★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第440回 リンカーンとケネディの因縁話

2021-09-24 | エッセイ

 1963年11月22日、ケネディ大統領が暗殺されました。私は中学生で、朝、日米初のテレビ衛星中継でいきなりそのニュースが伝えられ、衝撃を受けました。「ケネディが殺されたっ!」と叫ぶ母の声が耳に残っています。

 オズワルドなる男が、車のだいぶ後方にある教科書倉庫の上層階から撃ったとされていますが、いまだに腑に落ちません。パレードですからゆっくりとはいえ、遠ざかっていく車のスピードに合わせ、しかも豆粒ほどの大きさのはずの頭部をピンポイントで狙って、命中させるーーどう考えても無理です。
 撃たれた瞬間をたまたま記録した有名なカラー映像(撮った人物の名から「ザプルーダ・フィルム」と呼ばれます)を見ても、撃たれた瞬間、ケネディの額から鮮血が飛び出し、頭部はガクっと後ろに反っています。前方からの銃弾としか考えられません。向かってくるターゲットだからこそ可能な狙撃だと私は信じています。もはや真相が解明されることはないでしょうけど。

 と、そんなことを思い出したのは、「中野京子の西洋綺譚」(中央公論新社)を読んだから。その中の「ホワイトハウスの幽霊」という章の冒頭では、ホワイトハウスにはリンカーンの幽霊が出るという話題が、そして、後半では、約100年の時を経て、リンカーンとケネディという両大統領には不思議な因縁が存在するとの話題が取り上げられています。

 まずは幽霊話から。彼の幽霊を見たという人は多士済々です。イギリスの首相チャーチル、ルーズベルト大統領夫人、アイゼンハワー大統領の報道官、トルーマン大統領の娘、レーガン大統領の娘、などの名前があがっています。ホワイトハウスのスタッフも含めれば、目撃者は、50~60人を下らないだろうとも、中野は書いています。その姿は、窓からポトマック河畔を眺めていたり、ホールを歩き回っているところを目撃されたりと様々です。さすがに悪さはしないようですし、おどろおどろしさがないのが救いです。

 さて、両大統領の因縁話です。ふたりとも在職中に暗殺されています。ケネディの狙撃直前の写真です(ヴィクター・ヒューゴ・キング撮影(同書から))。

 実は、それ以外にも、不思議に因縁めいたというか、奇妙な一致点があるというのです。
 ・下院議員初当選は、リンカーンは1846年。ケネディはその100年後の1946年。
 ・大統領選出は、リンカーンが1860年、ケネディは、100年後の1960年。
 ・大統領選でのリンカーンの対立候補ダグラスは、1813年生まれ、ケネディにおけるニクソンは、1913年生まれで、これも100年後。
 ・ケネディには、リンカーンという名の秘書官がいた。
 ・リンカーンはフォード劇場で撃たれ、ケネディはフォード社製リンカーンに乗っていて撃たれた。ともに頭部を撃たれている。
 ・両大統領とも厳重な警備をいやがり、リンカーンの桟敷席にはボディガードがおらず、ケネディはオープンカーでの公道パレードだった。

 まだあります。
 ・隣に妻が座っていたが、二人とも無事。ほかに1組のカップルが居て、男の方が重傷を負った。
 ・リンカーンを殺したブースも、ケネディを殺した(とされる)オズワルドも、裁判にかけられる前に射殺された。
 ・ブースは劇場で撃ち、納屋(倉庫)に逃げた。(犯人とされる)オズワルドは、倉庫から撃ち、劇場(映画館)へ逃げ込んだ。
 ・両大統領の後を継いだ副大統領はどちらも南部出身の民主党員で、名はジョンソン。アンドリュー・ジョンソンは1808年生まれで、リンドン・ジョンソンは、これまた100年後の1908年生まれ。


 こじつけっぽいのもありますが、偶然もこれだけ重なると、ちょっと不思議です。なお、ザプルーダ・フィルムをYouTubeで見ることができます。リンクは<こちら>です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第439回 ポイント貯めて海外留学? 英語弁講座34

2021-09-17 | エッセイ

 今回は、語学習得の手段として人気がある海外留学を取り上げます。英語弁講座とはいえ、横文字は出てきませんので、ひとつの話題として気軽にお付き合いください。

 少子化が進む中、学生の確保が、何よりの「経営」課題だという大学が多いと聞きます。そういう経営努力の一環なのでしょう、大学の魅力をアピールし、学生のモチベーションを高めるため、「ポイント制」を導入した大学がある、というのを、少し前にラジオで聞きました。優、良などの成績をポイント化し、累積獲得ポイントに応じて、いろいろ特典を与えようというものです。
 で、最高のご褒美が、「海外留学」なんですね。昔は、トリスを飲んでハワイへ行こう、でしたが、今は、ポイント貯めて留学しようというわけです。海外留学などとは、まったく無縁で、自堕落な学生生活を送ってきた私なんかから見ると、だいぶハードルが低くなったみたいですが、いろいろ問題もあるようです。

 「本物の英語力」(鳥飼玖美子 講談社現代新書)を参考に、そのあたりを、アメリカを例に、探ってみます。現在も幅広くご活躍の著者・鳥飼さんです。

 海外留学というと、1年とかそれ以上の期間、様々な目的を持って、じっくりと研究に取り組むというイメージがあります。実際、多くの英語圏の大学がそのための制度や仕組みを用意しています。

 一方で、それらの大学の中には、夏休みに教育施設を遊ばせておいても仕方がないので、「語学に特化し」、「夏休みだけの短期型で」、「内容的には研修」、のようなコースを設けているところも多いといいます。さきほどのポイントのご褒美も、「留学」とはいえ(おそらく)この種のものでしょう。
 
 で、この種の研修の場合、現地の学生や留学生と交流しようと思っても、夏休みで、キャンパスは閑散。授業といっても、ほとんどの場合、生徒は日本人だけ。授業が終われば、日本人同士で集まって、うろうろしてるだけ、ということも多いとのこと。なぜ、日本人だけの授業になるのでしょうか?

 鳥飼が引率したグループで、受け入れ先の研修担当に、海外の留学生グループなどとの交流を申し入れると、「日本人はおとなしくて、無口だから、他国の人たちと一緒にすると、黙って聞いてるだけで授業が終わってしまう。だから、日本人だけまとめて教えたほうがいい」(同書から)と一蹴されたというのです。
 人前で恥をかくことをなにより恐れる日本人て多いですから、さもありなんと思います(私もエラソーなことは言えないのですが)。

 また、オーストラリアのある都市では、「インターンシップを組み込んだ英会話研修」というのを実施しています。で、どんなインターンシップかと言うと、市内のカフェで、接客を学ぶというもの。う~ん、日本に帰ってきて、スタバでアルバイトでもするなら、役に立つかも知れませんが・・・・

 今は、「国内」でも「自宅」でも、(「駅前」はどうか分かりませんが)語学を身につけられる環境、ツールは、ネットなども含めて、いろいろ整っています。

 海外留学もひとつの手段ですが、いろいろ工夫して、恥をかくことを恐れず取り組むのが、上達の秘訣ではないでしょうか。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第438回 私流デジタル・メモ術

2021-09-10 | エッセイ

 社会人になるまでは、メモらしきものを作ったことがありません。
 中学時代の生徒手帳にも時間割を書いておく程度で、卒業までほとんど真っ白でした。学生時代、買った本の記録(購入月日、タイトル、著者程度)をノートに記録し始めました。「う~ん、これだけ買って、読んだのか」と感慨に耽る程度の効用ですが、これは、後ほどご紹介する方法で、今も続けています。

 社会人になって、さすがに必要に迫られ、スケジュール管理とか、連絡先など最低限の情報はメモするようになりました。それでも、メモを取るのはなんとなく面倒、忘れたら忘れたで仕方がない、というズボラな気分だったようです。
 そんな気分が変わったのは、社会人生活の後半くらいから普及が進んだパソコン、インターネットがきっかけです。

 仕事の方でも、それなりに使いこなしていましたが、プライベートな分野で、それらのツールを使って,残しておきたいメモとか、役立つ情報の整理に目覚めました。

 さっとペンを走らせれば済むことを、わざわざパソコンを立ち上げて、キーボードから入力する・・・・考えてみれば面倒な作業ですが、不思議と苦になりませんでした。自分のヘタな文字と向き合う必要がなく、追加、修正なども、紙面を汚さず簡単に、そして整然と出来るのがなにより魅力でした。

 もっぱら実用的な目的で始めたのが、展覧会の開催情報です。大事な展覧会を見逃さないために始めました。美術雑誌、新聞などの情報をこまめにチェックして、早め早めに追加したり、整理する作業は結構楽しいものでした。

 ネット書店を利用するようになって始めたのが、「気になる本」というメモです。かつては、新刊本はその場で買っておかないと、入手困難になることがよくありました。でも、新刊、古書を問わずネットで買える時代になって、そう焦って買う必要はなくなりました。時間が経てば、古書で入手可能になったり、文庫化されて安くなったりとかえって便利になりました。

 そこで、「気になる本」メモです。読んだ本からとか、書評、広告、店頭などを情報源に「気になる本」を記録しておくようにしました。新刊書点の店頭でのチェックは欠かせませんが、メモを見返して「そういえば」と買う気になることもあって、役に立っています。

 数年前から始めて、ハマっているのが「日記」メモです。リタイヤ生活に入って、ほぼ決まりきったルーチンのような生活を送っています。現下の状況で、そう劇的な出来事も起こりません。
 だからこそ、こんな本(新刊、古書を問わず)をゲットした、家人から言われてこんな用事をした、などのちょっとしたトピックを記録する快感があります。

 また、何も書くことがなさそうな日は、日記のネタにするために、あえて、当ブログ用のネタ整理とかのアクションを起こすことがよくあります。本末転倒なんですけど、なんとなく流されがちな日々の暮らしのアクセントになっているのは事実です。

 さて、デジタルメモを取るために、現在、愛用しているのが"Google Keep"というアプリです。
 iosとアンドロイド用のアプリがあり、PCのブラウザからも利用できます。今時、複数の端末を使い分けている方が多い(私もその一人)ことでしょうが、Googleアカウントさえあれば、いずれの端末からもメモにアクセスできるのが重宝です。私の立ち上げ画面(Android版)の一部です。

 ラベルの作成、編集が簡単に出来るのが便利です。1ラベルで1枚のメモでもいいですし、日記の場合は、例えば、「日記2021」のラベルの中に、一日につき一枚のメモを書き足していく形にしています。使い勝手もよく、おススメです。

 さて、デジタル・メモ愛用生活の中で、手放せないのが、アナログ・メモです。 ネットのサイトを利用するためのIDとパスワードを記入した手書きメモです。よく利用しているサイトでも、安全のため、それらの入力を求められることがありますから手放せません。
 かくして、デジタルとアナログの併用で、私流のデジタルライフを楽しんでいます。

 いかがでしたか?皆様のデジタルライフ充実のためのヒントにでもなれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。


第437回 古書マニアの面白苦労話

2021-09-03 | エッセイ

 安く読めればいいので、私が利用するのはもっぱらチェーン系の新古書店。でも、本格的に古書の収集や探索に情熱を燃やすマニアの人たちの苦労話を読むのは結構好きです。

 若い頃、「子供より古書が大事と思いたい」(鹿島茂 青土社 1996年)という本をタイトルに引かれて面白く読んだのが著者との出会いです。フランス文学が専門ですが、19世紀のフランス語の古書で、豪華な装丁の挿絵本を主なターゲットに収集に励んでおられます。

 当時のことですから、現地の古書店から送られてくるカタログの情報だけで本の状態、装幀、内容などを判断しなければいけません。また、セリだといくらで応札するかも悩みどころで、読んでるだけでハラハラ、ドキドキさせられました。
 そして、お金の工面です。モノによっては百万円を超えるものも珍しくありません。大学(当時は共立女子大教授)からの実入りは限られる中、「3度の食事を減らしてなんとか」「家を担保に銀行融資でも」(同書から)など、古書にかける情熱と苦闘ぶりを楽しく読んだものです。

 先日、氏の「それでも古書を買いました」(2003年 白水社)が古書店で目にとまりました。相変わらず古書熱は続いているようです。同書から、フランスの古書の面白苦労エピソードをいくつかご紹介します。

<家具を売る古書店>
 豪華な革装丁の本だけを扱う古書店はいくつもあります。例えば、こんな本でしょうか。

 その手の店のひとつに氏が入ってみると、確かに豪華な本が並んでいるのですが、どうも変な感じがするというのです。全70巻もので、普通は1万フラン(25万円)から4万フラン(100万円)はする全集に、なんと、500フラン(1万2500円)という値札が付いています。よくよく見ると全巻揃ではなく、巻数がばらばらの39冊売りです。
 で、氏が店内を見て回ると、豪華な革装丁の全集もので、巻数がばらばらというのがあちこちに並んでいます。

 そこで、氏はハタと気づくのです。ああ、ここは、家のリビング、書斎などを飾る「家具」としての古書を売る店だと。そういえば、日本でも百科事典が、調度家具として、ブームになったことがありました。立派な本を調度としてして「見栄で」利用するのは洋の東西を問わないようです。

<献辞本をめぐって>
 本の著者が、その本を贈ったり、買ってくれた人に、その人の名前と自分のサインをするのが「献辞」です。両方が有名人であれば古書としての付加価値が付くこともあるようです。

 さて、滞仏中に、氏が長らく探していたパリの古い写真集が300フラン(約7500円)で見つかりました。いざお金を払う段になって、本の扉を見た店主は献辞本であることに気づき、「こんな値段じゃ売れない」と言い出します。

「誰あての献辞か」と尋ねられた店主が調べると、なんと店主本人あて!
「売りなさいよ。有名人じゃないことが分かったんだから」と詰め寄る氏に「いや、これは非売品だ」と突っ張る店主。結局、売ってもらえませんでした。随分悔しかったのでしょうね。「この店、代替わりしてしまって、いまは別の古書店になっている。」(同書から)と精一杯のイヤ味で締めくくっているのが笑えました。

<ズルい仕組み>
 勝負どころでは、現地フランスでのオークションに参加することがあります。氏をそこまで熱くさせたのは、18世紀から19世紀初頭にかけて流行したファッション・アルバムと呼ばれる服飾関係の挿絵本です。当時最高と言われた画家の肉筆画付きですから世界に1点しかありません。

 オークション業者の落札予想価格は15万フラン(375万円)から20万フラン(500万円)という途方もないもの。でも、乗りかかった船。家、土地を抵当に入れて、銀行融資を引き出せると腹をくくって、いざパリへ。
 14万フランと低めで始まったセリは、氏が18万を提示した瞬間にハンマーが打ち下ろされ、予定より2万フランも安く落札できたのです。ところが、ここでとんでもないことが起こりました。

 1人の中年の女性が「ビブリオテック・ナシオナル(国立図書館)!」と叫んだのです。そうすると競売吏は「18万フランでビブリオテック・ナシオナルに決定」と宣言しました。
 訳がわからず呆然とする氏に、知り合いの古書店主が小声で教えてくれました。国家的な財産を守るため、どんな本でも国立機関が優先権を主張すれば、その落札価格でその機関のものになる、と法律で決まっているというのです。
 またまた悔しい思いを噛み締めた鹿島氏に同情しつつも、自国の文化に大いなる誇りを抱くフランスならではルールであるな、と納得しました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。