★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第205回 小学校でプログラミング?

2017-02-24 | エッセイ

 小学校での(コンピュータ)プログラミング教育の必修化、という「とんでもない企み」が始まります。2020年度からの新学習指導要領に盛り込むと発表されました。
 以前、英語の早期教育でも毒づきましたが、今回は、プログラミング教育に噛み付いてみようと思います。ちょっと堅い話題ですが、できるだけ柔らかくお伝えしようと思いますので、お付き合いください。

 その背景は、以下の程度のことかなと想像しています。
  1.新成長戦略(とっくに破綻しているが)の柱は、何と言っても、IT、コンピュータ、  
    情報産業である。
  2.そのためには、ソフトの開発ができる人材を、大量かつ早期に育成する必要がある。 
  3.だったら、小学校から、プログラミングを必修化すればいい。
 実に短絡的で、単細胞、アホらしい方針だ。安倍にゴマする三流役人どもが考えそうな失敗必至の愚策です。

 心配なことは(と私ごときが心配しても仕方ないんですが)、いろいろあります。まずもって、先生方、大丈夫なんでしょうか。

 今どきの小学生ども(とあえて言いますが)って、スマホとか、タブレットとかを、日頃から使い倒して、慣れきってるのが多いですからねぇ(良い、悪いは別にして)。
 プログラム云々以前に、デジタル機器の操作、遊び方に関して、彼ら小学生の方が、先生方より圧倒的に優位に立ってる。 

 一方、小学校の先生方って、授業は、教科書と黒板があれば出来る、と思ってるアナログ派が、まだまだ圧倒的に多そうですから、ここでは、立場が逆転してしまう。先生方もさぞ辛かろうと想像する。
 「先生、それは違うよ。こうやるんだよっ」などと、エラソーに、先生を「指導する」生意気な小学生たちの姿が目に浮かぶ。こんな子供たちの姿って、あまり見たくないんですけど。



 さて、何を、どう教えるか、という基本的なことも心配のネタ(これまた、余計なお世話ですが)。
 
 プログラミングというのを、くそマジメに考えれば、専用の言語とかツール(英語が前提になる)を使って、やりたい作業をとことん細分化したものを、整理し、順序立てて、一つ一つ「コーディング」(コード化、記号化)していく、という実に面倒で、辛気くさい作業。そのやり方を小学生に教える・・・さすがにそれはハードルが高いと誰でも思う。

 で、いくつかの条件(主人公のキャラ、勝ち負けの決定ルールなど)を決めて、簡単なコマンドで、ゲームまがいのモノが作れるソフトを利用する、などの提案、試行などもされてる。
 だけど、画面の動物を動かしてみたり、色を付けたり、じゃんけんをさせてみたところで、所詮、ゲームの延長か、ちょっと高級そうに見える積み木、塗り絵遊びのレベルでしかない。

 しからばどうするか?「そんなもの」は、社会人にでもなって、必要に迫られるか、好きで仕方ないからやるか、で十分、というのが、私の結論。

 これには、一応、私なりの経験的根拠があります。

 入社したての頃、研修でプログラミングをやらされたことがあります(一応、そっち系もやってる会社でしたので)。COBOL(コボル)という今や古色蒼然たる言語で、課題(今なら、エクセル一発、みたいなもの)に取り組みました。何度かのエラーを乗り越え、なんとかクリアできましたけど。

 で、まあ、その時、思ったのは、プログラミングは、確かに面倒くさい作業ではあるが、約束事をきちんと理解し、論理的な思考が普通に出来れば、そう難しいものではないな、ということ。

 今の小学生がオトナになった時、果たしてどんなデジタル技術が必要とされてるかも分からないんですから、チマチマした小手先の技術なんかに走る必要はない、と断言できる。

 英語の早期教育の時にも書きましたが、既存の教科の学習を通じて、人間としての基礎的、基本的、本質的な知力・能力を十分に身につけさせるのが、小学校あたりでは何より大切だ、というのが、私の変わらぬ信念です。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第204回 おわび・訂正を楽しむ その1

2017-02-17 | エッセイ

 新聞が、「おわび」とか「訂正」とかを、こまめに出すようになったのは、ここ10数年くらいからでしょうか。毎日のように載っています。ミスを素直に認めるのはいいんだけど、あまりにお粗末、ちゃんと取材したんかい、と言いたくなるのも多い。「読者がうるさいから」とか「謝ってんだからいいだろう」みたいな陰の声が聞こえてくる気がするのは、尊大に振る舞ってきた不徳の致すところかも。

 さて、「訂正人語 おわびスペシャル」(テイ・アイ・エス刊)という本があります。副題に、「大新聞社、大出版社が天下にさらした恥の数々満載!!」とあって。編著者は、あの「噂の眞相編集部」。こちらの本です。



 うまい企画を考えたもので、1989年1月から1998年10月までの新聞・雑誌の「おわび」「訂正」記事を集めて、編集部独自の辛口コメント、というか、ツッコミを付けたもの。いささか話題が古いのはやむを得ませんが、滅法面白い。

 編集部のコメント(▼)に、私なりのコメント(カッコ内)を交えて、ご紹介します(掲載時期は、省略しました)。

<お詫び>週刊文春
 小誌12月18日号の「人気ロック歌手相川七瀬にランパブ嬢の過去の噂」の記事中、事実と異なる部分があり、関係者に御迷惑をおかけ致しました。  編集部
▼そもそも彼女の源氏名がミサトではなかったのか、彼女の勤めていたのが吉祥寺のランパブ「Y」でなかったのか、彼女がロック歌手ではなかったのか。ファンとしてははっきりしてほしい。
(どこが「事実と異なる」のかが、抜きのお詫びじゃあねぇ。絶妙のコメント)

<訂正します>アエラ
 44号34ページ「中国共産党の歩み」の年表で、「B小平氏」「B氏」とあるのは、「鄧小平氏」「鄧氏」の誤りでした。
▼なんで「B」なんだよ(笑)。
(おいおい、大丈夫?)

<見出しなし>週刊宝石
 本誌10月10日号「二子山親方夫人がフェラガモに怒鳴り込み」の記事に対し、花田憲子さんより抗議がありました。花田さんに不快の念を与えたことについて、遺憾に思います。
▼怒鳴り込んだのではなく、あくまでも物言いだったとクレームをつけたのだろうか。
(「遺憾に思います」って、政治家や役人じゃあるまいし・・・)

<お断り>アサヒ芸能
 本誌96年12月12日号「宮崎緑尻なでセクハラ事件の一部始終」の中で一部事実と異なる表現がありました。宮崎氏にご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。(編集部)
▼事実がどう違っていたのか知りたいものだが・・・(アサ芸も負けてまへんな)

<見出しなし>毎日新聞
 先週の本欄で、入江たか子の表記が誤っていました。おわびします。 (川崎 浩)
▼どうしたら、入江たか子の表記を間違えることができるのかと思ったら、「入江かた子」となっていた。
(はい、はい)

<おわび>信濃毎日
 7月11日付北信版「談話室」に掲載した「ロックグループ横浜銀蝿のタミヤヨシユキさん」は、タミヤさんをかたる別人でした。おわびして記事を取り消します。
▼被害総額500万円の詐欺師と気付かず、確認作業もないままインタビュー掲載。「半端はだめ」という見出しがひたすら哀れを誘う。(今となっては懐かしいロックグループだが・・・)

 いかがでしたか?まだネタがありますので、いずれ、続編をお送りします。お楽しみに。


第203回 奇人列伝−5 中江兆民ほか

2017-02-10 | エッセイ

 前回(第187回)に引き続き「昭和超人奇人カタログ」から、奇人のエピソードの第5弾をお届けします(文末に、過去記事へのリンクを貼っています)。

<中江兆民>
 明治の自由民権思想家ですが、その行動は、破天荒で、酔うとハダカになるクセがあった。こんな写真が残っています。

 兆民が役人だった頃、華族令嬢との縁談が持ち上がった。見合い当日、酒ですっかり出来あがっていた兆民は、いきなりフンドシをとって、真っ裸になり、キンタマを手で大きく広げた。
 「オレは一文無しで、花嫁にやるものがない。ただ一つ、ここにキンタマ火鉢(小ぶりの火鉢で、またいで股ぐらを暖めるのに適することから、この名があるー筆者注)があるから、これをやろう」と差し出した。
 花嫁が目を白黒させていると、友人のひとりが、「火の気のない火鉢では仕方あるまい」と、真っ赤に焼けた炭火をキンタマに乗せたからたまらない。当然、破談になった。

 兆民先生のキンタマ話には続編がある。
 宴会で酔った先生は、芸者に悪ふざけして、キンタマの袋を大きく広げ、杯のようにして酒を注ぎ飲ませた。芸者もさるもの。仲居に命じて、熱燗の日本酒をキンタマに「返杯」したからたまらない。「アッチッチ」と飛び上がったそうな。
 まったく懲りない大セクハラおやじである。

<坂田三吉>
 「明日は~、東京へ~、出ていくからは~、何がなんでも勝たねばならぬ~」と、いまだに、私ら大阪人の反東京意識をくすぐり続ける「偉人」。
 いわずと知れた将棋名人。将棋以外は子供みたいな人物で、エピソードも多い。その一部を同書から。

 生涯で書けた文字は、名前の「三吉」と角の裏面の「馬」だけであったが、「三吉」の書き方がある書家から教わった独特なもの。まず、「一」の字を上から並べて七つ書く。そして、四つ目と五つ目の真ん中にタテに棒を入れる・・・という具合にタテとヨコ棒だけで教えた。生涯、その筆法で名前を書いていたという。
 昭和9年、三吉65歳の時のこと。16歳の升田幸三初段と会って、その稽古ぶりを見ていた。その後も熱心に、升田の将棋を追いかけた。
 ある時、升田が「なぜ、私なんかの将棋をご覧になるんですか」と訊いたら、「あんたぁ、天下を取りまっせ。木村(名人)を、負かすのはアンタや。アンタの将棋は大きな将棋や。木村のは小さい」と、三吉は、ズバリと将来を言い当てていた。

<阿部定>
 あまりにも有名な「阿部定事件」の当事者です。事件の相手となった石田吉蔵(当時42歳)は遊び人で、定が接した男の中では情事が一番うまく、やさしい男だった。吉蔵には、マゾの気があり、情交中に窒息するまで首を絞められるのを好んだ。事件当時も腰紐であまりに絞めすぎて死なせてしまった、というのが真相とされる。
 予審調書で、定は、「私のやったことは男にほれぬいた女ならば世間によくあること。ただ、しないだけだと思います」と述べている。
「しないだけ」という発言が怖い・・・・・

 私なりに、調べてみたら、懲役6年の判決を受けたものの、昭和16年に、紀元2600年の恩赦で出所してるんですね。
 そういえば、昭和40年頃だから、彼女も60歳を過ぎていたはずですが、都内で、おにぎり屋をやっている、との記事を、週刊誌だかで、読んだ記憶があります。その後、「失踪」したまま、というのが、謎めいてますが・・・・

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

<追記>過去の奇人列伝シリーズへのリンクです。<その1(旧サイト)><その2><その3><その4>。合わせてご覧いただければ幸いです。


第202回 ナマケモノという生き方

2017-02-03 | エッセイ

 当ブログでは、時折、生き物の話題をお届けしています。で、今回は・・・・

 私自身がそうだからかもしれませんが、かねがね「ナマケモノ」という生き物に、興味を持っていました。実物は見たことありませんが、本とか映像ではお馴染みの存在です。
 こんな動物ですね。

           

 タイトルは忘れましたが、椎名誠のエッセイで、彼が南米で出会ったナマケモノの話を読んだのを思い出しました。

  普通は、高い木の枝で、ホントにじーっとしてるから、見てもつまらない。彼に同行していたガイドが、川の近くで、顔が分かるほどの低い枝にいるナマケモノを見つけてくれた。当然、ピクとも動かないので、ガイドが棒で、その尻をつつく。別の枝に逃げようとして、手を伸ばすのだが、その動きが実にじれったい。
 「しょーがねぇなー」とでも言わんばかりに、手を、実にゆっくりと伸ばしかけては、これまた。実にゆっくりと引っ込めたりしている。書いててもイライラするくらい。
 何度かつついて、やっと別の枝に、手が届くまでだけで、10分ほどかかった。

 とまあ、概ねそんなような話だったと記憶しています。

 で、常々不思議に思ってたのは、こんな無防備な生き物が、敵だらけの南米のジャングルで、しっかり生きてること。

 その疑問が氷解したのは、たまたま目にした「動物の変わりものたち」(ロビー著 八坂書房)のおかげです。副題に「世界珍獣物語」とあるように、世界中の珍獣が紹介され読み応えがあります。
 存在自体があまり知られていない生き物も数多く登場しますが、名前、姿はよく知られていても、その生態とか、生き方(と言うのかな?)が、よく知られていない動物達も登場します。その中に「森の哲学者 ナマケモノ」という章があって、驚異の生き残り戦略の謎解きがされています。

 その戦略を一言で言うと、徹底した「無抵抗主義」ということになるでしょうか。そして、それを可能にするカラダの仕組みが、感動的なほどうまく出来ているのです


 「ナマケモノは防御に対してもナマケモノで、敵が襲ってきてもそれを手足を使って振り払うということをせず、ただ同じようにじっと木にしがみついている。ナマケモノの強みはあばら骨を中心とした骨格にあって、猛獣や猛禽類がその爪や牙でナマケモノを襲っても、幅広く隙間なくびっし体を覆ったハガネのようなあばら骨が内蔵への侵入を防ぎ、いかに表皮を引き裂かれても内蔵を傷つけられて死ぬことはないという。なまけものはそうやってとにかくじっと木につかまって耐え続け、外敵が疲れて退散するまで、とにかく果てしなくじっとしているのである」(同書から引用)

 いかがですか?ナマケモノって、ただのナマケモノじゃなかったんですね。敵の攻撃に晒されれば、激しい痛みを伴うはずですが、それにも耐え、ひたすら敵が攻撃に疲れて、諦めるのを待つ。
 う~む、なんという生き方!「森の哲学者」って、言い得て妙。まいりました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。