椅子を削るということは、人を彫ることとよく似ている。椅子の坐り心地や身体のフィット感というのは、坐る人の「存在の印象」を掘るということだからだ。削られた椅子の形が放っている空気感は、つまり坐った人間の抽象形態に他ならない。
椅子という「形あるもの」を通して、目に見えない感覚世界にはたらきかけていくことができるようになると、物つくりは人を幸せにするための呪術のようにさえ思えてくる。「目に見える形」と「目に見えない感覚世界」は、作品のディテール領域でしっかりと結ばれているのだ。
矢田部英正『椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)』筑摩書房、2011年、218頁。
「物つくりは人を幸せにするための呪術」であってほしい。私にその「呪術」はないが、その能力がある人はぜひ使ってほしい。
椅子という「形あるもの」を通して、目に見えない感覚世界にはたらきかけていくことができるようになると、物つくりは人を幸せにするための呪術のようにさえ思えてくる。「目に見える形」と「目に見えない感覚世界」は、作品のディテール領域でしっかりと結ばれているのだ。
矢田部英正『椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)』筑摩書房、2011年、218頁。
「物つくりは人を幸せにするための呪術」であってほしい。私にその「呪術」はないが、その能力がある人はぜひ使ってほしい。