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第504回 笑い納め2022年

2022-12-23 | エッセイ
 いいことがあったのか、なかったのか、よくわからない2022年も暮れようとしています。なにはともあれ、「笑い納める」のがなによりと恒例の企画のお届けです。
 ネタ元は、「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)で、今回が第4弾になります(文末に過去分へのリンクを貼っています)。引用は、原文のままとし、いささかお古いネタですので、必要により人物に関する情報などを<  >内に注記しました。
 なお、年末始の掲載予定を、リンクに引き続きお知らせしています。最後までお付き合いください。

★初代中村鴈治郎<上方の歌舞伎役者 1860-1910>が巡業先で、汽車を待っていたら、弟子たちが遅れて来たので、むろん汽車は定刻、発車していた。鴈治郎は大きな目を剥いていった。「何で、わてが乗ることがわかっていて行ってしもうたんや」

★百貨店の刃物売場にハサミを買いに来た客が店員に「よく切れるかね」といったら、「使いようで切れます」と答えて、散々叱られたという話である。

★池部良<男優 1918-2010)画像あり>は、イケベリョウである。本名なのだが、いつも「いい芸名だね」といわれるそうだ。実父は洋画家、そして私には時事漫画での記憶が濃い池部鈞だ。その父から孫に鍬吉という名を継がせろといわれたが、それを区役所に届けにいく途中、道でつまづいた時に度忘れした。たまたまその前のマーケットに「良質菜種油」の看板があったので、ヒョイとその一番上の「良」をとったのだという。



★安藤鶴夫<小説家、演芸評論家 1908-1969>は話術がうまい人で、同時に効果的にスピーチをしめくくる趣向にも長じていた。松本ひろしが「娑婆に脱帽」という本を出版記念会の日、おくれて来た安藤にさっそく司会者が指名した。安藤は「ほんとにおもしろい芝居です。ぼくは脱帽しました」といったが、じつは20分ほど前にスピーチに立ったディレクターが、「この娑婆に脱帽のうまさに私は思わず脱帽しました」といっていたのだ。安藤に近寄って私がそれを告げたら、苦い顔をして「全く、遅刻なんかするもんじゃないね」

★黒柳徹子がNHKの放送劇団五期生となって間もなく、自分の名前をアナウンサーがよく云いちがえて、クロヤナギトッコと読んだりするので悩んでしまい、芸名をつけようと思った。それで、いろいろ考えて、「リリー白川」というのに決めて、芸能局長吉川吉雄に届けたら、ふきだしてこういった。「およしよ。おまえさん、そんなストリッパーみたいな名前」

★昭和20年代のNHKラジオに「わたしは誰でしょう」という番組がある。ヒントを順々に出していくのだが、やがてアナウンサーが助言する。「カルメン」のドン・ホセの時、「お昼の午砲、そのあとは天気のいい時にふとんをどうするか命令形で」といったら、回答者が「ドン・ホシナサイ」

★次の週、花柳章太郎<はなやぎ・しょうたろう 新派の女形 1894-1965>がこの番組を聞いていると、自分の名前が出題。なかなか当たらない。アナウンサーが「電柱に病院の広告がありますが」といった。花柳病科の看板のことだ。花柳苦い顔をして「冗談じゃない」<花柳病(かりゅうびょう)=性病の俗称>

★酔っぱらって他人に物を渡す癖の人がいるらしい。開高健が新宿西口の飲み屋にいると、隣にいた酔漢が「おまえが気に入ったが、何もやるもんがない。これでも持ってけ」といって、履いている靴の紐を一本抜いてくれたという話がある。
 吉行淳之介は、印鑑を渡してしまったそうだが、さすがにこれは必要なので、相手をおぼえていたから取り返すことができた。吉行がこの話をして、「受け取るやつも、どうかと思うねえ」といっていたのが、じつにおかしい。

 いかがでしたか?笑い納めていただけましたでしょうか。過去分へのリンクは<その1><その2><その3>です。

 なお、本年は、これが最終記事になります。来たる年は、1月1日(日)に新年ご挨拶とミニ記事をアップし、1月6日(金)から通常の記事をお届けする予定です。
 本年も「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただき、ありがとうございました。2023年も引き続きご愛読ください。
 皆様方のご健勝、ご多幸を心よりお祈りいたしております。

  芦坊拝

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