★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第256回 ジャズピアニスト 守安祥太郎

2018-02-23 | エッセイ

 車の運転をしてる時、BGM代わりに、時々、ジャズのCDをかけます。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、バド・パウウェルなど、メジャーなプレイヤー中心で、大した知識はありませんので、なんとなく聞き流して、リラックスした気分になっています。

 そんな私が、日本の隠れた天才ジャズピアニスト守安祥太郎(もりやす・しょうたろう)のことを紹介するのは、我ながら、大胆です。でも、たまには、音楽の話題も悪くないと思いますので、しばらくお付き合いください。

 彼のことに関心を持ったきっかけは、ずいぶん前に読んだ「そして、風が走りぬけて行った 天才ジャズピアニスト守安祥太郎の生涯」(植田紗加栄 講談社 1997年)という本です。守安の天才ぶり、彼を取り巻く人間模様、そして、自殺という悲劇で終わる一生に強く惹かれました。

 まずは、同書から、彼の天才ぶりを示すエピソードをご紹介します。

 日本のジャズミュージシャンが、誰よりもプレイしたいと声を揃える相手が、サックス奏者の宮沢昭だといいます。
「日本ジャズ大賞」を3回も受けた彼にして、「どうしても聴きたくない」レコードがあります。それが、後ほど紹介する「幻のモカンボ・セッション ’54」。
 宮沢をして、「穴があったら入りたい。」「当時、本物のジャズをやっていたのは、守安さんただ一人だったからね。」「なにしろ、普通じゃない!」と言わしめたのが、守安です。

 天才サックス奏者チャーリー・パーカーを目標に、若き日の渡辺貞夫(ナベサダ)は、必死で彼のソロを聴くのですが、複雑極まりないコード進行やハーモニー、和音をどうやっても聴き取ることができません。それを聞いた守安は、数日後、渡辺に「あの曲コピーしておいたから、やるよ」と譜面を手渡されます。それには、パーカーのソロが寸分たがわず、再現されていました。

 とにかく、守安の耳とそれを譜面上に再現する能力は超人的だったようで、ビッグバンドのすべての楽器の譜面をひとりで再現できたというのです。

 時代は、まだまだ戦後の復興途上にある昭和20年代の後半。

 本場アメリカでも最先端といえるビー・バップの演奏スタイルを、アナログレコードだけを頼りに、完全に自分のものとした上で、次から次へと独創的でアドリブに富んだ演奏(それこそが、ビー・バップだ、というのを、私は、この本で知りました)を繰り広げる守安。
 その演奏を一部のファンは熱狂的に迎える一方、当時のミュージシャンたちが、一目も、二目も、置いたのは、当然と言えるでしょう。

 そんな守安ですが、晩年には心のバランスをくずし、奇矯な行動が目立つようになります。そして、昭和31年、目黒駅で飛び込み自殺を図り、帰らぬ人となりました。31歳という若さでした。

 音楽的な行き詰まりとか、失恋だとか、クスリだとか、いろんなことが言われていますが、真相は分からないままです。戦後の日本ジャズ界に眩しいばかりの光芒を放って、走り抜けました。
 晩年の守安です。ちょっと照れたような笑顔が悲しみを誘います。



 さて、唯一残された守安の演奏を「幻のモカンボ・セッション ’54」(ユニバーサルクラシック 3枚組)のCDで聴くことができます。こちらがそのCDです。



 昭和29年、横浜のクラブ「モカンボ」で行われたセッションを記録したものです。
 時代を考えれば、録音機材などよく準備できたと、その奇跡に驚くしかないのですが、1998年にCD化されました(当時参加したプレーヤー(おそらく宮沢も含めて)の多くが、守安に比して、自らの演奏のあまりの稚拙さを恥じて、CD化が遅れた、とも言われています)。

 深夜に始まったセッションは、聴衆、プレーヤーの熱狂に包まれて、延々、翌日の昼まで続いた、といいます。
 終始守安がリードする形でセッションは進みます。曲名も告げず、独自のイントロから入る彼に、他のプレーヤーは、コードを探し、音を追っかけ、アドリブを入れるのに必死だったようです。

 会場には、すでにプロとして活躍していた中村八大もいましたが、レベルの違いに臆して、演奏には加われなかったといいます。ちなみに、かの植木等が受付の手伝いかなんかで、当日会場にいた、というのを別の本で読んだ記憶があります。

 いかがでしたか?彼の演奏ぶり、雰囲気などを、少しでもお伝えできたでしょうか。守安と、彼を取り巻いていたジャズの世界に興味を持っていただければ、嬉しいです。

 それでは、次回をお楽しみに。


第255回 大阪弁講座−30 「さん」と「はん」

2018-02-16 | エッセイ

 当大阪弁講座も、区切りの30回になりました。例によって、「単なる通過点」という認識ですので、引き続きご愛読ください。

 ひとつの区切りですので、今回は、「「さん」と「はん」」特集をお届けします。

 人を呼ぶときの呼称で、全国共通の「さん」と、大阪独自の「はん」。その使い分けは、なかなか奥が深いようです。 

 ものの本によると、人の名前とかにつける敬称は、もともと大阪・関西では、「さん」か「はん」が主流だったらしいのです。宮廷で使われる「御所ことば」でも、「禁中さん」「皇后さん」「東宮さん(皇太子殿下)」などと呼ばれていたというんですね。
 ですから、古い大阪人にとっては、「さま」というのは、東京弁に近い感覚。
 もちろん、今どきは、関西でもあらたまった呼称としては、「さま」も定着してますが・・・

 さて、「さん」と「はん」を、どう使い分けるか?「どっちでもええ」というわけではなく、大阪人なりに、使い分けてるフシがあります。

 その基準と言うのが、まあ、ビミョー。ごく大雑把にいえば、「さん」のほうがややあらたまった感じで、「はん」は、親しみを込めた呼称、ということになるでしょうか。

 現に、神仏関係は、「さん」づけが基本。「神さん」「仏さん」は当然として、「天神さん」「弁天さん」「戎(えべ)っさん(戎神社)」などと称し、決して「はん」にはなりません。こちら、「戎(えべ)っさん」です。


 そんなに有り難みとか、効能を信じてるわけではない。けど、どこでお世話になるかわからんし、怒らしてもなんやから、とりあえず「さん」づけで・・・みたいな感じですかなぁ。計算高さが顔を出してる。

 「旦那さん」という言い方も、縮めて「だんさん」にはなりますが、「だんはん」にはなりません。
 「嫁」(ちなみに、人の奥さんだけでなく、自分の妻のことも関西では、「嫁」と呼びます。)は、「さん」でも「はん」でも両方可。でも、自分の「嫁」は、「はん」が多そう(「ウチの嫁はん」のように。別に統計とった訳やないですが・・)。

 実態はともかく、他人の前では、他人行儀な関係ではない(当たり前ですけど)、仲良くやってるという記号なんでしょうね。
 で、他人(ひと)の嫁は、「さん」が多いけど、家族ぐるみの付き合いレベルだと「はん」でオッケーと言う感じ。親密度が、もう一段進めば、「アンタとこのオカン」(「とこ」は「ところ」の、「オカン」は「オカアサン」の省略形)という呼び方も。

 面と向かって、名前を呼ぶときも、やはり「さん」が普通。よっぽど親しければ、「はん」になります。
 肩でもバシッとたたきながら、「なあ、田中「はん」、男やったら、ここは一発、勝負でっせ(ですよ)」てな具合。何の勝負か知りませんが・・・

 それで思い出すのが、中学校での朝礼の時のこと。

 ちょっと強面だけど、酒が大好きな杉村という数学教師が、二日酔いの青い顔して、脇に立ってる。それにクラスの悪ガキ(誓って、私じゃないですよ!)が声を掛けた。
 「なあ、杉村「はん」、あんた、ゆんべ(ゆうべ)、だいぶメートルあげたね(飲み過ぎたね)。しっかりしなはれや(しなさいよ)」

 教師に向かって、「はん」付け!「あんた」!
 言われた教師も、思い切りバツが悪そうな顔してましたけど、声を掛けた生徒の悪ガキぶりと、口吻だけは、ありありと頭に残ってます。

 非大阪人の方々は、とりあえず「さん」を基本になさるのが、よろしいかと。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第254回 タイトル考

2018-02-09 | エッセイ

 「考」なんてエラソーな「タイトル」で、気が引けますが、映画、小説のタイトルを話題にします。

 まずは、映画のタイトルからですが、ここんところ、映画は見なくなりました。いささか古い映画が登場しますが、よろしくお付き合いください。

 1960年代くらいまでは、日本で公開される洋画のタイトルは、日本語が主流だったように記憶しています。ですから、「ローマの休日」(1954年公開)とか、「ウェスト・サイド物語」(1961年公開)のように、地名のカタカナだけでも結構新鮮に感じ、遠い異国の地に思いを馳せたものです。当時のポスターです。



 「ローマの休日」の原題"Roman Holiday"を直訳すれば、「ローマ帝国市民の休日」になります。
 ローマ帝国時代、剣闘士を戦わせて市民が楽しむ娯楽に由来して「他人を犠牲にして楽しむ」という意味がある、というのを知ったのは、ずっと後のことです。確かに、周りの人たちの迷惑を顧みず、ローマでの1日を楽しむ王女と新聞記者の物語なので、原題はなかなか凝ったタイトルです。邦題も、ローマが舞台なので、たまたま、日本語として、ハマるのですが・・・

 「ウェスト・・・」の「物語」という部分が、いかにも時代を感じさせます。今だったら、そこは、原題("West Side Story")どおりの「ストーリー」で公開されるはず。

 タイトルの横文字化が進む中、 原題の英語を、そのままカタカナで邦題にする大きなきっかけは、「ゴッドファーザー」(原題:"The Godfather 1972年公開)の成功だったように思います。優れた娯楽作品だったからこそですけど、「ゴッドファーザー」という当時馴染みのなかった存在をそのままタイトルにしたインパクトも大きく貢献したはずです。

 その後は、原題を、そのままカタカナに置き換えた邦題が、大流行となります。
 「ビッグ・ウェンズデー」(原題:Big Wednesday 1979年公開)とか、はては、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(原題:Once Upon a Time in America 1984年公開)」のごとく寿限無みたいな邦題まで登場して、なんでもありになりました。

 それで、ひとつ思い出したんですけど、「スター・クレイジー」(1980年公開)というアメリカ映画がありました。ハリウッドを舞台にしたドタバタ喜劇みたいな邦題ですが、原題は、
"Stir Crazy"です。"stir"は、刑務所のこと(カタカナだと「スター」としか表記のしようがないんですが)。刑務所のような狭い所に長期拘禁されている受刑者が陥る精神の変調のことです。身に覚えのない罪で服役した二人の男が脱獄を図る、と言う内容で、英語をそのままカタカナに置き換えて、ワケが分からなくなった例として記憶しています。

 さて、次は小説のタイトルをひとつ話題にしようと思います。遠藤周作の初期の代表作「沈黙」です。

 著者自身による「沈黙の声」(1992年プレジデント社。のち、青志社から新装復刊)によると、最初は、「ひなたの匂い」というタイトルで、出版社へ原稿を渡したというのです。ところが、原稿を読んだ出版社の友人から「これでは迫力がない。やはりこの内容なら、「沈黙」ではないか」と言われます。

 意に添わないタイトルでしたが、出版社に、なかば押し切られる形で、世に出、大きな反響を呼びます。

 遠藤自身が危惧していたように、読者、批評家の多くから、「神の沈黙」を描いた作品との誤解を受けたのが、非常に不本意だったようです。同書で「神は沈黙しているのではなく、語っている」と書いています。

 事実、作品の中には、踏み絵を踏む宣教師のロドリゴ(主人公フェレイラの弟子)に、イエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるためこの世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」と語りかける場面があります。

 う~ん、営業的には、「沈黙」なんでしょうねぇ。「沈黙の声」だと、誤解されにくくはなるでしょうが、テーマがストレートに出過ぎるような気がします。

 かといって、「ひなたの匂い」では、重いテーマとの結びつきが弱いように感じます。
 棄教したフェレイラが、屈辱の日々を送る自宅のひなたで、腕組みをしながら、過ぎ去った自分の人生を考える、という場面を思い描いてのものだ、と遠藤は書いています。気持ちは分かるんですけど・・・・

 最後に、ちょっと宣伝っぽく、わが「書きたい放題」の記事タイトルですが・・・

 中味は結構呻吟しますけど、タイトルに悩むことはあまりありません(当たり前ですが・・)。

 内容をコンパクトに表すのを基本にしています。
 が、時には、「時計を止める」(第224回)のようにちょっとはぐらかすタイトルにしてみたり、「ネコとカストラート」(第228回)みたいに謎めいた言葉で幻惑してみたり、大阪弁講座のようにひとつの言葉(「かみます」のように)をチラ見せして、気を引いたりと、自分なりの工夫を楽しんでます。

 それやこれやで続いている当ブログです。引き続きご愛読ください。


第253回 「スロウな夜」-英語弁講座17

2018-02-02 | エッセイ

<愛読者の皆様へ>

先日、愛読者の方から、PCからだと、背景色、文字色の関係で、記事が読みにくいとのご指摘をいただきました。うすうす感じてはいたのですが(笑)、ごもっともなご指摘です。背景色は、タイトルに使っている画像との関係で、変更が出来ないようですので、文字サイズを大きくし、フォントもゴシックに変更いたしました。少しは、ご覧いただき易くなったと思います。過去の記事も、順次、修正してまいりますので、引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

ーそれでは、本文をご覧くださいー

 社会性のある話題が続いたようですので、「講座」という原点には戻りつつ、楽しさにも配慮して、お気楽な小ネタを2つお届けしようと思います。

<スロウな夜>
 SLOW(スロー、または、スロウ)というのは、言うまでもなく、動作、スピード、テンポなどが遅いこと。片岡義男の短編集「スローなブギにしてくれ」なんかを思い出すひとがいるかもしれません。

 村上春樹の作品に「中国行きのスロウ・ボート」というのがあります。いろんな歌手がカバーしている1948年のヒット曲「Slow boat to China」を利用したなかなかシャレたタイトルです。ちなみに、歌の出だしは、こうです。

 I'd love to get you
 On a slow boat to China,
 All to myself alone.

 Get you and keep you
 In my arms evermore,
 Leave all your lovers
 Weeping on the faraway shore.

 君を、(遠いところへ、じっくり時間をかけて行く)中国行きのスロウ・ボートみたいなのに乗せたいな。二人っきりでさ。オイラの腕の中で、しんねり、むっつりやろうぜ。恋敵どもは、遠い渚で、思い切り泣かせておけばいいのさ・・・・多分、こんな意味だと思うんですが・・・

 さて、英語で、「スロウな夜」(It's a slow night.)といえば、ロマンチックな感じがします。彼と彼女が、ゆったりした時間を、楽しんでるのかな、などと想像しますけど・・・・

 実は、時間の経つのが、「遅く」感じられる、ということで、つまり「ヒマな夜」という、夜に稼ぐお店にとっては、ありがたくない状況を表す表現です。

 いつものお店が「スロウな夜」とならないよう、皆さん、是非お運びください。

<今でも覚えてる入試問題>
 入試そのものが悪夢でしたから、どんな問題が出たかなんて、記憶にありませんけど、半世紀も前に、私が受験した私大の出題で、今でも鮮明に覚えているのがあります。単独の穴埋め問題です。

 Mark is a monetary unit of (    ).

 いかがですか?

 mark(マーク)は、印(しるし)。で、monetaryが、やや馴染みの薄い単語ですが、心当たりがありました。
 たまたま、IMF(国際通貨基金)が、"International Monetary Fund"の略だというムダ知識が役に立ちました。money(マネー)の形容詞として記憶の底にあったのです。「おカネ(通貨)の」という意味しか考えられません。

 「しるしは、(   )のおカネの単位である」
 ???一体なんのことかと、しばらく考えました。

 「おカネ」が頭の中をぐるぐる回ってる時、ふと、英語の"R"は、ドイツ語圏で「ル」に近い音になるという、これも当時の私としては、ムダ知識を思い出したのです。

 そうかMarkは「しるし」ではなく、「マルク」だと!!「そっかー」と、思わず机を叩いて、阿波踊りでも踊りたくなりました。
 固有名詞である事を気づかせないよう文頭に持ってきてるのも巧妙。



 ですから、正解はいわずもがなで、「Germany(ドイツ)」ですね。問題を作成した先生のニンマリした顔が浮かぶようです。ドイツの通貨単位を問うのは、英語の知識とは関係ない社会科の範疇でしょうけど、いかにも、私大ならではの出題です。

 こんな遊び心のある先生がいる大学だったら、行ってもよかったかなぁ・・・などと懐かしく思い出します。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。