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ヘンデル作曲 「主が私の主に言った(Dixit Dominus Domino meo)」。

2010年05月27日 16時03分33秒 |   ヘンデル

ヘンデルが22歳のとき、ローマで作曲した作品。
アグリッピナの3年前の彼です。ラテン語。
ヘンデルは修業時代(=イギリスに行く前)が一番覇気に溢れていた、という事実を示す作品。
ローマはなんといってもカトリックの総本山なので、本来ならルター派だったプロテスタントのザクセン人ヘンデルがカトリック風に作曲した大がかりな作品、となるところがミソです。ヘンデルは後年英国国教会の首長に大量の曲を捧げることになるのですよね。愛する人に愛を囁くなら、新教も旧教も全然関係ありません。

で、主は何を言ったのかというと、「俺の右に座れ。そしてそこで俺がお前の敵を粉砕するのを見ておれ」ってこと。主、カッコイイ。

本当はこの曲は8曲から成っていて、この動画はその1曲目です。
私が持っているCDは、パロット指揮で天使と評されたエマ・カークビーも歌っている「カルメル会のための挽課」という2枚組(ヘンデルの8曲が収録されている)。ヘンデルはこの華麗な曲を、1707年7月16日のカルメル会の式典で演奏したともそれは別の曲だったともいわれています。(上演曲のプログラムの記録が残っていないがヘンデルがこの時期作曲していた曲がこれなのです)。偏屈な旧教でも劇的な歴史を持つカルメル会はなんとなく苛烈なヘンデルとよく相容れる感じがしますよね。

ヴォーカロイドたちによるこんなのもあります。

力の差は歴然ですが、曲の構造はこっちの方がよく分かるよね。
ただ、ヴォーカロイドの皆さんの美声を堪能するには、ただ勢いだけに任せた感じの冒頭の曲よりも、終曲の方がいいんじゃないかと思う。実はこの「ディキジット ドミヌス」という楽曲は、8曲全曲が非常な名曲なんですよね。中でもこの最終曲が、各声部が巧みに入り乱れ誠に絢爛豪華なつくりで、かつ申し分ないくらいにとてもドラマティック。これをぜひミクやガクトの色っぽい声で各声部の精髄を尽くす様を聴いてみたいものです。この終曲、わたくし、寝入りばなに聴いている時とてもよい眠りに就けるのです。この畳み掛けるような感じがね、なんともいえん。

<終曲 輝かしい父とおこさまと聖霊と>

でもさらに、この「ディキジット ドミヌス」の中でわたくしが一番大好きなのはこの終曲でも冒頭の曲でもなく、第4曲の「主は誓った」だったりします。私は躍動ある曲が好きなんだよね。ここで主が何を誓ったのかというと「お前は思い直さなくてもいいよ」ということなんですが(なんだそりゃ)、そんな歌詞にこの迫力。つくづくこの楽曲は全体が非常な力作です。(※この(動かない)動画では第4曲~第7曲までが続けて演奏されています)。これを聴いて3年後のアグリッピーナに繋がる過程を考えるのは楽しく、一方で、なんでヘンデルがわざわざ35年後にメサイヤなんかを作曲し直さねばならなかたっのか、ほんとわからない。

<第4~7曲>

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