★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第534回 人名いろいろ-6 開高健編

2023-07-28 | エッセイ
 シリーズ第6弾として作家・開高健(かいこう・けん)さんの名前にまつわる話題をお届けします(文末にシリーズ最近2回分へのリンクを貼っています)。彼の作品との出会いは、学生時代に読んだ「日本三文オペラ」でした。終戦直後の大阪を舞台に、ギラギラ、ネチネチした文体で、大阪弁が飛び交う小説世界にすっかり魅せられました。その後は、もっぱら、食、酒、旅などに関するエッセイに親しんでいます。

 開高健という名前を目にした時、ちょっと珍しい姓、とは感じましたが、3文字とも音読みですし、そう違和感はありませんでした。でも彼のエッセイ「名は体をあらわすか」(「開口閉口」(新潮文庫)所収)を読むと、結構ご苦労(?)とか、様々なエピソードがあったようです。後半ではセクシーな話題も登場しますので、お楽しみに最後までお付き合いください。

 学校での学年始めには出席簿で順に名前が呼ばれます。その時「「一度でスラスラ読めた先生は一人もいなかった」(同エッセイから)とあります。誤読の例として、ヒラキダカ、カイダカ、そして、一字姓として、ヒラキ、カイなどを挙げています。選挙の投票に行った時も、係員は、まず「ヒ」の項から探し、本人に言われて「カ」へ行くというのが通例だったといいます。

 シンガポールのホテルではこんな体験をしています。フロントでサインをしていると、中国人のどっしりした紳士が、にこやかにキングス・イングリッリッシュで話しかけてきました。漢字で名前を書いていただきたい、というのです。「「開高」と書いてみせると、満足した顔つきでうなずきながら、私の友人にも同じ名のがいる、中国人です、いい人ですよ、といって去っていった。」(同)というのです。中国では、「李」とか「張」とかの一字姓が多いですから、珍しがられ、しかも同姓の知人がいる縁で、ちょっとした国際交流になりました。

 文学代表団の一員として、中国の広州を訪れた時のことです。訪問が新聞記事になり、野間宏団長以下全員の名前が載っています。開高の開の字が、日本では当時あまり知られてなかった簡体字で「开」となっていました。日本でなら、神社の鳥居マークで、塀などに書かれてあれば「何を意味するかは万人に知られているけれど、ていねいなのには、そのしたへ「立ち小便スベカラズ」と書いたのがある。」(同)とあります。ちょっぴり不快な思いをしたようですね。
 また、見知らぬ税務署員の方から、毛筆で丁寧な文面の年賀状が届いたことがあるといいます。氏のファンとのことで、励ましの言葉が並び、一緒に酒でも飲みたいと書いたあと、末尾は「邂逅さんよ」となっていました。「一滴の光を感じましたね」(同)と、これは嬉しい経験でした。

 さて、話は彼の中学生時代に戻ります。江戸時代の春本を読んでいると、「「開中しとどにうるおい」とか「開は火照って熱湯のよう」などとやたら「開」に出会い、とんでもない用法で昔は使われていたのだと知らされた。」(同)
 父親からは、開いて、高くて、健(すこ)やか・・・めでたい字ばかりやないか、と言われ続けてきました。でも否応なく気づかされたのです。自身の名前が、女性の大事なところ(開)が、高くて、健やかという意味になることに。
 小説家として本格的に活動を始めた頃のことです。作家仲間の島尾敏雄がそのことに気づき、よりによって吉行淳之介にそれを伝えました。そして、ある日、吉行から言われました。「君の名前は、ほんとは、なんだってネ。「ぼぼだかたけし」というんだって?」(同)

 このエピソードには続きがあります。昭和47年、永井荷風作とされている「四畳半襖の下張り」が雑誌「面白半分」(編集長・野坂昭如)に掲載され、それが猥褻文書として摘発、起訴されたのです。開高もこの作品が春本、ポルノであるとは認めています。その上で、これは大人の童話であり、笑って愉しんで読むもの、そして、言葉は常に変質していくものである、との立場から、弁護側の証人として、東京地裁へ出頭しました。
 証言でまず述べたのが、先ほどのセクシーな自身の名前の件です。読み方によっては、こんな猥褻な名前はないではないか、というわけです。
 そして、もう一つ例に挙げたのが、「チャンコ」という言葉です。「たったの80年かそこらの昔、東京の下町ではいまXXXXと言ってることを声ひそめてチャンコといっていたではないか。」(同)それが、今や、ちゃんこ鍋、ちゃんこ料理などとすっかり普通の言葉になり、あちこちに看板も出ている現状をあげつらってみせました。
 文中ではXXXXとなっていますが、証言では「OMANKO」(同)と例の大声で発言しました。「真実のみを述べます」と開廷冒頭に読み上げた宣誓文の趣旨を踏まえて、と開高らしく皮肉たっぷりです。法廷にいる関係者全員が声をたてて笑いくずれた、とも書いています。同時に、「わが家名に、おかげで、とんでもない意味があると公表した結果、今後私の顔を見知らぬ人がだまってニヤニヤ眺めることとなったら、どこへ訴えでたらいいのだろう?」(同)とホロ苦い思いも吐露しています。ともあれ、名前一つで楽しく、セクシーに話題を展開するそのワザ・・・とてもプロには適わないと感じたことでした。

 いかがでしたか?なお、最近2回分の記事へのリンクは、<第4回><第5回>です。よろしければお立ち寄りください。それでは次回をお楽しみに。
この記事についてブログを書く
« 第533回 江戸の難解川柳を楽しむ | トップ | 第535回 アメリカの1コマ漫画−4 »
最新の画像もっと見る