★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第586回 山の不思議話

2024-07-26 | エッセイ
 山登りまではできませんでしたが、ロープウェイやケーブルカーを利用して、雄大な眺望を楽しんできました。「山怪」(田中康弘 ヤマケイ文庫)は、主に山を生活、猟などの場としている人たちが語る不思議話を集めたものです。「不思議なことがあるもんやなぁ」心が刺激された4つのエピソードを選んでご紹介します。最後までお付き合いください。その表紙です。

<色っぽい復讐>
 秋田県中部の打当(うちあて)集落を訪れた著者が、そこの村人から聞いた話です。
 彼が、車で林道を通って打当に向かっていると、親子の狐がいました。その狐に向けてハンドルを切ったり、追い回したりしたというのです。夜になって、彼とあとから来た友人たちとの酒盛りは夜半にお開きとなりました。彼が、トイレで目が覚めて部屋を見まわすと、ひとりの友人がいません。皆が心配していると、夜明けのちょっと前、玄関先に人の気配がして、慌てて開けると、その友人が立っています。一体どこへ行っていたのかと問う人たちに彼が語った話です。
「夜中寝ていると誰かが戸を叩く音がする。普段なら酒を飲んでその程度では目が覚めることなどないが、なぜか昨晩はすぐに目が覚めた。気になったので戸を開けて外を見ると、暗い中に一人の女が立っている。その女が綺麗でなあ、おらにこっちに来いって手招きするんだ」(同書から)
 手を伸ばせば届きそうですが、どうしても追いつけず、結局、朝まで追いかけ、さまよっていた、というのです。「だから狐にちょっかいなんて出すもんじゃねえ」(同)というのが、この話を語った人のキツイ忠告です。それにしても、色っぽい復讐ですね。こんな復讐だったら・・・

<道に迷った?ベテランのマタギ>
 同じ集落でのこと。ベテランのマタギ’(山での猟を専門とする人たち)が、集団で熊猟をすることになりました。勢子(せこ)と呼ばれる役割のマタギたちが、山の裾から「ホヤ~、ホヤ~」と声をかけながら、熊を山の頂上付近に追い詰め、撃ち手が銃で仕留めるという猟です。ある猟の時、勢子の一人と無線連絡が取れなくなりました。皆が心配する中、彼は、配置予定の場所から4~5kmも先にいるのを、林道工事をしている作業員に「発見」されました。様子がおかしいので、作業員が声をかけたといいます。「「おめさ、どっからきたんだぁ?」その言葉に惚けたような顔をした彼がはっと我に返った。こうして無事仲間の元へ帰ることが出来た彼が言うには、「いや、持ち場さ向かって山に入ったところまでは覚えてるんだ・・・・ただ、後は何も分からね。どこさ歩いてたのか全然分からね」」(同)というのです。途中には大きな滝があり、小さな温泉施設もあるといいます。どのようにそこを越えたのか。ベテランの身に起きた異様な体験です。

<叫ぶ声>
 打当の近くの根子地区のマタギ斎藤弘二さんの体験です。
 マタギになるべく厳しい訓練を積んで、一人立ちした佐藤さんは、ある冬、真冬の山中で夜明かしという訓練を自らに課しました。雪洞を掘って、入り口を柴木で塞ぎ、長い夜を迎えました。
 夕方には無風で、雪がちらつく程度だったのが、夜半から猛吹雪になりました。眠気と戦い、柴木が飛ばされないよう押さえていました。すると、人の声らしきものが聞こえてきたのです。
「あんまり風の音が凄いんで、よくは聞き取れねえんだよ。何かを叫んでるんだ。段々耳が慣れてきたらよ、どうもおらのことを呼んでるんだな」(同)
 誰かが自分を探しに来た可能性を考えて、一旦、外に出てみると、猛吹雪の中、呼ぶ声だけがしています。幸い、そこで足が止まりました。「いや、これは人間じゃねぇ。絶対に違う、行っては駄目だ」(同)と気づきました。「あのまま行ってたら間違いなく遭難してたべしゃ」(同) 
 マタギにふさわしい冷静な判断が、身を助けたのは何よりでした。

<謎のきれいな道>
 兵庫県北中部の朝来(あさこ)市のベテラン猟師吉井あゆみさんから聞いた話です。
 仲間の猟師たちと猟をしていた時、撃ち手の包囲網を抜けて、獲物が逃げたらしいというので、一旦集合して態勢を立て直すことになりました。その時、山の上で待機していた一人の男が「あれ、こんなとこに道があるわ。こっち行くと近いんちゃうか、俺こっちから行くわ」(同)
 白くて、まっすぐで、綺麗な道だというのです。そんなところに道があるはずないと不審がる仲間たち。一同が集まって1時間以上経っても彼は現れません。皆で探す相談をしているところへ彼が現れました。帽子はなく、顔は傷だらけ、泥まみれで、服はボロボロ。何度も滑り落ちたのは明らかです。何があったのか、と訊く仲間に「それがよう分からんのや。何でわしここにおるんですやろ」(同)
 さて、この事件の2年後のことです。以前と同じような状況で、獲物に逃げられ、一旦集合ということになりました。山を降りる準備を済ませた吉井さんは、目の前に、白くて、新しい道があるのに気づきました。近道そうだから、というので2、3歩踏み出したところで、2年前の事件を思い出しました。「真っ白の一本道・・・・あん時の道やこれは!行ったらあかんのや」(同)
 危うく難を逃れた彼女。2年の時を経て、二人の別の人間の前に現れたのですから、深い謎に満ちた「道」でした。

 いかがでしたか?山には山なりに不思議な話があるものですね。それでは次回をお楽しみに。
 

第585回 変わり者天国イギリス-2

2024-07-19 | エッセイ
 だいぶ間が空いてしまいました。続編(で最終版の予定です)をお届けします(文末に、前回記事へのリンクを貼っています)。ネタ元は、前回と同じ「変わり者の天国 イギリス」(ピーター・ミルワード 秀英書房)です。こちらは、その表紙で、イギリス人である著者自らが「変わり者」、「変なもの」と断じるいくつかのケースをご一緒に楽しみましょう。

 まずは、大学の話題から。イギリスを代表する大学といえば、オックスフォードとケンブリッジ(合わせて、「オックスブリッジ」と総称されることもあります)です。
 さて、ご覧の画像(以下、すべての画像は同書から拝借しました)は、オックスフォード大学の構内を外から見たものです。塀の上に、「忍び返し」と呼ばれるなんとも無粋なものが乗っかっています。

 本来は、泥棒とか部外者の侵入を防ぐための設備ですが、これはそうじゃないんですね。「学生の不法侵入」を防ぐためのものです。同大学は全寮制で、門限があります。門限に遅れると、各カレッジの入口で、きちんと遅れたことを報告する規則です。そして、それが度重なると、最悪「放校」という重い処分が待っています。
 ですから、学生の方も、塀をよじ登ったり、塀際の友人の部屋からロープを垂らしてもらったりと、知恵を絞ります。いかにも学生らしいノリですが、それに気づいた大学側が採った対策がこれ、というわけです。そこまで厳しくルールにこだわる大学って、ちょっと変?

 ライバルのケンブリッジ大学からも「変なもの」をご紹介します。同大学のクライスツ・カレッジの正門の片側にある奇妙な彫像です。

 これは「飛竜(ワイバーン(wyvern)」と呼ばれ、紋章に使われることもある想像上の怪物です。竜の体と双翼、鷲の鉤爪(かぎつめ)、蛇の尾を持つというんですが・・・
 著者も書いていますが、どう見ても、「有翼の豚」にしか見えません。同大学の卒業生には「失楽園」を著したジョン・ミルトンがいます。毎日、この像を横目に眺めながら、文学的インスピレーションでも得たのでしょうか。

 話題変わって、イギリス人て厳格な人が多くて、ユーモアとは無縁のような気がしていましたが、そうでもないんですね。こんな街の看板を紹介しています。

 なんのお店か、おわかりですか?
 「靴の修理屋さん」です。ショーウィンドウの上に「 upon my sole 」とあります。
 「 upon my soul 」のシャレで、「我が魂(soul)」ならぬ「靴底(sole)」に「誓って(upon)」と、というわけです。「靴底に誓って(しっかりと、いい仕事をします)」という決意表明なのでしょう。ホンワカしたユーモアで、ちょっぴり英語弁講座も兼ねました。

 さて、イギリスといえばパブ(居酒屋)です。どんな辺鄙なところにも必ずあります。そのユニークな名前、看板にまつわる2つの話題を、最後にお届けします。
 ロンドンの北に位置するハートフォードシャー州には、
 「古闘鶏亭(The Old Fighting Cocks)」とでも訳すべき名前のパブがあります。19世紀の半ばに法律で禁止されるまで、「闘鶏」という娯楽がありました。2羽の鶏を一方が死ぬまで戦わせ、その勝敗を対象にしたギャンブルです。このパブがその会場だったのか、当時のオーナーが「闘鶏」好きだったのかは、分かりませんが、今なら動物愛護の精神に反する名前を堂々とつけているのがいかにもイギリスです。
 ちなみに、闘鶏の会場は、"cock-pit"と呼ばれていました。飛行機の操縦席をその狭さから、
"cockpit"(コックピット)と呼ぶ由来になっているのが面白いです。

 スコットランドのエディンバラには、「 The World's End 」という名のパブがあります。こちらがその看板。

 「世界の終わり亭」というとんでもない名前です。所在するのは、エディンバラ市街の東の端。当時の住民にとっては、そこが世界の終わり、地の果てのように思えたからではないか、と著者は店名の由来を推測しています。こんなところにも、イギリス的ユーモアが溢れていました。

 いかがでしたか?前回記事へのリンクは、<第418回>です。合わせて、イギリスの「変わり者天国」ぶりに触れていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第584回 椎名誠が嫌いな言葉たち

2024-07-12 | エッセイ
 言葉は生き物です。新たな言葉、使い方が生まれる一方、消えていくものもあります。ちょっと変だなと思う言葉や使い方も、私はそう気にしません。便利なら使うこともありますし、好みに合わないものは使わないだけ、と割り切っています。
 作家の椎名誠さん(以下、「氏」)には、仕事柄いろいろ気になる言葉使いがあるようです。「活字たんけん隊」(岩波新書)の「嫌いな言葉」という一文からご紹介しつつ、<  >内に、私なりの意見もちょっぴり付記しました。合わせて最後までお付き合いください。

★ファミレス敬語(「~になります」ほか)
 氏がまず指摘するのが、ファミレスなどでお馴染みのマニュアル化された敬語です。
 「こちら味噌ラーメンになります」「味噌ラーメンのほうお持ちしました」「味噌ラーメンでよろしかったですか」などの例です。マニュアル通りの言葉使いとは承知の上で、「へんてこ敬語」(同書から)だというのです。感覚的に居心地が悪いようですね。
<「~になります」というのは、敬語としては「あり」ですね。「明日は、いつお見えに「なります」か?」のように動作を表す言葉が前に付けば、ごく自然に聞こえます。ただし、「味噌ラーメン」などモノの名前との組み合わせには、私も違和感を感じます。
 で、私はマニュアル作成者のこんな想いを想像しています。モノを差し出す時の敬語は「~でございます」が普通です。でも、言い慣れない若いスタッフの場合だと、「~でごじゃります」などと思わぬ笑いを取ってしまうことがあり得ます。それなら言いやすい「~になります」でいこう、と決断をしたのではないかと。いっそ、「味噌ラーメン、お持ちしました」でいいですよね。
 さて、「よろしかったですか」との過去形も、「あり」ですけど、やりすぎと考えます。知っているかどうかを訊くのに「ご存知ですか?」は、ストレート過ぎるので、「ご存知でしたか?」と過去形にして柔らげる用法があります。それを「よろしかったですか」まで拡大、応用したのが、やりすぎで、ファミレスというカジュアルな場に合わなかった、という点では氏に共感します>

★若者言葉
 氏は、いわゆる若者言葉もやり玉にあげています。「口のきき方」(梶原しげる 新潮新書)から、関東圏の学生から収集した例の一部を引用しています。
「私的(わたくしてき)に」「~とか」『~みたいな」「てゆうかぁ」「~っぽい」「いちおう~」「なにげに」「私って~なヒトなんです」
 氏は「その言葉づかいの用法には「軽さ」と「幼児性」が通底している」(同)と断じます。
<断定的な言い方は避けて、波風を立てず、円満に会話を進めていこうという気持ちの表れかな、と若干好意的に受け止めてはいます(自分では使いませんが)。私自身が若い頃、「な~んちゃって」などと、軽いノリで自分で自分にツッコミを入れていたことと思い合わせて・・>

★「ら」抜き言葉
 最後に氏が取り上げるのは、悪評高き「「ら」抜き言葉」です。
「食べれる」「着れる」のような表現に、世代ギャップを感じるといいます。
<確かに、正しい用法ではありません。ただ、私は以下のような事情から、この流れは変えられず、いずれ定着するだろうと考えています。
 まずは、「られる」には「尊敬」と「可能」という2つの意味があるということです(「受け身」もありますが、とりあえず脇に置きます)。
 例えば、部下から「今度は、いつ「来られ」ますか?」と訊かれた上司はどう感じるでしょう。「ます」は付いていますが、敬意ではなく、来るのが可能かどうか、都合を訊いていると受け取ってムッとする人が多そうです。「来る」の敬語としては、「いらっしゃる」「お見えになる」「お越しになる」など専用の敬語表現がありますからね。「食べる」だと「召し上がる」です。
 かくて、「られる」は敬語としての地位をどんどん失いつつある、というのが私の見立てです。ただし、一応敬語ですから、この場合は、「「ら」抜き」にはなりません。
 そして、「可能」の「られる」です。カジュアルに可能性、都合などを表現しますから、「られる」の「「ら」行音の3連発」という発音上の面倒は避けたくなります。「れる」が定着するのは、自然の流れです。対等な相手で、カジュアルな場面、との条件は付きますが・・・
「今夜の飲み会に「来れる?」「これ、すごく辛いんだけど「食べれる?」などのように。
 誰が決めたわけでもないですが、一応のルール(「可能」の場合のみ「ら」抜きが可)があり、発音の省エネにもなる合理的な仕組みだと感じて、私は大いに愛用しています>

 いかがでしたか?「ちょっぴり」のつもりが、もっぱら私の考えが中心になった点はご容赦下さい。日本語の面白さを感じていただくきっかけになれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。


第583回 アメリカの1コマ漫画−5

2024-07-05 | エッセイ
 「アメリカの1コマ漫画」シリーズの第5弾をお届けします(文末に過去分へのリンクを貼っています)。ネタ元は、ショートショート作家にして、アメリカ1コマ漫画の収集でも知られた星新一さんの「進化した猿たち」(新潮文庫(全3巻)」です。
 アメリカでは、キリスト教と聖書の世界観を堅く信じ、広く世の人々に、それを知らしめようと活動する(世話好きな)人たちが結構いるようです。今なら、ネットでしょうけど、漫画の背景は、半世紀以上も前の時代ですから、手作りのプラカードを掲げて、街を練り歩くのが主流でした。その一途な生き方が、ひとつの漫画ジャンルを形成するほど、かつては、ごく日常的な風景だったようです。その人たちが強く訴えるのは、最後の審判の前段階としての、「この世の終り」です。そんなことがあるのを、ケロッと忘れて、遊び呆けている連中に、警告を与えなければならぬ、との使命感が駆り立てるのでしょう。今回は、このテーマの特集です。熱い使命感と現実とのギャップが生み出す笑いをお楽しみください。

 さっそくご紹介します。まず、「この世の終り」がいつ来るかについての「見解」は分かれます。
★ "THE END OF THE WORLD IS NEAR."(この世の終りは近い)などは、漠然として、「良心的」な方でしょう。当面は、バレる心配もないですし・・・
 漫画では、今日か、明日に終わる、というのが多いんですね。
 "THE WORLD ENDS TODAY/TOMORROW."というパターンです。WILLを使う未来形じゃなく、現在形なんですね。「今日」か「明日」という切迫感が伝わってきます。

★「今日終わる」のプラカードを掲げた男が、警官から警告されている。
 「今日」は、見逃してやるが、明日もうろつくようなら逮捕するぞ」

★「明日、終わる」方のプラカードを掲げた男が、結婚式を終えて出て来たカップルのそばで言う。「あしたまでの楽しみだとは知らないようだね」
 招待客のにらみ返す顔、顔、顔。

★曜日指定というパターンもあります。"TODAY"のところを曜日にするわけです。7つの曜日を使い分けてやってる男が、女房に訊いている「おい、今日は何曜日だっけ?」

★一番差し迫ってるのが、「今日の正午」というパターン。すぐバレるのに・・・
 "THE WORLD RNDS TODAY AT NOON."
 そのプラカードを持って出かけようとする男に、女房が訊いている。
 「アンタ、夕食はなににする?」


★ちょっとひねったアイディアで、原始人がプラカードを持って回っているのがあります。
 "THE END OF THE STONE AGE IS NEAR."(石器時代の終わりは近い)

 「悔い改めよ」も定番です。
★ "(SINNERS) REPENT"((罪人よ)悔い改めよ)などと書いたプラカードを掲げる男の偽善性で笑いを誘う作戦です。
 そんなプラカードを持った2人の男。夜の女を膝に乗せてる男のほうが、それをにらんでるもうひとりに言っている。「いまは休憩時間だ」

★溺れかけている男に、ライフガードが、プラカードを指し示している。
 "REPENT AND YE SHALL BE SAVED." (悔い改めよ。されば、汝は救われん)
 ここまで行くとブラックジョークの世界ですね。

★「汝の隣人を愛せ」お馴染みの標語(?)ですが・・・・
  "LOVE THY NEIGHBOR"のプラカードを持った夜の女が、裁判官の前に立っている。
 裁判官いわく「持ち歩くのはいいが、それで商売しちゃいかん」

★飲酒が罪悪、という認識を徹底させようという「おせっかいな人」もいるようです。
 "DRINK IS A CURSE"(飲酒は、災いのもと)というプラカードを抱えた老人が、バーのカウンターに寄りかかって、バーテンダーに声をかけている。
 「そのムニャムニャを一杯くれないか」
 「さっさと主義を捨てるほうが楽ですよ」と、思わず声をかけたくなります。

 ちょっぴり英語弁講座っぽくなりましたが、いかがでしたか?こんなタブーっぽいテーマを漫画にするのが、いかにもアメリカですね。冒頭でご紹介したリンクは。<その1><その2><その3><その4>です。それでは次回をお楽しみに。