★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第261回 粋な辞書-英語弁講座18

2018-03-30 | エッセイ

 英語が好きなので、いろんな辞書を使ってきました。高校時代に買って、いまだに、大切に手元に置いているものがあります。それが、「熟語本位 英和中辞典」(斎藤秀三郎 岩波書店(俗称「斎藤の英和」))です。最近はさすがに、手に取ることもなくなりましたが、若い頃は、一番「読んだ」辞書です。

 とにかく、1915年(大正4年)に初版が出て、増補、校訂を経て、今でも出版され続けています。斎藤秀三郎という英語学の泰斗・巨人が心血を注いで世に出しただけあって、100年の時を経て、全く色あせることのない重厚な辞書です。



  斎藤の狙いは、英語の持つイメージ、ニュアンス、機能などを、ありとあらゆる用例と、豊かな「日本語」を駆使して、体系的かつ実感を持って理解させる、というところにあったようです。
 基本的な動詞(have,make,take,getなど)や前置詞、助動詞などには、何ページにもわたって、これでもかとばかりに、説明と用例が記述されています。

 例えば、11ページが割かれている前置詞の”with”の例ですが・・・

 最初に、主な意味を3つに分けています。
 1.<合同>、<共同>です。~と遊ぶ、のような場合です。そこから、
 2.「金(かね)と共に」というのは「金を持って」ということだから<所持>、<所有>
 3.「金を持って」買うというのは、「金でもって」買うことなので、<道具、機関>

 この3つの大きな柱が、更に枝分かれして、出会い、交際、喧嘩にまで説明は及びます。

 <合同><共同>の用例として、こんな例文が揚げられています。

 read a book with one's students or teacher
 なんの変哲もない英文ですが、斎藤は「本を教える(または教わる)」という日本語を当てています。講読という言葉もあるように、学校現場だったら、一緒に本を読むと言うことは、教え、教えられるということですから、斎藤の血の通った、的確な日本語に感心します。

 と書くと、学術的で、堅いだけかな、と思われるかも知れませんが、とんでもありません。ユーモアというか、下世話な日本語も総動員しています。

 He married her with his eyes open.
  目を見開いて、彼女と結婚した・・・・・じゃないんですね。
 「(疵物などと)知りつつ(貰った)。」
 疵物(きずもの)という表現が、いまどきは、ジェンダー的に難がありそうですが、言わんとするところは、よく分かる。

 その他にも、奔放な説明ぶりの一端を披露しますと、

 an old sinner
  文字通りには、「年老いた罪人(つみびと)」ですが、そこは、斎藤のこと。
   <(所謂)頭禿げても浮気は止まぬ>との訳を当てているのが、愉快です。

 He would go all length to gain his end.には、
 <何んな事をしても目的を遂げる覚悟(褌(ふんどし)を質に置いても初鰹)。>

 さて、当然のことながら、斎藤は、和英も出しています。「斎藤和英大辞典(昭和3年初版発行 昭和54年覆刻第1刷発行(名著普及会)」がそれで、英和に負けず劣らずユニークで、型破り。都々逸の訳などにも挑戦しています。

  例えば、こんな具合です。

 惚れた眼にや あばたも笑窪(えくぼ)
  When one is lost in love's sweet dream,A pockmark would a dimple seem.
 (確かに、「あばた」はpockmarkですが、、、、)

  惚れて通えば千里も一里 会わずに帰れば又千里
  Love laughs at distance,Love! A thousand miles is one to love;
  But when I can not meet my love, A thousand is a thousand,Love!

 こんな先生に、英語をシゴカれまくったら、きっと気持ちいいだろうなと想像します。ボロクソに言われながらも、身には付きそうで・・・・・

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第260回 エッセイスト伊丹十三

2018-03-23 | エッセイ

 伊丹十三(1933-97年)が、ちょっと不可解な死を遂げてから、はや21年になります。ビルの屋上からの飛び降り自殺とされていますが、不審な点もあって、真相は謎のままです。


 さて、晩年は、「マルサの女」、「お葬式」、「あげまん」などで映画監督というイメージが強い伊丹ですが、若い頃は、マルチタレントみたいな感じだったしょうか。11PMにもよく登場していました。また、国の内外を問わず数多くの映画に出演するなど、多芸多才ぶりを発揮してきた人です。

 そんな多芸多才の中で、私が最も評価するのが、エッセイストとしての「才」です。

 60年代半ば頃から発表して来たエッセイ集は、ほぼリアルタイムで読み、その博識ぶりと、独特のユーモアを散りばめた文章に魅了されてきました。
 中でも、私のお気に入りの1冊といえば、「日本世間噺大系」(1976年文藝春秋刊、のち文春文庫、新潮文庫)ということになります。
 プレーン・オムレツの作り方を、ベテランシェフに教えてもらうのを実況中継型で再現したり、天皇(といっても、孝明天皇ですが)の日常を、側に仕えた男性から聞き取ったのを文章に起こしたりと、バラエティに富んだ内容です。お読みいただくのが一番ですが、冒頭の「走る男」のエッセンスをご紹介してみます。

 空港が、飛行場と呼ばれていた頃。ボーディングブリッジなどはなく、搭乗するには、滑走路を歩いて行く必要があり、自由席の便もあったという時代背景です。
 「飛行場で不愉快なのは走る男である。」との書き出しが目を引きます。ゆっくり行けばよいものを、ドタドタと人の横を走り抜けて行く無作法さ、そして、なにがなんでも、窓際の席を確保しようという卑しい魂胆が、伊丹には我慢ならないようです。
 思惑通りであろう窓際に席を確保した「走る男」と、混んでいたため、その隣の通路側に席を取らざるを得なかった伊丹の心の内でのバトルが始まります。

 出発前だというのに、思い切りシートを後ろに倒して、スチュワーデスから注意を受ける、新聞を勧めると、スポーツ紙を要求する(なら、窓際の席なんか取るな、といらだつ伊丹)、おしぼりが配られると、パーンと大きな音を立てて袋を破る、配られたサンドイッチを音をたてて食う、禁煙サインが消えた途端に煙草を吸う、ベルト着用サインが消えた途端にトイレに立つーー自分さえ良ければよい、という「走る男」の態度に伊丹のイライラは募ります。
 どうもこの男は目の前に取れるものがある限り、なんでも取り込んでしまわずにいられない病弊を持ったヤツだ、と考えた伊丹はちょっとしたイタズラを仕掛けます。実害のない彼一流のイヤミなやり口ですが、ほどよいユーモアで、なかなか読ませます。

 まず、読書灯を点けてみます。予想通り、男もマネをする。ボタンを押して、スチュワーデスを呼び、毛布を取り寄せる。すると、その男も取り寄せる。そして、極めつけは、前の座席のポケットに入れてある青いゲロ袋。これを、伊丹は、いかにも大事なもののように自分のカバンにいれます。すると案の定・・・・という次第です。

 「結局、飛行機の中で、走る男が使用しなかったのは、救命胴衣と酸素マスクだけであったと私は確信している。」というのがオチです。
 一方で、伊丹はこんな言葉も残しています。

 「私は勉強が好きだ。これは私が大学を出ていないせいかもしれない。私は自分が非常に頭が悪いと感じているし、そのため常に勉強の必要にかりたてられている。また、実際、私は何でも勉強にしてしまうことにかけては名人の域に達しているかもしれない。自分も、結婚も、育児も、文章もテレビも、映画も、あらゆることを私は勉強にしてしまう。そして五十代もなかばの今、ベンキョー人間の自分はやや自己肯定的につぶやく。人間、教えることは不可能だ。学ぶことができるだけである。」(「ぼくの伯父さん(つるとはな刊)」から)

 彼が若い頃は、そのキザっぽい口ぶり、知識のひけらかしに、私自身、鼻持ちならないものを感じたこともありましたが、その多芸多才の裏には、ものすごい努力があったのですね。

 私も、もっともっとベンキョーしなければと、とりあえず気持ちだけは新たする毎日です。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第259回 言葉を身につける

2018-03-16 | エッセイ

 中学校で英語の勉強を始めて以来、ずっと疑問に思っていることがあります。それは、私自身が、母語である日本語(と、大阪弁)をどうやって身につけたのか、ということ。
 母親から聞かされていたのは、「アンタは、言葉(をしゃべりだす時期)が遅かったわ。そのかわり、しゃべりだした時は、結構長い文をしゃべるようになってたけどな」という程度のことだけです。

 まずは、はっきり記憶に残っている英語の場合から振り返ってみますと・・・・

 アルファベットの読み方、書き方、発音から始まって、ひとつひとつの単語の意味、意味のある文章を話し、作るための規則(文法)などを、初歩の初歩から、順序立てて、体系的に教わってきました。
 こまかい方法論や、読み書き中心への批判はあるとしても、限られた時間の中で、まったく新しい「知の体系」を身につけるわけですから、概ねそんな手順にならざるを得ないだろうと思います。

 中学生ともなれば、理屈、筋道で物事を理解し、知識を積み重ねていける年頃ですから、自身の感覚としても、「学習」という言葉にふさわしいプロセスで、「それなりに」身に付いた、と感謝はしています。

 社会人になってからも、折に触れ、趣味的に勉強は続けて来たつもりですが、とてもとても日本語みたいに、自在には操れません。

 それと引き換え・・・という話しになるのですが、ほとんどの子供って、2~3歳くらいになると、大人と対等に母語でコミュニケーションを、ちゃんと取れるようになるんですね。英語であんなに苦労した(してる)のに、こんな短期間で日本語が身に付いていた・・・これが、不思議でしかたがありません。

 主に家族との会話、対話を通して、言葉の意味、ルールを「なんとなく」覚えていくんだろうと、想像するんですが、親として振り返ってみて、子供に、英語の勉強みたいに、きちんと教えたつもりはまったくありません。母親はともかく、子供が小さい頃は、私も仕事が忙しくて、子供とロクに会話した覚えもないです。英語圏の親だって、幼児に、三人称、単数、現在形の動詞には、”s ”をつけるんだよ、などと教えるはずもないでしょうし・・・・ 

 そんな疑問に答えてくれるかな、と期待して、「言語の脳科学」(酒井邦嘉 中公新書)という本を手にとりました。著者は、言葉を、脳科学というサイエンスの一分野として、研究している人です。

 ここでも、幼児の言語学習能力、というのが大きいテーマになっています。で、結論からいうと「よくわからない」。

 ただし、興味深いデータが紹介されています。アメリカの研究で、アメリカに移住して来た韓国人と中国人を対象に下したもので、移住して来た時の年齢と、英語の文法の習熟度を調べたというのです。

 それによると、7歳までにアメリカに来た人は、ほぼネイティブ並みだが、それ以降は、年齢が上がるとともに、成績がどんどん落ちていき、個人差が大きくなる、という結果です。
 幼児期だけに働く特別な言語習得能力みたいなものがある、と仮定したら、自身や身の回りの人たちの経験を、うまく説明できるデータのような気がします。
 
 もうひとつ、幼児が言葉を習得していくプロセスについての学説。一つは、「学習説」。日本人が英語を勉強するように、「学習」していく、という考え方。しかしながら、とりとめもない家族とのやり取り、断片的な言葉を、幼児自身の頭の中で、集大成したかのように、しかも、ごく短期間にしゃべりだす・・・という事象の説明としては、説得力がいまひとつ。 

 「言語生得説」というのがあります。チョムスキー(1928- )という隠れた「知の巨人」にして言語学者が唱えているのもので、人間の脳には、あらゆる言語に共通する普遍的な原理、文法とでも呼べる能力が、生まれつき備わっているというのです。こちらの方。



 しからば、普遍的な原理とは・・・というのが「よくわからない」。日本語と英語に横たわる普遍的な原理、といわれてもなぁ。発音やら文の構造やら、全然チャウやんか、ユニークな説やけどな・・・と、第2母語の大阪弁で思ったりします。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第258回 人名いろいろー2

2018-03-09 | エッセイ

 小学校の同級生で、姓が「一筆(ひとふで)」という男の子がいました。ちょっとおとなしい子でしたけど、私が、これまで出会った中では、一番珍しい姓ですね。
 あと、中学時代、友だちに、姓が「有巣(ありす)」というのがいました。響きが外人みたいで、得な名前だなあ、と羨ましかったことを思い出します。
 社会人では、「井」という一字姓の人がいました。名刺には「いい」とフリガナが振ってあって、当然「いいさん」と呼んでました。読み方が珍しい例でしょうか。皆さん元気にしてるんでしょうか。

 さて、以前、世界の国々の人名を巡る話題をお届けしました(第165回 人名いろいろ)。名付けのルール、珍しい名前などを、「世界の名前」(岩波書店辞典編集部編 岩波新書)をネタ元にご紹介しましたが、その第2弾をお届けします。

<トルコ>
 この国で、国民全員が姓を持つことを義務づけられたのは、比較的新しく1934年のことです。
 名家などを除けば、それまでは、通り名だけで通用してましたから、姓を付けるよう強制されて、だいぶ混乱もあったようです。
 その結果、「クッル(毛むくじゃら)」、「サラクオール(うすのろの息子)、「オルドゥルジュ(殺し屋)」、「ギョベキ(へそ)」、「シャプシャル(だらしのない)」、「ブダラ(馬鹿)」など、差別的で、常軌を逸した姓が付けられた例があります。
 極め付きは、こんなケースです。
 姓を貰うため、役場に赴いた男が、山、知者、博学などを提示するのだが、既に使われているからと、戸籍係に登録を拒否されます。何か別の姓を挙げるようしつこく求められた男が「なんて時代になったんだ(ネ・ギュネ・カルドゥク・ヤー」と叫んだところ、「それいけますね!」と言われて、「ネギュネカルドゥク」という姓が与えられた、という次第。この姓を代々受け継いでいる一家に同情します。

<ビルマ(ミャンマー)>
 なんといっても「アウンサンスーチー」女史が、一番の有名人です。父親が「アウンサン」将軍なので、「アウンサン」家の「スーチー」さん、と思いがちですが、そうじゃないんですね。
 一部の少数民族を除いて、ビルマには、姓がありません。ですから、彼女も「アウンサンスーチー」で、ワンセットなんですね。ご存知、こちらの方。



 多数派を占めるビルマ族の場合、生まれた曜日によって、使える文字が決まっていました。そして、かつては、1音節か2音節の名前が普通でした。
 国連の事務総長を務めた「ウ・タン」(日本では、「ウ・タント」)の「ウ」は敬称なので、名前は「タン」だけの1音節で、意味は「清らか」というのだそうです。
 日本と同じように、名前にもハヤリスタリがあるようで、ビルマでも、1970年代から、4音節とかそれ以上の長い名前が増えてきたといいます。
 「アウンサンスーチー」女史もその典型で、父親から「アウンサン(特別な勝利)」、祖母から「スー(集める)」、母親から「チー(澄む)」をとったものです。由来はそうなりますが、先ほども言いましたように、あくまで、これで、ひとつの名前です。

<オランダ>
 名前のユニークさでは、オランダもなかなかのものです。
 パン屋(バッカー)さん、東インド(オーストインディ)さん、爪(ナーヘルス)さんのほか、魚、鳥、ライオンなど動物名も。「悲しい(トゥリースト)」や「生き生き(レーヴェンダッハ)」さんのような形容詞もあります。
 フエット(脂肪、脂っこい)さんと、スペック(ベーコン)さんという姓の人同士の夫婦もあるそうで、さぞかし「べたべた」夫婦なんでしょう。いずれも、電話帳に数十人の掲載があるそうで、そう珍奇な名前でもない、とのことです。

<アフリカ諸国>
 親の願いや、子供が生まれた時の状況などメッセージ性が十分な名前を付けるケースがアフリカ諸国では多いようです。
 コンゴに「私は知らなかった」という名の女の子がいました。結婚してみると、亭主がヒドい人物で「(亭主が、そんな男だとは)私は知らなかった」というわけです。
 誕生時の状況から、「難産」、「夜の子」、「飢餓」、「貧乏」などの例が揚げられています。
 ガーナ人の場合、生まれた曜日、何番目の子供かにちなむ名付けも多いとのことです。
 初代大統領クワメ・ンクルマは、「土曜日・第9子」、元国連事務総長コフィ・アッタ・アナンは、「金曜日・双子・第4子」というのが、名前から分かる仕組みです。
 名前に託す親の思いも、お国柄、様々だなと、あらためて感じます。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第257回 関西商法の秘密ー立ち飲み編ー

2018-03-02 | エッセイ

 以前、「広告宣伝編」をお届けしました(第235回)が、今回は、「立ち飲み編」をお送りします。

 居酒屋にもいろいろありますが、その中に、「立ち飲み」という形態があります。

 椅子は置かず、カウンターだけとか、背が高めのテーブルをいくつか置いて、支払いも、キャッシュ・オン・デリバリーというのが多いようです。スペースの一部を立ち飲み専用に、という店なら、あちこちにありますね。

 長居は出来ませんから、会社の帰りに軽く一杯、という時には便利ですし、お店の方としても、客単価が低い分は、客の回転率を上げることでカバーできる。十分なスペースがなくても、やっていけるというメリットもあります。

 関西にも、もちろん立ち飲み出来るところはあります。ただ、居酒屋としての店構え、設備抜きで、(たぶん営業許可も取らず)酒屋なんかが、副業的にやるのがあちこちにある、というのは、関西的かなぁ、と(あっちこっち飲み歩いたわけではないので、断言はできませんが・・・)思います。

 商品保管場所を兼ねた店の土間を、夕方あたりから解放して、立ち飲みスペースにしてしまう。安定の悪そうな丸テーブルをいくつか置いたら開店準備オッケーで、もちろん、全席立ち飲み。こんな感じでしょうか。



 水や氷やお湯や、などと面倒くさいことはしない(できない)ので、酒は、缶もの(ビール、酎ハイ、ワンカップ、ウーロン茶など)限定。
 つまみも、手を加えない乾きもの(袋単位)か、缶詰をキコキコ自分で開けるだけ。
 それでも、仕事終わりに、仲間と、安く飲むには最適でしたから、よく利用してました。

 JR大阪駅のガード下にあった立ち飲み屋(これは、ちゃんと店を構えている)にもよく通いました。カウンターだけで、全席立ち飲み。100人くらいは入れるから、なかなかの規模。立ち飲みといいながら、ワインも含めた酒も充実、つまみの種類も多いおもしろい店でした。

 ユニークなのは、支払い方法。

 カウンターに立つと、目の前に、手のひらサイズの皿が置かれる。客は、そこに、おカネ、とりあえず、1000円なら1000円を置いておく。注文したものが来たら、店の人が、自動的にお釣りを置いていってくれる、というシステムです。フトコロ具合を気にせず、安心して飲める。

 グループだったら、カネを出し合って、なくなる都度、出し合うなり、順番に出し合うなりすれば、割り勘になる。
 「今度は、オレが出すから」と、「適度に」オゴることもできる。
 「皿のカネがなくなったら、帰ろか」と、切り上げるタイミングも切り出しやすい。

 どうしても、各自が飲み食いした分は、各自できちっと払いたい(以前紹介した「本来のダッチ・アカウント」ですね)というのであれば、各自の前に、皿を置いとくだけ、とまあ、いろいろ融通の利く仕組みです。また、これほどの明朗会計はありません。

 いいことづくめのシステムで、もっと普及していいと思うんですが、目の前に、現金を置いて飲むのは気分的にどうも・・ということで、関西のオッチャン以外には馴染めないんでしょうかね。ほかでは見たことがありません。
 
 お店にも、たかが1500円が高いの安いの、などと文句を言う卑しい輩(やから)がいる(確か、Fちゃんセンセイとか呼ばれてました)から、そいつにだけは、このシステムを導入してはどうだろうか。我ながら、名案だと思うんだけど・・・

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

<追記>冒頭でご紹介した「広告宣伝編」(第235回)、その後アップした「鉄道編」(第280回)「えべっさん編」(第352回)も合わせてご覧いただければ幸いです。