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オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

グインサーガ120 『旅立つマリニア』。

2008年04月21日 20時20分47秒 | 小説・漫画

表紙にゴーラの戦王イシュトヴァーンの後ろ姿があったので、「おっ、やっと久し振りに彼の出番かっ!?」と心躍らせたのですが、一瞬も出てきはしませんでした。そうですよね、彼はまだ怪我の療養中ですものね。いや、そろそろ治っているころかな。彼が再び癒えた姿で舞台に戻ってきたときこそ、中原は今度こそ“最後の”大戦乱に突入するはずです。

それよりも今巻のキモはこれ。

「ぼくは、本当に---自分のことしか考えていなかった。というより、…ねぇフロリー、本当はぼくは、自分のことしか考えなかったわけじゃあないんだ。リンダのことがわからなかったわけじゃない。リンダが大変だと言うことも、自分ひとりがその戦場をあとに逃げだそうとばかりしていることが、とても卑劣だ、ということも…ちゃんとわかっていたんだ。だけど、懸命に自分は自分なりの理屈で身をよろい、なんとしても自分の大切だと思う、夢だの理想だの、自分のしたい生き方だのを守ろうとしていた。それを守ってくれるのは自分しかいないと思っていたからね。また事実、そうなんだけれども」(中略)「ぼくがパロに残りたくないというのについては、聖王家の男児としての当然の義務を果たしたくないということじゃない。それ以前に、聖王家の方はずっとぼくをその一員としてなんて、認めてやしなかったんだ、ということなんだ。ぼくはずっと、王家の余計物として扱われていた。ぼくはいないものとされてきた。ぼくはジャマで目障りな妾の子だった。貴い清らかな兄やリンダたち、まっとうな嫡子である子たちにくらべて、いつもいつもはっきりとさげすまれ、差別され、仲間はずれにされている存在だった。---それをいま、こういう状況になったからといって急に本当に掌をかえしたように、ぼくしかいない、ぼくがパロに尽くすのが当然の義務だ、と言い張ることからして、ぼくにはどうしてもそれはあまりにひどい欺瞞に見、偽りに見え、その場しのぎ、相手の事情や気持ちなんかまったく顧みず、自分の事情を押しつけて相手がそれを受け入れなければ人のようにいう」(中略)「ぼくはもう、決してこそこそ人目を忍んで脱走しようなんて考えない。もしぼくが、パロの連中と正面切って戦って説得して、それで自由の身となり、行動と一生の自由を勝ち取ることができたら、あるいはぼくもきみを訪ねてヤガに行ってみようと思うかもしれない。そうしたら、きみ、ぼくを君のささやかな家に受け入れてくれるかい?」

でたーーーー、南朝(パロ)の第三宮アル=ディーン(鞠臼親王)の宗良化宣言。
歌うことしか興味の無かった彼の「これからはぼくも戦うよ!」宣言なのでした。もちろん120巻目での決意は激しく遅すぎると言わざるを得ませんけど、彼にしてはよくやった。日本の歴史ではこんな彼は否応もなく40年続く激戦の渦に叩き込まれるのですが、作者(栗本薫)は多分ウジウジ男マリウスは嫌いだから、戦場での活躍が今後あるかないかが見所でしょうなあ。(とても期待)。もうこうなっては、改めて私にはアル=ディーン皇子と宗良親王は同一人物にしか見えません。もちろん、歌の教育を祖父・二条為世から親密に受け、行動力は彼の百倍あった尊良親王がアルド=ナリス。阿野廉子の子として正嫡扱いだった成良親王と義良親王がレムスとリンダだ。…護良親王と懐良親王は知らん。

自分よりも遥かに優れていた尊良や義良や護良の幻影から逃れる為に求めて遠州や信州の山の中に身を置き、歌ばかり詠んでいるが、吉野の宮廷が忘れられず何度もいつしか舞い戻ってしまう。しかしその度に身をよじるような慚愧に襲われ、遥けき山々の青い空の下にまた戻ることばかり考えてしまうのだった。そんな彼もいつの間にか南朝軍の重鎮に。そんな器ではないのに皆が彼を頼りにする。しかし彼は歌しか歌えないから誰の期待にも応えられない。やりきれぬ思いの彼は年老いても山の娘とのロマンスを追い求め、遥か九州の年の離れた弟との文通だけが心の支えなのでした。…萌える。

後書きを読むと、ファンとしては「ふざけるな」とか「やっぱりね」と憤然としか思えぬことが書いてある。「今死んでももう自分の記録(=世界で一番長い小説という記録)は誰にも破れぬだろうから満足だ」ですって。ハハハ。しかし一方で、「入院中にグインを2冊半書いた」ですって。すげーーやあんた。…ぜひラストスパートで今年も書き続けてください~~
が、作者の日記を見ると、4/20付けでまた再入院。貴女という人はなにをやっておられるのか。ゴールデンウィークいっぱい入ってるみたいですけど「今度はお薬のためだから心配しないでね!」と書いてある。死なないでネ。

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1 コメント

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夢見る人の物語。 (麁鹿火)
2008-05-24 23:21:17
うわーーい、またまりおんさんにトラックバックしてもらえたーーー。
でも今日は元気がないのでこのまま倒れ込んで寝てしまいます。がっくり(無念)。
明日はたぶん早く帰ってこられると思うのです(やりたいことがいろいろ)。

ここずっととりわけランド・オブ・サムライの記事を刮目して読ませてもらってます。楽しいですよねえ絶対コレ。平安時代が舞台でありながらランド・オブ・サムライ。それを南北朝時代でやってしまおうと思うだなんて、さすがまりおんさん。まりおんさんの記事を読んで一瞬私の頭の中を駆け巡ったあんなことやこんなことのアイデアは、どう見ても自分で具現化できる気がしないので書き込む勇気もなく、こんなところでぐちぐち言うのでした。でも南北朝も源平時代も神話時代も(むしろ全部一緒くたにして)最高に面白くゲームの舞台として作れると思わせますよね、このゲーム。(私は15年前のルーンクエストでしか遊んだことないですが)。『サムライの剣』にお詳しいD&Dさんの御意見も伺いたいと切に思います。
その前にしていただいた2つほどの別の方のトラックバックにも礼を込めてお返しをしたいのですけど~

そもそもこの私の記事はまだ未完結で、本当は聖女王リンダの悪口を言いまくるつもりだったのです。まあ言わないで良かった。でも最近私はリンダが嫌いだ。猿乙女のスニを可愛がってやってくだされ。(どうもその扱いも最近ひどいですよね)
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