「食」はあくまで「食」であって「餌」ではない。それらを分けるのは「如何に食べ」「如何に味わうか」ということの工夫にあり、動植物の命を頂いて自分が生かされていることの切実な感謝の気持ちから出てくるはずのものである。
矢田部英正『椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)』筑摩書房、2011年、164頁。
偶然だが平行して読んでいた赤瀬川原平の本でも同じような内容の文章を読んだ。「餌」ではなく「食」を頂いているという意識を持つこと、味わうことの感覚を忘れてはいけない。そのためには、人と一緒に食事をしたり、作ったりすると「如何に食べ」「如何に味わうか」の感覚が強くなる気がする。
矢田部英正『椅子と日本人のからだ (ちくま文庫)』筑摩書房、2011年、164頁。
偶然だが平行して読んでいた赤瀬川原平の本でも同じような内容の文章を読んだ。「餌」ではなく「食」を頂いているという意識を持つこと、味わうことの感覚を忘れてはいけない。そのためには、人と一緒に食事をしたり、作ったりすると「如何に食べ」「如何に味わうか」の感覚が強くなる気がする。