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第593回 奇人列伝-6南方熊楠ほか

2024-09-13 | エッセイ
 久しぶりに「奇人列伝」の第6弾をお届けします(文末に、直近2回分へのリンクを貼っています)。
 前回ネタ元にしました「昭和超人奇人カタログ」(香都有穂(こと・ゆうほ) ライブ出版)から引き続き3人をご紹介します。いずれ劣らぬ変人、奇人、(なかには)超人ぶりをお楽しみください。

★南方熊楠(みなかた・くまぐす)(1867-1941)★
 超人的学識と奇行で知られた民俗学者、博物学者です。

 キノコ、コケ類、粘菌の研究分野で、世界的な業績を残しています。数限りない奇行エピソードを残していますが、驚異の記憶力、天才ぶりに絞ってご紹介します。
 7歳で小学校に入学した時には、すでに難しい漢籍を読みこなしていました。10歳の時から、当時の百科全書として広く使われていた「倭漢三方図絵」(全105巻)の筆写に取り組み始め、わずか5年で完成させています。
 12歳の時、和歌山市内の古本屋で和装本の「太平記」を見て、欲しくなりましたが、値段が高くて手が出ません。そこで、小学校の帰りに、3枚、5枚と立ち読みして暗記し、自宅で書き写しました。半年で全54巻を写し終えたといいます。
 過ぎ去った43日間の日記を、天候、会った人物、時間までも正確に再現し、少しの間違いもなかった、とのエピソードも残しています。熊楠が自身の記憶力について語った言葉です。
「わが輩は地獄耳で一度聞いたことは決して忘れない。また忘れてしまいたいと想う時は奥歯をキューと噛んで舌打ちすると、すぐ忘れる」(同書から)
 日本が世界に誇る超人、奇人です。

★金田一京助(きんだいち・きょうすけ)(1883-1971)★
 数多くの国語辞書の編集で知られた言語学者です。息子の晴彦も言語学者として名をなしています。
 東大、早大で教壇に立っていますが、講義の延長が常でした。20~30分の延長はザラで、2時間のところが3時間になることもよくあったといいます。
 昭和29年に、天皇陛下の前で講義した時もそのクセが出たのです。柳田国男ら4人に、15分ずつが割り当てられました。予定通り終えた柳田に続いた金田一が気がつくと、45分も超過しています。柳田からあと5分で切り上げるよう耳打ちされましたが、さらに15分かかりました。
 数日後、天皇から4人が呼ばれて食事をご相伴した時のことです。失態に恐縮する金田一に「天皇は「金田一、この間の話はおもしろかったよ」と声をかけました。「恐れ入りました」と金田一は感激の涙をポロポロ流した」(同書から)ずいぶん純情だったんですね。
 ある時、放送局から、晴彦が対談番組に出演するための迎えのタクシーが来ました。それにサッサと乗って京助が出かけました。いくら待ってもタクシーが来ないので、電車を乗り継いで晴彦が放送局に着くと、なんとそこに京助がいるではありませんか。
 放送局も、大先生の京助にあなたではございません、とも言えず、結局、親子にゲストを加えたトークになりました。
 息子が番組に出るのを知っていたのではないでしょうか。なかなかのちゃっかり親父ぶりを発揮しています。

★横溝正史(よこみぞ・せいし)(1902-1981)★
 金田一探偵が活躍する「八つ墓村」などで知られた推理小説作家です。
 大変な乗り物恐怖症で、乗っていると何ともいえない恐怖と孤独に襲われて、飛び降りたい衝動にかられるというから危険この上ありません。昭和8年、東京から汽車に乗った時のこと。千葉で最初の発作が出て、そこで降りてしまいました。その時は、酒を飲み続けて何とか帰ってきました。戦後、小田急沿線に住んでいましたが、電車に乗ったのは、6年間で2回だけだったといいます。小説では人を恐怖させながら、本人が、乗り物恐怖症というのが意外でした。

 いかがでしたか?直近2回分へのリンクは、<第203回><第452回>です。なお、ネタ元の本にもう少しご紹介したい人物が「います」ので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。