佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

吉祥寺跡(佐渡市沢根)   投稿者:佐渡の翼

2013年12月22日 04時23分11秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

佐渡博物館で佐渡金銀山遺跡展を見た時に、1階の写真展示場で「吉祥寺跡」が紹介されていた。鶴子銀山で豊かな鉱脈を掘り当て、数万両を稼いだと伝えられる、山師「秋田権右衛門」が建てたお寺が吉祥寺だそうで、現在はその跡地しか残されていない。筆者はその場所を特定すべく、佐渡市世界遺産推進課に電話をし尋ねてみた。すると、さすがは世界遺産推進課である、たちどころに場所を教えてくれた。「沢根のお菓子屋「しまや」さんの左隣の道を北上すると、やがて右手に西野金北山(きんぽくさん)神社が見え、次いで左手に吉祥寺跡があります。秋田権右衛門家の墓はその手前にあります」と担当者は言った。西野の金北山神社は、社伝によれば、724年の創建といわれる。かつては鶴子銀山にほど近い屏風沢にあったが、山師秋田権右衛門によって現在の西野に移された。例祭では鬼太鼓や能が奉納されるそうだ。

以下は歴史書を紐解いたところ分かった記述である。

「秋田権右衛門は五十里山を中心に活躍した山師で出生地は秋田。秋田城主の佐竹氏に仕えていたが、1624年に秋田から佐渡に渡った。旧姓は秋元だが、鎮目市左衛門の頃に秋田と改めた。山主の古口権兵衛に仕え、権兵衛の死後に名跡を次いだ。相川から西野村に移住して、屏風沢・仕出喜沢・松ヶ沢・百枚平一帯で稼いだ。正保年間(1644~47)に城下川端にあった多聞寺を西野村に移して、吉祥寺と改称し、更に河内山屏風沢にあった小社を金北山神社として吉祥寺境内に移した。仕出喜間歩で豊鉱脈を掘り当て、1652~58年まで数万両を稼いだと伝えられる。2代目も弥十郎間歩・黒瀬間歩・鳥越間歩・小滝間歩を稼ぎ、銀山巧者として名声を高めた。」

要するに、鶴子銀山で一山当てた大金持ちなのだが、意外に知られておらず、佐渡検定の本にも紹介されていないし、佐渡市の文化財のHPでも紹介されていない。筆者も佐渡博物館を見学して初めて知ったくらいだ。金北山神社、吉祥寺跡、秋田権右衛門家の墓の写真についてはデジブックで詳しく紹介してあるので、詳細はそちらに譲りたい。吉祥寺跡の撮影が終了した時点で、雷雲が空を覆い尽くし、暗くなって雷も鳴りはじめた。そして突然、まるで台風並みの突風が吹いてきた。空が暗くなり涼しい風が吹くのは雷雨の前兆で、風雲急を告げるとは正にこのことである。大慌てで、秋田権右衛門家の墓を撮影し終え車に戻った。そして沢根の県道に出てから、佐和田方面へと向かった。

12月21日の日記: ある日の朝日新聞を読んでいたら、生活欄に、「浪費しているつもりはないのに、口座の残高の減りが速い」と嘆く横浜市の主婦の溜息が掲載されていた。筆者はこの主婦が羨ましいと思った。何故なら筆者の場合、いくら浪費しても一向に預金残高が減らないからだ。こう書くと、「この野郎お~」と一発頭をぶんなぐられそうだが、いやほんと、いくら浪費しても金が減らない苦しみは金持ちにしか分かるまい。再び、「おまえ、どたまかち割ってやろうか?」と言う声が聞こえてきそうだが、実際そうなのだから仕方あるまい。新聞のフィナンシャルプランナーに寄ると、支出を見直す最大のポイントは「生命保険の契約内容を見直す事」だそうだ。25歳で介護特約を付けたり、癌保険に入っているのにガン特約を付けるような無駄なケースが多々あるそうだ。筆者は自動車保険と仕事上のリスクヘッジ保険以外の保険には一切加入していないので、保険料の無駄は発生しない。次に「家計支出の中で増えているのが通信費。携帯電話は夫妻と子で別々の会社と契約しているなら、セットで一緒に入ると家族割りで安くなるケースがある」点だが、携帯電話何て筆者の場合、待ち受け専用で、自分からかける事などほとんどないのでこれも筆者には無関係!最後に「教育費のかけ方に工夫を」とのアドバイスだが、教育する立場であり、教育すべき子供などいない筆者には当然無関係。ゆえに、世にいう節約術などは筆者には無縁の代物である。だが、一般的に年齢を重ねると生活に必要なお金は減ると言われているが、筆者の場合は贅沢に金がかかるので逆である。

鮭と秋野菜の三昧ソース炒め

http://www.digibook.net/d/4645e39ba0df2c6c75e127a62c33f71c/?viewerMode=fullWindow



最新の画像もっと見る

コメントを投稿