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第560回 前世の記憶-3 日本人編

2024-01-26 | エッセイ
 久しぶりのシリーズ第3弾です(文末に過去2回分へのリンクを貼っています)。前世(過去世)の記憶を持って生まれてきたとしか考えられない子供の事例が世界中にあり、研究の対象にもなっています。難しい理屈、議論は抜きにして、私は、そんな「現象」に関心があり、「不思議なことがあるもんやなぁ」感覚を楽しんでいます。今回は、日本人研究者による日本人の事例です。
 ネタ元は、「もっと ヘンな論文」(サンキュータツオ 角川文庫)です。ユニークな論文の中から、大門正幸という研究者の「過去世の記憶を持つ子供についてー日本人児童の事例」(「人体科学」Vol.20掲載)に拠り、ご紹介します。最後までお付き合いください。

 研究の対象になったのは、2000年1月生まれで、関西在住の通称「Tomo君」と呼ばれる男の子です。研究としてまとまったのには、いくつかの要因があります。小さい頃からの彼の特異な言動を不審に思った両親は、映像も含めて、やり取りの記録などを残していました。また、相談した医師の記録も残ってました、そして、本人が生まれたと主張する街を、父親と一緒に訪問までしています。2010年に、大門氏と本人及び両親との面談が実現し、論文として発表された、というわけです。さっそく、彼の前世を巡るエピソードをご紹介します。

 1歳の頃から、彼は、テレビのコマーシャルのアルファベット表示(AJINOMOTO、COSMOなど)に異常な興味を示していました。2歳の頃には、母親の胎内にいた時の記憶をしゃべり、2歳9ヶ月の時には、英語のポップスを上手に歌ったりしたといいます。ひらがなより、アルファベットを先に覚えたり、自分の名前がTomoだと明かしたのもこの頃です。その時のメモ書きです。(同書から)

 これだけなら、英語に強い興味を示す子供という、ままある話です。でも、彼が3歳11ヶ月の時のエピソードが興味を引きます。ホームセンターで、地球儀を見つけた彼は、イギリスを指差して、「ここで生まれたんだ」と言ったのです。家に戻って、父親が、イギリスの地図を見せると、エジンバラを指し示したといいます。英語への強い関心と符合します。
 そして、4歳頃から、彼は、本格的に過去の記憶を語るようになります。
 ある時「にんにくをむきたい」と言い出しました。ビデオが残っていて、普段は右利きの彼が、器用に左利きでむいたというのです。彼の発言です。
 「Tomoくんって呼ばれる前はイギリスのお料理屋さんの子どもやった」「1988年8月9日に生まれて、ゲイリースって呼ばれてた。7階建ての建物に住んでいた」「45度くらいの熱が出て死んでしまった」(同)
 後日、自身の死についても語っています。死んだのは「1997年10月24~25日の間」「イギリスのお母さんが困った顔してた」「Tomoくん、土に埋めたはった」(同)

 いずれもリアルな「記憶」ですが、極め付きは、これではないでしょうか。
 彼が4歳7ヶ月の時、JRの列車事故(時期的に「福知山線脱線事故」と思われます:芦坊注)のニュースを見た彼の発言です。「イギリスでもサウスウォールで列車事故があった。TVで「事故です、事故です」と言ってて、列車同士がぶつかって、火が出た。8人が死んだ」(同)
 父親が調べたところ、1997年9月19日に、その通りの事故があった事が分かりました(ただし、死者は7人だったそうですが)。彼が死ぬ1ヶ月ほど前の頃ですから、病院のベッドで見ていたのでしょう。「前世の記憶」としか言いようのない不思議な暗合です。

 「イギリスのお母さんに会いたい」というTomo君の希望を容れ、調査も兼ねて父親とのエジンバラ訪問が実現します(時期は同書に記載がありませんが、大門氏との面談の前と思われます:芦坊注)。個人での調査という限界もあったのでしょう、残念ながら、彼の記憶を決定的に裏付けるものは見つかりませんでした。でも、現地で、彼はこんな不思議な体験をしています。
 「このTomo君、エジンバラに到着した翌日に「お母さんを感じた。絶対ここにいる」と発言し、このことをきっかけに、Tomo君は「お母さんに会いたい」という気持ちに一区切りつき、過去世の記憶をなくしていったのであった」(同)

 ドラマチックな展開にはなりませんでしたが、私は「これで良かったのだ」と心から感じました。仮に、母親を探り当てたとして、対面すれば、その母親は、大いに困惑し、卒倒するかも知れません。日本人の男の子が、いきなり目の前に現れて、「実はあなたの子供だった」と言うんですから。Tomo君の心の整理も出来たことですし・・・・

 いかがでしたか?なお、過去の記事は、<第277回>と、<第313回>です。合わせて前世の不思議話に触れていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第559回 一言で効く殺し文句の研究

2024-01-19 | エッセイ
 作家・阿刀田高さんのエッセイには、お仕事柄、言葉にまつわる話題が多いので、かねてから愛読しています。今回は「殺し文句の研究」(新潮文庫)がネタ元です。「殺し文句」なんていうと、もっぱら恋愛関係用で、今時はちょっと古臭い感じもします。でも、いろんな場面、シチュエーションで使えそうな例が盛りだくさんです。中から、使い勝手が良さそうなものを選んでみました。存分にお楽しみください。

★顔がきらいだ★
 いきなりインパクトのある「殺し文句」の登場です。
 三島由紀夫は、太宰治に対して、猛烈な嫌悪感を持っていました。(三島(左)と太宰)

 その理由を、三島はエッセイで「第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない」(同書から)と書いている、といいます。よほど嫌いだったのでしょうね。第二、第三のそれらしい理由も付け足しているのですが、「顔がきらいだ」と、いきなり理屈抜きで言われれば、引き下がるしかありません。
 著者の家に、さる政党の機関紙販売員がやってきて、しつこく勧誘されました。とにかくいらないと断る氏に「どうしてか」と尋ねられたので、「おたくの党首の顔がきらいだ」と言い放って、お引き取り願ったそう。おススメは出来ませんが、時と場合により、使える「殺し文句」かも。

★見合いは今だけだ★
 今の若い人たちの結婚のきっかけは、「見合い」と「恋愛」のどちらが主流なのでしょう。最近は、「ネット」という選択肢も入ってきているようです。私たち団塊世代が若い頃は、「恋愛」に憧れながらも、やむをえず「見合い」というのが、多かった気がします。
 著者も若い頃、先輩から見合いを勧められました。あまり乗り気でないのを見て、先輩が言いました。「恋愛なんてものは結婚してからでもできるけど、見合いは今だけだ。」(同)
 ちょっとアブないセリフですけど、氏が見合いを奨(すす)める時には、ちゃっかり借用していとのこと。奥様とのきっかけは、見合いでも、恋愛でもなく「ほかにもう一つ「なれあい」ってのもあるんだよな」と答えている」(同)とはぐらかされました。

★その質問にお答えする前に★
 政治家諸氏がご愛用のセリフです。政党の代表者や幹事長クラスが集まっての討論会や、一対一のインタビューでは、ホンネを聞き出さなくてはなりません。ですから、質問者はイエスかノーかで答えるべき問いを発することがよくあります。
 それに乗っかって、白黒はっきりした物言いをするようでは、政治家としては失格なんですね。「その質問にお答えする前に」との前フリで、一見関連ありそうだけど、別の問題を俎上に乗せて、さっきの質問はウヤムヤにする、という手です。う~む、姑息、逃げ腰、場当たり的・・・そんな言葉が浮かんできました。

★海軍の兵士はニューヨーク市民より安全です★
 かつて、合衆国の海軍が兵士募集の広告を出したことがあり、その時のキャッチコピーだというのです。
 根拠はこうです。当時、ニューヨーク市民の死亡率は、1000人につき16人でした。それに対して、対スペイン戦争(1898年)の時の海軍の兵士の死亡率は、1000人に対して9人でした。昨今のニューヨークはともかく、当時、ニューヨク市民であることに危険を感じた人はいなかったでしょう。海軍はそのニューヨークよりも死亡率が低いのですから、安心して応募して下さい、というわけです。
 もちろん、ここには統計上のゴマカシがあります。ニューヨーク市民の死亡率は、乳幼児や高齢者、病気の人たちも含んだ上での計算です。一方、海軍の方は屈強な若者たちで占められています。もともと比較に無理があります。あやうく、文字通りの「殺し文句」になるところでした。

★三善、四善、五善、六善・・・★
 著者には一つだけ自作の主義主張めいたものがあるといいます。やや照れながら紹介しているのが、この項目タイトルです。最善を尽くすのをモットーにする、でも、それがだめなら次善の策で、というのはよくあります。氏の場合、筆が思うように進まない場合であっても、さらにその先、三善、四善などの作品作りへの努力をぎりぎりまで惜しまない、という立派な殺し文句です。現状に妥協しがちになる自身への「殺し文句」とも言えます。私もシロートながら、ブログを書く身として、この「殺し文句」を肝に銘じました。

 いかがでしたか?イザという時、役立ちそうな(?)「殺し文句」があれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第558回 パズルで固い頭を柔らかく

2024-01-12 | エッセイ
 手軽なパズルを解くのが好きです。高校生の頃、「頭の体操」(多湖輝(たご・あきら) カッパ・ブックス)というパズル本のシリーズがベストセラーになり、私も父が買ってきた何冊かに挑戦しました。著者は、千葉大学の心理学教授(当時)で、発想の転換が必要だったり、心理トリックが仕掛けられていたりする問題を(出来はともかく)楽しみました。
 先日、新古書店で、その新装版が何冊か並んでいたので、「BEST」という選り抜き版を購入し、再チャレンジしました。問題、回答を覚えているものもあり、成績はまあまあ、といったところでしょうか。皆様にも楽しく挑戦していただけそうな5つの問題を選び、お届けします。問題は前半に、回答は後半にまとめました。なお、以前お届けした数学パズルへのリンクを文末に貼っています。合わせてトライしていただければ幸いです。それではどうぞ。

★第1問
 形の違うコップが2つだけあり、いっぽう(図の左)に酒が入っています。この酒を二人で分けて飲もうということになりました。両方からぜったいに文句の出ないように分けるにはどうすればよいでしょうか。

★第2問
 ある細菌は、1分たつと、2個に分裂し、また1分たつと、そのそれぞれが分裂し、合計4個になります。こうして、1個の細菌が瓶(びん)にいっぱいになるのに、1時間かかるとします。
同じ細菌を、最初2個から始めると、瓶にいっぱいになるまでに何分かかるでしょうか。

★第3問
 100チームが出場する野球のトーナメント(勝ち抜き戦)で、優勝決定までに、最低、何試合必要でしょうか。

★第4問
 ジョーカーを除いた52枚の1組のトランプがあります。これをよく切って、26枚ずつの2つの山(A、B)に分けます。このとき、Aの山の黒のカードの枚数と、Bの山の赤のカードの枚数が、ぴったり同じになるのは、1000回のうち、何回ぐらいでしょうか。
★第5問
 図のように半径1メートルの円が4つ、ぴったりくっついて並んでいます。濃い色の部分(4つの円に囲まれた部分と、1つの円の合計)の面積を、円周率を使わずに求めてください。


回答編です。
☆第1問の答え
 まず一人が、自分がどっちを取っても文句がないと思うまでじっくりと酒を二つに分けます。その上で、もう一人に好きな方を選ばせます。こうすれば、文句の出ようがありません。
<芦坊コメント:量的にきっちり分けることをつい考えてしまいます。この方法なら、文句の出ようがありません。子供にオヤツを分ける時などに応用ができそうです。>
☆第2問の答
 59分です。最初の1個が2個になるのに1分かかります。2個からスタートするのは、この1分が短縮されるだけ、と考えればいいのですね。
<芦坊コメント:だいぶ短縮されそう、とつい錯覚しそうです。>
☆第3問の答え 
 99試合です。1試合するごとに1チームが消えていきます。優勝の1チームだけが残るためには、99試合必要です。<芦坊コメント:引き分け再試合がなければ、この通りです。問題には「最低」何試合、と断ってありました。ヒントがここにあった気がします。>
☆第4問の答え
 枚数は常に同じです。赤と黒のカードが各26枚、2つの山も26枚ずつというのがポイントです。
 まず、Aの山を考えます。黒のカードを「X 」枚とすると、この山の赤のカードは、(26ーX)枚です(26枚の山なので)。
 Bの山です。黒のカードは(26ーX)枚(黒は全部で26枚なので)です。赤のカードはX枚(Bも26枚の山なので)になります。結局、「Aの黒」と「Bの赤」は、常に同じ枚数です(「Aの赤」と「Bの黒」も)。<芦坊コメント:52枚という数に惑わされ、加えて、問題に、1000回のうち、何回」といかにも稀な現象のごとく「心理的ひっかけ」が仕組んであり、私もひっかかりました。>
☆第5問の答え
 ご覧のように並べ替えれば、1辺が2メートルの正方形ですから、4平方メートルです。

<芦坊コメント:「円周率を使わずに」というのがヒントになってましたね。>

 いかがでしたか?冒頭でご紹介した記事は<第509回 気楽に挑戦?数学パズル>です。是非、挑戦してみてください。それでは次回をお楽しみに。

第557回 川柳と落語で初笑い2024

2024-01-05 | エッセイ
 「文芸」の分野で多少実作の経験があるのは、「川柳」です。若い頃、<義理で書く 手紙は古風な 言い回し>が、週刊朝日の投句欄に採用されたことがあります。行きつけのスタンド・バーでの句会でも、川柳っぽい句でウケを狙っていましたが、入賞とはあまり縁がありませんでした。
 「演芸」だと「落語」になります。小さい頃ラジオを通じて、そして今はCDで、志ん朝、談志、小三治などの名人芸を楽しんでいます。
 先日、古書店で、その両方がタイトルになった「落語と川柳」(長井好弘 白水社)が目に止まり、なるほど「笑い」という部分で親和性があるなぁ、と迷わず購入しました。古今の落語家たちの川柳「作品」にも興味を引かれるのですが、今回は、落語をより面白く、より分かりやすくするために川柳がどう活用されているか、に絞って初笑いしていただこうという趣向です。よろしくお付き合いください。

 落語といえば、本題に入る前のツカミともいえる「マクラ(枕)」がつきものです。落語家も工夫を凝らします。そこで川柳の出番です。例えば、江戸っ子とカネにまつわる噺はいっぱいあります。そんな時、よく使われるのが、
<江戸っ子の生まれ損ない金(カネ)を貯め> です。
 「三方一両損」という演目があります。三両入った財布を拾った左官の金太郎。中の書き付けで持ち主が分かりましたので、家まで届けに行きます。ところが、落とし主である大工の吉五郎は「一旦、俺の懐から出ていった金なんかいらねえ。おまえにやる」と受け取ろうとしません。
 言われた金太郎も「そんな金がもらえるか」と突っぱねて、二人は大喧嘩。互いの家主、果ては、大岡越前まで巻き込んでの大騒動、という噺です。
 「宵越しの金は持たない」を信条とし、金に執着するのを潔(いさぎよ)しとしない江戸っ子の意地と意地(と、見栄っ張り(?))のぶつかり合いが引き起こす騒動で笑わせる古典落語の名作です。江戸っ子のホンネとタテマエを見事に皮肉ったこの川柳が、マクラにピタリとハマります。

 江戸時代、商家に奉公に出た子供は、時に数年も働きづめです。無事に年期が明けて、一時、親元に返るのが「薮入り」です。同じタイトルの演目を演じる時のマクラで、よく使われるのが、
<薮入りやなんにもいわず泣き笑い>です。
 3年の年季が明けて、帰ってくる息子を待ちわびる父親と母親。なにしろ久しぶりですから、こんなものも食わせてやりたい、こんなこともしてやりたいと、てんやわんやの大騒ぎを語る演目です。「薮入り」という言葉がほぼ死語で、馴染みのない制度ですから、マクラでその説明を兼ねつつ、この川柳でお客を親子の情愛の世界へ引き込む・・・うまい仕掛けです。

 お馴染み「寿限無」のマクラで使われた川柳を3代目三遊亭金馬師匠(1894-1964)が集めたものが、本書で紹介されています。
<乳を噛めば叱りながらも歯を数え><これほどに親は思うぞ千歳飴>
<子の寝冷え明くる日夫婦喧嘩なり><泣くよりは哀れ捨て子の笑い顔>
 子を思う親の心を川柳に託す落語家の皆さんの苦労、工夫が偲ばれます。

 さて、川柳を「噺の中で」効果的に使うという手があります。8代目桂文楽(1892-1971)が得意としていた廓(くるわ)噺の名作「明烏(あけがらす)」での例が本書で紹介されています。

 さる大商家の若旦那は、「遊び」とは無縁の堅物です。そんな息子を心配した父親が二人の遊び人に頼んで、吉原遊郭へ誘い出させます。「お稲荷さんへのお籠(こ)もり」との名目ですから、大門(おおもん)を鳥居といい、たくさんいる女性たちを「巫女(みこ)」だとごまかしたりのやりとりが落語的笑いを誘います。不審がる息子になんとか花魁をあてがうことができました。で、その後の経過をこの句に語らせます。
<女郎買い振られたやつが起こし番>
 遊び人ふたりは見事にフラれて、若旦那を起こしに部屋を訪ねるハメになったわけです。すると、花魁は若旦那のウブなところが気に入ったようで、しっかりしがみついています。馬鹿馬鹿しくなって帰ろうとする遊び人ふたり。そして噺はオチへ、という趣向です。
 多くを語らず、時間の経過と場面転換に川柳を利用するこんな工夫があるのかと感心しました。

 いかがでしたか?初笑いいただけたでしょうか?なお、関連した話題として、<第367回 落語を「読む」><第533回 江戸の難解川柳を楽しむ>のリンクも合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

新年のご挨拶2024<芦坊>

2024-01-01 | エッセイ
「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただいている皆様へ

 新年明けましておめでとうございます。
 辰年にちなんで、こんなデジタル年賀状を作ってみました。

 勇壮な龍でもよかったんですが、小さい頃の思い出につながる「タツノオトシゴ」を配しています。よろしければ、ちょっとだけその話題にお付き合いください。
 小学校3年の夏休み前、父が手術、入院することになり、長期化が予想されるため、私は旅館を営む親戚に預けられました。病気と闘う父をよそに、そこの従兄弟たちと遊び呆ける日々です。そんな中、土産物コーナーに置いてある一品が気になっていました。それは、タツノオトシゴをカマボコ形の透明樹脂に流し込んだペーパーウェイトのようなものです。その小動物の珍しさに魅かれ、毎日のように見入っていました。世話になっている身で「欲しい」とも言えません。
 夏休みの終わる頃になって、幸い父は退院でき、私も自宅に帰ることになりました。その時、しつけには厳しく気難しかった伯母(父のだいぶ上の姉)が、例の一品を指しながらこう言ったのです。「あんた、これ欲しいんやろ。よかったら持って行きっ」
 嬉しいというより、物欲しそうにしていた姿をチェックされていた恥ずかしさが先に立ちました。小さな声で「ありがとう」と答えるのが精一杯だったのを覚えています。その後の引っ越しやらのドサクサで、失くしてしまったのが残念です。

 とりとめもない思い出話しにお付き合いいただき、ありがとうございました。今年も楽しくてタメになるブログを目指します。新年の初ブログは、1月5日(金)にアップの予定です。引き続きご愛読ください。皆様方のご健勝、ご多幸、ご活躍をお祈りいたしております。

 2024年 元旦  芦坊拝