★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第543回 面白「そうな」本たち-2

2023-09-29 | エッセイ
 シリーズ第2弾をお届けします(文末に、前回へのリンクを貼っています)。読んでもいない本をあつかましく取り上げますので、遠慮して、タイトルには「そうな」を入れました。
 HONZ(https://honz.jp)というノンフィクション本の紹介サイトを主宰する成毛眞氏の著作から、面白本をご紹介する企画です。今回は、氏の「面白い本」(岩波新書)から、5冊を選びました。いずれも興味深く、ユニークな内容ですので、どうか最後までお付き合いください。

<ウソかマコトか>
 「鼻行類ー新しく発見された哺乳類の構造と生活」(ハラルト・シュテュンブケ 日高敏隆/羽田節子訳 平凡社ライブラリー)は、なんと鼻で歩く新しい哺乳類が発見されたというショッキングな内容の研究書です。豊富な図版もまじえ、1987年の発売当時は大きな反響を呼びました。ネットから拾って来た本書掲載の図版です。

 でも、内容はすべてフィクションです。成毛は書きます。「これほど濃密な内容を空想だけで書くことができるのか、と思わせるほどのものが本書にはある。真実の衣装をまとった真っ赤なウソではあるが、まとっている真実の衣装が、ウソであるにはあまりに精巧なのだ。」(同書から)
 時に虚実の疑わしい学説、情報が飛び交う学術世界への壮大な挑戦、パロディと割り切れば、よくできた、楽しめる本、と言えそうです。

<理不尽で滑稽な生>
 作家・木谷恭介氏は唐突にも断食安楽死を決意します。その顛末を描いたのが「死にたい老人」(幻冬舎新書)です。動機は、78歳で妻と別れた後の82歳2ヶ月にして、女性とセックス出来なくなったこと。
 その決意を多少は周囲の人に知らせはしました。「「枯れるように死ぬ」のだから、死に至る病などになるわけにいかない。持病の薬は用法用量を守ってきちんと服用する」(同)というのですから、なんとも理不尽で、人騒がせなことです。あれやこれやあったのでしょう、本書執筆時点で、断食は中断中とのこと。それは何より、と言っていいのかどうか・・・

<とかく政治家は・・・>
 政治家の失言、妄言は日本に限らないようで、アメリカの元大統領ブッシュ氏(父親のほう)の場合は、「ブッシュ妄言録」(フガフガ・ラボ編 村井理子訳 ぺんぎん書房)という「立派な」本になっています。妄言もさりながら、訳者のツッコミ(「村井:」の部分)も楽しい。
 イギリスから来た子どもに「ホワイトハウスはどんなところか」と質問されて、「「白いよ。(村井:たしかに・・・)」と答えた。」(同)
 カナダのクレティエン首相訪問時のスペーチでは「「カナダとメキシコの国境関係が良好だったことはない。」(村井:その2国間に国境はございません)」(同)
 9.11同時多発テロ後であるにもかかわらず「すべてをひっくるめて、素晴らしい1年だった」(同)と振り返る不思議な発言を連発し、世界を振り回しました。あまり他所(よそ)の国の政治家のことは言えない気もしますが・・・

<切腹作法教えます>
 現代の生活ではまったく役にたたないけれど、興味をそそられる知識というのがあります。「武士マニュアル」(氏家幹人 メディアファクトリー新書)で披露されるのもそんな知識の数々。
 庄内藩士の著書を引き合いに「住み慣れた我が家であっても、暗闇のなか、不用意に足を踏み入れてはならない」「人を殺傷した後は、モグラの皮で刀を拭い清めよ」(同)などが紹介されています。 
 極めつけは、切腹にける介錯の作法です。腹を裂いて苦しんでいる人間を一太刀で絶命させるための7つの「討ちどき」があるというのです。さらには、首の骨を断ち切るだけでなく、首の皮1枚を残すのが理想と述べられます。断ち切ると「切腹人(の首)がまばたきをしたり地面の石や砂にかみついたりするから」(同)だというのです。つくづく、武士の時代に生まれなくて良かったと感じます。

<ネズミに学ぶ言葉の仕組み>
 「ハダカデバネズミ 女王・兵隊・ふとん係」(吉田重人/岡ノ谷一夫 岩波科学ライブラリー)の主人公は、タイトルのとおり、出っ歯で無毛のこんなネズミ。

 で、何を研究するかというと、生物の言語能力の存在やその仕組み。なんと、彼らは「パピプペポ」を発音することができ、歌も唄うというのです。自分より上の階級のネズミには特定の鳴き声を多用し、まるで人間社会の上下関係を想起させます。
 さらに、アリのように女王が統治し、兵隊もいます。女王のふとんになる係もいれば、ふらっと旅に出る冒険ネズミもいるといいます。確かに興味溢れる研究対象です。ひょっとして、人間の先祖はこのネズミだったのかも・・・さらに研究が進むことを期待します。

 いかがでしたか?前回の記事へのリンクは<第523回 面白「そうな」本たち>です。なお、もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第542回 ちょっぴり驚きの英国史

2023-09-22 | エッセイ
 英国史というと、国王なんかの名前がズラズラ出てきて・・・なんて心配はご無用。「驚きの英国史」(コリン・ジョイス NHK出版新書)から、あまり知られていないけど興味津々の歴史エピソードをお楽しみいただこうという趣向です。著者は、英国出身のフリージャーナリスト。海外ニュース誌の滞日記者としての経験を活かして、日本でも数冊の本を出しておられます。わかりやすく、ユーモアあるそれらの本からネタを拾って、以前、2回記事にしました(文末にリンクを貼っています)。今回も十分にご堪能いただけるはずです。どうぞ最後までお付き合いください。

★体を張った貴婦人
 世の中には、史実か伝説か、はっきりとはしないけれど、多くの人が事実だと信じ、その主人公に深い愛情を抱いているエピソードがあります。英国での代表的な人物として、著者が挙げるのが、ゴダイバ(ゴディバ)夫人です。
 11世紀、英国中部のコベントリーの領主であった夫・レオフリクは、住民に重い税を課し、夫人は心を痛めていました。税を軽くするよう頼む夫人に、ある時、夫は、それなら裸で馬に乗って町じゅうを乗りましてもらおうか、とからかいました。真に受けた夫人はそれを実行し、夫が皮肉で言った約束を守らせました。物語の周辺には謎も多いのですが、彼女は現代でも大きな存在でアートや文学の世界で生き続けています。コベントリー市に立つゴダイバ夫人の銅像です(同書から)。

 住民たちは彼女への感謝の意を表すため、窓を閉じ、家に閉じこもったといいます。たった一人だけ、こっそり盗み見た男が、ピーピング・トム(覗き屋トム)だ、という伝説まで生みました。
 さて、英語読みでゴダイバをゴディバと発音すれば、そう、日本でもお馴染みのベルギーの高級チョコレートブランドです。彼女の人気にあやかって名付けられたもので、馬に乗った彼女の図柄が商品ロゴになっています。天国にいる(はずの)ゴディバ夫人も、こんな風に利用されるとは、と「ちょっぴり」戸惑っているかもしれません。
★オックスフォード大学生が住民と衝突した日
 若い頃、オックスフォードの町を訪れたことがあります。大学中心の落ち着いた街並み、雰囲気が印象的でした。

 そんな町で、1355年、オックスフォード大学生と住民の大衝突事件があったのが驚きです。秩序の回復に国王が乗り出す事態にまで発展しました。
 ことの発端は、街の中心部にあるスウィンドルストック・タバーンという店(この場所には記念碑が立っているとのこと)で、二人の学生が、ワインの質が良くないと、乱暴な口調で店主に文句を言ったことです。双方、激しいやり取りの末、学生は店主にワインをかけ、殴りつけました。
 普通なら法に従って学生は処分されるはず。でも、当時の学生は修道会のメンバーだったため町の法は適用されず、大学側も処分を拒否しました。もちろん住民は収まりません。近くの街の住民も弓矢で武装して攻撃に加わりました。襲われた60人以上の学生が死亡し、学生、大学関係者は町を逃げ出しました。
 たまたま、近くの村に国王エドワード3世が滞在していました。両派は自分たちの主張を認めるよう訴えます。「ついに王は、学生側に利があるという裁定をきっぱりと下した。」(同書から) 
 同大学OBの著者は「王は誕生して間もない大学を後押しすれば、教育ある国民と高い学識が自分のもとにもたらされ、国の将来に役立つことを知っていた。町の人々の不満は二の次だった。」(同)と、同大学OBの著者は、国王の裁定に一定の理解を示しています。一方、「国王のこの政治的裁定のおかげで、オックスフォード大学の現在の地位はあるのかもしれない」と、OBならではの皮肉で締めくくるバランス感覚はさすがでした。
★悲劇の探検家・スコット大尉
 世界で最初に南極点に到達したのは、ノルウェーのアムンゼン隊で、1912年のことです。数週間遅れで到達した英国のスコット隊は2番手という結果になりました。加えて、帰途、スコット大尉自身が遭難死するという悲劇にも見舞われています。でも、当然のことながら、著者はスコット隊を高く評価するのです。

 アムンゼン隊はひたすら1番乗りだけを目指す「冒険」でした。でも、スコット隊は、極地の学術調査で大きな成果を挙げている、というのです。
 具体的には、膨大な数の標本を採集しています。気象に関するデータ収集、野生生物の生息状況、地質調査などを行いました。当時入手が極めて困難であった皇帝ペンギンの卵の標本は、ロンドンの自然史博物館に展示されています。
 そして、彼が残した日記(現在、大英図書館所蔵の貴重な記録となっています。足に重度の凍傷を負ったローレンス・オーツ大尉は、仲間の足手まといになることをおそれ、ブリザードの中、テントを出て行き、みずから命を絶ちました。日記に残された彼の最後の言葉です。「ちょっと出かけてくる。しばらく戻らないと思う」(同)
 著者の身びいきを差し引いても、スコット探検隊の業績は、世界的にもっと評価されてしかるべき、と十分納得できました。

 いかがでしたか?冒頭でご紹介した過去の記事は<第211回 ニューヨークのイギリス人><第317回 英国暮らしの傾向と対策>です。合わせてお読みいただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第541回 「怖い絵」をこわごわ観る

2023-09-15 | エッセイ
 随分前,に、独文学者・中野京子さんの「怖い絵」を新刊で読んで衝撃を受けました。若い頃から西洋絵画を観るのが好きで、展覧会にもよく足を運んだものです。きれいな風景、人物、神話的世界を写し取り、見る人に安らぎを与えるものだと思い込んでいましたが、その分野に造詣の深い彼女によれば、「怖い」というジャンルがあったんですね。最近、角川文庫版で「こわごわ」再読したのを機に、私なりに選んだ4点をご紹介したくなりました。最後までお付き合いください。(画像は、同書から拝借しました)

★まずは、こちらです。

 この女性が誰だかお分かりですか?フランス革命から4年後の1793年、ギロチン台に向かう元ルイ16世の王妃マリー・アントワネットです。描いたのは、ナポレオンの戴冠式など数々の名作をものにしてきた宮廷御用達の画家ダヴィッド(1748-1825)。
 動物死体運搬用の荷車に乗せられ、両手を後ろ手に縛られた上、自慢の長い髪はギロチンでの処刑の際、邪魔になるのでバッサリ切られています。憎い「オーストリア女」であり、国庫を破綻させ、「パンがなければ、お菓子を食べればいい」と暴言を吐いた彼女。そんな彼女の姿をリアルに写し取るダヴィッドの「悪意」が怖い、と著者は書きます。「練達の筆によって、さりげなく欠点が誇張され、美化ならぬ醜化がなされている」(同書から)とも。確かに、薄衣一枚で、ふくよかな体の線もそのままです。でも、このような追い詰められた状況の中でも、背筋を伸ばし、口を固く結んで威厳を保とうとする彼女の姿にちょっぴり憐れみも覚えますね。
★次の作品はこちらです。

 描いたのは16世紀のネーデルランド(現オランダ)の画家ブリューゲル(1530-1569)で、「死刑台の上のかささぎ」と題されています。遠景だけ見れば、のどかです。やわらかな陽射しのもと、悠然と流れる大河、薄紫色にけむる山並みや町が見えます。中景にある木々や葉っぱは印象派を思わせます。でも、前景中央にデンと据えられた絞首台が象徴するごとく「この絵の中心は「死」なのだ。」(同)というのが「怖い」です。
 画像ではちょっと見づらいですが、左端中景の村から、人々は通りへ出て、三々五々楽しげに前景の小高い丘へ登ってきます。いずれ人間は死ぬ運命にあるのも知らぬげに。追い討ちをかけるのが、台の上のカササギです。カラス科の鳥で、ヨーロッパでは、「偽善」の象徴とされ、魔女や悪魔鳥とみなされてきました。ブリューゲルが活躍した16世紀半ばのネーデルランドは、他の国同様、宗教改革の影響をまともに受け、異端審問や魔女狩りがもっとも激しい時代でした。かささぎには、おしゃべりで、告げ口屋というイメージもあります。そんな時代背景の中で、「そんないやらしい告げ口屋が、絞首台からじっと人々を見下ろす・・・。この絵の怖さがじわじわ感じられてくるではないか。」(同)明るい農村風景などを好んで描いてきたブリューゲルの人生観、心の内なる暗さも「怖い」です。
★次の作品をご紹介する前に、そのベースとなったこちらの作品を、まずは、ご覧ください。

 17世紀にベラスケスによって描かれた「教皇インノケンティウス十世像」です。教皇が「真を穿(うが)ちすぎている」と洩らしたと伝えられています。確かに、「こちらを見据える人好きしないその顔。険しい眉。教皇も文句の付けようがなく、書き直せ、とは口が裂けて言えなかっただろう」と著者も推測している作品です。
 そして、いよいよ「怖い」主役の登場です。

 なんたる肖像画でしょうか。言葉を失います。約300年を経て、ベーコン(1909-1992)によって描かれた「ベラスケス<教皇インノケンティウス十世像>による習作」という作品です。最初にご紹介したダビッドの「悪意」を超えて「憎悪」ムキ出しで、まるで幽鬼のごとく描いています。帽子と上着の赤は、「改悛」「贖罪」を表す紫色に変えられています。大きく開かれた口。そして何より不気味なのは、強く激しく不揃いな縦線です。カトリック嫌いだったとはいえ、ベーコンをそこまで追い立てたのは、この教皇が「競争相手を蹴散らして権力の座についた男が身にまとう、一種の「悪」ともいうべき「陰険さ」であったろう」(同)とも著者は想像しています。それにしても、ここまでやる?あらゆる手法を駆使する画家の執念が「怖い」です。
★最後は極め付けの「怖い絵」のご紹介です。

 スペインの画家ゴヤ(1746ー1828)による「我が子を喰らうサトゥルヌス」です。頭と右手はすでに喰われ、左手を喰わんとする壮絶な場面です。ギリシャ・ローマ神話に由来し、多くの画家がこのモチーフに挑んでいます。でも、さすがゴヤ、「怖さ」が別次元です。
 サトゥルヌスは、大地の女神ガイアとその息子の天空神ウラヌスとの間の子供です。長じて父ウルヌスを殺した時に、父が残した「おまえもまた自分の子供に殺されるだろう」との予言に怯え続けました。そして五人の子供を次々と喰い殺したのです。それが、この絵の主題です。結局、サトゥルヌスは、六番目の子供ユピテル(=ゼウス)に殺されてしまうのですが・・・・
 この作品は、現在、スペインのプラド美術館が所蔵、公開しています。元々は、ゴヤの自宅の漆喰(しっくい)壁に直接描かれていました。これも含めた「魔女の夜宴」「運命の魔女たち」など忌まわしいテーマの14作品は「黒い絵」と呼ばれています。人に見せるためでなく、自分の内なる黒い情念を叩きつけたようなその作品群。宮廷画家としての栄誉を欲しいがままにした人生の晩年に一体何があったのでしょう?「怖さ」を超えた「恐怖」さえ感じます。
 いかがでしたか?西洋絵画にはこんな世界もあり、というのを知っていただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第540回 村上春樹の人生相談

2023-09-08 | エッセイ
 村上春樹さんが、ネット上で人生相談をしていたことがあります。専用のサイトで、一般の方々から広く質問を募り、彼が回答する、という趣向です。何回か行われ、2015年1月から5月まで実施されたのが最後になりました。質問は3万7千通あまり、累計閲覧数は1億を超えたという好評ぶりだったそう。
 そのうちの473件の質問・回答をまとめたのが「村上さんのところ」(新潮文庫)です。過去2回にわたりお届けした記事(文末にリンクを貼っています)に続く今回は、いかにも人生相談っぽいものを中心に集めてみました。そう深刻なものはありません。春樹さん流のユーモア、時に韜晦、はぐらかしもありの回答ワザをご堪能ください。なお、質問は要点を、回答は原文(<   >内)を活かしつつ、ちょっぴり私のコメントを加えているものもあります。

★「無駄に話が長くて困る上司がいる。この間は15分の約束が、半日も話を聞かされた」との若いOLからの相談に、
<話の長い人の話を短くすることは不可能です。あれは不治の病です。死ぬまで治らない。><気の毒だけど、あきらめてください。「退屈さには神々も旗を巻く」とたしかニーチェも言っています。>
 ニーチェまで引用し、珍しく突き放したトーンの回答です。村上さんはサラリーマン経験はないはずですが、よっぽどヒドい長話人間と出会って、骨の髄まで懲りているんでしょうね。

★「村上さんは、漫画もアニメも観ないと聞きましたが、なぜですか」という男性公務員からの質問に、
<残念ながら、人生の持ち時間にはそれぞれ限りがあります。一人の人間が何もかもをカバーするのは現実的に不可能です。だからある程度の年齢になると、興味の対象を絞って活動していかなくてはなりません。>
 若い頃は、アニメも漫画はもちろん、文楽や野球観戦も楽しんだとも書いています。その彼にして、年齢とともに活動を絞らざるを得ない、というのを読んで、私もちょっと安心しました、もっぱら、読書と、ブログ書きの日々ですから。

★「村上さんの本が読みたいけれど、ファンの父親からまだ早いと言われて読めていない。どうすれば」という中学一年生の女子からの相談です。
<中学一年生ならもう大丈夫だと僕は思いますよ。お父さんに隠れてどんどん読んじゃえば。エッチなところもときどきありますが、飛ばして読んでいいです。><そういうところ、僕もそんなに気にせず書いていますので。>
 同じ年頃の人たちから同種の質問がたくさん寄せられているとも明かしています。営業トークをちゃっかり盛り込んだ大胆な名(迷?)回答に頬が緩みました。

★「街中で見かける標語から、ラブホテルのネーミングまで、幅広くエッセイでカバーする村上さんに、メモの利用など普段からの心掛けが知りたい、との男性公務員からの質問です。
<僕はエッセイの連載ってあまりやらないんですが、やるときはまずネタを一年分くらい用意します。そうしないと「今週は何を書けばいいかな」みたいなネタ探しに追いまくられて、生きていてもちっとも楽しくないからです。だから50個くらいのネタを用意しておいてから、よっこらしょと連載を始めます。新しく書きたいものがあれば、それを入れて、リストから古いものをふるい落とす、というシステムでやっています。>
 私もブログは毎週金曜日更新を自らに課し(ちょっぴりPR)、実践していますので、村上さんの苦労、工夫はよく分かります。私も本を読みながら、使えそうなネタがあれば付箋をつけたり、スマホにメモを残したり、とそれなりの工夫をしていますので。

★「村上さんの紀行エッセイの愛好者で、自らも書いてみたい」という女子大学生に、こんなアドバイスをしています。
<旅行エッセイ、あるいは滞在記みたなものは、僕の経験からすれば、はっきりとした目的意識なしには書けません。つまり、「自分はこの旅行について、あるいは滞在について、一冊の本を書くのだ」という覚悟がまず必要になります。のんべんだらりんと旅行したり生活していたりしたら、本なんてまず書けません。>
 村上さんの紀行エッセイは私も愛読しているだけに、アドバイスが身に沁みます。紀行エッセイって、どこへ行って、何を観て、何を食べて、どう感じて・・・を書けば出来上がり、とイージーに考えがち。私が旅行に行く時も、ブログのネタを探す、という「目的意識」はあるのですが、1本か2本、記事ネタが出来ればいい方です。プロの道の厳しさをあらためて教えられました。ありがとう、村上さん。

 いかがでしたか?当シリーズはこれが最終回の予定です。なお、冒頭でご案内した過去記事へのリンクは、<第284回 村上春樹がくれたアドバイス><第501回 村上春樹の英語術 英語弁講座40>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第539回 タモリがタモリになるまで

2023-09-01 | エッセイ
 若い頃、最も「笑」激を受けた芸人といえば、ビートたけしとタモリの二人にとどめを刺します。アナーキーで過激、破天荒な芸風と、他人に頼らず自らの独創性だけで勝負するスゴさに呆れながらも笑い転げていました。
 以前、「さんま」も含めた3人の芸を記事にしました(文末にリンクを貼っています)。タモリについては、以前から、もう少し掘り下げて書いてみたいと思っていたところ、格好の本に出会いました。「タモリ学」(戸部田誠 イースト・プレス)です。なにしろ「学」ですので、様々なネタ、本人・関係者の談話、文章などを通じて、彼の人間性、生き方までをも見事に描き出しています。その中から、本格的デビュー前のあまり知られていないエピソードを中心にご紹介することにしました。本書から借用したイラストです。最後までお付き合いください。

 タモリがまだ会社勤めをしていた72年に、博多で山下洋輔と渡辺貞夫のジャズコンサートが行われました。公演後、タモリは渡辺貞夫のマネージャーをしている学生時代からの友人と、公演メンバーの宿泊先ホテルの一室で飲んでいたといいます。
 午前2時頃に帰宅すべく廊下を歩いていると、ある部屋からどんちゃん騒ぎと笑い声が聞こえてきました。鍵がかかってなかったので、タモリが中の様子をうかがうと、そこは山下洋輔バンドの部屋で、サックス奏者の中村誠一が、でたらめの歌舞伎を演じたりの大騒ぎ。タモリはメンバーに断りもせず合流し、朝まで騒ぎは続きました。その時の様子を、山下が「ピアノ弾きよじれ旅」で振り返っています。ちょっと長めですが、「タモリ学」(以下、「本書」)から引用します。

<(中村が)唄い踊っていると、部屋のドアが開いて知らない男が、中腰で踊りながら入って来た。鮮やかな手つきだった。時々、ヨォーなどと言いながら中村の側までやって来た。それから妙な手つきで、中村の頭から籐椅子をとってしまい、自分がかぶって踊り続けた。
 我に帰った中村が、踊りをやめ、すごい勢いでまくしたてた。少しは自信のあるデタラメ朝鮮語でだ。すると驚いたことに、その男はその3倍の勢いで同じ言葉を繰り返した。この繰り返しにびっくりした中村はそれならと中国語に切り替えた。
 男は5倍の早さでついてきた。これはいかんとドイツ語に逃げた。ますます男は流暢になった。イタリア、フランス、イギリス、アメリカと走り回るうちに男の優位は決定的になってきた。最後に男の顔が急にアフリカの土人になってスワヒリ語を喋り出した時は、おれはたまらずベッドから転がり落ちた。すでにそれまでに、笑いがとまらず 悶絶寸前だったのだ。
 中村はいさぎよく敗北を認め、ところであなたは誰ですかと訊いた。「森田です」とそいつは答え、これがおれにとってタモリの最初の出現だったというわけだ>スゴい状況を、スゴい文章で活写してるのに参りました。

 さて、「俺の人生の扉、ドアはあのホテルのドアだった。あれを開けると開けないじゃ、人生は変わってた」とのタモリの言葉が本書で引用されています。まさに運命の扉を開けた瞬間でした。
 「森田」のことがどうしても忘れられない山下らがツテを頼って探し出し、タモリの上京が実現したのは、76年6月のことです。上京してすぐの仲間内の集まりで披露した芸が、「「中国製のターザン映画」「宇宙飛行士になった大河内伝次郎が、宇宙船の中で空気漏れに苦しんでいるのを韓国語で」「日本製のウィスキーを、これは悪しき飲み物であると説明しながら飲み始めた中国人が、やがてこんなすばらしい飲み物はないと言い始める」など」(本書から)だったとあります。さぞ大受けだったことでしょう。

 さて、最初の頃は、新宿のバーで常連相手に芸を披露する程度の活動でしたが、そこで漫画家の赤塚不二夫と、これまた「運命的に」出会います。九州に帰してはならないと信じた赤塚は、彼を高級自宅マンションに同居させるのです。酒は飲み放題、服は着放題、ベンツも乗り放題、おまけに小遣いまでもらえるという何不自由ない生活が9ヶ月続きました。
 ここにはとても書けないようなアブない芸の開発も含めて切磋琢磨する二人。師匠、弟子という言葉ほど二人に似合わないものはないでしょう。でも、この時期に、二人はお互いの才能を認め合い、堅い絆で結ばれました。それを物語るエピソードを最後にご紹介します。

 08年8月に赤塚が亡くなりました。冠婚葬祭を嫌うタモリが、異例ながら「森田一義」として、弔辞を読むことになりました。8分ほどにもなる堂々たる読み上げでしたが、手にしていた紙には何も書かれていないのではないか、との噂が当時からささやかれていました。
 後に本人もそれを認めています。いかにも彼らしく、大恩人の遺影を前にして、まさに勧進帳並みのパフォーマンス、アドリブ芸を披露し、恩に報いたわけです。
 「赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品のひとつです」(本書から)との弔辞の締めが心に沁みます。
 現在は、もっぱら「ブラタモリ」で余生を送っている感があります。今まで私たちを散々楽しませてくれたのですから、それで「いいとも」と言いたいところですが・・・・「いいかも」にしておきます。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは<第343回 笑いも世につれーさんま、たけし、タモリ論>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。