★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第210回 東京藝大という秘境

2017-03-31 | エッセイ

 私自身、美術にしろ、音楽にしろ、芸術を創造する才能がまったくないのは、存分に自覚しています。とはいえ、アート作品を見たり、音楽を聴いたりするのは好きなほう。

 お嬢さんが、プロのバイオリニストとして活躍しておられる方と、時々お店でご一緒します。最近は、ポップス系の人気グループのツアーにも参加するなど、活動の幅を広げておられる由。
 それでもお父さんからは、
 「私なんか、今や、忙しい娘のマネージャー業が本業みたいになってます・・・本来のクラシックでいくか、ポップス系でいくか、いずれ本人が決めなきゃいけないんでしょうけど・・・」

 芸術の道を歩むのは、本人だけでなく、家族も巻き込んで大変だなあ、とあらためて感じたことでした。

 さて、そんな大変な世界を目指す人たちって、どんな人たちなんでしょう。どんな勉強とか練習をして、どう関門を突破して、どうテクニック、感性を磨いて行くんでしょう・・・自身の才能のなさは脇に置いて、コワいもの見たさ(と言うと怒られそうですが)を満足させてくれる本に出会いました。

 「最後の秘境 東京藝大」(二宮敦人 新潮社)がそれです。
 著者は、小説家ですが、奥様が、彫刻科の現役ばりばりの学生さん。そのコネを利用しまくって、東京藝大の秘境ぶりに迫ろうという試みが、私の覗き見趣味を多いに満足させてくれました。

 新聞の書評でも、数紙で取り上げられ、お読みになった方もいらっしゃると思います。こちらが正門です。

 この「狭き門」から入るための「入試」に絞って、受験生の皆さんの奮闘ぶり、楽しい(?)エピソードをご紹介します。

 まずは、その難関ぶりから。平成27年度、大学全体でならした志願率は、7.5倍。最難関の絵画科に至っては、17.9倍。80の枠を1500人が奪い合うというから、競争率では、東大を凌ぐ難関といっていいでしょう。現役合格率は、約2割。平均浪人年数は、2.5年、5浪、6浪も珍しくないといいますから、難関度もさりながら、芸術にかける受験生の熱さのほうに驚きます。

 で、国立大学なので、センター試験も必要です(総じて重視されることはないそうだが)。
 実技のため、日々欠かせぬ厳しい練習の合間をぬって、普通の受験勉強もしなければならないわけで、時間の配分も大事なポイントになりそうです。

 3次、4次試験となれば、筆記試験(音楽理論など)もありますが、藝大入試といえば、とにかく「実技」。

 音大のほう(でいいのかな)の器楽科ファゴット専攻の場合、1次試験の演奏時間は、5分くらい。10人ほどの教授が、怖い目をして、ぐるっとまわりを取り囲む中での演奏になる。それで半分くらいが落とされる。失敗すれば、それまでの10数年の努力は、パー。そりゃ、緊張すると思います。でも、プロを目指すんですから、これは乗り越えるしかないのでしょうね。2次試験も実技、そして、3~4次の筆記試験が普通というから、う~ん、タフな「入試」です。

 さて、美大のほうの実技は、だいぶ様相が違います。1次試験は、デッサン、2次試験が、それぞれの専攻の作品作り、というのが多いらしいですが、1次試験に一日、2次試験が二日かけるのが普通だという。音楽部門の5分とはまるで時間感覚が違います。お腹も減るので、自分で持ち込んだ食べ物を食べながら、ということもあるらしい。なんともおおらか。

 で、例えば、平成24年度の絵画科油画専攻の2次実技試験問題は、「人を描きなさい。(時間:2日間)」といった具合。

 油画の場合は、山ほどある自分の画材を、階段で、5階とか6階にある試験会場に、自分で持ち込まなければならない。絵のうまいヘタ、とか、技術以前に、体力の勝負になりそう。

 それから、過去の出題では、こんなのもあったという。
 問題は、「自分の仮面を作りなさい」というもの。
 で、これには、注釈が付いていて、「総合実技2日目で、各自制作した仮面を装着してもらいます」「解答用紙に、仮面を装着した時のつぶやきを100字以内で書きなさい」
 更に、これにも注釈があって、「総合実技2日目で係の者が読み上げます」
 
 いやはや、なんともシュールで、念の入った出題。やっぱり、芸術の世界は、見る方、聴くほうにまわるのが一番ですね。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第209回 数の不思議

2017-03-24 | エッセイ

 お店のサイトからリンクの貼ってあるSGさんのエッセイを愛読しています。毎月取り上げられる理系の話題が、実に、分かりやすく、刺激的。オマケで付いている写真入りの街ネタも楽しいです。
 今月も、数学者の理詰めと言おうか、融通の利かなさを笑うジョークが紹介されていて、ホッコリさせてもらいました。

 そこで、私も、「無謀は承知の上」で、「負けん気出して」、数学の話題をお届けしようと思います。

 つたない読書体験から引っ張ってきたネタ元は、「ワンダーズ・オブ・ナンバーズ 数の不思議」(クリフォード・A・ピックオーバー 主婦の友社)です。サブタイトルに、「天才数学者グーゴル博士に挑む<超難問数学>」とありますが、中学の数学程度の知識があれば、十分に楽しめる内容で、一話完結型のエピソードが、全部で104収録されています。こちらです。



 いくつかの興味深いエピソードをご紹介します。

<あられ数の謎(第49章)>
 まず、好きな正の整数を選ぶ。そして、その数字が、
 a.偶数ならば、それを2で割る。
 b.奇数ならば、3倍して、1を足す。
 この計算をして、出た数字に上のルールを適用して、おなじ計算を繰り返していく。

 例えば、3から始めると、3、10、5、16、8、4、2,1、4,2,1となって、最後は、 
 4,2,1の繰り返しとなる。

 すべての数字が4,2,1に帰結すると大半の学者は考えているが、証明はされていない。現在の
 ところ、確認されているのは、日本人による、1兆までだという。証明に挑んでみますか?

<黙示録数とは(第72章)>
 新約聖書では、666という数字は、「獣の数字」つまり、反キリストの数字とされている。宗教
 的な意味はともかく、666は面白い数字だ。

 まず、整数の6乗の和と差で表すことができる。
 666=(1の6乗)-(2の6乗)+(3の6乗)

 また、「6」と「6の3乗」の和として、表すこともできる。
 666=6+6+6+(6の3乗)+(6の3乗)+(6の3乗)

 さらに、2から始まる7つの素数の2乗の和でもある。
 666=(2の2乗)+(3の2乗)+(5の2乗)+(7の2乗)+(11の2乗)+(13の
 2乗)+(17の2乗)

 だから、なんなんだ、といわれても困るのですが、不思議ですねぇ~。

<とんでもない方程式の解(第73章)>(以下、「*」は、かけ算(かける)の記号です)
 X=(1597*(Yの2乗)+1)のルート という方程式の「整数解」を求める問題。
 (ちなみに1597は素数)
 どこから、こんな問題を思いついたのか分りませんが、この答えがものすごい数。

 Yが、13004・・・・・・・・・・229100(47桁)の時、
 Xは、51971・・・・・・・・・・・746249(48桁)だというんですが、、
 ご苦労様でした。

<パラサイト数(第80章)>
 102564というのは、不思議な数字だという。

 102564*4=410256 
 一番下の桁にあった4が一番上の桁にきて、ひとつづつずれた形になる。同じような数字は他にも
 あって、
 153846*4=615384
 179487*4=717948 など。
 また、5のパラサイト数もあって、
 142857*5=714285 などが、知られている。

 さて、このようなパラサイト数を作り出す公式があるというから、これも驚き。常人とはまったく違う数学者のアタマの中、いったいどうなってるんでしょうか。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第208回 オバマの広島スピーチ-英語弁講座11

2017-03-17 | エッセイ

 2016年6月に、当時のオバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として、初めて広島を訪問し、スピーチを行いました。


 「謝罪しない」ことは、事前に分かっていましたが、原爆投下という事実をどう表現するか、被爆者ならずとも関心があったところです。「話すための英語力」(鳥飼玖美子 講談社現代新書)を参考に、そのあたりの謎解きしてみたいと思います。

 肝心の部分ですが、英語では、こう表現されています。

 "Seventy-one years ago,on a bright cloudless morning,death fell from the sky
   and the world was changed."

 前半部分は、「71年前の雲ひとつない明るい朝に」と何気なく表現してます。

 だけど、地上の様子が視認できる「雲ひとつない」気象状況だったから、「予定通り」広島に原爆が投下された事実を忘れてはならないと思います。次のターゲットであった九州の「小倉」は、たまたま雲がかかっていたため、目標が「長崎」に変更されました。「雲ひとつ」が、膨大な人々の運命を変えたのです。
 オバマがそこまで意識してたかどうかは分かりませんが・・・

 問題は、後半です。

 "death fell from the sky”を、マスコミ各社がどう訳しているかを、同書から引きます。
 
 「空から死が落ちてきて」(共同)
 「空から死が降ってきて」(日経、読売)
 「死が空から降り」(朝日)
 「死が空から落ちてきて」(鳥飼訳)

 原文を尊重すえば、大なり小なりこんな訳になるんでしょうね。原爆という大量殺人兵器を「死(death)」という抽象的なものに置き換え、それが、まるで、自然現象の雨か雪のように"fell(落ちた、降った)"というのですから、まるで他人事(ひとごと)。
 
 事実は、The U.S. dropped an atomic bomb.(アメリカが、「原爆を投下した」)なのに、見事に言い換えてる。被害者が憤怒の気持ちを内に秘めて、ぎりぎり詩的に表現したのなら理解できるが、どう考えても「加害者」が、ぬけぬけと口にできる言葉ではない。

 さて、最後の "the world was changed." も、
 「世界は変わった」(共同、日経)
 「世界は変わってしまった」(読売)
 「世界が変わってしまいました」(朝日)
 「世界は変わってしまいました」(鳥飼訳)

 原文を見れば分かるように、ここは、受身形(懐かしい文法用語ですが・・)が使われています。日本語でもそうだと思いますが、英語の世界(特にマスコミなど)では、受身形は、極力使わない、というのが基本中の基本になっています。行為の主体が曖昧になるからですね。

 あえて受身形を使って、「アメリカの原爆が世界を「変えた」のではない。東西の冷戦構造だ、民族対立だ、宗教対立だ、クズな政治家どもだ、酒だ、男だ、女だ・・・・最後の方は八つ当たり気味に、いろんな要因、条件「によって」、「変えられた」のだ」とでも言いたい底意が透けて見える。あくまで「謝罪しない」方針を貫徹してる。

 以前、動物園での幼児を巻き込んだ事故に絡んで「謝らないアメリア人」(第169回)というのを書きました。あの事故のケースも含めて、アメリカ流のレトリックを駆使した「謝らない」ぶりに、あらためて感心「させられ」ました。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第207回 当った予言、外れた予言

2017-03-10 | エッセイ

 人並みに、ネットとか、パソコン、タブレットなどのお世話になっていることもあって、デジタルの世界の先行きを、頭の体操のつもりで、たまに予想してみたりすることがあります。

 我ながら、大外れだったと思うのは、ネット書店の隆盛。2000年11月にamazonが日本でサービスを開始しました。当初は、新刊のみの扱いで、送料無料は、1500円以上買った場合のみ、という条件でした。「本なんて、書店で手に取って、見て、買うもんだろ。誰が送料払ってまで、ネットで注文するか?」というのが、当時の私の「予想」。


 その後、古書も扱うようになり、新刊の本などは、送料無料などと条件が変わったとはいえ、トホホの大ハズレを認めざるを得ない。古書が中心だが、都合良く利用しているのだから・・・

 4~5年前くらいからだろうか、電子書籍が、随分、話題になったことがある。かさばらない、安い、すぐ買える、などの利点に目がいって、「こりゃ、流行る」と思ったのだが、現状、思ったほど普及が進んでいない。漫画、実用書分野では、それなりに利用もあるようだけど、流行とはほど遠い。「今のところ」「日本では」との保留付きで、これも、ハズレのクチ。アメリカなどと比べて、コンテンツがまだまだ十分とは言えないこと、「本」という実体が持つ魅力・・・まっ、これからに期待しましょう。便利には違いないので・・・・

 「当った予言、外れた予言」(ジョン・マローン 文春文庫)という本があります。こちらです。

1858年から、1996年までの、いろんな分野での予想的なものも含めて、予言の当たり、外れを紹介しています。通信、情報などの分野について、いくつかご紹介しましょう。

<ファックス機の普及>
 かのジュール・ベルヌが、1863年に発表した「1960年のパリ」の中に、「写真的な電信装置は、手書きか活字かによらず、どんな文字や絵でも送信することができ、いまや2万4千キロ離れた相手とも信用状や契約書の署名することができる」と書いている。
 当時、写真と電信という新しい技術は、既に存在していたとはいえ、両者を結びつける発想は、卓抜。さすがベルヌ。

<電話機は誰も使いたがらないおもちゃ>
 電話で特許を取得したのは、アメリカのグラハム・ベル。まったくゼロからの発明ではなく、先人の技術開発があっての「発明」だが、その実用化、事業化には苦労している。
 義父の弁護士からは、「そんなものはただのおもちゃだ」と言われている。政治家へもアプローチしたが、当時のヘイズ大統領から「それは面白い発明だが、誰が使いたいと思うものか」との言葉を投げつけられている。
 スマホの普及で、「電話機」が、「ただのおもちゃ」と化している現状を、ある意味で言い当てているのかも。

<世界市場でのコンピュータ需要は5台>
 のちに、世界的コンピュータメーカーIBMの社長になるワトソンの、1948年の発言。お笑い草になるほどの大ハズレで、しかも、当事者の言葉ということで、折に触れ、引用される有名な「予言」。
 なにしろ、当時のコンピュータは、鉄道の貨車よりも大きく、1万8千本の真空管を使用し、計算のたび毎にスイッチのリセットが必要など、現在では考えられない代物ではあったが、それにしても・・

 ついでに言うと、1977年の世界未来学会の会議で、デジタル・イクイップメント(DEC)の創立者のオルセンは、「個人が自分の家庭にコンピュータを持つ理由はない」と発言している。
 当時は、大型コンピュータ全盛とはいえ、ずいぶん夢のない経営者である。

<札入れ(ウォレット)パソコン>
 1995年に、マイクロソフトのビル・ゲイツが、「ビル・ゲイツ 未来を語る」の中で、まさに、スマホの出現を「予言」している。オンラインでの情報収集、電子メール、ゲーム、スケジュール管理、画像管理などが、手のひらサイズのパソコンで、実現できるというわけだ。
 「予言」は見事に的中したが、さきに実現したのは、ライバルであるアップルのスティーブ・ジョブズだった、というのが、なんとも歴史の皮肉。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第206回「〜(しま)ひょ」「やいのやいの」 大阪弁講座

2017-03-03 | エッセイ

 ご好評(?)いただいてるシリーズの第24弾になります。

<~(しま)ひょ>
 米沢出身(「山形」とひとくくりにするなっ!といつも怒られる)の居庵さんは、大阪で仕事してたことがおありなので、いつものお店で一緒になると、よく大阪弁のことで盛り上がります。
 
 先日も、「~(しま)ひょ」という大阪弁が、話題に上りました。
 ひとを誘ったり、行動を促したりする時に使う言い回しで、標準語だと「~しましょ(う)」が「~しまひょ」になる。
 「し」と「ひ」、たった一文字の違いですけど、居庵さんに言わせると、
 「さらっと軽く誘いながら、有無を言わせず相手を巻き込んでしまう厚かましさも持ち合わせた言い回しですやん」
 確かに、私もそう感じます。


 これで思い出すのが、作家・今東光の原作を映画化した「悪名(あくみょう)」シリーズです。

       

 舞台は、大阪でもガラの悪さで知られた南部の河内(かわち)。勝新太郎演じる「八尾(やお)の浅吉」親分を主人公に、二枚目の田宮二郎演じる弟分の「貞(さだ)」が絡んでのドタバタ人情喜劇で、中学生の頃、深夜のテレビで連続放映されたのをよく見ました。
 その頃、田宮二郎って、東京出身とばかり思ってましたから、随分上手に大阪弁をしゃべるなぁ、と感心した覚えがあります。実際は、京都出身ですから、地域差はあるとはいえ、上手なはず。「親分、ほな、行きまひょか」ってな具合。
 田宮の二枚目な顔と、そこから飛び出す軽妙なセリフのギャップが印象に残っています。

<やいのやいの>
 あまり他人のことに構わないのが、世の中全体の風潮です。けど、関西、とりわけ、大阪あたりには、構いたがり、世話焼きがまだまだいます。親切といえば親切でフレンドリーなんだけど、他人の困難な状況をただ面白がってるだけだったり、無責任なアドバイスなんかも多いです。

 よってたかって、あれやこれやと口を挟んだり、急いでやるよう指示したりする状況を、「やいのやいの」と表現します。大体が、言われてるほうからの、「ええ加減にしてくれ」メッセージとして発せられるのが普通です。
 「できることから順番にやってまんねん。早よせぇ、早よせぇて、そないに「やいのやいの」言われたら、できることもできまへんがな。ちょっと、静かにしてもろて、任せてもらえまへんかな」

<散財>
 例によって、古くさい漢語系の言葉が、現役ばりばりで使われているケース。
 「財を散らす」わけですから、パーっとお金を使うということで、
 「いや~、ゆんべ(昨晩)は、若い女の子がおったもんやから、気ぃが大きなってもて、派手に「散財」してもたわ(してしまった)」
 相手に散在させた時には、
 「この間は、えらい散在させてもて・・・すんまへんでした。おかげさんで、10歳くらい若返りましたわ」(どんな散在やろ?)。ホンマ、大阪人は如才がない。

 反対語は、「始末」。大阪人に言わせると、「ケチ」と「シブチン」は違う。とにかく、お金を出し惜しみするのが「シブチン」で、ムダな銭は使わず、生きた銭を使うのが「ケチ」ということになっている。その「ケチ」を、ちょっと立派に、「もったいない精神」というか、経済観念のように表現したのが「始末」ではないのかな、と考えたりします。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。