★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第158回 「いかれこれ」ほか 大阪弁講座18

2016-03-25 | エッセイ

 先日は、お店で剣喜さんとご一緒になりました。最近倒産した出版取り次ぎ会社のこと、街の本屋さんのこと、若者の読書離れのことなど、いろんな話題で盛り上がりました。当「書きたい放題」へも貴重なアドバイスをいただきました。剣喜さんお奨めの「やってみなはれみとくんなはれ」(山口瞳、開高健著のサントリー社史 新潮文庫ほか)精神で、やっていこうと思います。引き続きご愛読ください。 

 さて、ベタな大阪弁のタイトルの本が話題に出たところで、毎度の「大阪弁講座」です。それでは、さっそく・・・

<いかれこれ>
 今の若い人は使うのかな?あまり自信がない。「いかれポンチ」などという言い回しがあって、根っからの能天気なヤツのことを指す。それと関係があるかもしれない。物事が破綻したり、ひどい状況になったりした状態を表す言い回しで、自虐的に使うのがメイン、というのがいかにも大阪風。以前紹介した「わや」にも通じる部分がある。
 「べろべろに酔うて帰ったもんやから、電信柱にデボチン(おでこ)をぶつけるは、財布は失くすはで、「いかれこれ」ですわ」

<なるほど>
 どこが大阪弁やねん、とツッコミが入りそうですが・・・・・
 確かに言葉としては、どうということない共通語。相手の言動に、感心したり、納得したり、賛意を表したりする表現です。こんな感じ。


 ただ、関西圏では、ちょっと独特な使い方というか、使い途があるような気がするので、取り上げてみた次第。

 なんといっても大阪は商売人の街。自分にとっては、先刻承知のことである、何も目新しい話でもない。心の内では「そんなん、知っとるわ~」。だけど、得意そうにしゃべってはるのは、一応お客さん(とかエライさん、とか、上司)。感心したふりして、相手を持ち上げておくのが得策かな~、というような計算が働いて、実に頻繁に使う関西人が多い。

 芸人さんもやっぱり客商売。対談とか、やり取りとかを聞いていると、特にそう。そつのなさが際立つ。ズルさと奥ゆかしさが同居しているイヤらしさには、充分気をつけてください。
 「先にお湯入れて、それから焼酎を注ぐのが本場九州の飲み方や。知らんかったやろ。そのほうが、焼酎の香りが立つねん」
 「「なるほど」。それは知りまへんでしたわ。アンタ、なんでもよう知ってまんなぁ」

<味もシャシャリもない>
 不味いことをいいたければ、「味もない」、大阪流に縮めて、「味ない」で事足りる。事実、味にうるさい大阪人はよく使う。

 で、そこに「シャシャリ」という一言を添えて、不味さを一押ししてアピールするのが大阪流。  
 「愛想も「シャシャリ」もない」(愛想が極めて悪い、可愛げがない)という使い方もある。一体、「シャシャリ」とは何か、というのはよく分からない。いわく言い難いサムシングのことかなと勝手に想像している。そういえば「シャシャリ出る」(オレがオレが、とでしゃばる)という言い回しなんかもあるんだが、関係あるのかな?謎は深まるばかりである。ネイティブにとっても、大阪弁は奥が深い。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第157回 中国の人たちの行動原理

2016-03-18 | エッセイ

 バブルが弾けたのでは、とか言われながらも、中国の人たちによる爆買いブームは、相変わらず続いているようです。よく言えば逞しくて、自由奔放。時には行儀が悪く、傍若無人、自分勝手のように見えることもあります。

 昔、北京に行った時、マイクロバスでの移動があったのですが、人も自転車も、そして車も、譲り合うということを絶対せず、思い思いに道路を通行している(ようにしか見えない)。お互いが、ぎりぎりに間合いを見切って行動する、まるで剣豪の世界みたいでした。だから、マイクロバスの運転手もとにかく、警笛(ホーン)をず~っと鳴らしっぱなし。まわりの人も車も、いちいちそれを気にする風でもなく、交通が流れていくのが不思議でした。

 それで思い出したのですが、「支那四億のお客さま」(カール・クロウ 新保民八/山田侑平訳 連合出版)という本があります。



 中国の人口は12億のはず。「支那」なんて言い方も随分古い。まずは、この本の成り立ちからご説明します。原著が出版されたのは、1937年ですから、いまから80年近くも前になります。

 著者は、当時の上海で広告代理業を営んでいたアメリカ人。モノは安ければ売れる、というのが常識で、そもそも広告というものに金をかけるという発想がロクにない時代。しかも相手は、かの中国マーケット。そんな世界にフロンティア精神丸出しで飛び込んで、ビジネスし、人々と交流し、戸惑ったり、喜んだりした体験を暖かく、かつユーモラスに描いています。日本では、早くもその翌年に、翻訳、出版されました。

 ただ、当時(なにしろ昭和13年ですから)は、軍事上の理由などから、翻訳されていなかった部分があったのを、原翻訳(新保)の遺族の承認を得、一部改訳のうえ、2007年の秋に復刻されたものです。

 興味深いエピソードが満載の本書の中から、2~3ご紹介します。

 イギリスの会社が、販促のため、石鹸、歯磨などのミニチュア見本の無料配布を計画し、新聞に引き換えクーポンを載せることになります。著者の広告代理店は、混乱を予想し、計画に反対するのですが、クライアントに押し切られ、地元でも一番発行部数の少ない1紙だけに限定して、広告を載せます。

 その日の朝、見本を配る代理店のオフィスの前は、開店前から群集の山。1時間後には通りが塞がれ、見本の配布に手間取ったこともあって、群集が騒ぎ出し、レンガが飛んでくる騒ぎとなった。

 数年後、別の会社から、同じような企画が持ち込まれた。前回の失敗を踏まえて、配布場所を40箇所に増やし、新聞社にもクーポン券の版下は、ぎりぎりで差し替える、という手段を講じます。しかしながら、今回の作戦もものの見事に失敗に終わります。
 新聞の印刷工から、クーポンが載ることを知った新聞少年たちは、新聞からクーポンだけを大量に切り取り、知らん顔で新聞を売ります。年下の少年を使って、そのクーポンで引き換えさせた見本を転売して、新聞少年たちは大もうけしたというのです。

 いやはや、中国の人たちの逞しさは今も変わりませんねぇ。

 中国の人にとって、外国企業で働くのは夢。そんな人々のために英文書簡集の類の本が出版されたりすることもあるらしい。
 香港の英国企業の気難しい紳士がとんでもない手紙を受け取って仰天した。彼には既に結婚している二人の娘がいるのだが、その手紙は「娘に思いを寄せることを許してもらいたいというのであれば、貴下は放蕩自堕落な現在の生活を改めなければならない」と親切ながらも厳しく忠告する内容だった。手紙に署名しているのは、その企業への就職を希望している青年であった。どうやら、書簡集の引用箇所を間違えたらしいのだ。

 いやはや、中国の人たちのトホホぶりも、相変わらず?

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第156回 奇人列伝-2 カントほか

2016-03-11 | エッセイ

 少し間(あいだ)が空いてしまいましたが、「万国奇人博覧館」(J・C・カリエール/G・ベシュテル 守能信次訳 ちくま文庫)から、ユニークな奇人、奇行のエピソードの第2弾をお届けします。

<クンブメーラ>
 インドで12年に一度行われるヒンドゥー教最大の行事が「クンブメーラ」。1989年には、1400万人が参集したとも言われる。とにかく人だらけです。


 各地から、膨大な数の行者も集まってくる。8年前から、片足立ちを続ける行者がいて、弟子たちは、腫れて浮腫(むく)んだ彼の両脚(片方は折り曲げたまま固定している)をマッサージする。そのほか、12年も右腕を宙にあげたままの苦行僧もいれば、物を一切言わぬ人、目を灰で覆って見えなくした人、昼間はひたすら太陽を見続ける行を自らに課し、盲目になっても続けている人、眠りを禁じている人、なかには、体の一部を自分で切断する苦行もあるというから、すさまじい。

<おならクラブ>
 フランスのカーンに実在したクラブ。屁の解放と頌徳を目的とするクラブで、正式名は「自由放屁者の会」。総会は、3月15日頃(この頃が放屁に最適の季節だからという理由で)に開かれた。議長の開会宣言を兼ねた放屁に始まり、議事の節目節目での賛意を示す放屁が義務づけられていたという。

<カント>
 かの大哲学者カントもかなりの奇人として知られた人。毎日の行動は、極めて規則正しく、起床、講義の開始・終了、昼食、食後の散歩など、1分として狂わず、町の人も彼の行動を見て、時計を合わせたほどだと言う。健康にも異常なほど気をつかい、ドイツ人でありながら、ビールを嫌悪した。部屋の温度は、きっかり14度でなくてはならず、使用人には、プラスマイナス1度の違いしか許さなかった。

<ヤバいローマ教皇史>
 初期のカトリック教皇史は、天才と聖人と狂者が巻き起こした喧噪と恐怖に満ちている。老齢になっても家族の意に反してなかなか死ぬことをしなかったヨハネス8世(在位872~82)は、毒を盛られ、ハンマーの一撃で息の根を止められている。セルギウス2世(同904~11)は、前任者ふたりの暗殺者であった。ヨハネス12世(同955~63)は、20歳で教皇の座についたが、その経緯がよく分からない人物。ただの悪党、放蕩者でしかなく、悪事の数々を、法衣を付けたまま行った。最後は、妻を寝取られた夫にこっぴどくやっつけられ、それがもとで、1週間後に死んでいる。

<行列が趣味>
 あるイギリスの新聞が、現代イギリスの奇人ジョン・コニッシュという人物を取り上げている。すでに社会の一線をしりぞいているが、商店の行列に並ぶのを無上の生き甲斐としている。自分の番が来ると、店員に待ち時間を正確に記入した証明書を書いてもらうのだが、すでに3冊のアルバムが一杯だという。彼の秘かな楽しみは、第三次世界大戦の勃発。「行列が増えるから」。なんたるブラックユーモア!

 いかがでしたか?いずれ続編をお送りする予定です。ご期待下さい。

<追記>奇人列伝の過去分、以降分へのリンクです。<その1(旧サイト)><その3><その4><その5>。合わせてご覧いただければ幸いです。


第155回 モールス符号と手旗信号

2016-03-04 | エッセイ

 モールス符号というのをご存知でしょうか。短音(トン)と長音(ツー)を組み合わせた文字コードのことで、電気信号にして、無線などで情報をやりとりするのに使われました。

 ネットや衛星通信の時代になって、いまや出番は、アマチュア無線くらいという状況ですが、この通信方法にまつわるエピソードをいくつかご紹介します。

 モールス符号は、1音だけのものから、2音、3音、そして最大5音のものまでがあります。だから、どんどん入ってくる「トン」と「ツー」の洪水のどこが文字の切れ目になるかを、瞬時に判断するスキルが必要なんですね。

 かつての会社の先輩から聞いた無線電信の実習での苦い思い出話。

 「教官っ、先ほどから、「ガ」「ガ」って送られて来るんですけど、、、」

 「バカ、それはおまえがモタモタしてるから「ヘボ」って、からかわれてるんだ」

 つまりこういうことです。

 「ヘ」に当るのは、1音で、「トン」、「ホ」は、「ツー・トン・トン」、濁点は「トン・トン」です。正しく区切れば、「ヘボ」となります。これを、「トン・ツー・トン・トン」+「トン・トン」と誤って解すると、「カ」+濁点で「ガ」になる、というわけです。

 第二次大戦中、イギリスのBBCはあらゆるニュースの冒頭で、ベートーベンの交響曲第五番(運命)の冒頭の「だだだだぁ~ん」を流していました。モールス符号だと「トン・トン・トン・ツー」になって、アルファベットでは「V」(Victoryの頭文字)になります。敵国ドイツの作曲家の曲を使っての粋なメッセージです。さすが、最後に勝つ国。

 こちらも、ボーイスカウトくらいでしか使われないと思いますが、ついでに、手旗信号の話を少し。

 右手に白旗、左手に赤旗を持って、両手の挙げ方、角度を組み合わせて、文字を表します。

 核軍縮(Nuclear Disarmament)キャンペーンで使われているお馴染みのピースマークですが、頭文字のNとDの手旗信号を組み合わせているんですね。円の中のYの文字を逆さまにしたような部分がN(両手を45度下に向けた形)を、そして、円を半分に分ける縦の棒が、D(右手を真上、左手を真下に向けた形)というわけです。

 ビートルズのアルバムで、「HELP!」というのがありました。曲はお馴染みですが、ジャケットを覚えていますか?黒いマントを着た4人が、手を挙げたり、横にしたりしています。下の画像がそのジャケットです。

 もともとは、H、E、L、Pの各文字を手旗信号で表したかったそうですが、ヴィジュアル的にどうも・・・ということで、結局、手旗信号として見れば「NUJV」というまったく意味のない組み合わせになった、と言う次第だそうです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。