★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第381回 近頃の美術展事情

2020-07-31 | エッセイ

 休館が続いていた美術館も予約制の導入など工夫しながら、そろりそろりと再開しているようです。気になる展覧会もありますが、私は、もろもろのリスクを考え、「自粛」を続けています。

 さて、若い頃はワクワクしながら足を運び、感動して帰ってくることも多かった美術展。ここ数年来、そのワクワク感があまりありません。名作といわれる作品は、だいぶ目にしてきたという(ちょっとエラソーな)事情もありますが、企画内容への物足りなさも漠然と感じています。

 そんなこともあり、「美術展の不都合な真実」(古賀太 新潮新書)を手に取りました。著者は、新聞社などで日本美術の海外展開や展覧会企画に携わってきた人です。実務経験豊富な氏が、今の日本の「美術展業界」をどう見ているか、その一端をご紹介します。

 日本には熱心なアートファンが多く、話題の展覧会は押すな押すなの大盛況です(でした)。世界的に見てどうなんでしょう?

 「アート・ニュースペーパー」というロンドン発行の美術雑誌掲載の「2018年の世界の展覧会の1日あたりの入場者数ベスト10」が、同書で引用されています。
 それによると、1位は、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)の「天国的身体展」で、1万919人です。日本は6位(「東山魁夷展」(国立新美術館)6819人)と、9位(「縄文ー1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)6648人)にランクインしています。前年は3つが入っていたとのことですから、まずまずの健闘ぶりです。

 一方、同誌の「どの美術館・博物館に多くの観客が来たか」の記事では、年間入場者数でランク付けをしています。ルーヴル美術館の1020万人を筆頭に、故宮博物院(861万人)と続き、大英博物館は6位です。日本は、国立新博物館が、17位(299万人)にやっと登場します。

   やはり、世界的な美術館・博物館は、「常設展」だけで十分に集客しています。膨大で質の高い収蔵品を誇り、建物も宏大です。ルーヴルの場合、6万平米の床面積があります。1日あたり3万人でも、混んでいるのはモナリザの展示室くらいで、これならゆったりと観賞できるはず。

 日本の場合、国立クラスでも、常設展だけで、国内外から集客できるだけの収蔵品はありません。国立新美術館や東京都美術館も、収蔵品はなく、貸会場です。敷地も限られ、いきおい「企画展」頼みにならざるを得ません。
 国内で観られるのですから、混むのは我慢するとして、あとは企画の中身次第、ということになります。が、その辺りの事情に最近はいろんな変化があるようです。

 同書に「なぜ「○○美術館展」が多いのか」という章があります。確かに、2017年は、ランス、エルミタージュ、ボストン、2018年は、プラド、プーシキン、ルーブル、2019年は、コートルード、ハプスブルク、2020年は、ロンドン・ナショナルギャラリー、ボストンなどそうそうたる顔ぶれです。「ハプスブルク展」には私も足を運びました。

 

 ハプスブルクと銘打ってますが、実は「ウィーン美術史美術館」と全面タイアップしています。ややマイナーな美術館名は表に出さず、誰もが知ってる名家の名を前面に立てる戦略なのですね。

 さて、著者によるその裏事情です。展覧会といえば、新聞社やテレビ局の協賛などがつきもの。文化事業への関与というイメージアップが期待できます。美術館側も協賛金などの収入のほか、運営費用の一部を負担してもらえます。更に、広告宣伝までしてもらえます。広告代理店の参入が進んでいるもむべなるかなです。

 「カネも出すけど、クチも出す」というのがビジネスですので、企画についても、協賛側主導になります。そこで「○○美術館展」です。
 一館に絞ってスムーズな交渉が可能です。対価を払ったとしても(通常、美術館同士の貸し借りは無料)、その美術館の改修時期に合わせれば、名品の貸し出しも期待できます。相手美術館にとっても、改修の場合、その費用の一部がまかなえるのも利点です。

 いい事ずくめみたいですが、美術館の学芸員(国立の場合は、研究員)にとっては、モチベーションが下がります。テーマを考え、何年もかけて、そのテーマに沿った作品の貸し出し交渉を続けていくという生き甲斐、やりがいを奪いかねません。ひいては、我が国美術界のレベル低下にもつながる、との著者の指摘には、大いに頷くところがあります。

 それでもいい作品が来ればいいのですが、「たいした作品は来ない。レベルの高い作品は、2、3点のみの場合が多い」(同書から)とあります。冒頭のワクワク感のなさ、とも符合しているようです。
 今の事態が終息すれば、美術館のブランドに惑わされず、企画内容を十分チェックして、出かけようと考えています。いい作品を見るのは好きだし、楽しいですので。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第380回 装丁家・和田誠

2020-07-24 | エッセイ

 中学生の頃、グリーン版「世界文学全集」(現・河出書房新社)が発刊されました。ご覧のように独特の緑色を基調にした格調高い装丁です。下部に作家名が明るいブルーでレイアウトされているのが何ともおしゃれでした(確か、「原弘」という方のデザインと記憶しています)。

 全集としての統一感は保ちながら、各巻を際立たせる工夫だったと今にして思います。世界文学の一つや二つ、という気負いもあって、何冊か購入しました。肝心の中身よりも、本棚に並べた時のオトナの気分、誇らしさを憶えています。

 そんなことを思い出しながら、「装丁物語」(和田誠 中公文庫)を読みました。イラストレーターとして、独特の線と点で描いた似顔絵を中心に、氏の作品と接してきましたが、デザインへの関心から、本の装丁もずいぶん手がけておられたのですね(2019年10月に亡くなられました)。
 装丁という仕事の楽しさ、工夫、時に苦労、そして、装丁を通じての作家との交遊などが達者な筆で活写され、飽きさせません。

 私には懐かしい本が取り上げられていました。「お楽しみはこれからだ」シリーズ(文藝春秋社 1975~97年 全7冊)です。本業以外では、何より映画好きであった氏が、お得意のイラストをふんだんに入れながら、名場面、名セリフを紹介しています。私が読んだのは、ご覧の第1册目と、あと何冊かですが、とにかく細部にわたる記憶力と博覧強記ぶりに驚かされました。

 同書で知ったのですが、「お楽しみ・・」には、通常ついているオビ(帯、腰巻とも)がありません。ご覧のように、そこの部分からいきなり本文が始っています。一見、帯のようにも見える工夫です。

 営業的には必須の宣伝材ですから、出版社、編集者から歓迎されないでしょう。でも装丁デザイナーとしては、その部分も含めて、自分のものとして作り込みたいはず。「自分の本ですから、割合わがままが言えたし、担当の松浦怜さんも話のわかる人なので(中略)即座に了解してくれました。」(同書から)とあって、氏の思いが通じました。
 「谷川俊太郎エトセテラ」(大和書房)でも、短いエッセイを丸ごとオビの部分に載せて、オビなしで、ちょっとお得感(?)を演出しています。多用はできませんが、お気に入りの手法だったようです。

 オビ問題では、こんな遊び心も発揮しています。
 「風景のない旅」(古山高麗雄 文芸春秋)というロシアを中心とした紀行文です。一見、通常のオビがついて、ごくシンプルな表紙です。

 「風景のない旅」だからこんなもんで、と思わせておいて、オビを取ると、モスクワにある有名な寺院のイラストが表れます。してやったり、との氏の顔が思い浮かぶような仕掛けです。

 さて、最後に同書からこんなエピソードを。

 氏の多摩美大時代の恩師である柳内達雄氏は文章もお書きになる方で、亡くなって1年後に遺稿集が出版(あかね書房)されることになり、氏が装丁を担当することになりました。本のタイトルは「花」と決まりましたが、その字体をどうするか、和田は考えるのです。

 彼が学生当時のことですから、教材とか試験問題は、ガリ版(謄写版)で作るのが当たり前でした。柳内先生は、それ用の字体に熟達していましたから、それを使うことを決めます。苦労の末、先生直筆の「花」の文字を見つけ出し、拡大して出来たのが、この表紙です。

「この本の出版のあと、先生の奥さんにお会いしたら、「彼が生きていたらどんなに喜んだことでしょう」と涙ぐんでおられましたけど、ぼくも同じ気持ちですよね。」(同書から)

 ちょっとウルっとしました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第379回 テレビの世界の紋切語

2020-07-17 | エッセイ

 相変わらずの「テレビ離れ」です。たまに見ると、テレビに出てるアナウンサー、コメンテーター、芸人さんは、今時、大変だなぁと思うことがあります。

 不適切な発言(中身にもよりますが)があっても、昔ならテレビ局へ抗議の電話とか、手紙が行く程度とかだったのでしょう。でも、今や発言内容がSNSで拡散したり、発言者本人のブログが炎上、などの話題も飛び交う時代です。皆さん、発言には慎重にならざるを得ません。そんな時に無難で便利なのが、決まりきった紋切型の言い回し、つまり「紋切語」ではないでしょうか。私なりの批判精神も込めて、いくつかご紹介してみます。

<~としています>
 「私は、今、勉強を「しています」という現在進行形、「部活で野球を「しています」」という日常の習慣や活動、そして「毎週水曜日には、飲みに出かけることに「しています」」という決め事、ルール・・・というのが普通の使い方のはず。でも、いつのほどにか、放送業界では、不思議な使い方が主流になっています。ニュースで頻出するのが、例えば、
 「XX省では、実態を調査し、対策を講じる「としています」」というもの。
 「決めました」と言い切ると「誰が、どこで?」とのツッコミが入りそうで使いたくないみたいです。ホワっとした言い方で、XX省も、報道する方も責任をあいまいに出来るというメリットがあるんでしょう。「では」という本来は場所を指す言葉とセットになって、XX省のあたりには、そんな「空気」が漂っていて、なんとなく決まったみたい、とのイメージだけが先行する「重宝な」言葉です。

<とは>
 「その裏に隠された知られざる秘密「とは」」、「今明かされる驚きの新事実「とは」」で使われる「とは」です。私は、民放でこの「とは」が出ると「あ~、コマーシャルへ行くんだな」と条件反射的に思います(事実、そのパターンが多いです)。
 視聴者を引っ張るだけ引っ張って、チャンネルを変えさせない、という底意が透けるあざとい手法です。今時のテレビ業界が置かれている厳しい現実を反映した言葉かな、と半ば同情もしています。

<あなたにとって〇〇とは>
 「とは」の一類型です。インタビューの最後で、「最後にお聞きします」と来たら、ほぼ間違いなくこのセリフがきます。「あなたにとって音楽とは」「あなたにとって人生とは」の類です。
 気の利いた答えよりも、「ただの暇つぶし」、「カネ儲けの手段」、「家業を継いで、いやいややってるだけ」のような反骨、ホンネの答えが飛び出さないかなと、ちょっと期待するんですけど、残念ながら、期待は裏切られっぱなしです。

<おいしい>
 グルメ番組とかで、タレントが料理を食べる時、どういうわけか、目をくるっと回す場面がよく登場します。一生懸命味わって、言葉を探してるのでしょう。さて、どんな感想、コメントが飛び出すかと思ったら、「おいしい」の一言だけ。
 「おいしいのは分かってる。どうおいしいのかを聞かせてくれ~」と毎度のことながら、虚しくツッコミを入れています。おいしさを言葉で表現するのは確かに難しいです。でも、カネ貰ってんでしょう?ひと工夫欲しいです。

 それで思い出すのが、かつてあった「食いしん坊万才」という5分ほどの番組です。家庭料理を中心に、味わいながら紹介する番組で、いろんなタレントが担当してました。立派だったのは、梅宮辰夫兄ぃ(故人)です。

 とにかく「うまい」「おいしい」を決して使わず。食感、味を言葉で表現することに徹していました。やたら褒めたりもしません。淡々と材料の紹介だけだったり、「うん?」と首を傾げた場面を憶えています。俳優としての矜持なのでしょうけど、なかなか出来ることではありませんでした。

<求められている>
 受身形というのは、主語をはっきりさせなくていいですから、お役所とか、その関係者などが、もっぱら「ご愛用」です。
 「考えられる」、「思われる」、「期待される」などいくらでも思いつきます。
 最近、NHKのニュースなんかでよく耳にするのが「求められている(います)」という表現。
 「早急な原因究明が「求められています」」、「しっかりと説明責任を果たすことが「求められています」のような具合。
 キャスターも本当は、「~するべきだ」、「~する必要がある」と断言したいのでしょう。でも、「各方面への気配り」もあって、ぎりぎりの妥協点として、こういう言い方が「求められている」のかな、とその心の内を「忖度」してますが・・・・

 いかがでしたか?機会があれば続編をお届けしたいです。それでは次回をお楽しみに。


第378回 脱三日坊主のツール-英語弁講座28

2020-07-10 | エッセイ

 先日、書店の語学テキストコーナーを覗くと「在庫はここにある分だけです」との表示がありました。確かに在庫切れになっている講座がちらほらあります。「いろんな事情で」家にいる時間が増えて、「英語(などの外国語)でも」という人が増えているようです。

 どっぷりリタイヤ生活に浸っている私。気楽に、気長にをモットーに、(でも欲張って)英語とスペイン語を「趣味」として続けています。教材は、もっぱらNHKのラジオ講座。レベルや内容にバラエティーがあり、放送回数も週3~5回程度というのがほどよい感じです。

 働いていた時のように、時間に縛られることもなく、放送時間に合わせてラジオのスイッチをいれるだけのはず。再放送もあります。だけど、余裕があるから気が緩むんでしょうか、ついつい聞き逃して、「三日坊主への道」をたどりそうになります。

 まずはそれを救ってくれたツールをご紹介し、後半では私のお奨めの英語番組をひとつご案内することにします。
 そのツールは、スマホ、タブレット用の「NHKゴガク」というアプリで、ios版とandroid版があります。前週1週間分の語学番組が、翌週月曜日の午前10時に一括アップされますので、好きな番組を、好きな時間に、好きなだけ聴ける、というわけです。

 会員登録は必要ありません。英語以外の言語も含めて、ラジオで放送されているほとんどの講座をカバーしていますから、聴きたいのを選んでチェックを入れます。(追加、変更などはいつでもできます)。講座と聴きたい曜日をタップするだけでOKです。
 こちらは、私の立ち上げ画面(iPhone版)です。シンプルでしょ。

 5つも登録してますが、メインは後ほどご紹介する英語番組(上から2つ目)とスペイン語2つです。いつでも、どこでも利用できるんですが、続けるためには、ゆるくていいですから、ある程度、自分の生活サイクルの中に組み込んでおくのが経験上お奨めです。
 私は、朝食後と夕食後のくつろげる時間をもっぱら当て、前週の同じ曜日の放送を聴くようにしています。
 さて、お奨めの番組のご案内です。

 「遠山顕の英会話楽習」(月~水の週3回、各15分)がそれ。
 お奨めする理由はいくつかあります。この道10数年の大ベテラン遠山先生と、男女各1名のアシスタント(こちらもベテラン)の和気あいあいとした雰囲気が何より楽しいです。

 素材となる会話は、月ごとのテーマに沿った30秒程度のごく短いものです。レベルとしては、概ね中級くらいでしょうか。スピードはナチュラルに近く、そう難しい単語は出てきません。でも、けっこう気の利いた言い回しとかカジュアルな表現が出てきますし、やりとりが、いかにもアメリカっぽく、よく出来てます。会話は、手を変え、品を変え、番組中で5~6回出てきますから、「いやでも」身に付く仕掛けです。実際の会話例をご紹介しましょう。

 2020年5月は「四季のお天気」がテーマでした。5日の放送では、若い男女がカフェで会話している設定で、久しぶりの再会を喜び合ったあと、後半は、こう続きます。

男:What are your plans for this evening?(今夜の予定は?)
女:I'm going to lookout point to watch the meteor shower.(流星群を観に、見晴し台にいくつもりよ)
男:Really? It's overcast right now.(そうなんだ。(でも)今は空がどんよりしてるよ)
女:It's supposed to clear up by midnight. Want to come?(深夜には晴れ上がるんだって。一緒に来る?)
男:I have an early day tomorrow.But thanks anyway.(明日は朝が早いんだ。せっかくだけど・・)

 天気の話題に流星群(meteor shower)が出てくるなんてシャレてます。「朝が早い」って、こんな簡単な単語で表現できるんですね。知りませんでした。短いですけど、中身は濃いでしょ。

 既にいろんな形でやっておられる方は、是非お続けください。また、意欲はありながら、延び延びになっていたり、挫折体験から手が出ないでいる方々の背中を、今回の記事が押してくれることを心から願っています。

 「講座っぽい」内容でお送りしましたがいかがでしたか?それでは、次回をお楽しみに。 


第377回 毒々しい生き物たち

2020-07-03 | エッセイ

 これまでに、ナマケモノ(第202回)アリ(第241回)昆虫(第302回)などいろんな生き物を話題にしてきました。今回は、かねがね、怖いもの見たさ、というか知りたさから関心を持っていた有毒動物を取り上げます。

 「毒々生物の奇妙な進化」(クリスティー・ウィルコックス 垂水雄二訳 文春文庫)から、「興味本位に」いくつかのトピックを拾ってきました。

 まずは、オーストラリアにだけ生息するカモノハシです。本書でも冒頭に登場するんですが、これが、ほ乳類で唯一の有毒動物だと知って驚きました。昔、理科の教科書かなんかで見た記憶があります。こんな一見可愛げ、不気味といえば不気味で、奇妙な生き物です。

 毒を持っているのはオスです。後ろ足にある尖った蹴爪で、それを相手に突き刺して毒液を注入します。でもこれが毒かどうかをめぐっては、19世紀の初め頃から議論があり、20世紀も近い頃になって、やっと毒であることが判明しました。その成分の化学的分析は、1940~50年にかけてといいますから、結構時間がかかっています。

 最大の原因は、この毒液の使い途です。交尾期を迎えたオス同士が、メスをめぐって争う時、相手のオスを倒すために使われます。なので、交尾期にだけ毒性が発現する仕組みです。毒液自体も80数種類の毒物成分のカクテルのようなものだと判明しています。
 それだけでも不思議なのに、必要な時にだけ毒性が強くなる仕組みーー進化の謎は深いです。

 では、強毒の時期のカモノハシに、ヒトが刺されたらどうなるのでしょうか。とにかく想像を絶する激痛が持続します。
 狩りをしていた退役軍人が刺された症例です。たまたまいたカモノハシにつまずいた彼が、その生き物を心配して持ち上げたところ、右手を刺されてしまいました。

 治療に当たった医師たちは、最初の30分間に合計30ミリグラムのモルヒネを投与しなければなりませんでした。地上最強の鎮痛剤で、通常用いられる量は、「1時間あたり」1ミリグラムです。60倍もの投与を行ったことから、その痛みの激しさが想像されます。「軍人のときに散弾で負傷したときよりもはるかに激烈だった」(同書から)といういかにも退役軍人らしい証言がリアルです。
 神経ブロック剤で手のすべての感覚を麻痺させるなど手を尽くして、なんとか救われたものの、入院は6日間に及んだといいます。

 さて、有毒動物の話題になると、最強(最悪?)の動物はどれかというのが気になるところです。著者もいろんな切り口で紹介しています。その上で、毎年数十万人を殺戮している最悪の生物とは?と問いかけています。
 ヘビ?サソリ?ハチ?クモ? そうじゃないんですね。著者の答えは「蚊」。

 ヒトの血を吸いやすくするために送り込む血管拡張剤ーこれ自体は、かゆみを起こす程度でほとんど無毒です。問題は、その行為で多くの感染症を媒介する点にあります。
 世界中で1年間に、マラリアで60万人以上、黄熱病で3万人、日本脳炎で2万人、デング熱で、1.2万人などが命を落としています。なるほど、毒を媒介し、ヒトを死に至らしめる「数」で言えば、「蚊」が最強、最悪という見方も出来ますね。

 最後に自らのカラダを実験台に毒液の研究に挑んだ学者を紹介します。マイアミ・ヘビ園の園長であったビル・ハーストなる人物です。ヒトの体には、外部から入ってきた毒素に対抗して、抗毒素(抗体)を作り出す、いわゆる免疫という機能が備わっています。
 それなら、ヘビの毒素も体に適量を、期間をかけて注入することで、毒への免疫が出来るのではないか、というのが彼の出発点です。施設には何百種類ものヘビが飼育されていますから、「材料」には事欠きません。

 1948年にコブラの毒液を注射したのが最初です。その後、種類を増やしていき、時には、20~30種類の毒液を混ぜて駐車するなど過激な「実験」を続けました。そのキャリアを通じて、170回以上ヘビに咬まれ、何度か危ない目にも会いましたが、常に回復していたといいます。
 晩年のインタビューでは、自分はとても健康であり、それは、自身の免疫系全体が改善されたからだろう、と話しています。事実、100歳という長寿を全うしたのですから。
 文字通り、カラダを張っての研究ぶり。恐れ入りました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。