★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第278回 言葉の輸出入

2018-07-27 | エッセイ

 日本人の国民性でしょうか、英語を中心に、外国からの言葉を取り入れるのに、熱心と言おうか、あまり抵抗がないようです。なんとなくカッコいい、という感覚も根強くあります。

 日本語には、漢字、ひらがなのほかに、カタカナという便利な表音文字があります。外国語をそれに(あくまで)近い音で表すことができるし、何より、外国語(地名、人名なども含めて)であることが、了解されやすい、という利点もあります。

 中国の場合だと、漢字「しか」ないので、漢字の音だけを使って、外国語を表記することになり、漢字の持つ意味とはかけ離れたものなってしまうことが多い、可口可楽(コカ・コーラ)のような「傑作」もあるにはありますが・・・

 日本に話題を戻すと、パソコン、エアコン、セクハラなど、日本独特の略し方で通用している怪しげな「和製英語」も含めれば、至る所に溢れています。
 一方、いささか例は古いですが、フジヤマ、ゲイシャ、キモノ、タイクーン(大君)など、日本語が、英語化したものもある。なかには、カローシ(過労死)、ツナミ(津波)など、ありがたくない言葉もあります。

 全体としては、日本に入って来た言葉の方が圧倒的に多いはずで、「輸入超過」に間違いないようです。

 さて、お隣の中国との言葉の出入りはどうなのでしょう。漢字がもたらされた大昔に遡れば、明らかに輸入超過。しかしながら、最近は、同じ漢字圏ということもあって、近年、日本から中国に「輸出」される日本語があるらしいのです。

 「漢字と日本語」(高島俊男 講談社現代新書)に、中国で出版された「日源新詞研究」(北京・学苑出版社刊)という本のことが書かれています。「日源」(日本から来た(由来の))、「新詞」(新しい言葉)というわけで、概ね21世紀以降、日本から中国へもたらされた言葉が紹介されています。漢字表記は同じですが、発音は当然、現地語読み。そして、意味するところが、ビミョーにずれてるのが興味をそそります。例えば・・・

<写真>
 「演芸圏のある種の特別な照片を連想させ、一定のマイナスイメージ(負面色彩)を帯びている」と、回りくどい説明が付いています。政治的配慮というやつなんでしょうか、要するに、「エロ写真」なんですね。確かに「真」を「写」したものには違いないですが・・・

<空巣>
 日本だと、「あきす」と読んで、泥棒ですが、中国では、文字通り、ひなが巣立って、「空(から)」になった巣、つまり、子供が独立して、親だけになった家のことを指す、とあります。この可愛いツバメたちが巣立ってしまうと、「空巣」になるんですね。


 「一人っ子政策」(今は、見直されてるようですが)が生み出して、使い手のある言葉なのかも。日本でも、逆輸入して使えそうですね。読み方は、変えなきゃいけないでしょうけど。

<職場>
 働く場所は場所なんですが・・・
 中国では、高学歴者が、頭脳労働に従事する場所を指すらしいのです。伝統的に、肉体労働者が働く場所は、「車間」、党幹部がいるところは、「機関」と呼ばれていましたから、中国での「格差社会」の進展がこんな言葉からも見えてくる気がします。

<人脈>
 日本でも、使われだしたのは、戦後でしょうか。いわゆる「コネ」のことですが、もともと中国でこれに当る言葉は、「関係(コワンシ)」。生きて行く上で、何より大事で、欠かせないもの。最近では、これに代わって、「人脈」というのが、日本とほぼ同じ意味で使われだした、とのこと。外来語好みは、中国でも同じ?

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第277回 前世の記憶−1

2018-07-20 | エッセイ

 いきなり、アブナそうなタイトルですが・・・・

 なぜか、インドとか、東南アジアに多いんですけど、どう考えても、「生まれ変わり」としか思えないほど「前世」のことを記憶している子供が出現することがあって、そんな話に興味を引かれます。

 ある日、突然、子供が「ここは私の家じゃない」などと言い出すのです。自分は、本当は、なんとか村の、なんとかと言う子で、親は、誰々、家の間取りはどうこう、などと、本人以外に知り得ない話をしゃべり出すのがきっかけだったりします。

 学者までが乗り出して、厳密な現地調査や聞き取りが行われた結果、子供の話は、ことごとく事実で、どう考えても、生まれ変わりとしか考えられない、と結論づけられケースもあります。(この種の具体的な例は、別の機会に書くつもりです)。

 前世なんてあるわけない、第一、誰も前世の記憶なんか持ってないじゃないか、などと、ハナから一蹴する人もいます。

 でも、私は、以前にもこのブログで書きましたが、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ」と、不思議を不思議として、楽しみたいクチ。

 で、前世の記憶について、私自身は、こんな可能性を考えています。

 前世の記憶なんか引きずって生まれてきたら、個人のアイデンティティが保(も)ちませんから、摂理として(としか言いようがないんですけど)、「普通は」生まれる時に、きれいさっぱり忘れる仕組みになってるんじゃないでしょうか。
 ところが、なんかの都合で、忘れる仕組みが働かないケースが、ごくごく稀にあって、それが、「生まれ変わり」「前世の記憶」の事例かな、と・・・・根拠ないんですけどね。

 さて、私が考えるそんな可能性を補強するつもりはないのですが、前世にまつわる話題で、「不思議やなあ」と思う具体例を、ご紹介します。

 作家の高橋克彦が、「書斎からの空飛ぶ円盤」(講談社文庫)の中で書いている彼自身の体験です。こちらの方ですね。



 雑誌の編集者からの紹介で、前世を透視することが出来るK氏(現在は、透視がメインではないため、文中では、仮名になっています)と対談することになったのがきっかけです。お互いに全く面識もなく、半信半疑で対談に臨んだ高橋に、K氏は、いきなり、

「あなたはギリシャ時代の吟遊詩人だったことがありますね」と言った、というのです。

 実は、高橋には、誰にも話していない秘かな想いが、ず~っとあって、それは、「吟遊詩人」になるということ。小説家として、何千、何万という読者がいても、あくまで、読者と言う目に見えない存在でしかない。それよりも、たとえ、数十、数百人でも、生身の人間を前にして、詩や物語を語って聞かせる「吟遊詩人」への憧れがあった、というのです。

 これだけなら、小説家という現職からの連想ゲームで、「吟遊詩人」は「まぐれ当たり」と言えなくもないですが、続きがあります。

 対談の数日後、高橋が、K氏を訪ねて、話をしていると、別の前世も引き出せる、というのです。5分ほど瞑想していたK氏は、

「吟遊詩人の時とそれほど隔たりはありませんが、あなたはローマ時代に軍船の設計者だったことがあります」と語りだします。
 更に、「戦争中にあなたは自分の設計した船に乗り、沈没して亡くなりました」と告げます。

 それを聞いた高橋に、驚愕と戦慄が走ります。

 実は、彼には、小さい頃から、根源的に水への恐怖感があって、水に顔を浸けられない(普通の方法で顔が洗えない)、水滴が頬に飛んできただけで、心臓が高鳴る、海の波を見ているだけで、妙にドキドキしてくる、という尋常でない性癖があったというのです。
 ですから、髪を洗うのも自分では出来ず、事情を知っている親しい美容師に、特別な方法でやってもらっている、とも告白しています。

 そのくせ、小さい時から、海の世界の代表である軍艦、戦艦などに心引かれ、毎日にように模写していたというのです。

 まさに、軍船の設計者で、水死したという「前世」と、ものの見事に符合していて、気味が悪いくらいです。

 2つの「前世」の透視を通じて、70%くらい「前世」の存在を信じるようになったと本人も書いています。100%でないところに、彼の良心を感じながら、「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ」と、私は素直に不思議がっています。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

<追記>後ほど続編をアップしています。<第313回 前世の記憶−2>です。合わせてご覧いただければ幸いです。


第276回 短歌のDNAと偶然短歌

2018-07-13 | エッセイ

 いきつけのお店では、毎月「連句の会」が催されています。そして、隔月で「句会」も開かれて、いつも賑やかに盛り上がります。

 何より瞬発力が求められる連句の世界は、さすがにハードルが高く、文字数が少ない俳句の方への参加で勘弁してもらっている私ですが、紹介したい本があります。

 お店のfacebookでも、ちょっと紹介されてました。私は、たまたま読んでいた本で知ったのですが、ネットでもいろいろ話題になっているようです。とにかくユニークな本です。
 それは、こちらの「偶然短歌」(いなにわ/せきしろ 飛鳥新社)です。



 ネット上の百科事典である「ウィキペディア」(日本語版)から、短歌の形式にフィットする部分を抽出するコンピュータソフトを開発したのが、「いなにわ」氏です。日本古来の文芸形式へのリスペクトが発想のベースなんでしょうけど、やってみたら、わずか数時間で、5000首(?)もの「短歌」が、リストアップされてきたというのです。

 ウィキペディアの各項目の執筆者は想像もしてなかったはずですが、五・七・五・七・七って、日本人の感性に合うんでしょうか。
 そういえば、昔、巨泉がやっていた万年筆のコマーシャルで、
 「みじかびの きゃぷりぴとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」なんてのがありました。分かるようで分からない文句を、短歌の形に落とし込むだけで、なんとなく心地いい・・・ひょっとしたら、このリズムは、日本人のDNAに刷り込まれてるのかな、とも思ったりもします。

 さて、そんな「短歌」の中から、100首を厳選し、コメントというか、ツッコミを入れているのが、「せきしろ」氏です。見開きの右に「短歌」、左にコメントという構成で、手軽に、気軽に楽しめる本に仕上がっています。私なりのコメントを添えて、更に厳選した「作品」をお目にかけます。(★印が短歌です)

★アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、中央アジア、およびシベリア
★柔道部・バレーボール部・卓球部・ハンドボール部・吹奏楽部
★新宿区西新宿と大阪市北区梅田と名古屋市中区

 いろいろ羅列する時、自然と短歌のリズムに嵌(はま)ってしまう事ってあるみたいです。最初のは、「モロカン派」と呼ばれるロシア農奴の運動に携わった人々が追放された地名、次は、一宮市立北部中学校の部活名、そして、その次は、JTBエンターテイメントアカデミーの所在地。
 北部中学校の皆さんも、JTBエンターの関係者も、とんだことで注目を浴びて、困惑してるんじゃないでしょうか。

★事故にあう心配の無い安全な場所で行う必要がある
 この種の作業っていろいろあると思うんですけど、なんと、これは「雪だるま」。「雪だるま」なんて、作る歳でもないですけど、気をつけます!

★国内にある日本の無修正アダルトビデオ販売サイト
 「ジャポルノ」という項目から。「アダルトビデオ」って、七文字なんですね。都々逸だったら使えるかも。

★念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り
 「盆踊り」の項目から。きっと、昔は激しかったんでしょうねぇ~。「はだけ」なんて雅(みやび)な日本語を使って、短歌を作ってみませんか?

★ギタリスト二人のうちのどちらかがリードギターの役割となる
 項目は「リードギター」。親しくしているギタリストがいます。すごいテクニックの持ち主なんですが、控えめな性格なので、いつもサポートの方ににまわっています。ちょっと歯がゆいです。

★授業時の集中力も低下させ、発育上も好ましくない
 なんのことかと思ったら「宿題」。私らの小さい時から、もっといろんなところで、声高に言ってくれれば良かったのに(それは無理?)。

★コンコース横にはりそな銀行の現金自動預け払い機
 「阪神競馬場」の場内の説明ですが、「現金自動預け払い機」が、七・七って、今、気がつきました。

★さまざまな難癖をつけ買い取りを渋るところが大半である
 「内職商法」から。くれぐれもご注意ください。

★クチナシで染めた黄色にベニバナの赤をわずかに重ね染めした
 最後は、いかにも「短歌らしい作品」です。「梔子色(くちなしいろ)」の一節ですが、「重ね染め」なんて、使ってみたい言葉ですねぇ。

 いかがでしたか?連句の会の皆様、句会の皆様、ご参考になりましたでしょうか。コンピュータに負けない作品を期待しています。

 それでは、次回をお楽しみに。


第275回 大阪弁講座−32 「よそはよそ」ほか

2018-07-06 | エッセイ

 大阪弁講座の第32弾をお届けします。

<よそはよそ>
 「よそ」は漢字で書くと「他所」か「余所」(たぶん)。「ほかの場所、組織、家庭」なんかのことですが、果たして、生粋の大阪弁か、ということになると、いささか自信がありません。「よそもん」なんて言い方は、全国的に通用しますから。

 ところが、「よそはよそ」という言い方になると、これはもう「大阪的」としかいいようがありません。

 ビジネスの現場なんかだと、「「よそはよそ」で、いろんなやり方やってるけど、マネしてもしょうがないやろ。ウチはウチで、もっとオリジナリティ重視で行くで」

 いかにもポジティブな姿勢で、これはこれで、関西商人のひとつの典型。

 「「よそはよそ」のやり方で、儲けたらエエねん。ウチはウチで、コツコツ行くしかないやろ」と、いささか自嘲的、捨て鉢的な使われ方もしたりします。
 ビジネス現場での用例を考えると、どうしても「ウチはウチ」とセットになります。

 さて、家庭で、この表現が使われると、ほぼ「ゼイタクはアカン」という宣言です。

 「なあ、ファミコン買(こ)うてぇな。皆んな持ってるで」「「よそはよそ」や。そんなんばっかりやってたら、アタマが悪うなってな、あんたのおトウチャンみたいになってまうで」最初はこんなんでしたかね。


 「なんでウチのテレビだけ白黒なん?まわりの家、皆んなカラーやで」「「よそはよそ」白黒もカラーもやってる番組は一緒やろ?タイガースのユニフォームなんか、白と黒の縦縞やから、白黒で十分やんか・・・」

 用例の時代背景はいささか古いですが、理屈にならん理屈で、子供の要求を蹴飛ばすのも、大阪のオッチャンの得意技。

<ガッコ頭>
 「学校頭」を「ガッコ頭」と言い慣わすのが大阪流。

 教えられたことを暗記したり、試験でええ点を取ったりと、学校でだけ通用する要領の良さ、頭の良さを持った連中ーガリ勉とか受験秀才とかいう言葉を思いつきますーに対して、さげすみ半分、やっかみ半分で使う感じ。

 「あいつ?ガッコ頭はエエかもしらんけど。ジコチューで、威張りくさって(やがって)、ごっつ、性格悪いわ。政治家か役人にでもなるつもりやろか?」

<けつかる>
 相手の失礼な言動とか、生意気な態度をとがめる時、共通語だと、例えば「何言いって「やがる」」となります。ちゃきちゃきの江戸っ子だと「てやんでぇ」ですかね。

 大阪弁の場合、「やがる」の部分が「けつかる」となって、「何言って「けつかる」」と言う具合。ただし、一筋縄でいかないのが大阪弁。いろいろバリエーションがあります。
 「言う」よりキツい「ぬかす」を使って、「何ぬかしてけつかる」、その短縮形で、「なぬかしてけっかる」。このあたりは、ネイティブでも舌を噛みそう。

 「する」より、更にキツい「さらす」を使う手もある。
 「何さらしてけっかんじゃ、ワレ(おまえ)。一発いてこましたろか(お見舞いしたろか)」お~コワ。用法、容量を守って、正しくお使いください。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。