A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

memorandum 227 世界はうつくしいと

2016-01-06 23:07:49 | ことば
うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。溪谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史というようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

長田弘「世界はうつくしいと」『長田弘全詩集』みすず書房、2015年、518頁。

かつてとあるアートのシンポジウムで、登壇している評論家や作家が美術作品について「うつくしい」とは言わないという発言を聞いたことがある。そのような発言が会場のムードを支配するなか、登壇者の1人であるアーティストの内海聖史さんだけは、絵具はうつくしい、そのうつくしさが作品をつくるモチベーションだというような発言をただ一人続けていた。その発言に対して、ほかの評論家や作家はその見解を批判し、「うつくしさ」を否定した。
いまあらためて思うのは、「うつくしい」という言葉をためらわずに言えた内海聖史さんは正しかったし、わたしたちは「うつくしい」という言葉を言うこと、その感情を忘れてはいけないことだ。この詩を読んで、そんな昔の話を思い出した。
永遠なんてない。世界はうつくしい。