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第492回 ロンドンの下町っ子英語 英語弁講座39

2022-09-30 | エッセイ
 ロンドンの下町というと、テムズ川の東側、イースト・ロンドンというエリアになります。こんな街並みです。


 このエリアを中心に、もっぱら労働者階級の人たちが話してるのが、俗に「コクニー(cockney)訛り」と呼ばれるスラングです。と、エラソーに書いてますけど、私が知識として知っているのは、「エイ」と発音するべきところが「アイ」となる、ということぐらい。例えば、today(今日)の「トゥデイ」が「トゥダイ」になるという具合です。
 若い頃、シャーロック・ホームズゆかりのベイカー街(Baker Street)と思われるあたりを歩いていた時のことです。通りすがりの人に「ここはベイカー街ですか?」と尋ねた時、帰ってきたのが、「イエス、バイカー・ストリート」という返事。一瞬の間をおいて「あっ、コクニーだ」とわかって、胸の内で小さくガッツポーズをしました。

 さて、「LONDON CALLING」(Colin Joyce NHK出版)を読むと、発音だけでなく、結構愉快な言葉であることが分かります。著者は、滞日20年の経験を持つイギリス人ジャーナリストで、本講座でも、過去2回(文末にリンクを貼っています)、別の著書を紹介してきました。本書も、それらと同様、NHK語学テキストに連載したコラムを集めたもので、平易な英語でなかなか読ませます。

 本書によれば、その最大の特徴は、日本でいう地口、語呂合わせ、しゃれを多用して、新しい言い回しなどを作り出していくことだ、というのです。
 「おそれ入谷の鬼子母神」「そうはイカのキンタマ」・・・用例が、いささか古く、適切を欠く気もしますが、それの英語版と考えてください。
 前置きが長くなりましたが、さっそくご紹介していきましょう。

 初級編としては、語尾の韻を合わせるものです。
 例えば、" dog and bone "(犬と骨)というのは、" bone "の韻で" phone "(電話)のことです。 " jam jar "(ジャム瓶)は、" jar "の韻で" car "(車)を指します。
 同様に、" frog and toad "(ともにカエルの一種)は、もうお分かりのように、" road "(道路)のことです。
 ですから、" He drove a jam jar down the frog and toad. "は、
" He drove a car down the road. "(彼は、車で道路を走っていった)というだけのことなんですね。わざわざ、言葉数を増やして、ややこしくしなくても、と思いますけど・・・

 さて、中級編となると、ヒネリが加わりますから、まるでクイズか二段オチのようになります。
 " bread "(パン)が、" money "(おカネ)を意味するというんですが、その理屈は・・・
 " bread and honey "(蜂蜜を塗ったパン)の"honey"からの連想で、"money"というわけです。

 " use your loaf "(おまえのloaf(パンの一斤分)を使え)という表現があります。
 " loaf of bread "(1斤のパン)の" bread "ー>" head "(アタマ)で「アタマを使えよ(考えろよ)」と言われてたんですね。

 上級編では、固有名詞が登場します。
 ここでクイズです。「サッカーの試合で、" Gregory ”を痛めた」というのは、どこの部分を指すでしょうか?ヒントです、" Gregory Peck "(グレゴリー・ペック)という俳優がいました。
 そうです。" Peck "ー>" neck "の連想で、「首」でした。

 パブで、" Britneys "を注文しようか」と言えば、
同じく俳優の" Britney Spears "(ブリトニー・スピアーズ)を思い浮かべていただいて、
" Spears "ー>" beers "で、ビールということになります。

 著者の友人が、その男の赤ちゃんを指して,
 " Oh no! He's done another Douglas. "(なんてこった、またDouglasをやっちまったぞ)と言ったというんですが・・・・
 " Douglas "(ダグラス)といって、イギリス人が思いつく有名人は、サッチャー政権時代の政治家" Douglas Hurd "(ダグラス・ハード)なんですね。" hurd "
ー>" turd "という連想ゲームです。
 「じゃあ、おむつを替えなきゃ」と二人で笑い合ったとありますから、意味するところは、ご想像ください。

 いかがでしたか?ロンドンの下町っ子のユーモア精神はなかなかのものがありますね。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは、<第211回 ニューヨークのイギリス人><第317回 英国暮らしの傾向と対策>です。あわせてお読みいただければ幸いです。
 それでは、次回をお楽しみに。

第491回 あぁ、歌詞の勘違い集

2022-09-23 | エッセイ
 童謡で「お山の杉の子」という歌があります(作詞・吉田テフ子/サトウ・ハチロー)。
「むかしむかしの そのむかし 椎の木林 すぐそばに 小さなお山があったとさ」と始まって、「まるまる坊主の 禿山は いつでもみんなの笑いもの 「これこれ杉の子 起きなさい」 お日様ニコニコ声かけた 声かけた」と続きます。
 小さい頃、この歌を聞きながら、「「こえかけた」って、あの畑にまいてる「肥え」のこと?」と、わざとボケて母親に訊いたことがあります。「あはは、そんなわけないやろっ」と予想通りのツッコミが返ってきました。笑いが取れて、嬉しかったのを覚えています。

 歌詞って、聴いてる分には、音だけですから、いろいろ思い違い、勘違いがあります。
 「シャボン玉」という童謡があります(作詞・野口雨情)。その一節です。

 シャボン玉飛んだ/屋根まで飛んだ/屋根まで飛んで/こわれて消えた/

 何の本で読んだのかは忘れましたが、「屋根まで」というのを「屋根までもが」飛んで、こわれて消えた、と思い込んでいたというのです。確かに「まで」には到達点だけでなく、範囲、程度を表す用法があります。「そんなこと「まで」する必要ある?」のように。でも、そんな強風なら、シャボン玉を飛ばして遊んでる場合じゃないと思うんですけど・・・・

 そういえば、村上春樹に「村上かるた うさぎおいしーフランス料理」(文藝春秋刊)という本があります。
 言葉遊びを「かるた」に仕立てたもので、童謡「故郷(ふるさと)」の出だしである「兎追いし かの山」を「うさぎ美味しいー」とシャレにして「う」の札にしています。村上が小さい頃、そう思い込んでいたのかどうかは分かりません。フランス人には身近な食材のようで、そんなひけらかしもちょっぴり入ってる「かるた」です。


 沢木耕太郎のエッセイ「アフリカ大使館を探せ」(「チェーン・スモーキング」(新潮文庫)所収)を読んでいると、彼自身のこんな思い違いが述べられています。 
 小さい頃、「赤い靴」というお馴染みの童謡で「異人さんに連れられて行っちゃった」を「イージーサンニツーレラレーテ」と歌っていたというのです。「異人さん」を「いい爺さん」と思い込んでいたんですね。「いい爺さん」が、女の子を異国へ連れ去る?ちょっと笑えました。

 あわせて、交友のあった向田邦子さんのこんな思い違い話を紹介しています。


 「むかしむかし浦島は~」と始まる浦島太郎の童謡(作詞・不詳)です。竜宮城から元の村に帰って来たところ、様子が一変していました。「カエッテミレバ コワイカニ~」というのを「帰ってみれば 恐い蟹」だと思い込んでいた、というのです。確かに、「これはどうしたことだ」と時代劇調で、いささか古臭い言い方ですから無理もないですが、彼女らしいユーモアに溢れた可愛い「勘違い」です。

 同エッセイでは、彼女のエッセイ「眠る盃」(同名の講談社文庫所収)にも筆が及びます。
 彼女の父親は、保険会社で地方の支社長をしていました。仕事柄、宴会の後などに、お客をよく自宅に連れて来たといいます。家族総出で酒肴の支度です。宴が終わって、客が帰ると、酔いつぶれた父親の膳にはいつも飲み残しの盃があったといます。女学生の彼女には、まるで酒も盃も眠っているように見えました。
 「向田邦子は言うのだ。「荒城の月」(作詞・土井晩翠)の中の「春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして」という一節を、自分はいつのまにか「春高楼の花の宴 眠る盃かげさして」と記憶するようになってしまった、と」(同エッセイから)

 あらためて彼女のエッセイ「眠る盃」を読み直しました。彼女を取り巻く暖かい家庭の思い出を描く中で、あれは「眠る盃」でなければならない、との思い入れに共感を覚えました。
 短いですが、実に上質で、これぞプロというべきエッセイです。とても敵わないと感じつつも、一層の精進を誓った私でした。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第490回 ナチスを騙した贋作画家

2022-09-16 | エッセイ
 17世紀のオランダの画家フェルメールは、大好きな画家のひとりで、当ブログでも話題にしました(第409回「フェルメールと手紙の時代」。文末にリンクを貼っています)。そのフェルメールの贋作を描き、ナチスを手玉に取った人物がいた、というのを、「ダークサイドミステリー E+」(Eテレ 2022年5月10日放映)という番組で知りました。なかなか興味引かれるエピソードですので、番組からの画像を引用しつつ、ご紹介します。

 主人公は、1889年、オランダ生まれのファン・ハン・メーヘレンなる人物です。画家を志し、高い技術の持ち主でしたが、抽象画が主流になる時代の中で、時代遅れなどと評され、売れない画家でした。やむなく選んだのが、絵画の修理、修復を行う「絵画修復士」の道です。
 33歳の時、知人から贋作の依頼を受けます。当時人気があった17世紀オランダの画家フランス・ハルスのニセ絵を描き直す形で、「笑う士官」という「作品」が完成しました。鑑定士が本物と認め、オークション会社は、4500万円で購入したのです。
 この「作品」に疑問を持ったのが、美術史家で、主にフェルメールの鑑定を手がけているアブラハム・ブレディウスです。彼が、その作品を、アルコールを含ませた脱脂綿でぬぐうと、絵の具が溶けてしまいました。絵の具は、50年ほどで固まりますから、17世紀の作品でなく、まったくのニセモノであることが簡単にバレてしまったのです。赤恥をかかされたメーヘレンは、復讐を誓います。フェルメールの贋作を、ブレディウスにホンモノと鑑定させようという企みです。
 まず、古い絵を購入し、絵をすべて剥がします。古びた画材で、X線での検査もクリアするための準備です。その上で、顔料に液体プラスチックを混ぜて描き、加熱処理して、アルコールテストに耐えるようにしました。さらに、キャンバスを曲げて、細かいひび割れを出すなど、万全の細工を施しました。
 5年後、メーヘレン47歳の時、「エマオの食事」と題した「作品」が完成しました。


 作品は、イタリアに移住した裕福なオランダ人女性(架空)が手放すとの触れ込みで、代理人を通じて、ブレディウスの鑑定に委ねられました。彼は、アルコールテストをしただけで、真作と認定したのです。それにはこんな背景があります。初期のフェルメールは、純然たる宗教画から出発し、のちに、市井の人物をモチーフにした作品を残しています。なので、キリストと市井の人物を書き込んだ過渡的な作品があるはず、というのが、ブレディウスの信念でした。エンマの村人たちと食事をするキリストの絵はまさにそれを実証する作品です。第一発見者になれるという名誉欲が、彼の目を狂わせました。結局、この絵は5億円で売れ、メーヘレンは、一躍、億万長者になりました。その後も、フェルメールの贋作を描き続け、億単位のカネを続々と手にする中、51歳の時の作品「キリストと姦婦」に、ナチスのナンバー2のゲーリング元帥から、買いが入りました。提示金額は、なんと15億円。膨大な美術品収集で知られ、目利きでもあるゲーリングにバレれば、命はありません。酒とモルヒネに溺れる中から生み出され、雑な筆使いも目につきます。


 フェルメールの作品がどうしても欲しかったゲーリングの目も曇っていたのでしょう。「すばらしい!是非とも購入したい」(番組から)の一声で購入が決まりました。彼の手持ち資金で足りない分は、オランダから略奪した葯200点の絵画が当てられました。とりあえず、騙し通せて、メーヘレンもほっとしたことでしょう。
 1945年5月、ベルリンが陥落し、ナチスドイツは敗北しました。その3週間後、メーヘレンは逮捕されます。容疑は、フェルメールの絵をナチスに売り渡した「国家反逆罪」です。戦後、ナチスが略奪した美術品を回収したオランダが、取引記録を調べる中で、ゲーリングとメーヘレンの取引が明らかになったのです。1ヶ月黙秘を続けたメーヘレンは、ついにその絵が贋作であることを告白します。そして、監察官の前で、実際に絵を描いてみせることまでしたのです。
 法廷にずらりと彼の贋作が並ぶ異様な裁判で、メーヘレンは動機を「過小評価されてきた自分の能力を贋作を作ることで正当に認めてもらいたかった」(同)と述べています。また、美術鑑定士は証言で「あなたの作品はすばらしい贋作だったと申し上げねばなりません・・・真実と美への私たちの探究心が私たちの目をふさぎ騙される結果を招いたのです」(同)と述べ、欲に目が眩んだ関係者を断罪しました。
 かくして無罪となったメーヘレンへの評価は一変しました。「売国奴」から「ナチスを手玉に取り、オランダの名画200点を取り返した男」へと。晩年のメーヘレンです。


 判決から6週間後の1947年12月に、彼は心臓発作のため、58歳で亡くなりました。長年の酒とモルヒネが命を縮めたともいわれます。二転三転の人生が終わる時、胸に去来したのはどんな想いだったのでしょうか。なお、冒頭でご紹介した記事へのリンクは<こちら>です。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第489回 「マクド、べった」 大阪弁講座51

2022-09-09 | エッセイ
 第51弾をお届けします。

<マクド>
 「「マクド」のどこが大阪弁なん?」とのツッコミを承知の上で取り上げます。
 若い頃、東京でしばらく仕事をしていて、久しぶりに関西に戻ってきた時、地元の人が「「マクド」へ行って、どうたらこうたら」と話してるのを耳にしました。
 話の流れから、ハンバーガーチェーンの「マクドナルド」のことだとはすぐ分かりましたが、「何たる略し方!!」と半ば呆れ、半ば感心しました。


 6文字の前半3文字を取ればそうならざるを得ません。しかし、「ど」で切りますかね。「ど根性」「どスケベ」「「ドタマ(=アタマ)」のごとく大阪・関西人が「ど」を好むのは分かってるんですけど・・・・
 そして、イントネーションです。これまた、「低・高・低」といういかにも「もっさり」(泥臭い)した大阪・関西的発音になります。初めて聞いた時、なんかよく似た言葉があったなぁ、で思い出したのが「おいど」です。大阪の商家などでは「お尻」を上品にこう呼びます。イントネーションも同じですから大阪で主流になるはず。

 ご存知のように全国的には、「マック」という略称が普通です。スマートだし、言葉としてのキレもいいですから。実は、日本マクドナルド社が、2017年に、「マック」と「マクド」の使用実態を調べているんですね。それによると、(予想通り)「マクド」が優勢な地域は、大阪を中心とした関西圏、三重県、四国の一部だといいます。
 「マック」で全国的に統一してもらえたら、との会社の想い(あくまで希望レベルでしょうけど)がほの見える調査です。でも、関西はともかく、大阪人はずっと使い続ける気がします。

<べった>
 2018年9月5日付の東京新聞にこんな記事が載っていました。
「文部科学省の全国学力テストの結果が公表されたが、罪作りといえば、罪作りだ。政令指定都市では、大阪市が2年連続で最下位だった。吉村洋文大阪市長は、「「べった」を続けている状況で、抜本的な学校大改革をしないと抜け出せない」と発言している」というもの。そして、「べった」とは、大阪弁で最下位を意味する、との注が(なにしろ「東京新聞」なので)あります。う~ん、確かにコテコテの大阪弁です。吉村さんも、あえて使って、市民への親近感と切迫感をアピールしたフシがあります。なかなかの役者です。
 そういえば、小さい頃はよく使ってました。「運動会の競争、一生懸命走ってんけど「べった」やった」のように。で、この言葉はバリエーションが多いのも特徴です。
 まずは、「べた」「べべ」「べべた」などが代表例です(「べべ」は地方によってはアブない言葉ですので、ご注意ください)。また、大阪人が好きな「ど」を付ける手もあります。「どべ」「どべた」「どんべ」「どんけつ」など、こちらも多彩です。

 そうそう、別系統で、「いんけつ」という言葉があります。もとは、おいちょかぶ賭博から出たもので、一番弱い数字の1(いち)を指し、最下位を意味するようになりました。学生時代、麻雀の場で、「あかん、また「いんけつ」や」などと、私も、対戦相手も使っていたのを思い出します。ただし、「いんけつ」は、順位だけでなく、どうしようもない悲惨な状況にも使えます。「借金で首が回らんようになって、ホンマ、「いんけつ」や」のごとく。

 全国的に通用する日常的な言い方だと「ビリ」くらいですが、なんで大阪弁はこんなに多彩なんでしょう?思うに、大阪人特有の自虐趣味ではないでしょうか。最下位などというみっともない状況を、自虐的に告白して、笑いを取りにいく・・・そんなサービス精神、ユーモア感覚のなせるワザかな、とも考えたりします。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第488回 ギリシャの選挙騒動by春樹<旧サイトから>

2022-09-02 | エッセイ
 若い頃の海外出張の帰途、乗り継ぎ便の都合で、ラッキーにも(?)ギリシャのアテネに1日だけ滞在できることになりました。こりゃ観光しかないと、とりあえずアクロポリスのパルテノン神殿を目指しました。


 入り口まで来てみると、観光客が溜まっていて、騒然としています。そばにいた観光客に訊くと、今日は、神殿を管理している公務員のストで、中には入れない、とのこと。100mほど先に神殿は見えています。なんとかならないものか、と私も「日本から、これを目当てにやってきたんだけど・・・」と係員に訴えましたが、返事は「ノー」。予定外のラッキーな観光でしたし、ストに遭遇したのも思い出と諦めて、憧れの神殿を目に焼き付けました。

 で、今回、<旧サイトから>の第11弾でお届けするのは、村上春樹の旅行エッセイです。たまたま滞在していた時期が、ギリシャの選挙期間中で、そのユニークな仕組みを知り、本人もちょっと巻き込まれた騒動を描いています。幅広く関心を持ち、エッセイに仕立てる彼のワザの一端に触れていただければ幸いです。最後まで気軽にお付き合いください。

★★ 以下、本文です ★★

 村上春樹の紀行エッセイ「遠い太鼓」は、彼が、1986年から89年にかけて、小説「ノルウェイの森」を書き下ろしつつ、イタリア、ギリシャを中心に長期旅行して回った時のことをあれこれ綴ったものです。
 最近、講談社文庫版の古書で再読して、ギリシャの選挙制度とそれが引き起こす騒動の話を思い出しました。世の中の役には立ちそうにないムダ知識ですが、なかなかユニークな仕組みです。彼のちょっとした体験と合わせ、ご紹介することにします。

 まず、ギリシャにおける選挙は、権利であると同時に義務でもあるということです。なにしろ憲法でそう定められていますので、正当な理由なく、投票をしないと、法律違反で罰せられることになります。「果たして選挙のありかたとして正当なのかどうか、僕には今ひとつ判断しかねるのだが」(同書から)と、村上もこのシステムの当否については、歯切れが悪い。確かに、独裁国家でないこのテの国としては、珍しい制度です。

 更にユニークなのは、投票は、すべからく出生地でしなければならない、ということです。
 辺鄙な田舎とか島で生まれて、アテネのような都会で仕事をしたり、生活している人は大変です。なんでこんな制度になっているのか、村上も何人かのギリシャ人に訊いていますが、納得できる答えは得られなかった、と書いています。

 ともかくそのようなわけで、投票日が近づくと、(日本でいえば)盆と正月とゴールデンウィークが一挙に来たような帰省ラッシュが、全国的に巻き起こることになります。飛行機、船を乗り継いで、あるいは車で(当然、全国的に大渋滞)でひたすら故郷をめざすわけです。折り悪しく選挙時期に遭遇した観光客は大迷惑。家族などが帰ってくる田舎の人たちも、旧交を温めるいい機会にはなるものの、寝る場所の確保、食事の世話などで大変そう。

 出生地で投票といっても、全国民がそうすると、仕事上、持ち場を離れられない人もいるし、社会的機能がマヒしてしまいます。
 そんな人はどうするかというと、役所にかくかくしかじかの理由で故郷に戻れないという届け出をしなければなりません。ただし、それには、本人が生まれ故郷から200km以上離れたところで仕事をしているという証明書が必要だ、というのですから、面倒なことです。逆に言うと、故郷から200km以内で仕事している人は、何が何でも投票のために帰郷するしかありませんので、これはこれで大変です。

 政党も心得たもので、そんな帰郷者のために方面別のバスを仕立てて、支持者(支持者でなくても乗れるらしいですが)を送り込むというのです。日本でもよく似た話があったような気がします。バスでは、酒も出て、政治談義やうわさ話に花が咲いて、ギリシャ的ムード満点で、さぞ賑やかだろうと、村上は想像しています。ギリシャの選挙って、日本以上に「お祭り」みたいです。

 さて、選挙時期と、旅行が重なっているのがわかっていた村上は、レンタカーを借りて、「のんびり」を覚悟の上で(というか、前述の如く、全国的に大渋滞なので、そう覚悟するしか仕方がないのですが・・・)半島一周に出かけました。手作りツアーならではの「のんびり」で「楽しい」旅となったようです。本書には、他にも旅の話題が満載ですので、ご一読をおススメします。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。