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第316回 数学者が作った世の中

2019-04-26 | エッセイ

 根っからの文系人間ですけど、中学、高校を通じて、数学は、好きな科目でした。

 きっかけは、方程式ですね。小学校では、鶴亀算、植木算など有象無象の何々算の解法をいやというほど覚えさせられて、うんざりしてました。だけど、未知数をXと置いて、式を作るだけで、答えが出るーー感動しました。今では、加減乗除を使う程度の日常ですが、「数学的なるもの」への興味・関心は続いてます。ややこしい数式などは出てきませんので、ご安心の上、最後までお付き合いください。

 「神は数学者か?」(マリオ・リヴィオ ハヤカワNF文庫 2017年)のタイトルを見た時、著者の意図はおおよそ見当がつきました。

 数学って、人間が、アタマの中で作り出した世界というか、知的体系のはずなんですけど、宇宙のこと、身の回りのこと、人間の営み、量子の世界など、ありとあらゆる自然界のことを説明するのに効果的なのは、なぜなんでしょうか?

 「遍在性」(あらゆるところに存在する)と「全能性」(あらゆることを説明できる)を兼ね備えた「数学」という存在。もし、この世を作った存在(便宜的に「神」と呼ぶしかないんですけど)がいたとしたら、それは、「数学者」に違いない、と私も思います。うまいタイトルを付けたものです。

 ケプラーとニュートンは、太陽系の惑星が、楕円軌道を描いて運行していることを「発見」しました。
 しかし、その2000年以上も前に、ギリシャの数学者メナイクモスが、この曲線を研究していました。2点間の距離の合計が、一定になる点が描く軌跡が楕円です。アタマの中で考え出したはずの図形が、宇宙の仕組みのひとつとして、存在する・・・「数学」の力を見せつけられる思いです。

 数学が「発明」(あくまで人間の知的活動の結果生み出された人工的な体系)か、「発見」(もともとある全宇宙にある普遍的な原理原則を、諸々のツール(これは、「発明」でしょうけど)を使って、人間が見い出していくもの)か、という議論が、古来続いていますが、さきほどの惑星の例を見れば、「発見」かな、と思ったりします。

 数学が、自然の仕組みと結びつくもうひとつの例を、ご紹介します。

 黄金比です。線分を、AとBの長さで2つに分割する時、A:B=A:(A+B)となるように分割した時の比A:Bのことです。
 具体的には、1:(1+ルート5)/2 で、1.61803398・・・という無理数なります。

 ユークリッドが、幾何学書「原論」の第6巻で述べている比率で、最も美しいとされる比率ですが、こんな人工的な比率が、この世の中と、何か関係があるんでしょうか?

 フィボナッチ数列というのがあります。イタリアの数学者フィボナッチが自著で紹介したことにちなんでそう呼ばれています。どういうものかといいますと、

 1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、と続きます。

 3つ目の数以降、すべての数が、直前の2つの数の和になる数列です。そして、この数列の各値を直前の数で割ると、どんどん黄金比に近づいていくことを「発見」したのが、天文学者のケプラーです。233/44=1.618056・・・そして、377/233=1.618026・・・などのように。

 すごい「発見」だとは思うけど、人工的なもの同士が関係があると言われても、いまひとつピンと来ないなぁ、との声が聞こえてきそうです。
 でも、下の巻貝の断面図をご覧下さい。数字で示された各室の半径が、見事に、この数列になっていることが分かります。


 その他にも、花びらの数、植物の実にある螺旋の数など、自然界に広く存在することが知られています。また、ある種のアルミニウム合金の結晶構造にも見つかっています。黄金比が、フィボナッチ数を通じて、自然界とつながったことになります。

 結局、数学が「発見」か、「発明」かという議論は、あまり意味がなくて、数学の歴史って、「発明」と「発見」の組み合わせ、積み重ねじゃないでしょうか。数学の分野に限らず、そうした営みを続けていく人間て、やっぱりスゴいな、と思います。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第315回 路面電車がアツい

2019-04-19 | エッセイ

 路面電車が、便利な乗物だなぁと感じたのは、若い頃、広島市内で勤務したのがきっかけです。通勤のほか、出先機関とか客先への訪問など手軽に利用してました。

 なんでこんなに便利なのかなと考えた時、これは運営している広島電鉄(通称:ヒロデン)の方針でもあったようですが、とにかく本数を多く走らせているから、というのに気がつきました。
 どんな具合かと言うと、電停の前に立って、電車の来る方向を見た時、一つか二つ前の電停まで次の電車が来ているのが普通で、中心部(そうですねぇ、紙屋町とか流川(ながれかわ)あたり)だと、ざっと見渡して4~5台が、いつも視野に入る感じでした。

 8つの路線で市内をカバーしてますから、乗りたい路線の電車が来るとは限らないのですが、不思議なもので、車両が目に入るだけで、なぜか安心して「待とう」という気になるものです。まんまと「ヒロデン」の計略に乗せられていたことになりますが。

 バスもありますが、朝晩のラッシュ時は、何と言っても路面電車です。軌道の中には、一般の車は入って来られませんし、横断も出来ません(ただし、タクシーだけは、さすがにオッケーでした)。赤信号で止まるのは仕方ないですが、それ以外は、無人の野を行くごとく結構なスピードを出しますから、乗ってしまえばイライラとも無縁で、快適でした。

 さて、ヒロデンといえば、西日本を中心に、廃止となった路面電車の車体を積極的に払い下げを受けて、走らせているのが「売り」でもありました。
 小さい頃よく見かけた神戸とか大阪の車両が現役で活躍してるのが懐かしかったです。数えたことはなかったですが、自前の車両のほかに、10種類近くの払い下げ車両が走っていたんじゃないでしょうか。

 また、私が勤務していた時には、西ドイツから払い下げを受けた車両が数台登場して、随分話題になりました。流線型のスマートなデザインで、わざわざ待って乗ったりしました。多くの本数を走らせるための必要性とコストということもあったのでしょうが、鉄道ファン、観光客などへのアピールも考えた心憎い仕掛けでしたね。

 左から、最新の3連結車両、旧大阪市電、旧京都市電(両方ともたぶん現役)です。
 

 海外では、6年ほど前に夫婦で行ったアムステルダム(オランダ)の路面電車(トラム)を思い出します。

 市内を14の路線でカバーしていますが、その内、9路線が「アムステルダム中央駅」発着で、ほぼ放射線状に伸びています。中央駅が市の北の端に位置するという事情によるのですが、たまたま中央駅のすぐ近くのホテルに滞在していた私たちは大助かりでした。
 目的地が決まっている時は、路線と降りる駅名くらいはチェックしましたが、帰りは、どんどん来る「アムステルダム中央駅行き」に乗ればいいのですから安心です。本数も「広島並み」でしたかねぇ。

 シーボルトゆかりのライデン、画家フェルメールが暮らしたデルフトには、一般の鉄道を利用して、日帰り小旅行を楽しみましたが、市内観光はもっぱらトラムが頼りです。国立博物館、ゴッホ美術館など観光スポット巡りのため、毎日のように乗っていました。

 ある日、特に予定がなかったので、「いっぺん行けるとこまで行ってみよか」と思い立って、二人で、一番遠くまで行ってそうな路線を選んで乗ってみました。ほんの30分ほども乗ったでしょうか。運河を渡ると景観が一変しました。それまでの歴史的町並みが消えて、何の変哲もないアパートが建ち並ぶ「ごく普通の」エリアに入ったのです。

 「あれっあれっ」と驚く間もなく、終点に到着です。折り返し用の引き込み線があるだけで、特別な施設は何もありません。辺りを見回していると、庭でくつろいでいる中年夫婦と目が合いました。
「物好きな外国人が、な~んもない終点までやって来た」と顔に書いてあります。でも暖かい笑顔だったので、私たちも微笑み返しました。楽しい旅のハプニング、思い出です。

 アムステルダム中央駅前で出発を待っているトラムです。なかなかオシャレでしょ。
 

 かつては道路の邪魔者扱いされた路面電車ですが、北は札幌、函館から、南は、熊本、鹿児島まで、国内の多くの都市で公共交通機関として活躍しています。

 外国でも、特にヨーロッパなどでは、エコで便利な交通手段として、驚くほど多くの都市で市民の足となっています。中には、市内中心部への車の乗り入れを規制し、路面電車の利用促進、活用を図ったり、路線の新設や延長を計画している都市まであるようです。
 日本の場合、新たな路線の開発までは困難でしょうが、いろんな知恵と工夫で、せめて現在ある路線はずっと存続してほしいと願っています。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第314回 ロシア語を遊ぶ

2019-04-12 | エッセイ

 「なんたらビッチ」「かんたらノフ」「なんとかスカヤ」など人名が覚えられないので、どうにもロシアの小説に馴染めません。使われてるキリル文字も、アルファベットが裏返ったような見慣れないのがあったりして、発音も難しそう(な気がします)。

 そんなロシア語の世界を「怖いもの見たさ」と「遊び感覚」のノリで、ちょっと覗いてみようと考えました。

 ガイド役は「黒田龍之助(くろだ・りゅうのすけ)」というロシア語を中心に、広く外国語を学ぶのが趣味という奇特な方で、数多くの楽しいエッセイを世に送り出しています。
 今回は、「ロシア語の余白」(現代書館)から楽しそうな話題を拾ってきましたので、気軽にお付き合いください。
(発音は、著者によるカタカナ表記を利用しました。ひらがなの「ら行」は、巻き舌音です)

 まずは、あいさつ。基本ですからね。
<こんにちは>
 「ロシア語で「こんにちは」って、なんていうんですか?」
 ロシア語の専門家を前にしたら、とりあえず教えてもらいたくなります。黒田も、気軽に訊かれるらしいのです。

 「ええと、ズドらーストヴィチェ!といいます」
 「え?なんですって?」
 「ですから、ズドらーストヴィチェ!です」
 「もう一度お願いできますか?」
 「ええ、ズドらーストヴィチェ」
 「ズドラ・・・・」
 「ラは巻き舌なんですが」
 「ズドラァァァ・・・ええと、なんでしたっけ」
 「だから、ズドらーストヴィチェです」
 「ああ、もういいです。いや~、ロシア語って、難しいですねぇ」

 たいていは、こんなやりとりで、終わるそうです。
 「ボンジュール」「ニイハオ」「グーテン・ターク」「アンニョンハセヨ」など、他の外国語が羨ましくなるのは、こんな時だ、と書いてるのを見て、頬が緩みました。

<ありがとう>
 「スパシーボ、だろ。知ってるよ」という人が多そうですが、黒田によれば、発音に難があるらしいのです。ロシア語のルール上、最後は、「ボ」ではなく、「バ」でなければならない。そして、「シー」は、「スィー」が原音に近いとのこと。

 「スパスィーバ」これで、だいぶ良くなったんですが、最後は、イントネーション。
 「スパ」と「スィー」と「バ」を、高・低・低のイントネーションでやれば、ほぼ完璧とのこと。短い言葉ですが、感謝の気持ちを「正しく」表すのは、大変そうです。

 さて、ご存知「マトリョーシカ」の画像を挟んで、後半をお楽しみください。



<英語からの発想>
 外国語を学ぶためには、とにかく単語を覚えなきゃいけないんですが、ロシア語には、英語によく似た単語がある(たぶん、どこかでつながってると思うんですが)ので、それを活用すれば、記憶の省力化が図れる、というのが、黒田の説明。例えば・・・

スターンツィヤ(駅)  station(ステイション)
ナーツィヤ(民族)   nation(ネイション)
トらヂーツィヤ(伝統) tradition(トラディション)

 なんかが例として揚げられています。そして、なによりの重要語「革命」は、英語では,
revolution(レボルーション)、そして、ロシア語では、りヴァリューツィヤ。なるほど、利用できるものは、なんでも利用するのが、語学上達のコツかも。

<世界と平和>
 黒田によれば、ロシア語で、世界でもっとも有名な同音異義語は、おそらく「ミーる」だろう、という。ひとつは、「世界」で、もうひとつは、「平和」という意味。そういえば、そういう名前の人工衛星を打ち上げてたことを、私も覚えています。

 ソビエト時代、これをうまく使ったスローガンが至る所で見られたそう。
 「ミーるぅ ミーる!」(世界に平和を!)
 はじめの「ミーるぅ」は、文法上、与格という形で「世界に」を表し、あとの「ミーる」は、対格で「平和を」を表す、というわけで、なるほど、よく出来た「スローガン」です。

 いかがでしたか?あくまで知識として、話題として、楽しんでいただければ、ご紹介した甲斐があります。もう少しネタがありますので、いずれ、続編をお送りする予定です。

 それでは、次回をお楽しみに。


第313回 前世の記憶−2

2019-04-05 | エッセイ

 だいぶ前になりますが、作家・高橋克彦の前世をめぐる「不思議なことがあるもんやなあ」話をご紹介しました(文末にリンクを貼っています)。

 前回、「生まれ変わり」(としか思われない)事例を、別の機会にご紹介する、としていましたので、そのお約束を、「パート2」として果たそうと思います。
 ネタ元は、「死後の生存の世界」(笠原敏雄編・著 叢文社)というこちらの本です。


 霊媒、ポルターガイスト、臨死体験など死後の世界(果たしてそういものがあるのか、ないのかも含めて)をめぐる様々な話題への「科学的」アプローチを紹介したアンソロジーです。
 その中に、輪廻転生(生まれ変わり)の研究者であるヴァージニア大学のイアン・スティーヴンスン教授が、インド国立精神衛生科学研究所のサトワント・バスリチャ氏と行った共同研究の成果が収録されています。綿密な調査に基づく、不思議で、説得力のある事例を2つご紹介します。

<事例-1>
 ビルマの少女「マ・ティン・アウン・ミヨ」のケースです。
 母親がミヨをみごもっている間、たびたび上半身が裸で半ズボン姿の日本兵が夢に登場してきて、「俺はお前の子供になって生まれるぞ」と告げます。
 ミヨには、姉が二人いましたが、彼女らが、スティーブンスン教授に語った話です。

 ミヨが4歳の時、父と散歩していたら、飛行機の爆音を聞いて、突然こわがって叫び出した。
姉が理由を尋ねると「撃たれるから」と答えたというのです。
 その頃からミヨはメランコリックな状態になり、「日本に帰りたい」と、さかんに口にするようになります。自分の前世が日本人であり、日本兵としてビルマに駐屯していたこと、北日本の出身で、妻と子供がいたこと、そして、兵隊に取られて、ミヨがうまれたナ・ツール村に駐屯していたことなどを語ります。
 ある日、炊事のために薪のそばに来た時、敵の機銃掃射を受けて死亡したが、その時の服装は、半ズボンに腹巻きだった、というのです。1942年に日本軍がビルマ侵略後すぐに、ナ・ツール村を占領したこと、そして、この村で、英米連合軍による爆撃と機銃掃射が、1945年に、日本軍が撤退するまで続けられたことは、歴史的事実で、ミヨが語る前世と符合します。

 更に、姉たちとスティーブンソン教授とのインタビューでは、ミヨはビルマ人の好むものは食べず、好んで男装すること、そして、小さい時、家族の者には理解できない言葉で独り言を言っていた(幼児語か日本語かは不明)などという事実も明かされます。
 「ミヨが自分の前世であるとする日本兵の身元に心当たりのある方はご一報いただきたい」と、教授は、同書の中で、情報提供を呼びかけています。その兵士の名前だけでも分かれば、研究が進むのになぁ、とちょっと歯がゆい思いです。

<事例-2>
 フランスの少年の例です。

 尻にあざを持って生まれた少年が、ある日、突然、前世で自分は銃に撃たれて死んだ、と言い出します。撃たれた場所や、撃った男たちを名指しで挙げたほか、そのうちひとりが、撃つ直前に「トランプでイカサマやりたがったな」と言ったと語ります。自分の名前はもちろん、親兄弟やガールフレンドの名前まで挙げます。
 また、フランス語とは別に、両親にはまったく理解できない言葉を話し、専門家の調査で、その言葉は、セイロン島(現スリランカ)のシンハリー語だと分かります。

 教授と、共同研究者が現地で聞き取りをした結果、名前の挙がった人物が、過去に実在していました。そして、数年前に、少年が語るとおりの事件があったことが分かります。
 さらに、検死に当った医者の記録から、犠牲者の体の弾痕は、少年のあざの位置と一致し、形状も同じだったというのです。

 「だから、前世はある」などと軽はずみな結論は教授も出していません。それは、科学者として、当然とるべき立場です。
 で、私はといえば、「偶然の一致を超えた不思議な「現象」があるもんやなぁ」との思いを相変わらず抱いています。

 前回の記事(第277回)へのリンクは<こちら>です。合わせてご覧いただければ嬉しいです。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。