★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第525回 「どどいつ」を楽しもう

2023-05-26 | エッセイ
 俳句、川柳を何度か話題にしてきました。でも、まさか「どどいつ(都々逸)」を取り上げることになるとは思ってもいませんでした。唯一、知っているのは、高杉晋作の作と伝えられる<三千世界の 烏(からす)を殺し 主(ぬし)と朝寝が してみたい>(以下、< >内が「どどいつ」です)くらいです。一夜を共にした男女の情愛が、粋に伝わってきます。和歌、俳句、川柳は文芸だけど、「どどいつ」は、お座敷での座興芸、と思っている人が、私も含め多そうです。

 そんな「どどいつ」の地位向上、ファンの拡大に一生をかけてこられたのが、中道風迅洞(なかみち・ふうじんどう(本名:定雄))さんです。ある本で、「新編どどいつ入門」(三五館)が紹介され、著者の中道さんの名前を目にした時、懐かしい思いがし、さっそく取り寄せ、通読しました。
▼晩年の中道さんと、今回取り上げた著書です。

 小さい頃よく聴いていたNHKラジオの「とんち教室」(注:「笑点」のような番組で、以前、この番組を当ブログで話題にしました。文末のリンクを合わせてご覧いただければ幸いです)では、「どどいつ」の選者としてお馴染みの名前でした。

 さて、本を読んでわかりました。中道さんはNHK職員として「とんち教室」の制作を担当する一方、和歌、俳句などの素養を活かし、番組や著作を通じて「どどいつ」の普及に取り組んでおられたのです。
 七・七・七・五の26文字、4句構成が基本の「どどいつ」は、「味わう」だけでも楽しめますので、のちほど名作をご紹介します。でも、「作る」楽しみを味わって欲しいというのが中道さんの熱い想いで、そのための仕掛けが各種の「シバリ」(私なりの言い方ですが・・・)です。

 自由に作りなさい、と言われても茫洋として取っ掛かりがありません。シバリというのは制約のようですが、逆に創作意欲を刺激する、というのは分かる気がします。代表的なのが「折り込みどどいつ」です。4つの句のアタマの文字を指定します。番組の中でも当然取り上げられ、聴取者への「宿題」としてもよく出題されました。応募回答が、毎週何千と送られてきたといいますから創作意欲を刺激された人が多かったんですね。こんな回答が紹介されています。
<月の初めは 景気がいいが ものの十日で ノーマネー>(つけもの)
<混んだ電車で 素敵な美人 モーションかけたら スリだった>(コスモス)
<あんなお方は 私はいやよ 夕飯(ゆうはん)時分に きっと来る>(あわゆき)
 濁音、半濁音は難度が高いです。「だじずで」での作品がこちら。
<ダンスしましょう ジルバの曲で ずしんずしんと デブ同士>
「たかはし」さんという人から「たばこが止められないない」との相談に、その名前を折り込んで
<たばこやめるにゃ 買わなきゃいいよ はたからもらえば しょうがない>と「身の上相談」も兼ねた作品ができました。

 「五字冠(ごじかんむり)」という古くからの手法があります。冒頭に、自由な5文字を加えます。五・七・七・七・五で三十一(みそひと)文字になります。こんな具合です。
<あの人の どこがいいかと 訊ねる人に どこが悪いと 問ひかえす>(古典)
<泣き声は 聞こえないけど 障子に写る 肩がゆれてる 後ろかげ>(吉住福次郎)
 冒頭の5文字を指定すれば、更なるシバリになります。「胸の内」で、
<胸の内 誰に明かそう 打ち明けようか 思い悩んだ 春の宵>
なかなかいいリズムですね。

 シバリというほどではないですが、テーマというかお題(俳句でいう兼題ですね)を設けるというオーソドックスなシバリもあります。
「職業」で、<ためらい見せずに 注射を打った 看護婦冷たく 美しい>(竿代良一)
「色」で、<過去を振り向く 癖などついて 近頃髪にも 白いもの>(鈴木秋霖)

 数字を入れた「数学どどいつ」とでもいうべき作品もあります。
<逢いたさ六寸 見たさが四寸 それが積もりて 尺となる>(注:尺に癪をかけています)
<主(ぬし)は二十一 わたしは十九 しじゅう(四十)仲良く暮らしたい>(古典)

 さて、いろんな作品を、シバリと合わせてご紹介してきました。いよいよ拙作を披露(というほどのものでもないですが)しなければなりません。ブログタイトルでもある「ろぼうの」「かきたい」「ほうだい」の3つを「折り込み」、ブログへの想いを込めて、挑戦してみました。
<論文なんざぁ ボクにゃあ無理よ 腕もなければ 脳味噌も>(ろぼうの)
<書くならブログ 気合いは込めた 楽しく読んで いただこう>(かきたい)
<本からネタを うんとこ拾い だいぶの手抜き いいとしよ>(ほうだい)

 出来は別にして、シバリがあったほうが作りやすいなぁ、というのを実感しました。皆様もいかがですか?冒頭の方で触れた記事は、「とんち教室で学ぶ言葉遊び」と題して3回シリーズでお届けしました。リンクは<第270回><第291回><第312回>です。楽しい「授業風景」を是非ご堪能ください。それでは次回をお楽しみに。

第524回 ユニークな国 オランダ

2023-05-19 | エッセイ
 オランダは、江戸時代を通して、唯一、通商、交流があった外国でありながら、明治以降は、すっかり縁が薄くなりました。でも、なかなかユニークな国です。首都アムステルダムでの一週間ほどのささやかな滞在経験と、国の歴史は、もっぱら清水義範さんのエッセイ「オランダ人の謎」(「もっとどうころんでも社会科」(講談社)所収)を参考に、その一端をご紹介します。

 10数年前、退職を機に夫婦で海外旅行を計画した時、行き先は、ゴッホとフェルメールという二人とも大好きな画家ゆかりの地、オランダにすんなり決まりました。フランス、イタリアもさりながら、私たちにとっては、「アートの国」でしたので。門外不出とされるフェルメールの名作「デルフトの眺望」をじっくり観られたのがなによりの思い出となりました。こちらの作品です。

 アムステルダム市内や、日帰りでの観光を楽しみながら、肌で感じたのは、「本当に、自由で、開放的な国だなぁ」ということです。朝夕の人の流れや表情にも、あくせくしたり、ピリピリしたところは微塵もなく、余裕が感じられます。訊けばいろいろ親切に教えてもらい、ずいぶん助かりました。

 そんな国が出来上がった秘密を知るため、少しだけ歴史のお勉強にお付き合いください。
 オランダは、1555年に、当時の強国スペインの統治下に入ります。しかしながら、低い土地など厳しい自然環境の中、海に活路を求め、漁業で栄えていました。また、多くの良港を持つことから、海外貿易の拠点となり、優秀な商人が育っていました。そんな自由闊達なオランダ人が、堅苦しいカトリック教国スペインの支配に甘んじるはずもなく、1568年、独立戦争が始まりました。途中の休戦期間を挟んで、80年続いたこの戦争は、1648年に終結しました。

 当時のスペインには、優秀なユダヤ人が多くいて、繁栄の一翼を担う一方、カトリックとは相容れず、迫害されていました。独立戦争の結果、多くのユダヤ人がオランダを目指したのです。そして、オランダは、スペインにいた20万人のユダヤ人のうち、15万人近くを受け入れたともいわれています。1602年、「東インド会社」の設立により、日本を含めたアジア圏での大規模な交易の展開に乗り出すなど、ビジネス上手なユダヤ人が貢献したのは間違いありません。その結果、17世紀が「オランダの世紀」と呼ばれるほどの繁栄を享受しました。その後は、産業革命もあり、イギリスが世界経済を席巻するに至ります。イギリスも好きな国ですが、オランダの地盤沈下がちょっと残念です。
 先ほどの夫婦旅行で、アムステルダムにある「ユダヤ歴史博物館」をたまたま訪れました。どうしてこの博物館がオランダにあるのだろうと、その時は不思議でしたが、今、その謎が解けました。展示についてはほとんど覚えていませんが、館内でハグしあう若い男性同士の姿を見た時、ジェンダーの面でも開放的な国なのだ、と強く感じたことを思い出します。

 一方、キリスト教ともうまく付き合っているのがオランダです。8世紀からキリスト教化が進んでいましたが、1517年にドイツで始まった宗教改革の波はすぐオランダにも及び、カルヴァン派プロテスタントが普及しました。現在オランダでは、プロテスタントが30%、カトリックが40%だといいます(清水のエッセイによる)。教会の締め付けから自由になろうよ、というプロテスタントの発想が、自由を重んじ、人種差別のないオランダのお国柄を生み出した、という清水の説明になるほどと納得しました。

 そんなオランダ(正式の国名は、「ネーデルランド王国」)ですが、商売熱心なことへのヤッカミなどもあるのでしょうか、「変わり者」・・・国ですから「変わり国」(?)とまわりから見られているフシがあります。英語で「オランダの」に当たるのは、ダッチ(Dutch)です。もともとは、「ドイツの」という形容詞を、17世紀あたりから、商売敵のイギリス人が(意図的に(?))使い出したようです。そのため、あまりいい使い方はされません。ダッチ・アカウント(オランダ式勘定=割り勘)、ダッチ・ワイフ(説明は勘弁してください)、ダッチ・ロール(飛行機が墜落する時の激しい揺れ)などロクなものがありません。
 きわめつけは「さまよえるオランダ人」(Flying Dutchman)という言葉です。清水は、司馬遼太郎のエッセイ「オランダ紀行」(朝日文庫)での説明を援用しています。かつて、復活祭の日には船を出さない、という習慣がありました。しかし、商売熱心なオランダ人は、そんなことを気にせず、船を出します。それが人々の間に、そんな船は遭難し、幽霊船となって永遠に海をさまよい続ける、という伝説を生みました。
 その伝説を詩人・ハイネが小説化し、ワグナーがオペラにしたことから、世界的に有名になったというのです。心の広いオランダの人たちですから、有名税だ、程度に割り切ってるとは思いますが、ちょっぴり同情します。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第523回 面白「そうな」本たち

2023-05-12 | エッセイ
 HONZ(https://honz.jp)というノンフィクション本を専門に紹介するサイトがあります。私が最も関心あるジャンルですので、チェックが欠かせません。IT系企業の社長なども務められた成毛眞(なるけ・まこと)氏が主宰し、お仲間と共に自らも健筆をふるっておられます。  
 そんな氏の「面白い本」(岩波新書)は、コンパクトで的確な紹介ぶりで、つい「読んだ気」になってしまいました。読んでいませんので、ちょっとズルく、「面白「そうな」」とのタイトルになっています。その点はご容赦いただき、私なりのセレクト5冊をお楽しみください。

★1000年生き続ける象形文字
 中国・雲南省のナシ族の人たちが今でも使っている象形文字が、「トンパ文字」です。漢字も元は象形ですが、今は形式化、簡略化されています。「トンパ文字ー生きているもう1つの文字」(王超鷹著 マール社刊)で紹介されるのは「絵文字と象形文字の間にとどまったまま、いまに受け継がれ、社会で通用している、まさに、生きた文字の化石だ」(同書から)
 表紙から文字の部分だけを拡大しました。楽しそうですね。

 全体の半分が「トンパ文字総覧」に当てられているとのことで、1000年もの間、守り伝えられてきた奇跡の文字の意味するところを「絵解き」して楽しむこともできそうです。

★こんな破天荒な人生もある
「ザ・ビッグイヤーー世界最大のバードウォッチング大会に挑む男と鳥の狂詩曲」(マーク・オプマシック著 朝倉和子訳 アウペクト刊)の内容は、副題通りです。北米大陸で1年間に見つけた鳥の種類の数を競う大会(ザ・ビッグイヤー)で、審判はいず、数はあくまで自己申告です。
 中には、飛行機や船をチャーターし、1000万円以上のカネをかけ、40万キロ以上を飛び回る参加者もいるといいます。「どちらが鳥なのか、わかったものではない」(同)とのコメントが笑えました。

★不老不死が実現?
 世界で初めて研究室内で培養されたヒトの不死細胞の発見について書かれたのが、「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」(レベッカ・スクルート 中里京子訳 講談社刊)です。
 タイトルにある「ヒーラ」は、世界初の不死化したヒト細胞のコードネームです。この細胞の持ち主は、ヘンリエッタ・ラックスという黒人女性で、彼女の子宮頸がん細胞が、偶然にも無限に増殖する不死の特性を持っていました。いまやヒーラ細胞は、数兆個単位で培養され、世界中の研究所に出荷されています。ポリオワクチンや体外受精、クローン作製など、医学の重要な進歩にも関わっています。
 しかし、当のヘンリエッタ・ラックスはすでに他界し、自身の細胞がこれほどの科学的貢献をしていることを知りません。また、彼女の遺族には何の見返りもありません、彼女の娘さんの言葉が引用されています。「もしあたしらの母さんの細胞がそんなに医学に役立ったんなら、なんでその家族には医者にかかる余裕がないんだろうって、いつも思う。」(同)
 不老不死という夢の前には、もっと大きな壁が立ちはだかっているようです。

★ヒトラーが偽札を作っていた
 ナチス・ドイツが第2次世界大戦中に行った史上最大の偽札の全貌を描いたのが、「ヒトラー・マネー」(ローレンス・マルキン 徳川家広訳)です。1944年から45年まで、イギリス経済の混乱を狙って実施されました。そこで集められたのはユダヤ系の印刷技術者です。
 彼らは、ポンド札に使われているインクと同じ持ち味のものが「ブドウの蔓から作った炭を亜麻仁油で煮立て作った「フランクフォート・ブラック」である」(同)と突き止めます。偽札に気づいたイングランド銀行も、100万枚ごとに偽造防止の仕掛けを仕込みます。しかし、ユダヤ系技術者たちは、仕掛けをことごとく見破って、追随したといいますからスゴいです。
「その結果やいかに」と成毛氏は気を持たせています。やっぱり読むしかないのでしょうか。

★チームを強くするマネーの使い方
 野茂、イチロー、松井、そして最近は、大谷翔平選手などの活躍で、すっかり身近になった大リーグ。2000年からの7年間で、それまで弱小であったオークランド・アスレチックスを4回の地区優勝に導いたオーナーが、ビリー・ビーンです。
「マネー・ボール 奇跡のチームを作った男」(マイケル・ルイス 中山宥訳 RHブックス・プラス)で、チームを強くする彼の経営戦略が明かされます。彼が、打者で最も重視したのが、「出塁率」です。ヒットに限らず、四球でも、エラーでも、とにかく出塁した率が評価されます。ホームラン、打点、打率などに比べれば、地味な数字です。
 でも、この数字を基本に「格安な」選手を集めてのチーム編成が見事に成功し、先ほどの結果につながりました。コストは抑えて、強いチームを作るという逆転発想、ベースボール・イズ・マネーの球団経営でした。
 いかがでしたか?成毛氏は他にも同種の本を何冊か出しておられます。シリーズ化して、おいおいご紹介していくつもりです。ご期待ください。それでは次回をお楽しみに。

第522回 オオカミを復活させる話

2023-05-05 | エッセイ
 関西人にとって、シカは比較的身近な動物です。小学校の遠足の定番である奈良公園に行けば、放し飼いにされている可愛いシカに触れたり、エサをやったりした経験のある人は(私も含めて)多いです。
 そのシカですが、森林にいる数が増えすぎ、森の木や植物などに大きな被害が出ている、というのです。問題となりだしたのは、1980年代頃からで、2009年度の年間推定被害額は70億円にのぼるといいます。

 そこで、シカの天敵であるオオカミを再導入(一度絶滅した動物を人間の手で地域に復活させる)ことで、森や生態系を守ろうとの大胆な提案をする人物が現れました。
 「たけしの面白科学者図鑑 ヘンな生き物がいっぱい!」(新潮文庫)で、ビートたけしさん(以下、「タケシさん」)と対談している丸山直樹氏(農学博士 日本オオカミ協会を設立、会長に就任。以下、「先生」)がその人です。話の流れを追いながら、その主張に耳を傾けてみましょう。

 日本では、かつて、北海道にエゾオオカミが、本州、四国、九州には、ニホンオオカミが生息していました。ニホンオオカミの剥製です。

 いずれも20世期初頭に絶滅しています。先生によると、それは明治政府が方針として取り組んだものだ、というのです。
 もともと、西欧諸国ではオオカミは嫌われ者でした。家畜を襲うという習性に加えて、動物を人間の下に置くキリスト教的世界観の中で、魔物的イメージが定着していました。赤頭巾ちゃん、三匹の子豚、などの童話でも悪役ですし、オオカミ男なんてのもありました。
 文明国に早く追いつきたい明治政府として、オオカミが生息している国というのは、どうも人聞きが悪いです。欧米の価値観、宗教観に合わせて、熱心に取り組み、絶滅という目標を達成したというわけです。

 天敵がいなくなっても、しばらくは、シカが劇的に増えることはありませんでした。ハンターが狩をしていたからです。しかし、ハンターの高齢化、後継者不足というのは、時代の流れもあり、避けられません。1970年代には50万人以上いた狩猟免許取得者は、対談時点で、10万人を割り込んでいる、という数字を先生は挙げています。冒頭に述べたような被害の実態もあり、いよいよオオカミの導入へと話は進みます。とはいえ、生態系への思わぬ影響、人を襲う危険性などを心配するタケシさんへの先生の説明です。

 まず、オオカミは、頂点捕食者(生態系のトップ)にいるということです。他の動物をやたらに襲って食べ続ければ、エサとなる動物がいなくなって、困るのは自分たちですから、ネットワークの中の個体数は、自然とコントロールされるというのです。
 そして、家畜への影響です。広いエリアに放牧される羊が頭に浮かびます、日本で飼われているのは約1万頭(半分が北海道)ということなので、そう心配することも・・・との先生の口ぶりですが、ヨーロッパでのこんな対策の例を挙げています。
 ピレネー犬という成犬になると50kgくらいになる大型犬を、小さい時から羊と一緒に育てます。自分を羊だと思い込んでいますが、オオカミが大嫌い。オオカミが来ると「仲間の」羊を救うべく、猛然とオオカミを襲うというのです。なかなか巧妙な対策ですね。

 さて、タケシさんもしっかりツッコミを入れていますが、人間を襲うことはないのでしょうか。
 先生によれば、オオカミは、警戒心が強く、人間を非常に怖がっていて、みずから近づくことはない、というのです。北半球には20万頭のオオカミがいますが、人を襲ったというニュースはないといいます。KLM航空の機内誌に、アメリカの多姓動物保護団体が出した宣伝広告を先生は引用しています。
「犬は毎日人を噛んでいる。「人間の友」オオカミは人を噛まないのに「人間の敵」だとされている」(同書から)考えてみれば確かにそうですね。
 でも、と先生はクギを刺すのを忘れません。オオカミが復活して、たまたま人里に出てきたオオカミがいても、「絶対にエサをやってはいけない」ということです。う~ん、親切なオジさん、オバさんとか、子供たちが「可哀そう」なんて言いながらエサをやりそうです。苦労して他の動物を襲わなくてもエサが簡単に手に入れば、どんどん人里に降りてきて、人に近づく可能性があります。そして、人に慣れたオオカミは、人を怖がらず、子供とか高齢者を襲うようになることも十分に考えられます。生態系の頂点にいる(らしい)人間が、ルールを守って、その動物と向き合うことが大前提の対策だとわかりました。

 生態系をイジるということになれば、思わぬ影響も想定されますから、先生の提案に諸手を上げて賛成、というところまではいきません。でも、おかげで、動物と人間のかかわり、生態系のことなどへの理解を深めることができました。皆さんはいかがでしたか?
 それでは次回をお楽しみに。