「インディヴィジュアル」という言葉を、私は名詞[個人]としてより、形容詞[個々の、個人の]として使いたい。
「個」をもち上げる今の時代のとどまるところを知らないプロパガンダは、私にはきわめて疑わしいものに思える。というのも、「個人性、個性」という言葉自体がますます利己性や自分本位の同義語となってきているからだ。資本主義社会は、「個人性、個性」、また「自由」――これらは、自己を際限なく誇大化する権利とか、ものを買い、入手し、使い果たし、消費し、陳腐化する自由とほとんど変わらぬ意味しかない――を称賛することに既得権をもつようになってきている。
スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.214
「個」をもち上げる今の時代のとどまるところを知らないプロパガンダは、私にはきわめて疑わしいものに思える。というのも、「個人性、個性」という言葉自体がますます利己性や自分本位の同義語となってきているからだ。資本主義社会は、「個人性、個性」、また「自由」――これらは、自己を際限なく誇大化する権利とか、ものを買い、入手し、使い果たし、消費し、陳腐化する自由とほとんど変わらぬ意味しかない――を称賛することに既得権をもつようになってきている。
スーザン・ソンタグ『同じ時のなかで』木幡和枝訳、NTT出版、2009年、p.214