☆風雲児たち8 【蘭学黎明編4】☆ (1984年12月25日刊)
~さらば源内~◆表紙絵;幻灯を回す源内(風雲児たち名場面集のフィルム)
◆裏表紙絵;風雲児たち名場面集のフィルム●第一章 初登場!? 司馬江漢 (24ページ)
トビラ;アイヌのフクロウの儀式
時期;安永5年(1776)
登場人物;林子平、長崎奉行柘植長門守、司馬江漢、オランダ商館長ヘイト、スウェーデンの植物学者ツンベリー、中川淳庵、桂川甫州、前野良沢
エピソード;◎長崎奉行にアイヌの風習を教える林子平/◎子平の琉球旅行計画(三国図譜の構想)/◎司馬江漢、林子平に会いに行く/◎銅版画/◎子平琉球へ、一月後帰還/◎参府していたオランダ人たちの長崎帰還、ツンベリーと子平の出会い/◎日本に来たい他国人/◎中川淳庵、ツンベリーに会ってオランダ語の会話が通じる事に感激/◎前野良沢のツンベリーへの手紙/◎ヘイトの子平への決闘申込み●第二章 対決!! ヘイトvs子平 (24ページ)
トビラ;欧州の馬上騎士試合
時期;安永5年(1776)
登場人物;商館長ヘイト、林子平、植物学者ツンベリー、平賀源内、細工職人弥七、お奉行様
エピソード;◎ヘイトの馬術/◎日本の西洋馬術/◎長崎出島の中の植物園/◎江戸でツンベリーと平賀源内が出会わなかった不思議/◎エレキテルの贋物出現/◎エレキテル贋物裁判「浅草の見せ物は裁けぬ」/◎源内の憤慨●第三章 奥州の蘭学者 (24ページ)
トビラ;佐竹曙山画『湖山風景画』
時期;安永7年(1778)
登場人物;杉田玄白、陸中の医師建部清庵、その子亮策、若き大槻玄沢、前野良沢、峰子ちゃん、平賀源内、弥七
エピソード;◎杉田玄白の手術光景/◎麻酔はまだ無い/◎江戸の玄白と奥州の建部清庵の文通(和蘭医事問答)/◎前野良沢の引きこもり生活/◎大槻玄沢、前野良沢に弟子入り/◎ニセモノ細工職人弥七、身を持ち崩して逮捕。源内に呪詛を吐く/◎納沙布岬にロシア船来航●第四章 ロシア船出現 (30ページ)
トビラ;平賀源内のカブキ姿
時期;安永7年(1778)~安永8年(1779)新春
登場人物;ロシア人たち、蝦夷地の役人新井田大八&工藤八百右衛門、故ベニョヴスキー、伊能忠敬、その妻通、平賀源内、小田野武助、司馬江漢、長崎通詞荒井庄十郎、肥前屋、福助、杉田玄白、大槻玄沢、桂川甫州、田沼意知、田沼意次
エピソード;◎ロシア人、初めて北海道に上陸/◎アイヌ人たちの驚き/◎ロシア船の千島列島南下(ラッコを追いかけて、ベニョヴスキーの予言実現)/◎通商条約の要求/◎アイヌ人通訳を介した史上初の日露会談/◎1年後の再会談を約束/◎新年も忙しい源内/◎インチキ職人弥七の獄死/◎金儲けの手段を教える源内/◎新台本(『霊験宮戸川』『実生源氏金王桜』)を次々と書く源内/◎金に困る源内/◎血を吐く小田野武助/◎荒井庄十郎を杉田玄白に紹介する源内/◎田沼邸の新年の訪問客/◎源内に便宜を図る田沼/◎世界初の気球計画/◎源内と田沼の関係に目を光らせる松平定信●第五章 凶宅 (28ページ)
トビラ;吉原の女郎屋
時期;安永8年(1779)
登場人物;平賀源内、ロシア人たち、蝦夷役人新井田大八&工藤八百右衛門、ロシア人通訳フョードル、福助、大江戸不動産、死んだ高利貸し神山検校、小田野武助、司馬江漢
エピソード;◎ありがたい牛/◎源内の奇行が始まる(「源内大明神」「生き神様」)/◎陸中仙人山で亜鉛鉱脈発見/◎1年後、ロシア船再訪→松前藩士間に合わず/◎厚岸で会談、通称の拒否/◎ロシア人は日本語を話せる=70年前にペテルブルクに日本語学校/◎松前藩は会見内容を秘匿/◎その後の密貿易/◎平賀源内、新宅を購入(橋本町の幽霊屋敷)●第六章 殺人 (28ページ)
トビラ;源内の発明品の数々
時期;安永8年(1779)11月20日
登場人物;平賀源内、大江戸不動産、ご家老、大工の秋田屋久五郎、工事役人松本十郎兵衛、福助
エピソード;◎東北の不作/◎源内の新発明「日本一安い費用で立つ建築」/◎神田の大名の別荘の建築会社入札「他が9万両ならうちは3万両でお釣りを出してみせましょう」/◎源内に秘密を聞きに行く久五郎/◎源内の天才に感嘆する久五郎「建築の革命だ!」/◎夜中に錯乱する源内/◎秋田屋久五郎を殺害●第七章 懺悔 (30ページ)
トビラ;香川県志度町にある平賀源内銅像
時期;安永8年(1779)12月18日
登場人物;杉田玄白、中川淳庵、松本十郎兵衛、奥医師千賀道有、田沼意次、肥前屋、ご家老、前野良沢、林子平、司馬江漢、佐竹義敦、小田野武助、田沼意知、松平定信、
エピソード;◎源内の殺人事件江戸の大ニュースに/◎各方面での救刑活動/◎源内の狂気説(小便をありがたがる絵)/◎源内の追善興行の稽古/◎伝馬町牢屋敷について/◎松平定信、源内の原型活動を邪魔する/◎蘭学に対する非難高まる/◎田沼の絶望/◎入牢28日目に牢内で源内衰弱死●第八章 さらば源内 (22ページ)
トビラ;台東区橋場総泉寺跡にある源内の墓
時期;安永9年(1780)春~初夏
登場人物;杉田玄白、中川淳庵、奥医師千賀道有、田沼意次、前野良沢、林子平、司馬江漢、佐竹義敦、小田野武助
エピソード;◎源内の死に愕然とする一同/◎福助の死/◎遺骸の無い葬式/◎玄白による源内の墓碑/◎罪人の碑の建立は許されず(昭和5年に建造)/◎小さな福助の墓/◎小田野武助の死去/◎佐竹公の絵への情熱失われる(秋田蘭画の終焉)/◎死してなお慕われる源内/◎平賀源内生存説/◎司馬江漢の決意/◎源内の発明した竹とんぼ/◎フランス人ラウノウ・ピアンヴニュがプロペラ発明(1780)/◎モンゴルフィエ兄弟の気球(1783)●エピローグ (4ページ)
登場人物;中津藩主奥平昌鹿、前野良沢、頼春水、その妻静子、頼山陽
エピソード;◎奥平公死去/◎良沢の回想/◎頼山陽生誕
……とうとう「蘭学黎明編」が終了です。平賀源内も死んでしまいました。淋しいなぁ。
この巻で再び平賀源内の偉大さの数々が語られます。ほんとすごい人でした。
残念なのは、源内が発明したという「建築の革命」が、源内の殺人によって実現しなかったことで・・・・ どうやろうとしたんだろう? 見当違いかも知れませんが、一年前に姉歯建築士による耐震偽装問題のニュースを盛んに聞いていたとき、私が思い浮かべていたのは源内のこの巻のことでした。源内だったらもっとうまく出来ていたんでしょうねぇ。ともかく平賀源内は、好きじゃない人がいない歴史人物だと思いました。
杉田玄白による墓碑銘は、原語で全文が載っているんですが、読むのが面倒なので意訳して書き写しておきます。 「処士鳩渓墓碑銘 …ここに眠る平賀君、いみなは国倫、あざなは子彜、鳩渓と号し、風来山人と称す。信州の平賀源心の子である。難を避け信州から讃岐国志度に移り住んだ。君子のような人であった。小さい頃から才弁があった。気を尚び剛傲としていた。書を読むとき細かな章句にこだわらなかった。高松公が彼を採り上げ役人とした。嘆いていわく、生活のために生きていても国家の為にはならない。郷里で黙っていても駄目だ。何をしたらいいだろうか。そして彼は職を辞して四方を旅した。各地の産物を知る事を極め、山河を知り尽くし、各種技術に詳しくなった。諸侯に会っては国の利益になる事を説いた。人に対しては各人の利益になる事を説いた。ゆえに世間に愚かな人がいなくなった。世の人はみな平賀源内の名を知った。諸侯は彼を欲しがったが、彼はそれを皆断った。彼が言うには、人生とは求められる所に行くべきである。どうして五斗の米の為に腰を折らねばならんのか。人は彼に妻を娶ることを薦めた。彼は言った。今私の家は四方に広がっている。これ以上の何を求めるのか。彼は常に客を好んだ。客が来るといつも彼は酒を振る舞い、昼から夜まで語り合い、倦むことがなかった。彼には定まった収入が無くて、しばしば懐がからになった。しかし晏然としていて気にしなかった。彼が世に出した本は物類品隲五巻がある。しかし、それ以上のことを彼は為した。薬物、火浣布などなど。彼が発明した物は百以上ある。一方で小説を書く事を好み、若干の物を出版した。安永の己亥の年、凶病で人を殺し、獄に入った。12月28日獄中で死んだ。51歳。法により彼の遺骸は引き取る事は出来なかった。有志が集まって、彼の衣類履き物を納めて浅草総泉寺に葬った。石碑も建てた。私たちは彼と親しかったから、ここに銘を刻もうと思う。ああ非常の人、非常の事を好み、非常これを行い、なんぞ非常に死するや」
・・・意訳しちゃうとアレですけど、いい文章だなあ。 と杉田玄白が自分で言っていた。