オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

徳川十六神将(その1)。

2008年03月04日 20時06分51秒 |   神君家康

 

『歴史街道』誌の今月号の特集が本多忠勝でした。
中に諏訪原氏による本多平八の絵があって、それがあまりにもかっこ良かったので買っちゃった。だいぶ前に買った諏訪原氏の画集にも、別の忠勝の絵が収録されてたんですけどね。

さて、猛者ぞろいの徳川家中の中にあって、武勇第一といったらまず挙げられるのが本多忠勝。本を読んでると、その無敵ぶりにクラクラしてきてしまいます。
例えるならば、趙雲と関羽と張遼と許猪とホウ統を足して2で割ったような人。無敵すぎ。
ゲーム等でも頻繁に登場しますので、一番おなじみの人なんでしょうね。
しかし!
私には、一般に膾炙している忠勝像はあまりにもかっこよすぎる。絵としての話ですよ。私は、何度も言ってますが武者は必要以上に麗しく書かれるのを見ると熱が出て寝込んでしまう、難儀な性格なのです。

まず、信長の野望の本多忠勝。
  
蒼天録           革新

やべー、なんだかハンサムすぎて寒気がしてきましたぞ。
続きまして、戦国無双の忠勝。

  (※参考;ココを見て

なんだか脾臓が膨れてきました。
私、戦国無双はどうも性に合わなくて、ただ見ていた覚えがあります。

そして、『戦国BASARA』です。
これはj.kさんに教えてもらったんですが、ここまでやってると、ちょっと面白いですね。

これだけいる中からどれが忠勝なのかを見分けられたら、アナタはすっかり戦国ツウですよね。
正解はコレ。(↓) …わからないか。赤い若造は真田幸村ですか? 孫一?

が、ここまできてしまうと腸捻転で痙攣を起こしてしまいます。

なんとかかっこいい忠勝を見ないで過ごす方法は無いものか。
無いものかって、「史実の」本多忠勝を描いた絵としては残っているものはただひとつしかなくて、これさえあれば(私には)百人力です。

ホッ。
やっぱり忠勝は、この絵が一番くつろぐわい。
表情の細かい部分や色づかい、構図から見て、「三方ヶ原の家康のしかみ像」を描いたのと同じ作者? …と思ったのですが、こちらの絵は忠勝の晩年に描かれたものだそうですね。残念。千葉県の大多喜城の近くにある良玄寺に納められた絵だそうです。
つくづく異相ですよね。
ただ、忠勝はこの絵を描かせるとき、その出来上がりに満足できなくて、8回も描き直させたといいます。その分、最終的に完成したこの絵が忠勝の表情を良くとらえているとも言えましょうが、視点を変えてみれば、最初に描かれた方が画家が存分に腕を奮った「忠勝の本当の顔」に近いもので、でも忠勝は後世のために「怖くて迫力のある絵」を望んでいたので、両者の認識のズレが「8回」という描き直しの数字に表れていると考えることもできます。だって、いくらなんでもそんなへたっぴの画家さんを呼んだはずないでしょうから、いくらなんでも8回は多すぎます。要は、この絵はかなりフィクションの可能性もあると。
その9枚の絵が全部残っていて、画家に対する忠勝の要求を克明に追うことができたら、面白かったのに。
肩のうしろの「ヘンな毛」はなんだろう? もしかして唐の頭?

ま、ともあれ忠勝の絵は(数ある十六将図や写実性に欠ける合戦錦絵を除いては)これしかないわけですから、私のこのブログでは忠勝のイメージは御意のママでいきたいと思います。この肖像と甲冑を見るだけでも、この方はシャレッ気とケレン味を存分に持ち合わせたお方でしたよ。

が、やっぱりアレですねー。
「十六神将」のトップバッターに取り上げといて言うのもなんですが、いくらこんな顔でも、本多忠勝はどうしてもどうしても立派すぎて苦手です。どうにかして彼には触れずに済ませたいところですが、浜松時代の家康は忠勝抜きで語ることは不可能なので、、、、、、 つらいです。

とりあえず、数多くある逸話の中から、とりわけ私が大好きな忠勝のエピソードを2つ。

まず、『名将言行録』の第一話に掲げられている話です。(多分、忠勝14歳前後)

あるとき、家康は忠勝を連れてかまり(=偵察)に出た。家康の前を歩いていた忠勝が、突然立ち止まって言った。「殿! ここより先は進むことは無用です!」 家康が何があったのかいぶかしげにしていると、忠勝はすかさず言った。「私は今、うんちを踏みました。どう見ても人の糞です。とても柔らかいので捻り出されて間も無いです。おまけにひどく臭いです。きっとまだ近くにいます」。するとその声を聞いて、近くに座っていた敵兵が起き上がって襲いかかってきた。家康は間一髪で逃げた。

これはダメな例なのですが、忠勝の一番の能力は「とっさの判断が素晴らしく早く、反射行動はさらに早い」ということが挙げられると思います。きっと、このように実地で鍛えていったものなのでしょうね。

続きまして、明良洪範から。

豊臣太閤があるとき言った。「東国の本多忠勝、西国の立花宗茂。この2人が当代無双の勇者であり、天下の干城(=国を守る軍人)である」。そういって、ふたりを引き合わせた。ふたりは互いに言い交して、何度も語り合いの機会を持った。
宗茂は、忠勝が年長で軍事にも老練だったので、いつも忠勝に乞うて武辺の物語を聞かせてもらっていた。ある日、忠勝は宗茂に言った。「わが殿は、若いころからどんなことでもハッキリとしたことは言わなかった。だから私は心もとなく感じることもたびたびあったのだが、今頃になって分かってきたことがある。上から物を見るようになると、下のことはとても明瞭に見えてくる。だからついつい下の者にあれこれ指図してしまうのだが、そうすると、下の者はただ命令に従うばかりで頭を働かせなくなる。だからわが殿は、そこを汲み図って出来るだけ下の者を寛容に扱っていたのだな、と。忠勝もそのことをよく思い出して、江戸の黄門さまに(←家光?)語り聞かせ、若年の主の教訓としているのだ」。宗茂は、なんとも賢いことを聞いたと言って、いたく感嘆したという。

いいな~~。このシーンは志木沢郁氏の『立花宗茂』にも描かれていましたが、本多忠勝と宗茂の取り合わせって、意外と(私にとって)光景がイメージしずらいペアです。でもいいな~~。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デジタル一眼レフ。 | トップ | 宗良親王の兄弟たち(その1)。 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 鎧は意外に軽装だったそうですね。 (j.k)
2008-03-04 21:22:56
 おぉ、オリジナルですね。機動ロボ兵器でない方の(笑
 私は落語が好きで、ipodでよく『枝雀落語大全』を聴くんですが、そのレパートリーに『くっしゃみ講釈』というのがあります。
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug100.htm
 劇中、講釈師の先生が語るのが『難波戦記』。
 (「真田の抜け穴」について、別の落語『猫の忠信』でも触れられています)
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/kodan/rozan.htm
 やはり登場します、本多平八郎忠勝。
 ところが史実では大坂の役の頃はもう既に亡くなっているんですね、忠勝。(参戦しているのは忠朝)
 それを曲げて登場させているくらい、人気があるキャラ、という事でしょうか。
返信する
くっさめくっさめっ。 (麁鹿火)
2008-03-04 21:57:32
ほんとだ、忠勝が出てる。
関西人にとっても本多忠勝と言えば、やっぱり豊臣秀吉つながりなんでしょうかね。
いつも有益な情報、ありがとうございます。
j.kさんのアンテナの広さを見習いたいです。
講談というのもなかなかおもしろそうなものですね。『味方が原』というのに忠勝が登場するんですね、たぶん。
「猫の忠信」、、、 なんですかそれ?
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo96.htm
幸村の抜け穴、私の想像してたのと全然違いました(笑)。モグラの幸村。
忠信は、兜つながりで忠勝も登場するのかと思ったら、違うんですね。(※本多忠勝は豊臣秀吉から褒賞として佐藤忠信の兜を貰った)
返信する
お久しぶりでございます (儀一)
2008-03-06 12:28:47
多少の休止期間を経て、少しずつ活動を始めております。

最近のゲームの人物はハンサムすぎて浮いておりますね。ハンサムな方が絵になるのでしょうが、現実的という部分を考えたらやはり顔に少しの癖があった方が印象深いのではないかと思います。悪人面でもいいじゃない、戦国時代なんて偽善者ぐらいでないと生きていけない時代だったのだから(笑

それにしても絵が大変上手ですね。私は人物画が苦手(それ言ったら絵全般苦手です)なので、色々と絵を描くコツみたいなのを教えて頂けたら嬉しいです。

ではまた!
返信する
お城めぐり。 (麁鹿火)
2008-03-07 07:30:37
儀一さん!
私もそろそろ腰を入れてお城巡りに取り組もうと、儀一さんにいろいろと教えを請いたいと思っていたのに、儀一さんが更新中止宣言を出されてしまって落胆していたところでした。
少しずつ活動再開されるんですね。嬉しい。
気分転換・リフレッシュには歴史巡りは最高ですね。

武将絵については、今回の本多忠勝のことも家康のしかみ像のこともそうなんですけど、本人たちは「できるだけ恐そうに」「夢に出そうなくらい鬼々と」「図太く黒く悪く醜く」「後世に語り伝えられることを主眼に」描かれること強く望んでいたことを思うと、いろいろなことを考えてしまいます。

儀一さんの絵版も停止してしまったんですよね。あれ好きでしたよ~
返信する
はじめまして (グレープ)
2017-05-26 01:21:11
忠勝は豪快なエピソードが多いのですが、完璧過ぎるせいか、単体では今一つ「面白み」とか「親しみ」が涌きぬくい英雄です。
しかし主君・家康や娘の稲姫、親友の榊原康政、友人の立花宗茂、義息子の真田信幸、後輩の井伊直政、そして天敵の本多正信と対比させたりセットにすると、抜群に面白くなる。
某無双ゲームでも「世話の焼ける生意気な後輩・直政に手を焼いている姿を見せるようになってからファンが増えた。」と言いますし…。
三河武士達といい家康といい、単体ではなくセットになって初めて「面白くなる」不思議な人達だなぁと思います。
(徳川ファミリーは個人的に笑える、或は周知のキャラクターとはギャップに満ちた逸話の持主が多いので、そこが好きです。)
返信する
名将言行録。 (麁鹿火)
2017-05-26 21:21:37
グレープさんごきげんよう!

御書き込みありがとうございます。去年と今年の大河ドラマで三河と遠江の武士団の愛好家がますます減ってしまってるんじゃないかとハラハラしてるんですが、グレープさんは我らが一党のお味方なのですね。来年の薩長に負けぬように頑張りましょうぞ。

わたくし、幸いにして伊豆と遠江に長く住むという経験を得たのです。
伊豆には若い頃の頼朝公の、遠江には精力漲っていた頃の神君の、愉快な愉快な逸話がたくさんあったので、多分世に広まっている両君のイメージとは別の魅力にたくさん親しめたと思うんですよね。伊豆や遠江だけではなく、甲斐にも紀伊にも肥前にも安房にも(私の知らない)そういうのがたくさんあるはずで、そういうのをもっと読んで調べていけたらと願っています。

昨年の本多忠勝公(=藤岡弘。)はみごとでしたねえ。今年はまだ平八殿は登場してないんですっけ。たしか先週、(私の現在の居住地である)気賀郷が出てきたと聞きましたので、まもなく徳川四天王無双時代になるはず。この記事を書いた頃の私は伊豆から浜松へ引っ越してきたばかりで、仕事絡みで「遠州における徳川四天王活躍マップ」を作ろうとしてたんでしたよ。あれ、完成させたいですな。それがらみで総州大多喜や勢州桑名にも行ったようなそうでもないような。

★本多忠勝・・・野地城、浜北でウンコを踏んだ場所、木原畷、一言坂
★榊原康政・・・天方城、和田ヶ島砦、三方原合戦時の康政の逆襲
★酒井忠次・・・白須賀~宇津谷城、玄黙門、見付学校、鳶ノ巣山
★井伊直政・・・井伊谷、浜松城で大政所を強禁

意外と浜松では井伊直政に関する見所が無いんですよね。今年の大河ドラマでは「井伊谷三人衆」がきちんと描かれていて感涙しました。とくに近藤康用を演じてられる橋本じゅんさん、すばらしい。康用の息子の秀用は井伊直政とはそりが合わず出奔してしまうのですが、井伊氏が去った後に、浜名湖北部地域~浜北の一帯の支配者は近藤秀用となり、近藤氏は幕末まで続きます。あとは私は菜々緒さんが大好きなので、近々に出現する(と思われる)小原肥前守鎮実とラ・トラヴィアータ(椿姫)が素晴らしかったら最高なんですけど。太原雪斎の死が描かれなかったのと井伊直平がいつのまにかいなくなっていた(死の模様を描写していない)のは何かの前振りなんですよねー
返信する

コメントを投稿

  神君家康」カテゴリの最新記事