★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第359回 大阪弁講座-39 「〜かいな」ほか

2020-02-28 | エッセイ

 第39弾をお届けします。

<~かいな>
 いかにもの大阪弁である「~かいな」の基本的な用法は3つです。

 まずは、「命令」です。カジュアルですが、かなり強いニュアンスがあります。目上のものが目下のものに、とか、上司から部下へ使うことが多いようです。
 「なにをグズグズしてんねん。さっさと行かん「かいな」(行きなさい)」のように。

 それで思い出すのが、「その場で絵ぇ描かんかいな」という言い回しです。

 大阪で仕事してた時、若い頃は、上司から言われ、少し上の立場になってからは、部下に対して使ってました。
 意味するところは、あらかじめ想定していたことと事態が変わっても、その場で臨機応変に、機転を利かせて、柔軟に対応しなさい、ということなんですね。

 「絵ぇ描け」というのが、いかにも大阪的です。
 「うまくやれ」「よく考えろ」「自分で判断しろ」みたいな通り一遍の言い方より、よほど具体的で、分かりやすい指示(というか命令)になってます。ただし、「自己責任で」というニュアンスも、言外に匂ってたりしますが・・・

 「約束してた相手がおらんかった?そんな時は、お局(つぼね)はんとこヘ、ご機嫌伺いに行くとか、手はあるやろ。「その場で絵ぇ描かんかいな」。のこのこ帰って来るだけやったら、イヌでもできるど!」
 今日も、大阪のビジネス現場では、このフレーズが飛び交っているんでしょうなぁ。

 次は、「反語による否定」です。
 「うちのオヤジがそんなことする「かいな」」
 ニュアンスとしては、「そんなことするわけないやろがっ」と、これも強い調子の言い回しです。

 そして、最後が、「疑問」、「疑念」です。
 「そんなうまい商売あるんかいな」「あるわけないやろっ!」とたいていは、強い否定の追い打ち、またはツッコミが返って来るのが多いようです。それで思い出すのが、「川柳でんでん太鼓」(田辺聖子 講談社文庫)に載っていたこの句です。
 「命まで賭けた女てこれかいな」
 ここまで行くと、疑問を通り越して、あきれかえって、軽蔑の念まで抱いていることになります。使いこなすのがやっかいな大阪弁の代表選手です。


<ほなな>
 これ、日本語?と思われそうな大阪弁ですが、もちろんちゃんとした使い方があります。まずはイラストで、使う場面をイメージしてください。

 分解すると、「ほな」と「な」です。「ほな」というのは。「それでは」とか、「それじゃ」のように話の区切りをつける時などに「ほな」だけ単独でも使えるカジュアルな表現です。一言付け加えて、「ほな、このへんで」とか「ほな、ワテは、先に行ってるから」のように使うこともできます。商談を切り上げる時なんかにも「ほな、そういうことで・・・」と、何が「ほな」なのか(あえて)詰めずに、なあなあで切り上げるのにも使えて便利です。

 で、この「ほな」に、軽い念押しの「な」が付いて、「ほなな」の出来上がりです。最初の「ほな」は平板かつ一息に、そして、0.1秒ほど間(ま)を置いて、2つ目の「な」を上げ調子に言うのがコツなんですけど、お分かりでしょうか?
 この「ほなな」ですけど、これだけで完結するのがユニークなところです。
 「ほなな」(ほな、さいなら(さようなら))
 「ほなな」(ほな、言われた通りやるんやで。分かってるな)
 「ほなな」(ほな、オレは、先に帰るけど、あとは頼むで)

 いかにも横着な大阪人らしい言い回しでしょ。


 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第358回 こんなところにAIー認知症ほか

2020-02-21 | エッセイ

 以前、AI(人工知能)の応用分野のひとつとして、車の自動運転を話題にしたことがあります(第246回「コワい人工知能」。文末にリンクを貼っています)。その後も研究が進んでいるようで、成果の一端を、少し前になりますが、NHKの特集番組で見ました。まず取り上げられたのは、アメリカでの医療分野への応用例で、「認知症発症の判定」というテーマです。

 認知症を発症するかどうかを見極めるカラダのマーカー数値(名前は忘れました)が、ある値を超えると、50%の確率で、近い将来、認知症を発症することが経験的に知られています。

 ということは、数値が該当しても、半分の人は発症しないことになります。発症する、しないを分けるものは何なのかを、AIを利用して探り、出来れば早期治療に役立てようという試みです。

 数値が該当した人の脳のMRI(断層写真)画像を読み込むことから作業は始まります。読み込むのは、脳内の9つのスポットに限定して、サンプルは、数百人規模だったと思います。
 発症したケース、発症しなかったケースの画像の特徴をコンピュータに学習させました。発症したケース、しなかったケース別の画像の特徴を学習し、情報(はやりの言葉で言うと「ビッグデータ」)として蓄積したわけです。

 その結果、先ほどのマーカー数値が該当する人のMRI画像を読み込ませるだけで、90%の確率で、発症する、しないの判定ができるようになったというのです。

 ありとあらゆる画像の組み合わせの中から、検査した人の脳の画像が「発症するパターン」に近いか、「発症しないパターン」に近いかを、「コンピュータだけが判断できる尺度なり基準」で判定して、結果をクールに出力するわけです。

 でも、残念ながら、判断の根拠、理由は示してくれません。現時点でのAIの限界といえば限界です。判断の根拠が「ブラックボックス」化してるとも言えるわけで、なんとも歯がゆい気がします。

 で、アメリカでのことですから、医師は、その結果を本人に伝えるかと思いきや、テレビに登場した医師は、「告知しない」と断言していました。「現状で治療方法がないものを告知しても絶望感を与えるだけだ」というのが理由です。医師の苦渋に満ちた表情が印象に残りました。判定精度の飛躍的向上ということでは、ひとつの成果ですが、早期治療への応用への道は、まだ遠いなぁ、という感を強くしました。

 同じ番組で、天気予報での利用も紹介されてましたけど、ここで使うのは、雲の画像だけというのに驚きました。こんな画像でしょうか。

過去の膨大な雲の画像から、直近の雲の配置パターンに似たものを探し出してきて、その時は、こう天気が推移したから、今回もそのような気象状況(天候、気温など)になるはず、と(ごくかいつまんで言えば)予報するというのです。もちろん、人手による総合判断、調整なども加わって、最終の予報になるとは思いますが・・・

 一言でAIといっても、いろんなやり方、ロジック、応用分野があるものです。私みたいな素人があれこれいうのは、口幅ったいのですが、画像系の分野で、AIが得意とする「(あくまで)ひとつの」やり方を想像してみると

1.とにかく膨大なデータ(当然、画像が中心になります)を読み込めるだけ読み込む。
2.読み込んだデータから、コンピュータだけが分かる形でのパターン化(特徴の抽出)を行う。
3.判定を求められるデータが示されたら、それに近いパターンとその時の条件(認知症の発症の有無、天候など)を膨大なデータの中から探し出し、「理屈とか根拠抜きで」結果だけを出力する。
ということのようです。

 コンピュータの利用という面では大きな進歩ですが、人工知能といっても、「万能」ではない、という認識から物事をスタートする必要がありそうです。晴れか雨かの当たり外れくらいならいいですが、人の命、生活の質に関わる分野は、AIの技術と、人間の知恵、経験、工夫との折り合いを上手く付けていって欲しいものです。

 第246回「コワい人工知能」へのリンクは<こちらです>

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

 <追記>その後、「第369回 こんなところにAI-マスコミほか」でも関連した話題をとりあげています。合わせてごらんいただければ幸いです。

 


第357回 壷算サギにご用心

2020-02-14 | エッセイ

 

 いきなりの私信で恐縮です。石野君、伊藤君、小川君、三宅君、山田君、アクセスありがとうございます。先日のミニ・クラス会楽しかったですね。当ブログを引き続きご愛読いただければ嬉しいです。

 それでは本題に入ります。落語の演目に「壷算(つぼさん)」というのがあります。なかなか良く出来た一種の詐欺噺で、こんな落語的手口です。

 台所の壷(水を入れておく甕(かめ))が壊れたからというので、新しいのを買ってくるように頼まれた男(これが主人公)が、頼んだ男を連れて店にやってきます。
 店には、小さい壷と大きい壷が置いてあります。頼まれた男はまず、小さい方の壷に目を向けます。5円だというのを、3円まで値切って、カネを払って、二人でかついで、店を出ます。

 少し行ったところで、頼まれた男が、思い出したように連れの男と店に戻ってきます。やっぱり大きい壷にする、と店主に告げて、こんなやりとりが展開します。
 
「ついては、この小さい壷を引き取ってもらいたんやけど、ナンボ(いくら)になるかな」
「今、買うてもろたばっかりですので。3円で・・・」
「わかった。ほいで、その大きい壷はナンボかいな?」
「小さいのを3円にさしてもらいましたから、6円ということで」
「ええやろ、ほなら、この壷を3円で引き取ってもろて、そこにさっき払うた3円があるな。都合6円になるわな。ほな、この大きい壷、もろうていくで」
「へえ、おおきに・・・・ちょ、ちょっと待っとくんなはれ(待ってください)。ワテ(私)の手元には3円しかおまへんねんけど(ないんですけど)・・・・」
「ええか、よう聞けよ」と先ほどの説明を繰り返す男と、半泣きでソロバンまで持ち出して、首をかしげるばかりの店主。お決まりの落語的ドタバタの展開が笑いを誘う趣向です。
 でも、どこがどう間違ってるのかを小学生に、きちんと説明するのって、意外と難しそうです。
 画像は、「桂枝雀 上方落語傑作集」CDのカバー画から、一部を借用しました。

 

 ロシアにも、同じような趣向の話があります。

 お金に困っているイワンがアブラハムに「1ルーブル貸してほしい。2倍にして返すから」と持ちかけます。それに対してアブラハムは、「そんなのは信用できない、斧を担保にするなら」といって、斧を取り上げ1ルーブルを貸します。そして、こう提案します。
「2ルーブルを一度に返すのは大変だから、今1ルーブル返しておいたらどうだ」
 それに乗せられたイワン。斧を取られた上に、手元には何もありません。いかにもトホホな結末ですが、こちらのダマシの理屈は分かりますよね。

 さて、この手の詐欺話は、落語とか民話の世界だけの話かと思ったら、実際にあったのを読んで、ちょっと驚きました。その本とは「唐牛伝」(佐野眞一 小学館文庫)です。

 60年安保当時の「花の全学連」委員長であった唐牛健太郎(かろうじ・けんたろう)の生涯を軸に、その周辺の人々との交遊などを描いた労作で、伝記とはいいながら、60年安保という政治の季節へのオマージュような作品でもあります。

 政治活動から身を引いた唐牛は、漁師、建設作業員、オフィスコンピュータのセールス、居酒屋の亭主などいろんな仕事を転々とする一方、転向右翼の田中清玄など、様々な人物との交流も広げていきます。そんな中のひとりが、医療法人徳洲会の徳田虎雄です。

 奄美大島を舞台に、徳田が国政選挙に立候補し、保岡興治(自民党公認)との一騎打ちとなった選挙戦は、札束が乱れ飛ぶ壮絶な戦いとなりました。オフコンセールスマン時代の唐牛を知る人物が、唐牛から聞かされたこんな選挙エピソードが同書に引用されています。

<相手候補(保岡)の運動員が1万円を入れた封筒を配って歩くと、徳田陣営はその後から行って、「相手は1万円持ってきたでしょう。私は2万円あげますから、その1万円ください」って言うんだ(笑)。そうすると「相手はいかにも2万円もらったような気になるけど、実はこっちも1万円しか払ってない」みたいなことを言っていましたね。>

 地縁、血縁も絡んだドロドロの選挙戦という雰囲気、高揚感の中では、こんなマンガ的、落語的な話が通ってしまうんですね。買収工作などと目くじらを立てる前に、なんだか、ほっこりしてしまいました。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第356回 「地球は平らだ」と信じる人たち

2020-02-07 | エッセイ

 世の中に、「地球は平らだ」と堅く信じている人がいる、というのを聞いたことがあります。その人たちの最近の動向が分かりました。

 「ルポ 人は科学が苦手」(三井誠 光文社新書)は、副題に「アメリカ「科学不信」の現場から」とあるように、科学大国である一方で、地球の歴史、進化論、地球温暖化などについての科学者の提言、説明をまやかし、でっち上げだとして、耳を貸そうとしない人々がいるアメリカの現状をルポした本です。

 さて、同書によれば、「地球(アース)は平ら(フラット)だ」と信じている人たち(「フラット・アーサーズ」と呼ばれています)が、「フラット・アース国際会議」の第1回目を、2017年11月に、アメリカのサウスカロライナ州で開いているんですね。500人の参加者があったといいますから、なかなかの盛況です。

 フラット・アーサーズの動向を研究している(こういう学者がいる、というのもアメリカ的です)テキサス工科大学のアシュリー・ランドラム教授によると、彼らの特徴として、
・白人男性が多い
・聖書の記述を文字通り受け止める傾向があり、地球の歴史も6000年だと信じている
・教会など組織的な活動への不信感が強い
・論理的思考が得意
などを挙げています。

 国際会議を開くくらいですから、「啓蒙」活動にも力をいれています。
「Eric Dubay:200 proofs Earth is Not a Spinning Ball」(地球が回転する球体でない200の証拠)という動画を、ユーチューブで見ることができます(文末にリンクを貼っておきました)。約2時間にわたって、これでもか、これでもかと、「証拠」が示されるのです。(彼らなりの理屈として)比較的「分かりやすい」証拠というか言い分のほんの一部をご紹介しましょう。
(  )内は私の感想、コメントです。

<証拠その1>
 高度に関係なく、地平線は観察者の周りで完璧に360度平らに見える。気球、ロケット、飛行機などのカメラ映像は、高度32キロ以上でも完全にフラットであることを示している。
(「高度に関係なく」というところが、怪しいですね。この画像が証拠だというのですが・・)

<証拠その2>
 もし地球の周囲が4万キロなら、飛行機のパイロットは、軌道から外れて宇宙に飛んで行かないために、高度を下げ続けなければならない。時速800キロの巡航速度なら、毎分850メートル下降しなければならない計算になる。
(その理屈を絵にしたのがこれだというんですが・・・私の場合、海外旅行でも、無事に目的地に着いてましたから、運がよかっただけでしょうか?)

 地球がフラットである以上、地球が高速で回転していることも、彼らは信じません。その「証拠」ですが・・・

<証拠その3>
 地球が時速1600キロ以上で自転してるのなら、ヘリコプターと熱気球は、空中停止してれば、目的地の方から近づいてくるはず。慣性の法則とかは、こじつけにもなっていない。
(あやうく納得しそうになります。)

<証拠その4>
 もし重力が、世界中の海、建物、人々、大気を高速回転する球面に引き付けることができるほど強力なら、同時に小さな鳥、虫、飛行機が離陸して、どの方角にでも自由に飛び回ることは不可能なはず。
(そこまで考えたことありません)

 いかがですか?きっちり反論するだけの知識・スキルがないのが悔しいですが、ユーチューブ映像を見て、「地球は平らだ」と信じるようになったアメリカ人が結構いるというのが驚きです。

 まあ、地球が丸かろうが、平らだろうが、個人の信条にとどまる限りは、実害はないのでしょう。でも、それに、直感的判断、宗教的信条、政治的立場などが重なって、「科学不信」という大きなうねりになるのが心配です。

 現に、自分に都合の悪い報道を「フェイク(にせもの)・ニュース」と切って捨てる大統領がいます。科学万能主義も行き過ぎれば弊害を招きますが、地道な研究、探求をでっちあげ、ウソ、ごまかしと断じる世界観がはびこる世の中にはなって欲しくないですね。

 冒頭でご紹介したユーチューブへのリンクは、
 <こちら>です。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。