★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第500回 99と100をめぐる謎<旧サイトから>

2022-11-25 | エッセイ
 おかげさまで、当ブログも500回目を迎えることができました。愛読者の皆様の支え、ご声援でここまで続けられたと感謝いたしております。
 100かける5、の区切りですので、<旧サイト>で、100回を記念してお届けした記事を再掲することにいたしました。なぜか「99」という数字がタイトルについた本を取り上げています。最後には、「100」にオチをつけていますので、お楽しみに最後までお付き合いください。

★ ★以下、本文です★ ★
 
 おかげさまで、この「書きたい放題」も区切りの100回目となりました。約2年間、書き継いで来たことになります。お店のサイトにコーナーを設けていただき、毎週アップの労をお取りいただいているマスターにまずは感謝。そして、もちろん、愛読者の皆様にも。

 ということで、100にちなんで、「絶対に行けない世界の非公開区域99」(ダニエル・スミス 日経ナショナルジオグラフィック社)という本をご紹介します。

 「なにが100やねん、99やないかっ!」とのツッコミはもっともですが、理由があります。実は、この本の奥付には、当然のことながら、原著のタイトルが出ています。それによると、原著のタイトルは、「100 PLACES YOU WILL NEVER VISIT(あなたが決して行けない100の場所)」とあります。邦訳では、ひとつだけ欠落してるのがバレバレなんですね。それが何か、その謎解きはのちほどのお楽しみにして、まずは、内容をざっとご紹介します。

 世界の軍事関連施設、諜報機関、最先端の研究施設、金など貴重財貨の保管場所など(存在の是非は別にして)極めて厳密な秘密性、セキュリティーが求められて当然であり、一般人がアクセスできる筈もない施設が、豊富な図版で、幅広く紹介されています。有名なエリア51(空飛ぶ円盤の研究が行われているとの噂があります)、ホワイトハウスの執務室、ペンタゴン(米国国防総省)など、今更なあ、と思う施設も載っていたりするのですが、一般に知られていないところも数多く紹介されています。この種の話題に興味がある方の好奇心は、充分に満たしてくれるはずです。2つご紹介します。
 
 まずは、「パドマナーバスワーミ寺院」です。

 インド南部ケーララ州にあって、18世紀に建立されたヒンドゥー教の寺院です。2011年に、100年以上開けていなかった地下室を開けたところ、とんでもない財宝が出て来ました。3キロ以上ある金の鎖など、1200億ドル(約2兆円)相当の財宝が眠っていたのです。突如として、州一番の金持ちになった寺院は、従来の50人ほどの警備員に加えて、最新のセキュリティ装置を導入し、さらに日々250人の警官が巡回しているといいます。そもそもこの財宝は誰のものか、という議論もあるらしく、お金持ちも、度を超すと大変のようです。

 ついで、「ヘビ島」
 ブラジルの沖合30キロに浮かぶ島で、正式には、ケマダ・グランデ島といいます。地球上で最も強力な毒蛇にして、この島だけの固有種ゴールデンランスヘッドの生息地です。毒性は、おなじ種に属し、南米で一番死者を出しているクサリヘビの仲間の5倍。5000平米の島に、5000匹が生息しているとの推定なので、1平米あたり1匹ということになります。軍が、研究者以外立ち入り禁止にしているのも、当然です。研究者もあまり行きたがらないでしょうね。

 お待たせしました。99と100の謎ですが、日本語版のどこを見ても、そのことの説明はありません。仕方がないので、原著の出版国である米国アマゾンのサイトで、この本のレビュー(読者による書評)のひとつを見てみたら、謎が解けました。

 そのレビューの冒頭部分で、この本が取り上げているいくつかの施設名が例示されているのですが、チェルノブイリの次に「Fukushima」と書いてあります。「福島第一原発」のことに間違いありません。出版社独自の判断で外したのでしょうね、
 まあ、残る99の場所は、十分に楽しめたのですが・・・・

★ ★以上が本文です★ ★

 最後の謎解き、お楽しみ(?)いただけましたか?次の節目の600回を目指して、まだまだがんばるつもりです。引き続きご愛読ください。それでは次回をお楽しみに。

第499回 懐かしの昭和ギャグ集

2022-11-18 | エッセイ
 「ギャグ」とは、本来、笑いを取るための仕掛け、所作、決めゼリフなど様々なものを意味するようです。先日、「ギャグ語辞典」(高田文夫ほか 誠文堂新光社)という本を見つけました。そこでは、古いものから新しいものまで、セリフ、言葉のギャグを中心に集められています。私自身がリアルタイムで体験してきた「昭和」のギャグをいくつか選んでお届けします。どうぞお楽しみ下さい。

★当たり前田のクラッカー★
 昭和37年、コメディ時代劇「てなもんや三度笠」がスタートしました。主役の藤田まことが、冒頭の寸劇ナマCMで、悪人をやっつけて言います。「オレがこんなに強いのも」に続くのがこのセリフ。前田製菓は随分売り上げを伸ばしたはず。同書からイラスト(左は、白木みのるが演じた相棒の「珍念」)を拝借しました。

 英語の助動詞 " should " には「当たり前だ、当然だ」という用法があります。当時、ラジオの受験講座で、英文法を担当していた講師が、「「当たり前だの "should" 」と覚えときなさい」とよく言っていました。(おかげで)今でも覚えています。使う機会はなさそうですが・・・

★アムステルダムの朝は早い★
 1970年代半ば、ネスカフェ(インスタントコーヒー)が世界各地の朝の風景をシリーズ化したCMをさかんに流してました。これをギャグにしたのが大阪の落語家・笑福亭松之助です。「アムステルダムの朝は早い・・・・朝はどこかて早いがな」
 で、彼の高座の面白さにひかれて入門したのが、当時高校生の杉本高文・・・のちの「明石家さんま」です。アムステルダムの朝が結んだ縁は異なもの、でした。

★一週間のご無沙汰でした★
 中学生の頃、日曜お昼の楽しみは、「ロッテ 歌のアルバム」。生バンドをバックに、玉置宏の司会で、最新の歌が聞ける豪華な番組でした。「一週間のご無沙汰でした。司会の玉置です」と登場するのがお約束でしたが、これは、漫談家の牧野周一から譲ってもらったのだといいます。牧野が司会をしていた「しろうと寄席」で時々使っていたもの。番組が終わると聞いた玉置が「使わせていただきたい」とお願いすると「ようがす」と快く承諾してくれました。ちょっといい話?

★王、金田、広岡★
 1960年代のプロ野球の名選手の名前を並べて、「おお、金(かね)だ、拾おうか」というダジャレギャグです。当時の子供たちが全国で使っていたと本書にありますが、出処は書いてありません。実は、柳亭痴楽という落語家がいました。「痴楽綴り方教室」と称して、山手線の駅名やら、プロ野球選手の名前やらをズラズラと並べてダジャレトークを展開するというのをウリにしていました。これもそのひとつです。学習誌に口演ぶりが採録されていたのをはっきり覚えています。私の中では、彼の創案ギャグです。

★お呼びでない?★
 伝説のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」は数多くのギャグを生み出してきました。植木等といえばこれです。本書によれば、きっかけは、彼の「出のトチリ」。出番でない場面で、次のコントの衣装でカメラ前へ。「オット、これはお呼びでないのネ。こりゃまた失礼しました」との一言がスタッフに大ウケで、定番のコントになりました。
 歌手の布施明が歌っています。そこへ兵隊姿の植木が、「伏せっ、伏せっ」と叫びながら匍匐前進してきます。周りの冷たい視線に気づいてこのセリフ。お約束通りですけど、笑えました。

★川口浩探検隊★
 70年代から80年代にかけて40数回放映されたテレビ番組です。俳優・川口浩を隊長に、アマゾン奥地での原始猿人バーゴンや、巨大怪蛇ゴーグやら、とにかく見つかれば世界的大発見なものを探しに出かけます。子供達はワクワク、私は「ホンマかいな」と見てましたが、いつもカラ振りがお約束。「初めて入る洞窟なのに奥に照明係がいる」などツッコミどころも満載でした。番組自体がギャグだったんですね、今時は珍しくもないですが、当時はそれなりに新鮮な「ギャグ」でした。

★責任者出てこ~い★
 以前、大阪弁講座の「ぼやき」で登場してもらった人生幸朗・生恵幸子の漫才での決めゼリフです。歌謡曲のタイトルやら歌詞やらを散々あげつらった末に人生幸朗が発します。私が覚えてるのはこんなやりとりです。
「まあ皆さん、聞いて下さい」「どうしたのよ」「太川陽介の歌、何ですかあれ?「太陽にキッスしよう」やて?できるもんならやってみぃ。大ヤケドするどっ」「まあ、まあ」「責任者出てこ~い」「出てきたらどうすんの?」「謝ったらエエねん」
 最後は「昭和」プラス「関西」のギャグで締めました。

 いかがでしたか?昭和の時代を生き抜いたオジさん方、オバさん方に懐かしく笑ってもらえば、という趣向でお届けしました。お若い方々にも楽しんでいただけたなら幸いです。
 それでは次回をお楽しみに。

第498回 香港で語学を学ぶという事<旧サイトから>

2022-11-11 | エッセイ
 <旧サイトから>お届けします。一時、星野博美さんのドキュメント風エッセイを愛読していました。プロカメラマンの助手から、文筆の世界に転身した方で、その知的好奇心の旺盛さ、行動力、そして文書力に感心しながら、楽しく読んだものです。 
 本文の冒頭では、愛読するきっかけとなった彼女の作品や当時読んでいた作品などにちょっと触れています。そして、本題として、彼女の香港での語学学習体験を紹介しました。中国風とも香港風とも思える異文化体験をお楽しみください。 

★ ★以下、本文です★ ★
 ここのところ、星野博美という女性ノンフィクション作家にハマっています。
 きっかけは、最近出た「みんな彗星を見ていた」(文藝春秋社)という本です。織田信長の時代から、江戸時代初期までの、キリスト教の布教と弾圧の歴史を扱っています。日本側だけでなく、宣教師側の資料も徹底的に読み込み、取材を重ねた労作です。最後は、キリスト教の「本場」スペインまで足を運んでしまう徹底ぶり。重たいテーマですが、まったりした文章と、適度なユーモアに引っ張られて、あっという間に読み終わってしまいました。
「コンニャク屋漂流記」(文春文庫)は、先祖が、江戸時代、紀州から房総半島へ渡った漁師、というご自身のルーツをたどる珍道中の記録です。こちらでも、涙と笑いを堪能しました。

 そして、今は、「転がる香港に苔は生えない」(文春文庫)を読んでいます。著者2度目の中国(ただし、今回は香港のみ)訪問の記録です。時期は、1996年の返還直前。当時の街の様子です。


 本人は、広東語(香港を中心とした地域で使われている言葉)をそこそこマスターしているのですが、長期滞在するためには、語学の習得という形を取らざるを得ません。やむを得ず、最低限だけ広東語を教える語学学校に通いました。そこでの授業ぶりは、まさに異文化交流の趣きで、時に笑いを誘います。

 当時、香港の語学学校には、日本人は当然として、キリスト教関係者が多く通っていました。それには、こんな歴史的経緯があります。イギリスの植民地になっても、香港政府が熱心なのは、金儲けばかりで、そこに暮らす人々、難民の生活、福祉などにはまったく関心がなく、人々は劣悪な生活を強いられていました。そこに救いの手を差し伸べたのが、キリスト教関係者で、布教のかたわら慈善事業などを行なっていました。ですから、その人たちには広東語の習得が必須だったのです。
 そんな伝統は当時も続いていて、語学学校のクラスメート6名のうち、5名がキリスト教関係者という構成になっていたといいます。

 さて、香港という土地柄で、テキストには、政治性、社会性はあまりありませんが、それなりにユニークな例文が並びます。
「あなたは翡翠(ひすい)が本物か、偽物か見分けることができますか?」
「そんな風に子供を殴ったら死んでしまいます」
「子供に盗み癖をつけさせてはいけません」
「いくら銃を持っているからといって、むやみやたらに撃ってはいけません」
「香港ではどこを歩いても黄色(ポルノ)雑誌や風俗店ばかりが目につき不愉快だ」
「婚姻関係が破裂したら、我慢するより離婚したほうがいいのです」

 これらのテキストに、キリスト教関係のクラスメートが黙っているわけがありません。アメリカの修道女が異議を申し立てます。
 「私、離婚に反対します」
 それに対して先生は、「これは学習した語彙を使った例文ですから・・・」
 修道女も負けていません。「私、反対します。結婚は神聖な契約です。神が証人です」

 別の修道女から「先生、質問があります」「なんでしょう」「あなた方は本当に子供を死ぬほど殴るのですか?」答えに窮する先生。「私、暴力に反対します。子供は泣きます。何か伝えたいのです。なぜ泣くか、それを聞く必要があります」「まるで子供を育てたことがあるような深い意見ですね。シスター」と先生も負けずにイヤミを返します。
「さてと、次の語彙に移りましょう。「金庫にしまう」、これにしましょう。「あなたなら、宝石をどこにしまいますか?」」と先生。
「私は宝石を持ちません」「もし持っていたとしたらですよっ」「私が持つのは十字架です。十字架はいつも持っています。金庫にはしまいません」「「金庫にはしまわない」と一応、「金庫」という語彙を使いましたね。結構です。次に行きましょう・・」

 日本人にはちょっと考えられませんね。まあ、異文化、価値観のぶつかり合いって、こんなものかもしれません。でも、これだけのやりとりが出来れば、立派なもの。例文をすんなり受け入れるのではなく、異議を申したててみる、これって、語学習得の早道かも、と最後はちょっぴり「英語弁講座」を兼ねました。
 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。
 

第497回 「えげつない」ほか-大阪弁講座52

2022-11-04 | エッセイ
 第52弾をお届けします。どうぞお楽しみください。

<えげつない>
 いかにも大阪弁らしい響きがあります。コテコテの大阪弁だと思うんですが、お笑いの影響でしょうか、今や全国的にも通用しそうです。

 コアな意味合いとしては、世の中の規範というか、基準から大きく逸脱しているのを指します。もちろん、悪い方、ネガティブな方に相当逸脱していなければなりません。
 「えげつないヤツ」といえば、物言いが、ズケズケとあつかましい人物が思い浮かびます。腹黒さ、底意地の悪さなどもこもっていれば、いうことありません。
 数は多くないと思うんですけど、こんな大阪人がいるのも事実。そして、人を評するだけでなく、この言葉で反撃するのも大阪人の大阪人たる由縁でしょうか。
 「そんなに安うせぇ、安うせぇ言ふても、これがホンマに限界ですわ。あんたも、「えげつない」人でんなぁ」

 「えげつない」振る舞いというのもあるわけで・・・
 「ワテの別れた女房(よめはん)、家財道具は言うに及ばず、電球の球から便所のスリッパまで、ごそっと持って出て行きよってん。「えげつない」ことやってくれるわ」気の毒なご亭主の顔ってこんなのでしょうか。


 さて、「えげつない」商売といえば、いろんなケースが思い浮かびます。一応まともに商売をやってはいるんだけど、儲け第一で不当に高い値段をふっかけてたり、質の良くないものを、売り抜けたりするのが代表的なやり方でしょうか。
 中には抱き合わせ販売とか、初回無料だけど2回目からガッチリとか、送りつけ商法とかの詐欺まがいの手口もあります。この手の商法が横行するのがいかにも大阪的。で、乗せられた方に厳しいのも大阪です。
「確かに「えげつない」やり方や。けど、よう調べもせんと、言い値で買(こ)うたアンタも悪いわ。しっかりせぇよ」同情しているのか、激励してるのか、馬鹿にしてるのかよく分かりませんが。

<うだうだ>
 ヒマでヒマで、時間を持て余してるような時、大阪のオッチャンが一番好むのは、「うだうだ」過ごすこと。語感でいえば、「だらだら」が近い気がします。
 さて、その中身はというと、結構幅があります。まずは、何もせんと、ぼーっとしてるのが「うだうだ」の代表的な状態。
「近頃、どないしてんねん?」
「することないから、毎日、家で「うだうだ」してますわ」

 そのくせ、大阪のオッチャンは、とにかく集まって、酒飲みながら、ワイワイしゃべるのも好き。とりとめもないこと、思いついた話題なんかを酒の肴に、ようしゃべります。笑いをとってナンボの世界なので、ツッコミを入れたり、入れられたり・・・・忙しい。
 そんな時間の過ごし方にぴったりなのも「うだうだ」
 「ゆんべ(昨晩)も、あいらと、いつもの店で、「うだうだ」飲んでて、ひょいと時計見たら、とっくに終電過ぎてる時間や。ホンマ、往生(大いに困って)してもたわ」

 そうそう、くどくどと、文句とか恨み、グチを言い立てる様子も「うだうだ」と表現できます。
 「いつまで「うだうだ」と文句を言(ゆ)うてんねん。もう終わったことやねんから、ええ加減に諦めとき・・」なかなか、便利でしょ。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。