★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第223回 大阪弁講座−26 「行きしな・帰りしな」ほか

2017-06-30 | エッセイ

 ちょっと間(あいだ)が空いてしまいましたが、第26弾をお届けします。

<行きしな・帰りしな>
 ~する(した)時、~する途中で、~するついでに、~する直前に、などと、時間感覚的には、かなり幅広く使える言い回し

 「「行きしな」にでも寄って頂戴」といえば、「(よそへ)出かけたついでに」または「目的地へ付くまでの途中で」立ち寄ってください、といったニュアンスになる。

 「「帰りしな」に、ひょっと見たら、財布が落ちてんねん。誰のかと思たら、ワイのやった」の場合だと、「帰る間際、直前に」という感じ。

 子供の頃、よく言われたのは、「「寝しな」に甘いもん食べたら、虫歯になるで」というセリフ。この場合は、「寝る前に」と、時間的にやや幅のある表現になる。
 「「帰りしな」に、しゃれこうべに寄ったら、美女やら、おもろいオッチャンやらで、えらい盛り上がってもて。つい長居してもた、、、、」帰りが遅くなったときの言い訳に使えるエエ用例やと思うんですが・・

<構う>
 世話をする、気にかける、という意味は同じ。標準語の否定形は、「構わない」だが、大阪弁だと、例の短縮形で「構(かま)へん」となる。
 「ワシのことは、「構へん」から、先に行っといて」のような具合。
 名詞形は「構い」。もてなし、気配り、といったニュアンスになる。帰る客人に対しては、謙譲的に「なんの「お構い」もできませんで・・・」が、決まり文句。

 さて、大阪人らしい応用形に「なあ、ワテのこと、ちょっと、構(かも)うてくれへん(構ってくれないか)?」というのがある。
 そう、例えば、カウンター式の店で、ひとり飲んでるオッサンとかニイさんなんかが、こう言えば、「店のマスターでも、ママでも、ほかのお客さんでもエエから、私に話しかけるなり、話題を振るなりして、相手になってくれや。ひとりでポツネンと酒が飲みとうて、来てるんとチャウねん」という強い要望というかメッセージを一生懸命に発信してるワケですな。こんな感じでしょうか。



 プライドの高い東京人なんかだったら、
 1.「話題を振ってくれ」オーラを出しながら、ひらすら受身で待つ
 2.乗れそうな話題に、少し強引に割り込む
 という行動パターンが思い浮かぶ。

 「オレのことを構え」と口に出して要求する厚かましさ、屈託のなさ、プラス多少のフレンドリーさというのは、大阪人ならでは。大阪人だけど、私なんか、とてもとても無理。

<親が見たら泣くで>
 語尾の「で」以外は、普通に通用する表現だと思うんですが・・・・・

 他人を、冗談っぽく諌める時に使うのが基本形。
 「その程度の事でオタオタして、みっともない奴(やつ)やな。「親が見たら泣くで」」

 さて、自分が置かれた惨めな状況を、客観的に見つめ、自虐的なギャグにして、笑いを取る。この講座でも何度かご紹介してきた「自虐性」と「まわりの笑いを取ってなんぼ」の大阪人精神が横溢してるのが、この表現で、当講座で取り上げた理由もそこにあります。

 外回りから帰って来た営業マンがぼやく。
 「クライアントのとこへ、請求書持って行ってんけど、金額のケタ間違うとって、えらい剣幕や。土下座しまくりでなんとか許してもろたけど、でぼちん(おでこ)血だらけになるか思たわ。ホンマ、こんなとこ「親が見たら泣くで」」
 ご苦労様でした。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第222回 ある新聞記者の気骨

2017-06-23 | エッセイ

 読売新聞の政権べったりぶりが、なにかと話題になっています。加計問題では、官邸からもらった前次官の私的スキャンダルネタを「ありがたく」記事にし、改憲問題では、アベに「読売新聞を読め」と「国会で」言わせしめるほどの密着ぶりです。

 さすがに「商売的に」まずいと思ったのか、2000件を超える読者から抗議のメッセージが寄せられていることなどを、自らの紙面で公表しています。社自体も、報道記者自身も、総サラリーマン化してるということなんでしょう。昔は、気骨に溢れた記者がいたものですが・・・
 
 それで思い出すのが、ノンフィクション作家の本田靖春という人物です。今話題の「読売新聞」社会部の元記者です。1964年、売血を扱った「黄色い血」追放キャンペーンが、大きな反響を呼び、献血事業の改善につなげるなど、調査報道の王道を歩んで来ました。

 1971年にフリーとなってからも、活躍を続け、2004年に亡くなっています。世の中の不正義に厳しい目を向けるだけでなく、気骨に溢れた言動、行動力がなにより共感を呼ぶ優れたルポルタージュを、数多く残しています。

昭和30年代の半ばで、私が子供の頃、読売テレビ(日テレ系列)のニュース番組「今日の出来事」では、毎日のように、正力松太郎オーナーのどうでもいいような動静(誰々が、局に見学に来て、正力オーナー自らが案内しました、のような)が「ニュース」として、毎日のように放映されていました。一緒に見ていた父親が、「自分の宣伝ばかりやりやがって、、」と不愉快そうに語っていたのを思い出します。子供ながらに、私も全く同感でした。

さて、本田によれば、同じようなことが、読売新聞の紙面でも行われていたというのです。(まあ当然でしょうけど・・・)

 自身のどうでもいいような動静を連日、紙面で大きく扱うよう編集に圧力をかけるのです。現場ではせめてもの抵抗として、オーナーの自宅がある逗子版だけでは大きく3段で扱い、他の版では、1段扱いとする、といったような策を弄したりもします。

そんな紙面作りに辟易とした読者からのクレーム電話への対応経験が書かれています。毎日、毎日、あの「カボチャ面」(正力のことです)を見せられるのはうんざりだ、読売新聞を取るのを止める。ただ止めてもハラの虫がおさまらないので、電話した、というわけだ。ちょっと長くなりますが、著者の気骨、硬骨漢ぶりを示す格好のエピソードですので、長くなりますが、やり取りの一部を同書から引用します。

(以下は、「我、拗ね者として生涯を閉ず」(講談社)からの引用で、最初の発言は本田です。表紙の画像です。)



 「ええ、お気持ちよくわかります」
 「わかる、って、どういうふうにわかるんだ」

 そこで、常日頃、考えていることを述べる。社会部のすぐ横に陣取っている、編集局長に聞かせたいからである。 (中略)正力物を紙面に載せるのは、公器であるべき新聞を私物化することであって、私も同じ意見である、と言い切ると、文句をつけるために電話してきた読者のトーンが掌を返したように優しくなる。
 「そうなんだ。あんた方記者さんも、あれでいいとは思ってないんだ。大きな組織の中では、いいたいこともいえないだろうし、あなた方の辛いのはわかるよ。あなたに免じて、新聞をやめるのはよそう」
 それで電話が切れてしまったのでは何にもならない。私はこう続ける。
 「これは私からのお願いですが、新聞を取るのをやめるのはやめる、というのはおよしになってください」

 「何?やめるのはやめろだと?」
 「そうです。私たち現場の力では、正力物をやめさせることはできません。でも、あなたのような読者が続々と現れて、読売の部数ががた落ちする事態になれば、上の方は、何がいけなかったかを初めて考えるでしょう。そこでようやく、資本の論理というやつが働くんです。だから、ぜひ、いったんは読売を取るのをやめてください。これは、心からのお願いです」

 「難しい話はわからないけどよ、おれ。今日、電話してよかった。記者さんがそんなに苦しんでいるなんて、全然考えてみたことなかったもんな」
 「いや、私たちがだらしないから、こうなってるんです。実に恥ずかしいんですよ」
 「いや、そんなこといわないで、頑張ってくれよ」

 「ありがとうございます。せっかくの機会ですから、もうひとつ私からのお願いを聞いてくださいますか」
 「いいとも。何だってやるよ」
 「ご迷惑でしょうが、最初から私におっしゃったことを、正力宛の手紙にしていただけませんか。でも、社宛ではだめです。たぶん途中で握り潰されてしまうでしょうから、住所をお教えします」

 相手の怒声が、いつしか涙声になっていた。
 「辛いよなあ。そのうえ、がみがみ怒鳴りつけたりして、ご免よ」

(以上が引用です)

 「第2の本田靖春、出よ」とは思うものの、マスコミ全体の体たらくを見るにつけ、やっぱり無理かな、と絶望感が先に立ったりします。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第221回 インドネシア語講座

2017-06-16 | エッセイ

 この前、居庵さんと、お店でご一緒した時、「お互い、「言葉好き」やねぇ」という話題で盛り上がりました。現に私は、当ブログで「大阪弁講座」「英語弁講座」なんかを不定期連載してます。
 居庵さんも、スラヴ系の言語とかフランス語に強そうで、私の言葉ネタにも、いろいろツッコミを入れていただいてます。
 その席でのお約束通り、インドネシア語講座をお届けしようと思います。まっ、いたって気楽な中味で、シリーズ化の予定もありませんので、よろしくお付き合いください。

 さて、インドネシア語に興味を持ったのは、ちょっと古いエッセイですが、椎名誠の「あやしい探検隊 バリ島横恋慕」(山と渓谷社 1998年)を読んでから。バリ島は行ってませんが、ジャワ島までは、仕事で行ったことがあります。懐かしさも手伝って読み始めたら、最初の方で、インドネシア語をめぐる楽しい話題が出てきます。

 同書のネタをベースに、私の体験などもちょっと加えて、インドネシア語の世界をご紹介します。
 インドネシア語の特徴のひとつは、同じ言葉を重ねて、言葉の意味を拡張したり、強調したりするのが多いこと。
 例えば、ジャラン(jalan)というのは、「道」という意味ですが、ジャラン・ジャランというと、
「歩く」という意味になります。商社の現地駐在員から教えてもらいました。朝の散歩に出かける時、ホテルのスタッフに「ちょっと「ジャラン・ジャラン」してくる」とチャンポンで言ったら、通じたみたいで、にっこりされたのを思い出します。
 朝は「パギ」です。それが、「パギ・パギ」となると、「早朝」。同じように、夜を意味する「マラム」を重ねると、「深夜」を表すと言う具合。
 「キラ」というのは、「計算する」です。じゃあ、「キラ・キラ」というのは、じっくり、きちっと計算する、という意味かな、と思いきや、さにあらず。「おおよそ」という意味だというから、見事に肩すかし。
 「マタ」は「目」を表します。では、「マタ・マタ」は、どういう意味でしょう?じっくり見る、ジロジロ見る?
 残念でした。「スパイ」のことなんですね。確かに、じっくり見るのが、仕事ですけど・・・
 なんだか、インドネシア語を勉強してみたくなりませんか?

 「ポラン」は、ゆっくり、のんびりを表す言葉ですが、たいていの場合、「ポラン・ポラン」と重ねて使われることが多く、インドネシアの人たちの会話での使用頻度は、極めて高い。「まっ、ボラン・ボランとやりましょうや」てな調子。
 ここで、またまた、クエスチョン。「ゆっくり歩く」をインドネシア語で言うと?
 答えは、「ジャラン・ボラン」です。「ちゃらんぽらん」と似ていて、なんだか可笑しい。重ね言葉ではないが、「ゲラゲラ」というのが、「笑う」というのも、すぐ覚えられますよね。

 さて、もう一つの特徴は、日本語によく似た言葉があること。
 インドネシア語で、2人称を表す言葉は、代表的なものだけで、10ほどあります。相手との距離感に応じて、微妙に使い分けるというのは、日本とも似ています。そんな中で、比較的使い勝手がいいのが、「アンダ」(日本語の「あんた」に近い語感)。名前は「ナマ」。したがって、人の名前を訊くには、「スィアパ・ナマ・アンダ」(スィアパは「誰」という意味)と、ちょっと東北人になった気分で言えば、オッケーという次第。
 ほかにも、「飲む」は「ミノム」、「済んだ」は「スダ」、「取り替える」は「トカル」、「好き」は「スカ」、「戻る」は「モンドール」など。そして、極め付きは、「まさか」が「マサ・カ~」で、まさかと思うほど似てる。

 昔、大野晋という言語学者が、日本語の起源(ルーツ)は、南インドのタミル語だ、という説を発表して話題になったことがあります。
 タミルにしろ、インドネシアにしろ、アジアの南の方に、日本語とよく似た言葉があるというのは、なかなか興味深いなぁ、と思います。

 いかがでしたか?居庵さん、「よかったら」ツッコミ入れてくださいね。
 それでは、次回をお楽しみに。


第220回 動物たちの生き残り戦略

2017-06-09 | エッセイ

 人間、地球上の生物界では頂点に君臨してる(つもりの)割には、生きていく上での苦労や辛いことが絶えません。
 変に知恵がついたおかげで、社会、文明、文化などというものを産み出し、余計な苦労を背負い込んでるなぁ、と思う時があります。
 そんな人間の眼から見ると、ほかの生き物たちは、いかにものんびり、というか、自然に身を任せて、悠々と生きてるように見える時がありますが、そんなことはないようで・・・・

 「食べられないために」(G・ウォルドバウアー 中里京子訳 みすず書房)という本があります。昆虫を中心に、いかに他の動物に食べられないように工夫するか、そして、捕食者はいかにその企みを見破り、自分の食料とするか。生き残りを賭けた戦略、知恵競べを豊富な実例で紹介しています。まるで軍拡競争のような世界の一端をご紹介します。

<50年で種の色を変えた蛾>
 イギリスに生息するオオシモフリエダシャクという蛾は、元々は、樹皮に生える白っぽい地衣類に擬態して白っぽい色をしています。
 ところが、19世紀の半ば、マンチェスターで黒っぽい個体が発見されました。産業革命が進展して、ばい煙で地衣類が枯れて、黒っぽい幹ばかりになったのが原因とされる。
 こんな短期間で、色を変えられるという事自体も不思議ですが、20世紀半ばに大気浄化法が成立して、地衣類が復活すると、また白い個体が優勢になったというから、眼に見えない摂理、力に加えて、蛾自身による努力(?)が働いているとしか思えません。

<鳥の糞への擬装>
 イモムシ(アゲハチョウの幼虫)の中には、鳥の糞に擬装するものがあります。発見者ニューナムの文章によれば。「配色によって、糞の表面のさまざまな様子ー乾いた上面、湿って柔らかくネバネバしている本体、そして艶のある玉のような末端ーを表現する技量はあっぱれとしか言いようがない。たとえ優れた画家が使える限りの材料を使ってもこれほどのものは描けないだろう」(同書から)
 この本には写真がないので、ネットから拾ってきた画像です。いかがですか?色ツヤといい、ひねり具合といい、なかなかスゴいでしょ、って、私が自慢しても仕方ないですが・・・    

 

<ゴキブリの擬態>
 毒を持つ動物、食べてもおいしくない動物への擬態の例は数多いですが、フィリピン群島には、味の悪いテントウムシやハムシに擬態するゴキブリが生息しています。
 多くのゴキブリは、敵に補食されるのを防ぐため、夜行性ですが、このゴキブリは、昼行性だという。その見事な擬態ぶりによっぽど自信があるんでしょうね。昼間から出歩いても、補食される心配なんかしてねぇよ、と言わんばかりの振る舞いが、なんとなく可笑しい。

<闘う昆虫>
 北米に生息しているホソクビゴミムシの身を守る方法は、実に過激です。体内に、過酸化水素とヒドロキノンという化学物質を別々に蓄えています。
 そして身に危険が及ぶと、二つの物質を別の貯蔵室で混合し、刺激性の極めて強いベンゾキノンという物質を作り出す。それをお尻にある回転自在の銃身から一挙に発射する。摂氏100度にも達するその液を浴びると人間でも火傷するというから相当の威力です。
 ヒトの科学者でも思いつかないような仕組みをどうやって身につけたのか。ただただ不思議。

 昆虫が地球上に現れて5億年といわれています。自然淘汰、突然変異など、進化を説明する仮説はいくつも提唱されていますが、これほど見事に発達して来た動物のありようは驚異。おそれいりました。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第219回 第2の名前を持とう

2017-06-02 | エッセイ

 遠藤周作のエッセイを読んでいて、「う~む、なるほど」、そして「それならオレもやってた」と思った事があります。

 それは、「自分の本名のほかに、1つか2つの名前を持とうよ」ということです。

 ご存知のとおり、遠藤は、敬虔なカトリック教徒で、「沈黙」、「イエスの生涯」、「海と毒薬」など、自らの心情、信仰、苦悩などと正面から向き合った重たいテーマの名作を数多く世に送り出してきました。

 その一方で、彼の心の内には、例えば、人前でカッポレを踊る、のように、ハメを外すというか、馬鹿げたことをしたいという衝動が抑えがたくあった、というのです。

 作品からのイメージで、根っからのマジメ人間、堅物と思われ、また、そう振る舞うことを期待されてることへの反発みたいなものもあったのだろうと想像します。
 で、その内なる衝動に従っていろいろ活動しようとした時に、彼が考えたのは、「遠藤周作」という名前(本名)のままだと、それについてまわるイメージが払拭しきれず、いろいろ制約もありそうだ、ということ。

 しからば、どうするかを考えて生み出した策が、別の名前(号)を持つこと。そう「狐狸庵」先生の誕生です(なお、別号で「雲谷斎(うんこくさい」というのも持ってますが・・・)。

 三島由紀夫(こちらは、いかにもの立派なペンネーム)から「なぜそんな年よりじみた名前をつけたの」と聞かれた遠藤が答えたのが、「そのほうが、生き方が楽ですからね」というもの。

 事実、「狐狸庵」先生として出演したインスタントコーヒーのCMは、私もよく覚えてるし、「ぐうたら」エッセイシリーズも随分愛読しました。こちらは、「狐狸庵閑話」(新潮文庫)です。

素人劇団を立ち上げたり、音痴だけを集めた合唱団によるディナーショーを開いたり、などは、「作家・遠藤周作」の名前と生き方を引きずっていたら、とても実現できなかっただろう、ともエッセイに書いてました。まさしく「生き方が楽」を実践できたわけです。

 名前って、ひとつと決まってる訳じゃないですし、芸能人なら芸名、作家ならペンネームを使うのが普通です。
 仕事と遊びで、服を着替えるように、本名のほかに、名前ーーできれば、「号」のようなものーーを持つと「世間に宣言して」(これも大事なポイントです)、使っていこうよ。いろんな生き方が出来て、人生の幅もうんと広がるよ、というのが、「狐狸庵」先生の成功体験に基づくアドバイスです。

 と、ここまで読まれた方の多くが、お気づきのはず。そう、お店の句会用の俳号が、そのまま、普段もお店での通り名として、通用してる人が、私も含めて結構多いんですね(余談ですが、かの天才写真家アラーキー先生の俳号は、「挿入」だそうで、その作品を是非見てみたい!)。

 名前由来のニックネームのほかに、俳号が賑やかに飛び交うと、お店の雰囲気が、和やかに、そして、明るくなる気がします。

 たまたま、お店の句会に参加する時に、マスターからの奨めもあって、自分で考えた「芦坊(ろぼう)」という俳号ですが、おかげで皆様に「愛用」していただいてる。当ブログのタイトルにも使わせてもらってます。

 私自身は、根がマジメな性格で、あまり社交的なほうではないです(ホントに)。でも、この俳号というか、「第2の名前」のせいもあって、お店ではリラックスでき、ほかのお客様にも親しく接していただけてるように感じます。また、初めての人とも、出身地に由来する私の俳号がきっかけで、打ち解けることができる、というのもメリットかも。

 考えてみれば、忘年会で恒例(?)となってる「アブない芸」も、「芦坊」という名前と、仮面
と、そして、さばけた女性の協力があるから、出来てるようなものですね(とても本名じゃできません!)。

 「結果的に」ですけど、狐狸庵先生のアドバイスを実践してたわけで、今頃になって、その有り難さが身に沁みてます。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。