★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第457回 知の巨人の読書案内-3

2022-01-28 | エッセイ
 シリーズの第3弾で、これにて完結の予定です(文末に過去分へのリンクを貼っています)。「読書脳」(立花隆 文春文庫)」をネタ元に3冊をご紹介します。

★「井上ひさし」は好きな作家のひとりです。初期の戯曲「表裏源内蛙合戦」や「道元の冒険」などはまるで舞台が目に浮かぶようで随分楽しみました。言葉に関するエッセイも愛読し、当ブログでもネタ元として、よく利用させてもらっています。
 先妻の西舘好子さんは、井上のマネージャーであり、また、彼の芝居を演じるための劇団「こまつ座」の座長をつとめるなど夫婦揃って華々しい活躍ぶりでした。1980年代に、彼女の不倫が原因で離婚との報道があった時も、男女のことなのでいろいろあったのだろうな、と想像するだけでした(井上は、のちに再婚しています)。

「表裏井上ひさし協奏曲」(西舘好子 牧野出版)では、生々しい離婚の真相が語られています。性格の違い、育ったカルチャーの違い(井上は、山形の孤児院出身。西舘は東京の志多町出身)があったにしろ、直接の原因は、井上ひさしのあまりにもひどい家庭内暴力だった、というのです。
「ある日、部屋に入るなり急に、髪の毛をつかまれて引きずり回された。「売女(ばいた)め」そうかと思うと寝ている夜中、枕を蹴飛ばされ、腰をいやというほど打ち砕かれる。(略)首を絞めにかかる」」(同書から)
 離婚直前の場面では、「玄関に入るなり私に飛びかかってきた。髪の毛をつかまれ殴りつけられた。あっちに転がされ、こっちに転がされ、部屋中を引きずり回された。(略)朝一番に、大橋にある「東邦医大病院」へ駆け込んだ。肋骨が折れ、左の鎖骨にひびが入っているという。全身打撲、鼓膜は破れていた」(同)

 当時は大手の出版社に徹底的にガードされ、二人も離婚の真相を明かさないことを離婚の条件としていましたから、表に出なかったとはいえ、凄まじい事実です。作品は好きですが、この点で井上を擁護する気はまったくありません。作家としての彼が抱えていたストレスの大きさ、心の闇の深さに暗然とするばかりです。

★「認知症」は言葉としてすっかり定着しています。物忘れがひどく、日常生活に支障が出る病気、という程度の認識でした。
「重度認知症治療の現場から」(黒澤尚 へるす出版新書 全4巻)によれば、先ほどの私の認識は、軽度の場合であって、重度の場合はまったく違うというのです。具体的には、「かつては精神科でしか扱われなかったような異常行動にいたるケースだ。うつ、妄想、徘徊、幻覚、せん妄、攻撃的言動などが特徴となる。」(同)

 特に困るのが症状が暴力的攻撃性を帯びる場合と、不潔行為に走る場合です。どこの施設でも職員のほぼ全員が患者の暴力にあっているといいます。また、不潔行為では、所かまわず排尿、排便を行う、さらには、排便したあとの大便を手でもて遊び、こね回すこともあるというのです。治療に当たる医師、職員の皆さんの苛酷さを思うにつけ、一日も早い予防、治療法の確立を願わずにはいられません。

★シリーズの最後にふさわしく「読書と脳」の話題をお届けします。
 ひらがな、カタカナはともかく、漢字の読み、書きの習得にはそれなりに苦労した覚えがあります。でも、小さい頃は、絵本を読み聞かせてもらったり、大きくなればそれ相応の本を読む中で、文字の連続である文章を「見て」それなりに「理解」できる能力が「自然に」身に付きました。

 「プルーストとイカ」(メアリアン・ウルフ インターシフト社)によれば、これは、全脳を使う驚くべく複雑な知的作業であり、同書では、そのプロセスがミリ秒単位で明らかにされています。確かに、文字を持つのはヒトだけであり、読字によって、概念操作能力が身に付き、人類文化の発展に大きく寄与してきたのは間違いありません。
 また、本書によると、どの言葉を身につけたかで、脳の発達の態様が違ってくるというのです。日本語の場合は、3種類の文字を使うこともあり、より高度な処理能力を持った脳を育てていくといいます(私自身はそんな自覚はまったくありませんが)。

 一方で、脳の欠陥によってどうしても読む能力が身に付かない「ディスレクシア」と呼ばれる人々がいることも書かれています。なんと、エジソン、アインシュタイン、ピカソ、アンディ・ウォーホルなどもディスレクシアだったというのです。こちらは、アンディ・ウォーホルさん。



 言語能力獲得に使う脳の部位を、他の目的に使って特別な能力を発揮したということなのでしょう。広大無辺でなぞに満ちた「脳」という存在に大いに興味を魅かれました。

 いかがでしたか?過去分へのリンクは、<こちら(第428回)>と、<こちら(第444回)>です。本書には、他にもご紹介できなかった興味深い本がいっぱいです。ご一読をおススメします。それでは、次回をお楽しみに。

第456回 肥満ビジネスinアメリカ〈旧サイトから〉

2022-01-21 | エッセイ
 <旧サイトから>の第8弾です。掲載時の2年ほど前から始めていたダイエットは、もう10年近く続いています。なので、ちょっぴり余裕で、肥満大国は肥満ビジネス大国でもある、という話題を再掲載でお届けします。なお、2回分を1本にまとめました。最後までお付き合いください。

★ ★以下、本文です★ ★
 2年ほど前、リタイヤ生活に入ったのを機にダイエットを始めました。腹8分目を守り、朝夕の散歩を日課としてきた結果、十数キロの減量に成功し、目標とした体重を維持しています。
 そんなわけで、肥満問題について、少しは語る資格ができたのかな、などと思っていたところ、興味深い本を見つけました。「アメリカン・スーパー・ダイエット」(柳田由紀子 文藝春秋社)というのがそれです。同書により、前半で肥満大国アメリカの現状を、そして、後半では、それをサポートとする様々なビジネス展開をご紹介することにします。

 まずは、アメリカの肥満に関する数字です。
 米疾病予防センターによると、肥満を含めた太り過ぎ成人の割合が、1999年から2002年で65.2%、2003年から2006年で66.9%で、着実に(?)増加を続けています。著者が、巨大スーパーの前で、1時間ほど観察したところでも、ざっと3分の2が明らかに肥満だったといいますから、この数字の信用度は高いです。

 そんな肥満大国アメリカを代表する人物が紹介されています。
 マイケル・ヘブランコ(取材時57歳)という男性です。小さい時からの肥満で、最高時の体重は、508キロというから、0.5トン!! 特製のエレベーターをほぼ独り占めする彼の写真です。(同書から)



 部屋から出られなくなって、部屋の壁を壊しての入院騒ぎを2度も演じています。原因は、本人いわく「フード・アディクション(食べ物中毒)」とのこと。ダイエット(318キロの減量というギネス記録を持つ)とリバウンドの繰り返しで死にかけましたが、取材時点では160キロを維持し(それでもすごいですが)、ほぼ常人並みの生活を送っているのはなにより。

 さて、アメリカが、ビジネスという切り口で「肥満」とどう向き合っているかです。さすがはビジネス大国。アメリカには、肥満経済研究者というのがいて、それによると、肥満経済には、「太らせる経済」と「痩せさせる経済」という二つの大きなマーケットが存在するのだといいます。

「太らせる経済」の代表が、ファスト・フード業界で、2006年の総収益が、13.4兆円とあります。ジャンクだ、肥満の元だといわれながらも低所得者層にとっては、ありがたいものには違いなく、今も成長産業です。
 一方、「痩せさせる経済」の代表が、低カロリー飲料、食料で、これだけで数兆円規模になるといいます。スポーツジム、ダイエット教室などのダイエット業界の総売上も、3兆円だとか5兆円だとかいわれます。「肥満大国」は、「ダイエット大国」でもあるというわけです。

 そんな中で、着実に成長しているのが、「太ったまま経済」とでも呼べばいいようなユニークな分野です。つまり、太っていることを前提に、その人たちのクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を維持するための様々なサービスやグッズを提供する企業が急成長しています。

 サービス分野では、服飾、スポーツ、趣味、ブライダル(!)など、50項目にわたって、肥満関連商品、サービスだけを掲載するウェブ上の電話帳サービスがあります。
 また、太った人だけが参加できるクルーズ、スキューバダイビングなどもあります。まわりの他人の眼を気にせずに、太った人たちだけで、心置きなく楽しめたら、というニーズに応えるサービスというわけです。

 グッズ関係では、長いスティックの先に爪切りが付いて、かがまなくても切れるもの、また、用を足しても、手が届かない人には、スティックの先に、トイレットペーパーをはさむ器具がついているもの、などアイディア商品(?)がいっぱいです。

 肥満者向け棺桶専門店では、特大棺桶(最大137cm×244cm)なんてものも扱ってるそう。「揺りかごから」はどうか分かりませんが、「墓場まで」肥満者のために至れり、尽くせりの感があります。う~ん、「肥満」大国は、「ビジネス」大国でもありました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。 

第455回 遣唐使の意外史

2022-01-14 | エッセイ
 中学、高校の歴史授業で学んだ遣唐使のことは、割合わかりやすい話でもあり、今でもよく覚えています。約1300年という遠い昔に、当時の最先進国である唐へ、制度、文化、書物などを求めて出かける・・・・派遣された人たちの心意気、苦難に満ちていたであろう旅程などに思いを馳せ、ロマンを感じたりもしました。

 「歴史探偵」(NHK総合 毎週水曜日 22:00ー22:45)というテレビ番組があります。バラエティ色が薄く、歴史上の出来事、事件、人物などの意外な面を、AI(人工知能)や、現地調査などで解き明かしてくれるのが魅力です。2021年12月1日の放送は、遣唐使がテーマでしたので、じっくり楽しみました。番組を参考に、基本的な知識を軽くおさらいした上で、意外なエピソードをご紹介することにします。

 630年から894年までの間に20回派遣していますから、飛鳥、奈良、平安時代にまたがる大プロジェクトでした。奈良から唐の都・長安まで2500キロ、9カ月にも及ぶ旅の最大の難所は、北九州から中国の大河・長江の河口を目指す東シナ海の航海でした。平城宮跡歴史公園(奈良市)に展示されている遣唐使船の復元モデルです(同番組から)。



 全長は30メートルで、2本の帆(柱のみ復元されています)を装備しています。画面左の船尾にある小屋が、使節の代表である大使専用の個室(といっても4畳半ほどの広さ)です。留学生、僧侶、船乗りを含めて時に160人にものぼる人たちは、船底で雑魚寝を強いられました。
 早ければ4日ほどの航海ですが、時に数週間に及ぶこともあったようです。教科書でも「遣唐使船はしばしば遭難した」などと書かれていて、随分リスクの大きな航海のイメージがありますが、事実はそうでもなかったようです。

 番組によれば、帰りの成功率が74%で、行きはなんと92%という高いものだった、というのが第一の「意外」でした、
 秘密は、行きの場合、出航の時期にありました。研究者によると、8、9、10月が、北九州付近から長江河口に向けて、都合の良い風が吹く季節だといいます。そして、遣唐使船が出航したのは、ほとんどこの時期だというのです。近海で操業する漁師などから情報を得ていたのではないかと研究者は推測しています。これならピンポイントは無理としても、目的地近辺への到着はそう困難ではなさそうです。

 もう一つの秘密は船の構造にありました。いくつもの隔壁(仕切り板)で船倉部分を区切り、外洋の荒波にも耐える強固な構造としていたのです。当時の日本にはなかった仕組みで、交流を通じて、唐の造船技術に学んだものでした。なるほど、これも「成果」のひとつだったのですね。

 さて、二つ目の「意外」は、留学生たちの「アルバイト」です。
 皇帝からは、滞在費用として、金(きん)とか絹が支給されます。しかし、時に、20年にも及ぶ滞在では、それも尽きてくることもあるはず。当時の書物はすべて手書きですから、きわめて高価です。筆写で節約を図るにしても限度があります。
 そこで彼らが励んだアルバイトが、墓誌書きでした。貴族や裕福な商人たちの墓に生前の業績などを彫り込むものです。遺族の話を聞いて、文章に起こす・・・達筆で文章に秀でた留学生向きで、それなりの報酬も期待できます。また、この仕事を通じて、現地の知識人たちと交流ができ、最新の知識や書物に関する情報が得られるというメリットもありました。で、なんとその現物が残っているのです。
 中国の南にある望野博物館には、石版の墓誌と、その拓本が展示されています。テレビ画面にその末尾部分が映し出されました。その画面です。



 私がつけた赤枠の中をご覧ください。「日本國朝臣備書」とあります。日本國の朝臣(朝廷の臣下)である「備」がこれを「書」いた、というわけです。
 「備」とは「吉備真備」のことです。空海、最澄などと並んで有名なスター留学生のひとりです。こんなところに足跡を残していたんですね。無事に帰国し、朝廷のナンバー3にまで登りつめています。空海、最澄も帰国して、仏教界で活躍しました。やっぱり無事に帰国できてナンボの世界。皆さんそれぞれにご苦労が報われたのは何よりでした。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

第454回 大阪弁川柳で初笑い 大阪弁講座48

2022-01-07 | エッセイ
 新年最初の記事ですので、大阪弁川柳の第2弾で「初笑い」していただこうという趣向です(文末に前回(第404回)へのリンクを貼っています)。
 
 ネタ元は、前回と同じく、田辺聖子さんのエッセイ「川柳でんでん太鼓」(講談社文庫)です。川柳と大阪弁の面白みを存分にお楽しみください。

★はくじょうな会社と入社時から思う★(岩井三窓)
 堪忍(ゆるす)、往生な(めんどうな、やっかいな)など漢語系の言葉を日常的に使うのが、大阪人は好きです。薄情(はくじょう)もそのひとつ。人の冷酷な性格とか、冷たく理不尽な仕打ちに対してよく使います。会社に対して使うのですから、よほど会社への恨み、つらみがあるのでしょうね。しかも「入社時から」。そんな会社に捧げた一生。どんな会社人生だったのか。川柳とは言え、辛い句です。

★達筆で腑甲斐ないこと言うてくる★(生島白芽)    
 「言うて」の大阪的「う音便化」で取り上げました。「達筆で」というからには、それなりに年齢も重ね、世の中を達観しておられるはず。そんな方が、気弱なこと、愚痴っぽいことでも書いてよこしたのでしょうか。いろいろ事情はありそうですが、川柳的に、そのギャップをつい楽しんでしまいます。

★ついていてあげねば駄目な人と添い★(古沢蘇雨子)  
 句意はどうってことありません。「添う」という大阪的な言い方(根っからの大阪弁かどうかの自信はないのですが)に魅かれて取り上げました。
 女性の方から「身を寄せる」「寄り添う」というニュアンスです。なので、この結婚も女性主導だったのだろうと想像されます。まあ、そんな相手に限って、駄目なのが多い、というのも世間にはよくある話ですが・・・・

★不細工な妻に子供はようなつき★(後藤梅志)   
 「不細工な」といういかにも「大阪的響き」の言葉を臆面もなく使っています。額面通り受け止める人はいないでしょうが、う~ん、コメントが難しいです。大阪人特有のテレと、ノロケがないまぜになった句、とでも評しておきます。我ながら歯切れが悪いですが。

★出世しよっていやらしい声となり★(岩井三窓)
 「しよって」というのが、いかにもの大阪弁です。怒りに軽蔑の気持ちも込めて、標準語なら「しやがって」というところです。「いやらしい声」というのはどんな声なんでしょう。エラくなったからといって、威張ったりはせず、あくまで謙虚なものの言い方に徹する・・・つもりが、猫なで声になってるでぇ。卑しいヤツやな。そんな作者の声が聞こえてきます。 

★せっかちでお好み焼きをわやにする★(岩井三窓)
 片面が充分に焼けてないのにひっくり返そうとして、ぐちゃぐちゃにしてしまいました。「わや」というのがコテコテの大阪弁です。モノを壊す、駄目にするというのが基本ですが、どうしようもない事態に立ち至った時にも使えます。「嫁は出て行くし、息子はグレるし、ワイの家(うち)も「わや」や」という具合に。
 「せっかちで」というのが惜しい気がします。大阪弁だったら「いらち」を使いたいですが、字足らずですから、仕方がないですね。
 
★台風の進路でんがな周遊券★(古川美津江)
 「でんがな」がすべての句です。よっぽど楽しみにしていた旅行なのでしょう。共通語だと「です」で済むところに、悔しさ、無念さ、自然が相手の無力感・・・いろんな思い込め、五七五に収めています。

★かしこい事をすぐに言いたくなる阿呆★(亀山恭太)
★阿呆は阿呆なりに阿呆を抜けんとす★(岩井三窓)
 「阿呆」の句2つを取り上げました。大阪人の「阿呆」好きにも困ったものです。「阿呆」を立派な芸にまで育て上げた藤山寛美という役者さんがいらっしゃいました。こちらの方。



 阿呆は阿呆なりに、ちょっと気の利いたことを言いたくなったり、抜け出そうとしたり・・・「馬鹿」とは違うユルさ、憎めなさがあります。おっと、他人(ひと)事とは思えません。くれぐれも自戒しなければ。
 前回(第404回)へのリンクは、<こちら>です。合わせて「2倍」初笑いしていただければ幸いです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

新年のご挨拶

2022-01-01 | エッセイ
 2022年 明けましておめでとうございます。
 寅(虎)年にちなんで、こんなデジタル年賀状を作ってみました。



 張子の虎あたりを予想されていた方には申し訳ありません。新年でもあり(?)思い切りハズしてみました。
 実は、プロ野球の阪神ターガースが1985(昭和60)年に日本一になった時の、リーグ優勝の記念乗車券(上がケースで、下の2枚が乗車券)です。タイガースファンだった父の遺品です。
 その後、2回ほどリーグ優勝はしていますが、日本一とは縁がありません。極めて「貴重な」珍品と考え、登場させました。

 父親の影響でしょうか、小さい頃から私も一応タイガースのファンです。でも、「ダメ虎」ぶりを発揮して、シーズン当初から躓いている時なんかは「なんや、ゴールデンウイーク明けからもう「消化試合」かよ」などとボヤキながらクールに応援しています。虎年でもあり、タイガースには頑張ってもらいたい一方、プロ野球全体が盛り上がり、どの球場も満員のファンが心おきなく大声援ができる・・・1日も早くそんな日が来ることを切に願っています。

 当ブログをご愛読いただいている皆様のご健勝、ご多幸を心からお祈りいたしております。
 なお、新年最初の記事は、1月7日(金)にアップの予定です。引き続きご愛読ください。

 2022年元旦  芦坊拝