訳として加わった広告業界の国際シンポジウムでのことです。景気の影響もある中、消費をいかに活気づけるかが主なテーマになりました。
 女性は、年齢とか景気とかにあまり左右されずに消費を支えます。消費を底上げするには、「50代以上の男性」がモノを買うよう仕向ける必要がある、と電通の営業マンは考えました、そこで彼が目をつけたのが、当時話題になっていた渡辺淳一の「失楽園」という小説でした。「失楽園」と聞いて欧米の人が思い浮かべるのは、ジョン・ミルトンの作品ですから、米原さんは、「濡場の多いベストセラー小説「失楽園」」くらいに訳して乗り切りました。で、この営業マンがこの小説に注目したのは、日経新聞というビジネスマン向けのお堅い新聞に連載され、評判を読んだからなんですね。映画化されると劇場は満席状態とのことで、ここに50代以上の男性をつかむ糸口があるのでは、と営業マンは考えました。そして、映画館に足を運んだのです。と、ここまでは、通訳上、特に問題はありません。困ったのは、それからです。営業マンは、50代以上の男性が押しかけているというのはガセネタで、同じ世代の女性が圧倒的に多かった、と語り、「映画館に行ってみたら、シツラクエンじゃなくてトシマエンでした」と言ったのです。」(同)
 東京の有名な遊園地「豊島園(現在は廃園)」と、高齢の女性を指す「年増」にかけたオヤジギャグで、日本人参加者にはどっとウケました。でも、米原さんも含めた日本語通訳にはどう訳していいものやら、戸惑いが広がったといいます。
 日本人だけにわかる言葉遊びでウケを狙い、通訳を困らせるのではなく、世界に通じるジョーク、ユーモアを発揮するのが本当の国際化では?などとガラにもないことを考え
ました。

 さて、国際的な会議、シンポジウムなどでは、あらゆることがテーマになります。通訳の方々も万能ではありませんから、専門的な会議の前には、そこで使われそうな専門用語の仕入れが欠かせません。本書執筆の4~5年前に横浜で「世界エイズ会議」が開かれました。その中に、現役の売春婦の人たちの分科会があり、米原さんも3人の日露同時通訳の1人として加わりました(同時通訳は15分交代ですから、これだけの人数が必要でした)。
 会議が始まる前の通訳ブースは殺気立っています。そこへ主催者が現れてこんなことを言い出しました。この分科会では、「売春婦」「娼婦」「淫売」「商売女」という言葉は使わないでくれというのです。それに代えて「コマーシャル・セックス・ワーカー」を使ってくれという急な注文です。とりあえず、それでスタートし、進行していると、オーストラリアだかカナダかの参加者から、
「ブロッサル(brothel )」という言葉が出ました。これは「淫売宿」を意味します。先ほどの指示がありましたから、通訳一同ハタと困っていると、「ベテランの人が、サッとマイクに向かって、「コマーシャル・セックス・ワーカーの職場」と訳したのです。」(同)
 なるほど~、言葉の知識だけでなく、瞬発力、機転も特に同時通訳では大事な資質、能力なのだ、と教えられました。
 
 いかがでしたか?ご苦労はありながらも、通訳という仕事をどこか楽しんでいる米原さんの気持ちが伝わってくる講演記録でした。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは、<第461回 ロシア流反アルコール運動の顛末><第483回 裁判所に出頭した猫の話>です。よろしければ是非お立ち寄りください。それでは次回をお楽しみに。

第535回 アメリカの1コマ漫画−4

2023-08-04 | エッセイ
 久しぶりにシリーズの第4弾をお届けします(文末に過去3回分へのリンクを貼っています)。ショートショート作家・星新一氏の「進化した猿たち」(新潮文庫版 全3巻)から、彼が趣味的にコレクションしてきたアメリカの1コマ漫画を面白く味わっていただこうという趣向です。画像は4点のみですが、どうぞ最後までお付き合い、お楽しみください。

★宇宙人たち★
 SF的なショートショートも数多く手がけてきた星ですから、宇宙人ネタは外せません。

宇宙人と地球人では美男美女の基準も違うはず。孤島に不時着したらしき宇宙人。
彼女(?)曰く「地球の男性って、あなたみたいにおそろしい外見のひとばかりなの?」

地球にやってきた宇宙人にあれこれ質問責めにする地球人。もっともなことですが、それに対して宇宙人「質問をしにはるばるやってきたのは、こっちなんだぜ。聞きたいことがあるのなら、わたしの星へやってきてくれ」と不服顔。こちらもごもっとも。
宇宙人の歓迎パーティーが開かれ、地球の女性たちから歓迎の握手攻めに合う宇宙人。女性のひとりが「あなたたちの星では、セックスはどんなふうですの」と訊く。宇宙人が答えて「いまなさったではありませんか。手を握り合うのがそれです。こんなに続けてやったのは生まれて初めてですけど・・・」星にしては珍しくセクシーなネタです。
円盤が大都市のど真ん中に着陸。中から自動販売機が運び出され、すえつけられました。25セントを入れ、ボタンを押すとスゴい品物が出てきます。光線銃、読心機、不死薬の類い。漫画とはいえ、夢がありますねぇ。

★ノアの箱船★
 星によれば、ブリタニカ百科事典の初版(1788年)には、ノアの箱船が現実の事件として記載されているといいます。ただし、ノアの船室の場所と、どう動物を積み込んだかは不明としているのが良心的(?)。

船の建造が終わり、動物の積み込みも終えて、雨を待っているというのも奇妙な図。
「あなた、きょう雨が降るって、その天気予報は確かなの」と夫人にがみがみ言われ、弱り切っているノア。まこと、同情にたえません。
☆雨が降りそそぎ、地は水びたし。遠くに箱船が浮かんでいます。それをうらめしげに眺めている雌雄2匹のユニコーン(一角獣)。船に乗り遅れて、想像上の動物になってしまったというオチです。
今にも沈みそうな箱船。こんな声が聞こえてきます。
「シロアリの雌雄2匹は、金属の箱に入れておいた方がよかったんじゃないかな」


★無数の孤島★
 漫画といえば、孤島ものとか無人島ものとか呼ばれるものが、一大ジャンルを形成しています。星もこの分野だけで、1000種を超える漫画を収集したと書いています。限られたシチュエーションで、膨大な作品が発表されていますから、このテーマで描くには、かなり知恵を絞らなくてはなりません。

孤島に二人の男女、というのはよくあるパターン。女性が赤ん坊を男に見せている。男のセリフ。「だれの子かわかるものか」

やはり男女もので、豪華な客船が救助に来ました。
「おれはいらん。帰ってくれ」と男の一言。グラマーな女性によほど魅かれているようです。

孤島の男がランプをこすると、アラビア風のグラマーな魔神が現れてこう告げます。「さあ、3つの願いをかなえてあげるわ。どうせ、第2も第3も第1の願いといっしょなんでしょ」
男が数人の孤島。タバコがたくさん入った木箱が流れ着いたので、それには不自由ない。ただし、マッチが1本しかないので、火を絶やさないように、たえず誰かが吸っていなければなりません。あり余って困る、という手のこんだアイディアです。
☆定期航路のそばの孤島。船が通るたびに助けてくれと大騒ぎするのだが、船員のほうは平気な顔で、「ここを通るたびに、あの島の住民が喜んで踊りをおどってくれる」

 いかがでしたか?なお、過去分へのリンクは、<第268回><第324回><第403回>です。お立ち寄りいただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。