★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第342回 井上ひさしのボローニャ

2019-10-25 | エッセイ

 イタリア北部にあるボローニャは、自由、反骨、創造という言葉がよく似合うユニークな人口38万人ほどの街です。

 まずは、ユニークなこの街をざっとご紹介し、井上ひさしさんが縁のあるこの街を訪問したエピソードをお伝えします。最後までお付き合いください。

 11世紀、南フランスを中心に、極端な清浄思想(結婚によるセックスさえ重罪、など)を教義とするキリスト教の一派「カタリ派」が勢力を伸ばしていました。これを異端としたローマ教皇は、司教や神父を送って改宗という厳しい取り組みに全力を挙げます。そんな中、カタリ派を「教化」した功労者のひとりが、ボローニャを中心に活動していた聖ドメニクスで、ゆかりのサン・ドメニコ教会は、ドメニコ修道会の総本山です。

 また、第二次世界大戦当時は、反ナチ、反ファシズムのレジスタンス運動の拠点としても名を馳せました。こんな事件が記録されています。

 市民が、市を占領しているドイツ兵を射殺しました。ドイツ兵が1人殺される毎に、無作為に選んだ市民10人を殺すというのが占領ナチス軍が決めたルールです。そして、いよいよ銃殺という時、乳飲み子を抱えた母親の身代わりを申し出たのが、ドメニコ派のマレッラ神父です。さすがに、神父を銃殺できませんから、一同の命は救われました。

 戦後、マレッラ神父は、雨の日も風の日も、街の中心部にある大きな食料品店の壁の前に座って、喜捨を乞い続けました。壁は、あまりにも長い間、神父の背中でこすられたため、へこんでしまったといいます。でも、そのおかげで、たくさんの孤児院や母子寮が建てられました。神父の功績を讃えるレリーフです。


 さて、作家の「井上ひさし」は、家庭の事情で、一時期、ドメニコ会が運営する孤児院に預けられ、そこから仙台の高校に通っていたことが知られています。神父との交流などを通じて、会の聖地であるボローニャに、ひときわの思い入れと憧れを抱き、いろいろ情報も集めていたようです。  
 そんな井上に、2003年12月、NHKの番組企画で、2週間、この街に滞在するチャンスが巡ってきました。「ボローニャ紀行」(文春文庫ほか)では、そこでの体験が生々しく語られ、ボローニャという街とそこに暮らす人々のユニークさを存分に味わうことができます。

 ホームレス支援の取り組みをひとつの例として、同書に依りながら、ご紹介しましょう。取り組みの大きな柱は2つです。

 ひとつは、20年ほど前に、ボローニャ大学(1088年創立のヨーロッパ最古の大学)の学生3人の提案を、市も参画する形で始まったタブロイド新聞の発行です。定価は、1部1ユーロですが、0.5ユーロで仕入れたホームレスの人たちはいくらで売ってもよく、寄付として2ユーロ、3ユーロで買い求める市民も多いとのことです。

 ホームレスという社会的問題を、細密なインタビューや分析で訴える記事がメインで、それも評判ですが、最終ページにあるホームレスの人たち向けの「最新お助けニュース」がとにかくユニークで、具体的です。例えば、「食事」について、こんな情報があります。

<インディペンツァ通りの高級料理店ディアナでは、水曜と木曜はパンやハムが余るから、閉店間近の午後10時過ぎに裏口へ行くのがいい。ただし、給仕のジュリアーノはケチな上に無愛想なので、彼を避けるのが賢明である。ジュリアーノは大男で、若いのに禿げているからすぐわかる。>(同書から)

 井上も、名前を出されたジュリアーノ君を気の毒がってますが、日本だったら「食中毒になったら責任は誰が取る」「店の了解は取っているのか」「個人の名前を出すなどとんでもない」と頭から湯気を立てる行政側の小役人どもの姿が思い浮かびます。この新聞、今や、ボローニャ名物だというのもうなずけます。

 さて、取り組みのもうひとつは、古くなって使われなくなった公営バスの広大な車庫の、無償貸し出しです。
 中には立派な劇場が作られています。どうしても自分の殻に閉じこもりがちになるホームレスの人たちに演技の場を提供するためです。「みんなでわいわいやっているうちに、心がやわらかくなり、自分と外部との壁がなくなる。そして、そこへ観客の笑い声や拍手が加われば、自分と外部との完全に溶け合って、だれもがもう一度、外部を信じようという気になるんだよ」(同書から)と施設の案内人マッシモさん。文化事業での支援なんて、日本じゃ出てこない発想です。

 同じ施設には壊れた家具、電化製品などの廃品が集まってくる仕組みにもなっています。それらを修理したり、古い衣類を利用した土産物バッグを作って販売したりするのです。商品の配達や公共施設の清掃、無料宿泊所の管理などを請け負い、管理などを行うセンターとしても幅広く機能し、実質面、金銭面で、ホームレスの人たちを支えています。

 市民の創意を、行政も汗と知恵を絞って活かす、あわせて、文化事業で街の再生を図る・・文字通りそれを実践しているこの街の方式は、1970年代ころから「ボローニャ方式」と呼ばれ、世界的にも話題になりました。
 ひとりひとり(行政も、市民も)の自立精神があってこそのシステムである、と思い知らされます。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

<追記(2020年9月>

ホームレスの人たちの生活の糧となっている新聞の画像をネットで見つけました。

"PIZZA GRANDE(大きな広場)"という紙名で、市内の有名スポットにちなむものとのこと。ネットの威力を痛感しました。


第341回 アクション英語-英語弁講座25

2019-10-18 | エッセイ

 「英語落語」というユニークな試みを創始したのが、関西の落語家桂枝雀(かつら・しじゃく 1939-99年)です。オーバーアクションぶりや、ちょっとシュールな芸風で人気があり、私も大ファンであり続けています。こちらの方です。

 その彼に「枝雀のアクション英語高座」(祥伝社)という本があり、とびきりユニークな学習法との出会いや授業風景などが面白可笑しく綴られています。その悪戦苦闘ぶりをご一緒に楽しもうと思います。

 さて、高校時代に、いい英語教師に出会ったのがきっかけで、英語にはずっと興味を持ち続けていた彼が英会話に本格的に取り組もうと決意したのは、40歳を過ぎた頃だといいます。町の英会話スクールに通ったりと、いろいろ試した結果、行き着いたのが、大阪でHOEという教室を運営している山本正明氏との「運命的な出会い」(同書から)です。

 氏のモットーは、言葉は頭ではなく、カラダ全体で覚えるものだ、というちょっとユニークで過激なもの。本のタイトルにもなってる「アクション英語」というわけです。さっそく、その様子をご紹介しましょう。

 最初のレッスンでは、机の上のペンを取り上げながら、"Pick up the pen."と言い、"Put it down.”といいながら、元に戻す・・・これを何度も何度も繰り返えす、というのです。まるで、子供扱いですが、そうすると、英語とか日本語とかの区別を意識しなくなり、カラダが自然に反応するようになったといいます。

 鉛筆を出したり、名前を書いたり、消したりと机上で出来るアクションが身に付くと、次のステップは、いよいよ教室の中で、カラダを動かすレッスンです。

 "Stand up." "Go to the window."  "Open the window."  "Shut the window."  と部屋の中で、アクションをさせられて、"Go back to your seat."で席に戻ります。
 あの枝雀師匠が、部屋の中をウロウロしながら勉強しているのを想像すると、頬が緩みます。

 第2段階では、教室を、機内に見立てて、客室乗務員役と乗客役とに扮した模擬レッスンになります。

 時代が古いので、客室乗務員が搭乗券をチェックするところから始まります。
 "Please show me your boarding card." (搭乗券を拝見します)に対して、
 "Sure.Here you are."(はいどうぞ)などとやりとりがあって、
 "Please come this way.This is your seat."と席に案内されます。

 こんな流れだと、客室乗務員が会話をリードする形になりますから、乗客役の方も、
 "Where’s the toilet?"のように「反撃」にでる必要がある、と書いてあるのが可笑しい。

 で、最終段階になると、「即興」を主にしたレッスンになります。シチュエーションは、「知り合いのオフィスへ行く」というものです。

 名前を訊かれ、アポの有無を質問され、それを受けて、受付嬢が取り次いでくれる・・・・・と
ここまでは(英語は省略しますが)ありがちな展開ですが、なんと、受付嬢から「ボスはあなたのことを知らない」と言われます。さあ、どうする、というわけです。
 「わたしは、落語家の枝雀と申しまして、こちらのオフィスの山本さんにお会いすることになっておりまして・・・」などと伝えますが、「「ラクゴカ」ってなんですか?」とこれまた意地悪な答えが返ってきます。
 "story telling"、”stage drama"、"imagination"など、思いついた言葉で、汗をかきかき説明したと書いています。この時の汗かきが、後に「英語落語」で、外人さんに落語の説明をするのに役立った、とも書いています。

 「読む」「書く」「聴く」はある程度、自学自習が可能ですが、「話す」となれば、これくらい実践的にやる必要があるだろうなぁと実感出来ます(が、大変そう)。
 私も気の利いた言い回しなんかを覚える時は、(アクションまではやりませんけど)自分が使ってる場面を、アタマの中でイメージ、シミュレーションしたりすることはあります。万人向きとは言えませんが、ある程度の下地があれば、効果はありそうですね

 枝雀師匠も効果を実感したのでしょう。この体験が、「英語落語」の創作へとつながっていくのですが、その話題は別の機会に「英語講座」らしくご紹介できれば、と考えています。

 いかがでしたか?それでは、次回をお楽しみに。


第340回 四合目からの俳句

2019-10-11 | エッセイ

 ムーさんが、私のいきつけの店の句会に初めて参加されたのは2年ほど前だったでしょうか。お店で句会をやっているとの情報がきっかけだったと聞きました。
 「一日一句」を自らに課して、続けておられるとのこと。「まあ、日記代わりみたいなものですが・・・・ちょっとした自然の移り変わりに目を向けるのが楽しいですね」とのお言葉に頭が下がります。句会の上位入賞に毎度のように名を連ねられる裏には、日頃のそんな努力があったのですね。

 一方、私はといえば、ごくたまの入賞を励みに、ベテランの方々のコメント(というかツッコミ)を肝に銘じて、なんとか続いています。実戦的にやってる、といえばカッコいいですけど。

 そんな私が、せめて初心者からの脱出を、と殊勝なことを考えて、手に取ったのが「俳句 四合目からの出発」(阿部ショウ人(あべ・しょうじん(ショウは、竹かんむりに”肖”) 講談社学術文庫)です。


 カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ残った柿はきまって「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、母は「小さい」ーーーこんなきまり文句、紋切り型の表現と手を切らなければ、「四合目」から上に登ることは出来ない、と著者は説きます。

 独自のネーミングと分類でやり玉に挙げられるダメ句の数々。まるで「ネガティブリスト」のオンパレードみたいな趣きですが、とりあえず、そのごく一端を、ご紹介します。

<三段論法俳句>
「野に置いて萩(はぎ)に親しむ一日(ひとひ)かな」が取り上げられています。
このような表現は「手折らずに」「萩を野に置いておいた」「それは私が萩を愛するからだ」という理屈の三段論法になっていて、感情の表出ではない、というのです。自分の風流心が行き届いていることを誇示、宣伝する卑しい句だと散々の評です。

「来客の用よりもまず牡丹(ぼたん)かな」
「梅咲いて遠回りする出勤路」
なども例として揚げられています。三段論法で誇示、宣伝するのは控えた方がいいようですね。

<も・に俳句>
「滝飛沫(たきしぶき)山蛾(やまが)も涼しく髭(ひげ)振れり」
 阿部が問題にするのは、「も」です。「人間も」ということを裏に、露骨に、へたに潜入させているというのです。一字でほかを言わずに含ませ、余韻を持たせることができると勘違いしている初心者が多いとも指摘しています。

 そして、「に」です。
「紫陽花(あじさい)の雨に童話を読み聞かす」
雨で外で遊べない、だから、本を読んでやる、という理屈仕立てになっているというわけです。原因結果を露出する手法で、初心者に氾濫しているとの説明です。「も」の用例として、
「絵葉書に河鹿(かじか)の声「も」書き添えぬ」
「世のために案山子(かかし)「も」やせる勤めなり」
などが揚げられています。17文字という制約があるからこそ、一字をおろそかに出来ないと、気持ちを引きしめました。

<セロファン俳句>
 発想が陳腐で薄っぺら、まるでセロファンのよう・・・・というわけで、挙げられてるのが、
「夏雷雨(なつらいう)洋傘とほし面にしぶく」
 強雨が布地を通して顔にかかると、まったくその通りのことで、筋書きの他は何もない言い方、それ故読み過ぎつつ引っかかるものが感じられません、と著者の指摘は厳しいです。

「炎天に鶴嘴(つるはし)上げて道修理」「犬濡(ぬ)れて春雨の庭をかぎまはる」などもやり玉の上がっています。そして、これ。
「浴衣(ゆかた)着てひとり左岸を歩みをり」
 浴衣がだしぬけに出て来て、なぜひとり、なぜ左岸、そしてなぜ歩むか。それらが離れ離れであって・・・と舌鋒の鋭さは相変わらずです。

 「あれもアカン、これもアカン、一体どうしたらエエのん?」と、大阪のオッちゃん(オバちゃんも)から言われそうです。初心者から脱出したいのなら、通り一遍でありきたりの発想、表現から抜け出しなさい。そんな著者の熱い想いが、ついつい「過激な」言葉となってほとばしっているようです。

 昔、テレビの俳句教室だったと記憶しますが、俳句作りの基本が「第一発想を捨てる」と教わりました。平凡でありきたりの発想を捨てるところから句作は始まる、という意味では、阿部の主張と相通じるところがあるな、と、今にして思います。

 俳句作りも、第二、第三の発想を探す「遊び」と心得て、「実戦的に」これからも続けていくつもりです。四合目より上に行けるかどうかは分かりませんが・・・・

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

<追記>後ほど、俳句の話題で<第354回 江戸の難解句を楽しむ>をアップしています。合わせてお楽しみいただければ幸いです。
 


第339回 東のカネ、西のカネ

2019-10-04 | エッセイ

 値打ちに変わりはないんですが、東と西のお金(かね)に対する価値観の違いみたいなことが、よく話題になります。

 西の代表選手の大阪といえば、オッちゃん、オバちゃんは、デパートでも平気で値切るという「都市伝説」が有名です。そして、「ケチ」、「始末」、「しぶちん」という言葉が浮かびます。

 だけど、多くの大阪人の言い分は、「ケチ」とか「始末」は、決して悪口ではなく、ムダなカネは使わへん、同じ買うなら出来るだけ安う買う、生きたカネを使うという合理的精神や、というもの。出すのは、舌を出すのもイヤという卑しいヤツが「しぶちん」で、一緒にしてくれるな、とも。

 で、思い出すのが、「大阪の3ケチ」です。いずれも故人ですが、(写真の左から)森下泰(森下仁丹社長)、鳥井道夫(サントリー副会長)、吉本晴彦(大阪丸ビル会長)の3氏とされてます。


 その3人がタクシーに乗る時のことです。まず、助手席が奪い合いになります。そして、後部座席の奥を譲り合うというのです。助手席なら、さっと降りて、タクシー代を払わずに済む。一番最後に降りることになる後部座席の奥の人間が、料金を払わなければならないから、というのがその理由。

 でもまあ、ホントのケチなら、タクシーなんか使わず、歩くはず。それぞれ立派な立場の人たちで、ハイヤーくらいは(安く)雇ってるでしょうし、3人がタクシーに乗り合わせるのも不自然な状況です。どうやら吉本氏の創作したエピソード、というのが定説です。
 ただ、創作だとしても、「始末」「ケチ」は恥ずべき行為にあらず、商売人であれ客であれ、堂々とやってよろしい、という精神が基本にあるように感じます。加えて、ユーモアでくるむ気持ちの余裕も大事だという気風があって、広く大阪人に受け入れられているのではないでしょうか。

 ちなみに、吉本氏は、「大日本どケチ教」を宗教法人として申請しています。祈りの言葉は、「もったいない、もったいない」と「ありがたい、ありがたい」。ただし、「ご神体は?」と担当の役所に問われて「おごりたかぶらない心や」。本人は大真面目でしたが、笑われて相手にされなかったという逸話(これは本当)も残しています。

 さて、ところ変わって、東の代表として、江戸っ子、特に職人の「宵越しの銭は持たねぇ」という価値観を取り上げてみます。

 江戸っ子の心意気、気っぷ、粋を表す言葉として、落語のマクラでもよく聞くのですが、私みたいな関西人には、単なる刹那主義、やせ我慢、見栄っ張りのようにも見えます。

 ものの本によると、これは、職人たち自身が産み出した価値観ではなく、彼らの雇い主たちが、戦略的に植え付けた価値観だ、というのです。

 多くの雇い主は、職人たちを必要とする現場(工事、もの売りなど)へ斡旋するだけでなく、別の事業もやっているのが普通でした。飲食のような正業から、賭場のような裏稼業までさまざまで、そこにカネを落としてもらわなければ、儲かりません。

 宵越しの銭なんか持たず、使ってしまえ、それが江戸っ子だーそんな刷り込みに乗せられて、職人は散財する一方、雇い主は、宵越しの銭をしっかり貯めまくる、という構図です。つまり、江戸の街全体が「総タコ部屋化」してた、ということにでもなるでしょうか。

 宵越しの銭を持たせないのには、もうひとつの戦略があります。

 例えば、大工の場合、ヘタに小銭を貯めれば、「じゃ、2~3日、仕事休んで、のんびり」となります(たぶん)。そうなると、「派遣先」の工事の予定が立たず、具合が悪いです。
 その日に稼いだカネは、その日のうちに使い切り、「毎日、働かざるを得ない」ようにするーー久しぶりに「搾取」なんて言葉を思い出しました。いつの時代も雇い主、事業主の方が、上手(うわて)ということですね。それが江戸の街の繁栄を支えてきたとも言えますが・・・

 東だから、西だからと決めつけるのはナンセンスです。カネを巡る話題のひとつとして楽しんでいただければと思います。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。