★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第269回 韓国旅行ハプニング集

2018-05-25 | エッセイ

 元の会社の同僚と韓国に行ってきました。ホテルと飛行機だけを押さえた勝手気ままな手作りツアーで、ソウルに3泊、プサンに2泊しました。私にとっては、20数年ぶり3回目、彼には初めての韓国でした。

<地下鉄>
 常々思っているのですが、真の国力とか民度とかを計る重要な指標のひとつは、(数字化は出来ないにしても)国民の公共マナーではないでしょうか。
 前回、ソウルを訪問した時、「海外乗り鉄」の私が、「ソウルの地下鉄に乗ってみたい」というと、現地のスタッフから「とんでもありません。降りる人が先、なんてルールがありませんから、押し合いへしあいです。おすすめできません」と言われ断念したことがあります。

 20数年ぶりのソウルは、すっかり様変わりしていました。地下鉄も随分利用しましたが、降りる人が先、という当たり前のルールがきちんと守られていて、安心で、気持ちが良かったです。駅も車両も案内表示なども整備され、運行本数も増えた結果が産み出した余裕かもしれません。衣食足りて礼節を知る。まさに、隔世の感です。

 プサンの地下鉄でのことです。私の前に座っていた40代とおぼしき夫婦のうちの、奥さんの方が、私に席を譲ろうという仕草で立ち上がりかけました。
 さすが、儒教の国、と嬉しくなりましたが、とりあえず、それを制し、降りる駅が近いことを、身振り手振りで説明した後、「アイ・アム・ヤング」とベタな一言。意が通じたようで、夫婦もにっこりし、空気が和みました。私のすぐ横にいた男性までもが、親しげに韓国語で話しかけてきました。「あんたら、お互いエエ心がけや」
 まあ、そんなことだったのだろうと想像してますが、今回の旅行で一番の嬉しいふれあい、ハプニングでした。

<日本語>
 定食屋みたいな所で昼食を食べていると、女子中学生らしき集団が入って来ました。出て来た食事を前に、私の斜め前の女の子が「いただきまーす」
 思わず「日本語勉強してるの?えらいねぇ」と話しかけると、恥ずかしそうに、もじもじしてます。引率の先生から「この子達は中学生です。日本語まだまだヘタです」とフォローがありました。
 もし、私が英語を勉強したての中学生の頃、外人から話しかけられたら、どう反応しただろうなぁ・・・ちょっとしたふれあいだけど、日本語が好きになって、一生懸命勉強するきっかけになってくれればいいけど・・・そんな柄にもない優等生的なことを考えました。

 ソウルで、二人が別行動をしている時、道に迷ってしまいました。
 きっと、テンパってたんでしょうね。お年寄りなら日本語が通じると勝手に思い込んで、私と同年代らしく2~3人のグループに地図を見せながら、「日本語」で、話しかけました。

 我が不明を恥じなければいけませんが、当然のごとく通じません。私と同じような年齢ということは、戦後世代です。戦前、「強制的に」日本語教育を受けさせられた人たちなら、80歳前後かそれ以上のはず。自分だけが、いつまでも若いつもりでいるのが大間違いであるぞ、と思い知らされたちょっと恥ずかしいハプニングでした。

<安重根>
 ソウルでの空いた時間に、なにげなくガイドブックを見ていると、「安重根(朝鮮語読み:アン・ジュングン)義士記念館」というのが、地図の一番下、ぎりぎりの所に載っているのが目にとまりました。泊まっているホテルからも近く、歩いて行けそうです。さっそく、足を運びました。
ー記念館前の安重根の銅像です。なかなか勇ましいー




 1909年に、伊藤博文を、ハルビン駅構内で射殺した人物で、韓国では「義士」です。ロシア官憲に逮捕されて、日本の関東都督府に引き渡され、処刑されています。
 博物館に来てみると、スロープが2カ所あって、迷いました。たまたま近くにいた男性に声をかけると、なんと見学を終えたばかりの日本人でした。まさかのハプニング。
 「日本人でここに来る人って、珍しいと思うんですけど、なんでまた?」と訊くと、
 「歴史的事実が知りたくて・・・」との返事が返ってきました。
 その後のやりとりから推測するに、日本側の立場に近い歴史観の持ち主のようでした。「日本語での表示、解説が一切ないのが困りましたけど・・・」とも話してました。

 確かに、館内はその通りでした。展示の主旨が主旨ですから、それもやむを得ないかな、とも思いましたが、心の痛みを感じながら訪れる日本人への配慮があってもなぁ、とも感じました。

 プサンでは、「朝鮮通信使博物館」を見学しました。「韓日関係が安定していた極めて珍しい期間であった」との「日本語テロップ」付きの映像を見ながら、複雑な思いが交錯しました。

 2つの博物館を見学しただけですが、歴史的事実を後世に伝えて行くための努力(国の歴史観、立場を反映したものにはなりますが)には、頭が下がります。
 
 観光旅行のつもりでしたが、私なりに学ぶ事の多い有意義な旅でした。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第268回 アメリカの1コマ漫画ー1

2018-05-18 | エッセイ

 学生時代、輸入版のPLAYBOYを、仲間内で回し読みしてました。一番のお目当ては「美人の女性の写真」です。ついでに、1コマ漫画(Cartoon)も、チェックしてました。必ず登場人物がしゃべっていて、そのセリフがキャプションになってるというのがお約束です。残念ながら、社会的・文化的背景への知識不足もあって、笑えたのは半分くらいでしたけど・・・・

 そんな時代に読んだ「進化した猿たち」(星新一 早川書房 1968年)と「新・進化した猿たち」(同 1971年)には、衝撃というか、笑撃(?)を受けました。

 著者の「星新一」といえば、ショート・ショートですが、アメリカの1コマ漫画の大収集家としても知られた人でした。「ザ・ニューヨーカー」のような高級誌から、パルプマガジンの類いまで、カバーしていたといいます。

 その成果を、テーマ別に、豊富な図版と軽妙な解説で集大成したのが、この2冊です(のちに、ハヤカワ文庫と新潮文庫から、各3分冊で出版)。
 最近、よりぬき版である「進化した猿たち The Best」(新潮文庫)が出版されたので、懐かしく読み返しました。

 どうせなら、全部を読み直そうと、得意の古書店回りで、新潮文庫版3冊を、苦労の末、入手できました。アメリカならではのテーマを中心に、ごく一部ですが、ご紹介しようと思います。半世紀を経て変わらぬ笑いのエッセンスをお楽しみください。

 星が、一番最初に選んだジャンルは、<死刑>です(章のタイトルは、「死刑を楽しく」)。シリーズの第1弾なので、あえてインパクトのあるジャンルを選んだと書いています。

 日本ではマンガになりにくい深刻なテーマです。でも、死刑になるくらいの悪いヤツを笑いのめすのだから、ということなのでしょうか、高級誌などは扱わないややマイナーな分野ながら、ひとつのジャンルになっているようです。

 死刑といえば、(かつては)電気椅子。ひとりの死刑囚のひざの上に、もうひとりの死刑囚が乗っかって、執行を待っている。刑吏の言葉「電気代が値上げになったのでね」
 二人同時に執行して、「節電」というわけです。

 電気椅子の座面に、画鋲が置いてある。気づいた死刑囚「うっかり座るとこだったぜ」。刑吏のにんまりした顔。

 電気椅子の上で、最後の抵抗とばかり暴れまくる死刑囚。それをガラス越しに見る被害者の家族(州によってはこういう制度があります)の一言「この見物が楽しみなんですよ」



 銃殺という手段もあります。塀際に縛られて立つ二人の死刑囚。ひとりが、もう一人に声をかける。「ふるえてるところをみると、おまえははじめてらしいな」

 <アダムとイブ>も、日本人が考えるほどの宗教的タブーではないようです。とにかく、この世のなかに、男女一人ずつしかいない(はず)の状況ですから、格好のネタになってます。

 石の上にふてくされて座ってるイブにアダムが言っている。
 「信じてくれよ。君を愛しているんだ。君以外の女性には、目もくれたことがない」

 木の下で、色っぽくポーズをとるイブ。通りがかったアダムが声をかける。
 「美人だな。その辺でお茶でも飲まないかい」アダムの顔が、中年のスケベそうなオッサンになってるのが笑えます。



 <結婚カウンセラー(実態は、離婚カウンセラーのようですが)>が、商売として成り立つのもアメリカという国。「結婚の修理屋」とのタイトルで紹介されるのは・・・・

 カウンセラーを前にした夫婦。夫が、足を机の上にほうりだして、ぞんざいな態度で答えている。「夫婦で取り組んでること、ありますよー--喧嘩です」

 変なカウンセラーも当然登場する。相談に来た夫婦を前に、電話で怒鳴っている。
 「ばか。仕事の邪魔だ。事務所に電話するなと何度言ったらわかるんだ。しかも、結婚記念日などという、くだらんことで」

 お楽しみいただけましたか?それでは、次回をお楽しみに。

<追記>続編を、第324回でアップしています。リンクは<こちら>です。合わせてご覧いただければ嬉しいです。


第267回 facebookの今

2018-05-11 | エッセイ

 いきつけの店が、最近、facebook(以下、FB)を始めたので、時々、チェックしています。私自身は、アカウントの取得はしていませんが、見るだけならできますので。マスターと、お店を手伝ってくれている女性がメンテの担当です。マスターもだいぶ手慣れてきたようで、更新もこまめになってきました。お店での話題や、マスターのアカザの杖作りの経過などが、ほぼリアルタイムで紹介され、結構和みます。


 さて、今や、全世界で16億5000万(2016年4月現在)、日本でも2500万の利用者がいるといわれているSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の雄FBですが、ちょっとした「異変」が起こっているというのです。それは何かと言えば、若者(特に十代)のFB離れ。

 個人的には、ヴァーチャルな世界にいまひとつ馴染めず、先ほど書きましたようにアカウントも取得していませんが、ネットの世界での「異変」とあって、ちょっと興味をひかれました。ITジャーナリスト高橋暁子氏の記事(「ヨミウリ・オンライン」から)をベースに、ご紹介します。こちら、おなじみのロゴです。



 まずは、データです。さるソフト開発会社のサンプル調査によると、FBを利用してる10代の割合は、2015年に45%だったのが、16年には、27%と大きく落ち込んでいます。全世代の利用率は、36%で、ほぼ横ばいということなので、10代の減少ぶりが突出しています。

 新成人を対象にした別の調査でも、2012年の利用率48、8%が、16年には、36、6%と、同じような傾向を示しています。

 10代を中心とした若者のFB離れは間違いないようです。で、その原因ですけど、高橋氏によれば、いまやFBが、「中高年の交流場」になっているから、というのです。

 確かに、スマホやタブレットの登場、使い勝手のいいアプリの登場などもあって、FBに限らず、中高年のネット利用が増えているのは間違いないでしょう。

 しかも、さすが、中高年。FBに関して言えば、彼らの使い方は、逞(たくま)しいんですね。
 イベント、催し物、カルチャースクール、趣味のサークル、グルメなどの情報交換(中には、自慢もあるのでしょうが)を通じて、自分たちの「リアルな生活」を充実させるためのツールとして、活用するのが、主流だというのですから。
 ヴァーチャルな世界での友だち作りに精を出したり、フォロワーの数を競い勝ちな若者とは、一線を画しています。

 そんな背景で、中高年がどんどん進出してきたFBって、若者にとっては、(あくまで気分的なものですが)もはや「ジジ臭い」サービスに見えるんじゃないでしょうか。
 中高年からの「いいね!」がウザい、という現実的なこともあるのでしょうが、最先端のサービスを使いこなしてるという優越感、若者同士(だけ)でつながってるという特権意識が薄れてきて、なんだかなぁ・・・と感じる若者も増えるはず。

 とりわけ、10代の若者にとって、中高年が利用しだすということは、自分たちの親、教師などが利用するということです。基本的に、どんな人と、どんなやりとりしてるか、マル見えですからね。

 「これって、ヤバくねぇ?死活問題かもな」と、私でも、そう思います。

 で、FBを追われた(?)若者が向かってる先が、LINEとか、Twitterとか、Instagramだというのですが・・・・

 確かに現状では、中高年には、多少ハードルが高い、というか、馴染みが比較的薄いSNSのようです。だけど、それも時間の問題じゃないでしょうか。サービス提供側も、まさか年齢制限というわけにはいかないでしょうし、利用者を増やす努力はしなければいけませんから。

 結局、逞しい中高年が大挙参入ー>逃げる若者ー>新しいSNSサービスの開発・・・といういたちごっこが、当分続きそうな気配です。

 リアルとか、ヴァーチャルを問わず、人と人との交流は、楽しいものですが、ストレスもあります。まして、ネットという広大な世界にコミュニケーションを求めるのは、楽しみも大きい分、ストレスも大きいのではないでしょうか。

 利用するなら目的をはっきりさせて、というのが、とりわけ中高年にとっては、ひとつの知恵のような気がします。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第266回 大阪弁講座−31 「ありがとう」「よして」

2018-05-04 | エッセイ

 第31弾をお届けします。

<ありがとう>

 何ぃ、「ありがとう」のどこが大阪弁やねん!「おおきに」と間違えてへんか?とツッコミが入りそうですね。現に、こんな暖簾を出してる店もあるくらい。


 何の変哲もない感謝の言葉ですが、関西、特に京都人あたりに、「ことあらたまって」これを使われると、やっかいな事が多いんですよ。

 「なあ、今度おいしい店見つけてんけど、行かへんか?」
 「ありがとう」
 「礼はええから。行くの?行かへんの?」

 誘ってくれたことに、取りあえずのマナーとして、お礼の「言葉」は返すけど、「ありがた迷惑もええとこ。好かんタコから誘われて、ちっとも嬉しないわ。あえて(堅苦しい)共通語で、他人行儀なお礼の言葉を返してるのが分からんヤツとは行きとうないわ」という本音が隠されてたりする(こともある)から、実に手強い「お礼の言葉」

 やっぱり便利なんでしょうね。特に、女性の方々がご愛用のようで・・・・
 広く関西弁までカバーしてる私なんかでも、(相手が女性なんかだと特に)ホンネを確認しなければならないことが(昔は、ごく稀に)あって、ホンマ、めんどくさい、というか、性質(たち)が悪いモノ言いやなと、なぜか遠くを見つめる目になって、思います。

<よして(よせて)>

 共通語で「よして」というと、「やめて」と言う意味です。「冗談は「よして」」という具合。

 大阪でも、そういう使い方はありますが、特に、子供の世界で使われるのは、「(遊びの仲間なんかに)入れてほしい、加えてほしい」という意思表示のケース。
 「なんか面白そうな遊びやん。ウチも「よして」(「よせて」とも)」
 「ええよ、アンタは、きのう、ウチらにお菓子くれたから、「よせたげる」(よせてあげる、が短縮形でこうなる)」
 大阪の子は、しっかりしてて、ただではなかなか遊んでくれまへんで。恩きせがましく、次への営業トークを忘れない。こんなかわいいイラストを見つけました。



 考えてみたら、不思議な言い方ですけど、「身を「寄せて」、仲間に加わる」、そんなとこから来てるのかも知れません。

 同じような状況で、「混(ま)ぜて」という表現もよく使います。モノとモノを一緒にする、という意味を拡張して、ヒトとヒトを混ぜるのに使うのが大阪的。

 さて、オトナの世界でも、使えなくはない。
 「なんや、みんなで、飲みに行く相談かぁ。ワイも「混ぜたってぇな」(仲間に入れてやってくださいよぉ)」
 「ほな、二次会は、アンタ持ちで」
 「え~っ、そんなアホな」

 オトナが使うと、何となく卑屈感が漂う。言われた方も、結構、イヤミの一つ、二つ飛ばして、シビアに対応するのが、大阪的お約束。

 ちなみに、"Count me in !(カウント・ミー・イン)" という英語の表現があります。「私を(参加する)数のうちに入れて!」というわけで、「よせて~」「まぜて~」にぴったり。と、英語弁講座も兼ねました。


 いかがでしたか?次回をお楽しみに。