★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第291回 「とんち教室」で学ぶ言葉遊び−2

2018-10-26 | エッセイ

 先日、いきつけのお店で恒例の句会が行われました。珍しく都々逸の投句がいくつかありました。私も一部読み上げを担当したのですが、つい俳句の調子で読んでしまい、作者の方からご叱声をいただく一幕があったりしました。
 そんなこともありましたが、「言葉遊び」の第2弾です。

 前回、俳句の五・七・五のアタマに、指定の3文字を当てる「折句」を紹介しましたが、「先ほど話題の」都々逸でも応用できる趣向です。七・七・七・五ですから、4文字を当てるわけで、難易度が少し高くなります。

 <あまざけ  あなたに着せようと 真心こめて 雑誌たよりに 毛糸編む>
 <ネクタイ  寝ずに働き 食わずに残し 貯めてあの世へ 行っちゃった>
 <うたたね  売れないスイカを 叩いてホメて 叩き売るヤツ 値切るヤツ>
 <みつばち  みみちく家計簿 つけさすくせに バーでは派手に チップ切る>

  いずれも、戦後の厳しい生活ぶりがうかがわれますね。

 指定の言い回しを、途中に入れ込む「嵌込(はめこみ)都々逸」というバリエーションもあります。和歌でお馴染みの「ちぢにものこそ悲しけれ」をはめ込んで、
 
 <総入れ歯「ちぢにものこそ悲しけれ」酢蛸(すだこ)は噛めず飴はひっつく>
 <子だくさん「ちぢにものこそ悲しけれ」我が身ひとつの罪にはあらねど>

 和歌のアタマに織り込むという手もあります。言葉遊びですので、「折り込み狂歌」という事になります。5文字の当てはめですから、難易度は高そう。

 <おみなえし  お米ない 味噌ない塩ない ナサケない 栄養失調で シャンと立てない>
 <はえたたき  半分は 遠慮しようと 立ちあがり 立ってはみたが 気になる菓子>
 <はなことば  肺がんに なったらだめよ これからは 父さん煙草に バイバイしてね>
 <たすけあい  煙草はもう 喫わぬと壁に 掲示して ああよく書けたと 一服つける>

 いずれ劣らぬ生活感漂う名作(迷作?)揃いです。3句目、4句目は、煙草のみの方々に、捧げたいですね。
 とまあ、他人の作品ばかり紹介していても仕方がありませんので、私もひとつ作ってみました。
 お題は、「しゃ・れ・こ・う・べ」

 <シャイな女(ひと) 冷酒(れいしゅ)で酔っても 心地よく うたた寝できる 便利なお店>
 お店の宣伝文句にどうでしょうか?

 さて、「冠(かんむり)付け」をご紹介しましょう。五.七.五の上の五を指定して、あとの、七・五を付ける遊びです。
 「いうまいと思えど今日の暑さかな」の「いうまいと」がお題になった時の教室です。

 石黒敬七さんが手をあげます。この人は、答えが出来てないのに、手をあげる、というクセが、時々出ます。こんな方でした。

 青木センセイとのやりとりです。
 「さあ、石黒サン。”いうまいと”どうしました」
 「えー、いうまいとですねぇ」
 「そう、いうまいとは問題なんですから、七・五とつけてください」
 「えー、いうまいとですね・・・・」
 「それはわかっています。さあさあ、どうします」
 「いうまいと、いおうと俺の勝手なり!」
 会場は、大爆笑に包まれた、とあります。教室の雰囲気を伝える楽しいエピソードです。

 言葉遊びとは言っても、「言葉」だけにこだわらず、機智とユーモアで、ゆったり楽しむのも手ですね。好評でしたら、第3弾もお届けしたいですねぇ。

 それでは、次回をお楽しみに。

<追記>前回(第270回)と、第3弾(第312回)も合わせてお楽しみください。


第290回 供花という虚礼

2018-10-19 | エッセイ

 新聞の訃報が目にとまると、亡くなった年齢と、葬儀をどうするか、の2つを主にチェック(というのも不謹慎な気はしますが)します。

 亡くなった年齢は、60歳代だと早いなぁ、70歳代だと私自身にとっても、他人(ひと)事じゃないと思い、80歳代だと、ぎりぎり、天寿を全うかな、などと勝手に感じています。

 さて、葬儀です。訃報が載るくらいの有名人とか、社会的地位のある人でも「すでに親族で行った」のが、圧倒的に多くなっています。「後日、お別れの会を開く」ケースもありますが、ごく身内だけで済ませるというのが、主流になりつつあるようです。昔は、葬儀の日時、場所の案内が載っているのが普通でしたけど。

 一般人でも、会社や組織などを離れて、年数が経てば、交際、交流範囲というのは、縮小していきます。大々的に葬儀を執り行う必要性も減っていきます。現に、葬儀社なんかも「家族葬」というのを前面に出した広告をさかんに打ってますから。
 本当に故人を悼むごく身近な人々だけで、簡素に行う葬儀がこれからの主流になるのは自然の流れであり、好ましいことじゃないでしょうか。

 ちょっと前のことです。9年ぶりに、同期入社の男が亡くなりました。ほとんどの連中がリタイヤしてますが、彼は、関連会社の現役だったこともあり、それなりの規模の葬儀が行われたと、かつての同僚から聞きました(私は、参列しませんでしたので)。現役ということで、これはある程度理解できます。

 ちょっとごたついたきっかけは、同期会の世話人をやっている男からのメールです。その葬儀に、同期一同の名前で供花を贈ったこと、そして、その財源には、毎年有志で開いているパーティーの剰余金を充てたとの事後報告がありました。
 今どき供花は大袈裟かなとも思いましたが、「人の生き死に」のことであれこれ言うのも大人げないと、ほうっておきました。おおかたこんな花でも贈ったのでしょう。



 しばらくたって、世話人から再度メールが来ました。曰く、今回の葬儀をきっかけに、将来、同期が亡くなった場合には、同期の絆の証として、供花(2~3万円程度)を贈ることを提案する。ついては、とりあえず、1万円ずつ拠出してもらって、基金とするのはどうか。メールで意見交換して、皆んなで決めたい・・・そんな内容でした。

 この提案には、いささか違和感を感じましたので、賛同しかねる旨の意見を送信しました。理由は3つ。

1.供花などというものは、所詮、虚礼だと考えること。
2.これからは、近親者で行う簡素な葬儀が主流になり、通知も事後になるのが多くなるはず。有志でいろいろやるのは妨げないが、「一律に供花」というのは承服しかねる。私もお断り。
3.同期の絆というなら、弔電1本で済む。

 少数意見であることは覚悟の上でしたが、衆寡敵せず。多少の経過はありましたが、最終的に世話人の提案が受け入れられました。葬儀といえば供花、供花といえば「入社同期一同」の名前がつきもの、という古い「葬儀観」の人が多いんですね。

 決まったあと、督促を兼ねた拠出状況のメールが、何度か来ましたが、信念を貫いて、(じゃっかしわ~、と)無視を決め込みました。

 結局、現存の39名の同期生のうち、拠出したのは33名。応じなかったのは、6名でした。その6名の顔ぶれを見ると、いずれも一言居士で、偏屈もの揃い(もちろん、私も含めて)。さもありなんと、思わず苦笑い。

 たかが1万円が惜しいわけじゃないんですけど、たまたま同期に入社しただけという連中と「群れる」のを止める良いきっかけになって、さっぱりしました。
 会社というつながりをきっかけに、いまだに大切に付き合っている人もいますが、退職後のライフスタイルのなかで築いてきた人間関係をより大切に育てていきたいと、今は感じています。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第289回 脳のパフォーマンスを決めるもの

2018-10-12 | エッセイ

 自分自身そのものでありながら、広大無辺にして不可解な存在である「脳」。

 医学、解剖学、神経学、心理学、精神分析などなど多くの科学的アプローチがなされています。脳研究者の池谷裕二(いけがや・ゆうじ)氏の場合は、ヒトの振る舞いや言動を、さまざまな実験を通じて分析し、脳の働きや機能を実証的に解明しようという手法を得意とされているようです。

 その成果は、「脳には妙なクセがある」(扶桑社のち扶桑社新書)、「進化しすぎた脳」(旭出版者のち講談社ブルーバックス)など、幾多の啓蒙書として結実しています。私もいくつか目にしていますが、門外漢にも十分楽しめる刺激的な実験、検証に溢れています。

 さて、「街場の読書論」(内田樹 潮新書)を読んでいたら、池谷氏の講演会のことに触れていました。氏の研究手法の一端を知ってもらうのに格好の話題だと考え、ご紹介することにします。池谷氏の画像をご本人のホームページから拝借しました。



 講演会で取り上げられたのは、スワヒリ語の単語40語を学習して、あとでそれを覚えたかどうかテストする、という単純な実験です。ただし、4グループに分けて、違うやり方をします。

 第1のグループは、テストをして、1つでも間違いがあれば、40単語全部を学習し、40単語全部についてテストをします。全部正解するまで続けるいちばん「まじめ」なグループです。

 第2のグループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、40単語全部についてテストします。

 第3のグループは、間違いがあれば、40単語全部を学習し、間違った単語についてだけテストします。

 第4のグループは、間違いがあれば、間違った単語だけ学習し、間違った単語についてだけテストします。いちばんの「手抜き」グループです。

 全問正解に至るまでの時間は4グループに有意な差はありませんでした。「まじめ」にやっても、「手抜き」でも結果は同じでした。

 ところが、数週間あいだを置いて、もう一度テストをしたら、劇的な差がつきました。「まじめ」グループの正解率は81%、「手抜き」グループのそれは36%。まあ、これは予想通りといっていいでしょう。
 問題は、第2と第3のグループです。やり方は大して違わないようですが、果たしてどんな結果だったでしょうか?

 第2グループの正解率は、81%(「真面目」グループと同じ)、そして、第3グループのそれは36%(「手抜き」グループと同じ)だったというのです。この違いをもたらしたものは何か?
池谷氏の説明では、脳への入力と出力の関係だというのです。

 単語を学習・記憶することは、脳への「入力」です。そして、この実験の場合、テストを受けるのは、記憶した知識を「出力」することになります。第1と第2のグループは、40単語全部についてテストしています。つまり、「出力」に「真面目に」取り組んだグループです。その結果、脳のパフォーマンス(働き、記憶保持力、賢さ)が向上した、というのが池谷氏の説明です。私流に平たく言えば、「知識は、貯めただけじゃアカン。使うて(出力して)なんぼ」ということなんですね。

 私も小学校以来、いやというほどテストを「受けさせられて」きましたが、知識を身につける「方法」としては、それなりに合理性があったんですね。点数至上主義に陥ったり、学業以外の評価に使ったりするから、なにかと問題になるだけで。

 余談ながら、内田氏の批判の矛先が、入力過剰で出力過少な学者どもへ向かうのが笑えます。「そのわずかばかりの出力を「私はいかに大量の入力をしたか」「自分がいかに賢いか」ということを誇示するためにほぼ排他的に用いる傾向にある」(同書から)

 それはさておき、私自身のことを考えてみても、寄せ集めの知識を当ブログの記事にする、という形で「出力」しています。また、いつものお店で、親しい方といろんな話題を交わして、「入力」と「出力」に励んでいます。
 う~ん、脳のパフォーマンスが向上したって実感はあまりないんですけど、悪いことじゃないようなので、続けていこうと思います。
 愛読者の皆様、そして、お店でご一緒する皆様、私の入力、出力に(ご迷惑でしょうが)引き続きお付き合いください。

 それでは、次回をお楽しみに。


第288回 「定食屋」経営の夢

2018-10-05 | エッセイ

 俗にいう「定食屋」という商売に関心があります。

 あくまで私のイメージですけど、家庭料理風のおかず、そうですねぇ、目玉焼き、コロッケ、煮付け、納豆、冷奴、しらす和え、サラダのような一品ものが、台の上にずらっと並んでいたり、メニューに掲げてあったりします。お客は、その中から何品かを選び、それにご飯を付けて、手軽に「食事」を済ませます。夜だったら、缶ビールか缶チューハイを1本くらいつけてもいいんですけど、あくまで「食事」が中心です。

 大阪だと、この手の店がわりとあって、私も大阪に単身赴任していた時は、よくお世話になりました(居酒屋にもお世話にはなりましたけど)。東京でも時折見かけます。
 大きな規模でやる商売じゃないと思うんですが、やり方次第では、結構儲かるのではないかと考えています。店内はこんな感じでしょうか。



 ビジネス街での立地が前提になりますが、昼と夜の二毛作が可能、というのが有利です。昼のターゲットは、お勤めの方々です。昼食を何にするかは、けっこう悩みの種のようです。行きつけの店を順繰りに回ってたり、コンビニで済ませたりとかの工夫も聞きます。
 定食屋なら、おかずの品揃えにもよりますが、かなりバラエティを付けることが出来るので、毎日は無理にしても、リピーターとして定期的に通ってもらうことが期待できます。

 さて、夜です。酒場へ足を向ける人が多いと思うんですが、食事中心の店もそれなりに利用が見込めると考えています。

 あまり酒が好きでない独身者とか、酒は好きだけど、飲みが続いたので、今日は軽く食事プラス缶ビール程度で、とか、共働きなので、食事をして帰らねばならないが酒はどうも・・・などなど、人それぞれの事情、好みがありますから。高い回転率が期待できるのも経営的にはプラス要素。
 
 そんな程度のマーケティングですが、もし仮に、私が「定食屋」をやるとしたら、こじんまりと、効率よく経営したいので、参考にしたいシステムがあります。

 サラリーマン時代、昼食でよく通っていた店がありました。夜は、普通の居酒屋ですが、昼は食事を提供する典型的な二毛作のお店です。「昼食」のシステムが、なかなかユニークで、いつも感心してました。

 おかず2品を選んで、それに、ご飯とみそ汁がつきます。おかずなんですが、AグループとBグループがあります。
 Aグループは、ハンバーグや焼き魚のようにややヘビーで、値段も高めのラインナップで、10品ほどありましたかねぇ。
 Bグループは、目玉焼き、ミニサラダ、煮物のような軽めで、値段も安めのおかずが、やはり10品ほどです。魚の種類だけは日替わりでした。

 注文ですけど、Aから2つ選んでよし、AとBからひとつずつ選んでよし、Bから2つもオッケーです。Aから二つが800円、A+Bで700円、Bから二つで600円くらいとシンプルな料金体系でした。お客も、フトコロ具合と相談しながら、組み合わせを考えられるのが、便利です。

 おかずの組み合わせが決まったら、テーブルの伝票に、AのメニューとBのメニューがあらかじめ印刷されてますから、チェックを入れて、「じゃ、これで」と店の人に渡すだけです。シンプルで、注文も確実に通るやり方です。3種類しか料金はありませんから、誰でもレジができるというメリットもあります、

 組み合わせのバラエティですけど、AA、AB、BBのパターンがありますから、200近くの注文が(計算上は)可能です。
 毎日通っても、半年は違うメニューを(その気なら)試せます。これだけのバラエティを背景に、「とりあえず店へ入ってから何にするか考えよか」というお客も呼び込めるのが何よりの強みになる(はず)。

 まあ、夜はさすがに2品というわけにいかないでしょうから、がっつり系のグループをもうひとつ作って、これは自由選択性ですかね。

 おかず作りとか、レジ打ちとかのお店側の作業の軽減ができ、お客へはバラエティに富んだメニューを提供できる、といういいことずくめのシステムのように見えるんですが・・・・

 若い頃、会社をリストラでもされて、路頭に迷ってたら、やってたかもしれないなぁ、と思ったりします。

 いかがでしたか?それでは、次回をお楽しみに。