★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第551回 タイガース愛の和英辞書

2023-11-24 | エッセイ
 <彼はタイガースのこととなるとすぐに熱くなる>、<金本のホームランでタイガースは6-2とジャイアンツを突き放した>
 こんな阪神タイガースファンが喜びそうな例文がてんこもりの和英辞典の記事が、朝日新聞夕刊の一面とデジタル版を飾っていました(2023年9月21日付(リーグ優勝を決めた1週間後です)。デジタル版から、リーグ優勝の胴上げ写真を拝借しました)

 あまりにもタイムリーで楽しい話題でしたので(少し遅れましたが)ご紹介することにしました。すでに紙面、デジタル版でご覧の方々には申し訳ありません。ご容赦ください。

 その辞書というのは、大修館書店(東京)が出版している「ジーニアス和英辞典」です。かくもユニークな辞書ができた経緯(いきさつ)が、例文を引用しながら書かれています。
 この辞書の初版は1998年、2版は2003年、3版は2011年の出版です。累計の発行部数は約150万部。「和英辞典では業界首位の売れ行きだと同社は説明する」(同記事から)
 第3版に収録されている語句数は約8万3千、例文は10万以上あり、そのうち60の例文に「阪神」や「タイガース」が登場します(一部の例文は、英文付き((  )内)でご紹介します)。
<この回タイガースは打者10人の猛攻で5点を取った>
(In this inning the Tigers sent ten batters to the plate and scoring five runs.)
 ほかに<昨夜、タイガースはジャイアンツ相手にヒットを打ちまくった>など、阪神は、やたら強いです。中には、<ファンの多くは岡田監督の留任を望んでいる>と、今の阪神ファンの気持ちを予言したような例文まであります。

 なぜ、「阪神びいき」の辞書ができあがったのでしょうか。現在の編纂のまとめ役である編集主幹を勤めている関西大学の中邑光男教授に取材しています。それによりますと・・・
 初版の編集主幹は神戸市外国語大で働いていました。その人の誘いで多くの関西出身者が編纂に関わるようになり、結果的に阪神ファンが多くなったといいます。子供の頃からの虎党で、江夏のファンであった中邑教授も加わり「打ち合わせはしていないが、無意識のうちに阪神に目を向けてしまった」(同記事から)
 
 第2版の編纂作業が多忙だった03年の夏、阪神は絶好調でした(9月に18年ぶりにリーグ優勝)。疲れた編者たちは選手の活躍ぶりに元気をもらい、それが自然に例文に反映されたのだといいます。(初版の例文の数はわからないとのことですが)その結果、第2版には、26の例文が収録されました。
 さて、第3版の編集作業は阪神が優勝から遠ざかっている時期と重なりました。そのため、
<タイガースは優勝圏外に去った>との例文を、「加えざるを得ないと判断した」(中邑さん)。
 それでも、例文は、先ほどご紹介した通り、60に増えました。

 次版の発行は未定とのことですが、「「当然、阪神タイガースの優勝に関する用例がおのずと増えるだろう」と中邑さん。」(同記事から)
 そして、中邑さんが自ら考え、掲載した中でお気に入りは、
<タイガースの優勝で関西中が沸き返った>
(The entire Kansai region was excited about the Tigers winning the championship.)
とのこと。
 次に願うのは<日本シリーズで阪神が先勝した>
 今シリーズでは、その通りの結果で、見事、日本一となったのですから、例文には、不思議な予言力まであるような気がします。

 辞書出版に携わる他社の声として「偏りは、購買者層によってはマイナスになるが、阪神ファンが辞書を買うきっかけになるかもしれない」を紹介しつつ、4つの例文で、本記事を締めくくっています。英文付きでご紹介します。
<タイガースはジャイアンツに圧勝した>
(The Tigers overwhelmed the Giants.)
<タイガースのリリーフ陣はセ・リーグ随一だ>
(The Tigers' relief pitchers are the best of the Central League.)
<岡田監督の奇襲戦法が功を奏した>
(Manager Okada's surprise strategy paid off.)
伝統の阪神・巨人戦>
(a TigersーGiants game with a long history.)

 ちょっぴり英語弁講座も兼ねましたが、いかがでしたか?阪神ファンでない方々にもユニークな辞書の話題として、お楽しみいただけたなら幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第550回 鹿島センセイの衝動買い

2023-11-17 | エッセイ
 フランス文学者の鹿島茂氏(以下、「センセイ」)の古書マニアぶりを以前お届けしました(第437回 古書マニアの面白苦労話ー文末にリンクを貼っています)。
 18世紀フランスの挿絵入り豪華本古書が中心の収集は、研究の一環と理解できます。でも、「衝動買い日記」(中公文庫 2004年)を読んで、腹筋マシーン、猫の家、中華健康棒など、怪しげな品も含め、分野を問わぬ先生の買い物ぶりを楽しみました。エピソードを2つご紹介します(項目タイトルは、私が独自につけました)。センセイと今回取り上げた本です。

<クレジットカードは魔物>
 雨が降り続くパリでの暗い午後のことです。セーヌ河左岸のサン・ジェルマン・デプレに宿をとっていた先生は、ふと右岸のオスマン大通りの高級古書店街に足を向けることを思い立ちました。夕方、その近くのレストランに招待されていたので、時間をつぶそうとの算段です。こんな街並みです。

 そこには6軒の高級古書店があります。10万円というのは最も安い部類で、高いものは天井知らず、という店ばかりです。先生は「なにか買おうと思ってそこに出かけたのではない。完璧な本がどういうものなのか、そして上限の価格はいかほどのものなのかを指と目と脳髄に記憶させるための偵察行動にすぎなかった」(同書から)というのです。
 ただし、日本でのように、ふらっと店に入って、のんびり棚を眺めるだけ、ということはできません。フランスでは、探している本があるというのが前提ですから、見ているだけでは万引きとみなされて、体(てい)良く追い出されます。そこはセンセイも心得ていますから対策は怠りません。とびきりの稀覯本を頭に入れていて、その名前を出して切り抜けてきました。それは、ジェラール・ドゥヴィルの「誘惑者」という本で、1927年に限定135部だけ出版された挿絵本です。仮綴じの最も安いもので50万円、革装丁なら軽く倍はするといいます。
 さて、ある書店に入って、その書名を告げると、なんと店主から「ウイ(あります)」との返事が返ってきました。思わぬ展開で提示された値段は3万フラン(75万円)。もともと欲しかった本ですし、状態からして妥当と判断したセンセイは、クレジットカードでの「衝動買い」を決断します。
 ところが、店主がそのカードをオンラインでチェックすると、「限度額オーバー」と出て、購入不可となりました。一旦あきらめかけたセンセイですが、クレジット機能付きの銀行キャッシュカードを持っているのを思い出したのです。「これでやってみてくれない」というと、返ってきたのは「サ・ヴァ! ヴォワラ!(今度はうまくいった)」という店主の声。無事(?)取引が終了しました。いや~、ハラハラ、ドキドキ、どんでん返しもありで、センセイの衝動買いぶりを堪能しました。

<ミュージアム・グッズの魔性>
 およそ「衝動買い」とは無縁の私ですが、こればかりは、ちょっと弱みがあります。センセイの話の前に、私のに少しばかりお付き合いください。
 以前は、国内の展覧会だと気に入った作品の絵葉書を記念に買うくらいでした。グッズの種類もそんなに多くなかったです。何年くらい前からでしょうか、ミュージアムショップにガチャポンがよく置いてあるようになりました。200円とか300円を入れてハンドルを回すと、カプセルに入った展示品のミニチュアがポンと出てくる仕掛けです。向こうも商売ですからね、1台に何種類かの作品を入れてあります。ですから、お目当の作品が一発でゲットできるとは限らないのです。ついつい熱くなって・・・・というのを何度も経験しました。
 海外のミュージアムだと、そこでしか買えないモノを、手軽に手頃な値段で買えます。なので、自分用のほかにお土産を渡す人の顔を思い浮かべながら買い物に集中します。そう熱くならず、買い物を楽しんできました。

 さて、センセイの場合です。仕事柄、海外のミュージアムを訪れる機会が多い中、1980年代中頃からだというのですが、グッズの多様化、高級化が進みました。収蔵品をデザインしたネクタイ、スカーフ、ブローチ、ネックレス、時計など、とにかくあらゆるものが商品化されたのです。
 加えて、扱うグッズはそこでしか買えないものが多く、買いそこねれば二度とチャンスはないかもしれません。こんな状況が先生の「衝動買い」心を刺激しないはずもなく、「本当に困る」(同)とこぼす先生の気持ちは(ある程度)理解できます。
 それは、ナポレオンの伝記の取材でフランスを訪れた時のことです。最初に訪問したナポレオン博物館で、ナポレオン像のほか、彼の兵士たちの鉛製の像が目にとまりました。しかし、1体300~500フラン(当時のレートで6000円~1万円)し、旅は始まったばかりなのであきらめました。その後おとずれた5箇所ほどの宮殿、ミュージアムなどではこまごまと「衝動買い」したものの、旅の終わり近くになって兵士の像がどうしてもあきらめられません。時間的に再訪は難しいので、便のいい蚤の市へと探しに出かけました。そして、見事、三角棒のナポレオンと連隊旗手の像2体を380フラン(7600円)でゲットできたというのです。
 「衝動買い」といえども、おカネだけでなく、欲しいものを手に入れる執念、こまめな行動力が必要なのだと感じたことでした。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第549回 リンボウ先生に学ぶ文章術

2023-11-10 | エッセイ
 このブログを書く時に、いつも心がけていることがあります。それは、多くの方々に興味・関心を持ってもらえそうな話題を選び、それをわかりやすく適度なユーモアのある文章で伝える、ということです。ですので、いろんな作家の皆さんのエッセイを楽しみながら、いい文章を書くためのコツ・ワザ・工夫などにもつい目が向きます。こんなインパクトのある書き出しがあったか、こういう話の展開はわかりやすいなぁ、など。
 とりわけ愛読し、その点でお世話になった(?)のが、リンボウ先生(以下、「先生」)こと林望(はやし・のぞむ)さんの作品です。初のエッセイ集「イギリスはおいしい」(平凡社、のち文春文庫)以来の長いお付き合いです。

 研究(書誌学)のため滞在されたイギリスでの体験を基に、食文化、社会生活、歴史などの幅広い話題を丹念に、わかりやすく書かれているのが何よりの魅力です。
 先日、新古書店で、先生の「文章の品格」(朝日出版社)が目に止まりました。ブログを書く上で参考になる情報があれば、と軽い気持ちで購入しました。 いや~、買ってよかったです。まったくの他人に読んでもらう文章を書く上で基本的な心構えは何か、そして、それを文章の中でどう工夫するか・・・・教わるところ、腑に落ちるところが一杯でした。ブログに限らず、文章をお書きになる皆さんの参考になれば、とエッセンスをご紹介します。

 まずは、先生が説く心構えです。
 文章というのは「自分の思い」を書くものです。「ああこんなことがあったなあ、こんなこともあったなあ、あれは楽しかった、あれは嫌だった、とか非常に主観的な思いが交錯し、それを無批判に書き連ねるということになりがちです。」(同書から) と、これは思い当たります。そこで大事なことは「「この文章を他人が読んだらどう思うだろうか」という視点です。」(同)
 先生が持ち出すのが「子供の写真」のたとえ話です。

 誰でも自分の子供(孫でもいいですが)は可愛いです。だから、その子供の写真を人に見せたら、人もさぞ喜んでくれるだろう、と思う人が時々います。「変わり映えもしない赤ん坊の写真などを夥しく見せられて、そう退屈そうにもできず、さもおもしろく拝見しているふりをしつつ、その実閉口しているということが、これはわりあいによくあります。文章もそれと同じです。」(同)
 つまり、自分にとっていかに面白い、強烈な、印象に残る体験だとしても、他人の立場に立ったら独りよがりでしかない、ってことがあることに気づきなさい、というアドバイスです。う~ん、なるほど、テーマ、話題選びが大事であるぞ、とあらためて肝に銘じました。

 さて、その心構えを実際の文章に落とし込むために大切なことは何か、です。先生がイギリスでの様々な体験を思い出しながら処女作「イギリスはおいしい」と取り組んでいた時、たえず実行していたことがありました。それは、書いていることが自分の思い込みでなく、読む人が面白がってくれる中身かどうかを、「第三者の目」で厳しくチェックする、ということです。

 その時のポイントは、「うれしい、かなしい、せつない、くやしい、おもしろい、ねたましい、いやだったとかそういう自分の感情をナマな言葉で書き表すことは、意識的に避けています。」(同)とあります。安易にそんな「感情語」とでもいうべき言葉に頼らず、具体的な事実をキチンと、冷静に、主観抜きで書けば書き手の思いは伝わる、というわけです。

 その例を、先生自身が「イギリスはおいしい」から引用しています。大英博物館の食堂で食べたラタトゥユという料理のまずさを表現した文章です。
「ともあれ、その少し水気の少ない胡瓜(きゅうり)のような野菜(注、これはズッキーニのこと)を、まず委細構わずブツ切りにする。そして、多少油いためしてから腰が抜けるくらい長い時間グツグツと煮る。玉葱’(たまねぎ)の微塵切りとトマト、ニンニクなどを放り込んで、ブイヨンキューブくらい入れるのであろうか、ろくに塩も入れずに、形がへたって緑の色がすっかり抜け、口に入れるとグニャッと崩れるくらい煮込むのである。そういう代物を出来るだけまずまずしく想像してみて頂きたい。それが、私があの日、大英博物館で口にした料理である。」(同)

 ちょっと長い引用になりましたが、さすがプロのワザ。「不味さ」が存分に伝わってきます。ここまでのワザはとても真似できそうもありません。でも、読んでいただく方々を第一に、第三者の目でのチェックを忘れず、「子供の写真」にならぬよう話は具体的に・・・・など学んできたことを忘れず、このブログを書き続けていこうと気持ちを新たにしました。引き続きご愛読ください。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第548回 カタカナは便利だ

2023-11-03 | エッセイ
 漢字、ひらがな、カタカナと3つの書き文字を使う日本語は、世界でも類がないユニークなものです。主役は、もちろん漢字とひらがなです。カタカナは脇役として、もっぱら外国語(地名、人名などを含めて)や動植物名、擬音語・擬態語(ドッカーン、コツコツ(働く)など)用に使われています。でも、ブログを書いている中で、カタカナも使い方次第でなかなか便利だなぁ、というのに気がつきました。私なりのルール、使い方などをご紹介することにします。ブロガーの皆様のご参考になれば幸いです。

 その前に、今年(2023年)、大きな話題になったカタカナ語に触れなければなりません。それは「アレ」です。阪神タイガース岡田監督のアイディアだ、とマスコミで報じられていました。チームが絶好調で勝ち進む中、いやでも選手は「優勝」という言葉を口にしたくなります。でもそれを大っぴらに使うと、選手自身がそれを意識しすぎて堅くなり、普段通りの力を発揮できなくなる心配があります。それなら、「アレ」に置き換えて、堂々と使おう、というわけです。大阪出身の岡田監督ならではのノリ(これもカタカナが似合います)のいい発想に感心しました。特別な意味を持たせていますから、やっぱりカタカナでしょうね。見事、リーグ優勝した時の胴上げ写真です(9月14日付 朝日新聞ディジタル版から拝借しました)。(追記:11月5日、38年ぶりに「アレのアレ」を達成しました。おめでとう)

 さて、個人的にカタカナも使い方次第で便利だなぁ、と意識したきっかけがあります。当ブログで、大英博物館の歴史的収蔵品を話題にした時、そのタイトルをどうするか考えたことです。
「収蔵品」だと堅いですし、「物」だと失礼な感じがします。あえて「モノ」とし、それについて語るのだから「大英博物館のモノ語り」とシャレ(これもカタカナが似合います)てみました。ちょっとインパクトがあり、まずまずの工夫だったかな、と感じています。

 で、私なりのルール、使い方です。
 まずは、漢字がありながら、あえてカタカナを使うケースです。軽い文章の中で文字が重々しかったり、イメージがあまり良くない時などが出番です。例えば「蘊蓄(うんちく)」です。画数が多く、ちょっとわずらわしいので「ついウンチクを傾けてしまいました」のように自虐的に使うことがあります。「愚痴(ぐち)」というのも、「愚」と「痴」の組み合わせが好みに合わないので「グチ」としたりもします。
 「惚気」というのがあります。「のろけ」と読み、ぬけぬけと愛情話を披露することですが、ちょっと読み慣れないです。「なんの相談かなと思うてたら、きっちりノロケ話を聞かされてもうた。アホらし」と、ここもカタカナの出番です。

 該当する漢字がなく、かといって「ひらがな」だと文の中で目立たず、埋没しそうな時があります。そんな時は、カタカナでちょっと目立たせる工夫をします。
 例えば、関西を中心に、意地悪な性格をさす「いけず」という言葉。関西弁でもあり、目立たせたい時は「イケズ」とすると、すっきり収まる感じです。「アホ」「ボケ」「ケチ」「ボヤキ(不平、不満)」など、どうも関西系の言葉にはカタカナが似合うのが多い気がします。
 それで思い出しました。もともとは関西のお笑いの世界で使われ、いまや全国区になっている「ボケとツッコミ」です。「呆(ぼ)け」と「突っ込み」と漢字を当てることはできます。でも、漫才などでの役割分担を指す業界用語であり、本来の意味ともギャップができています。やはりカタカナが馴染みます。そうそう、客の笑いが取れた時に使う「ウケる」というのもありました。客に笑いが「受け入れられる」から来て、これもカタカナが似合います。

 最近、カタカナ化が進んでるなと感じるのは、ごく普通の言葉ですけど、ちょっとズラして、違う意味、ニュアンアスを持たせて使うケースです。
 例えば、「危ない」という言葉。すぐに怒り狂って、刃物を振り回したり、暴力をふるうのは文字通り「危ない=危険な」人物です。でも、性格的に偏っていたり、社会性に欠けるところがあって、普通のコミュニケーションが取りにくい人というのもいます。確か、ビートたけしさんが使い始めたような覚えがあります。危害が及ぶわけではありませんが、扱いを間違えると「危険」なので「アブない」と使いたいです。
 
 さて、私なりにカタカナの「便利な」使い方、実例などをご紹介してきました。
 言葉は生き物ですから、新しい言葉が生まれたり、それまでの言葉に違う意味合い、ニュアンスが加わったりすることがあります。カタカナ語もそれらに対応するひとつの工夫と割り切って、節度を持って使い、より楽しいブログを目指します。引き続きご愛読ください。なお、冒頭でご紹介した大英博物館ネタへのリンクは<第373回><第390回><第487回>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。