オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

山岡荘八の『源頼朝』(第2巻)。

2006年09月15日 20時33分09秒 |   源頼朝

山岡荘八が今から50年も前に1年掛けて雑誌に連載していた源頼朝の小説。
今回あえて2巻目から読み始めてみました。(2巻目が伊豆の流浪の時期の頼朝を描いているから)

とても丁寧にきっちりと書いてあって、きわめて読みやすい作品だと思いました。
私が半年掛けて調べてこのブログに書いた伊豆時代の頼朝が、手堅く面白くまとめてある、そんな感じ。この小説に出てくる頼朝はちっとも好色じゃないので(すこし人恋しがる性格ではあるけど理性の方がまさっている)、印象的には、小学生の頃の図書館で良く読んでいた偉人の伝記を楽しんで読めているような感触でした。とっぴょうしのない会話とか新事実とか、通説を外れたような人物の性格描写とかは一切出てこないので、安心して読み進める事ができます。みんな、イメージ通り。その範囲内で十分おもしろい。

配流先の伊豆の豪族・伊藤祐親と北条時政との関係とか、八重姫との関係、伊豆山の坊主との関わり、配流先を訪れてくる関東武将の様子などが、たぶん源平盛衰記や曽我物語の出来事にもとづいて描かれています。

個人的に面白かった事は、
(1).伊豆に配流が決まった頼朝が、てくてくと徒歩で京都からはるばる歩いて、(三島から北條に向かわずに)、箱根を越えて熱海経由で伊東を目指すこと。(そして伊東祐親から「蛭ヶ小島に決まってるのじゃよ」といって冷たく追い払われる)

(2).北條時政と伊東祐親が話し合って配地を蛭ヶ小島に決めたときの会話。長いけど抜き書きしてみますと、「「頼朝殿をこの地に送り込んで、いかなる者どもが頼朝に近づくか、それをよく見張って密告せよという謎かも知れぬ。頼朝に親しく近づく者はうわべはともかく内実は源氏に心を寄せる六波羅の敵、、 頼朝を伊豆にさし下して、それを囮に東国の人心をうかがい見る、、 というのであれば、迂闊に頼朝を殺してはかえってお叱りを蒙ろうでなあ」。「なるほど、伊東どのはなかなかの思慮家じゃ。そうなっては手出しできぬのう」。(中略)。「わしは、いろいろ考えたが、狩野川の川中島、蛭ヶ小島あたりに差し置いてはどうかと思うがの。あの島は出水のたびに押し流されてきた山蛭が、無数にはびこって、いまでは野鼠やいたちの類までが閉口して寄りつかぬ。あれに仮小屋を建ててやって、自分で働いて、自分で喰べよと申してやったら、いかかであろうかの」。「うーーむ、蛭ヶ小島、、、、 佐どのが万一、万人にすぐれた生れつきならば、その苦労は将来、大きく人間を伸ばしましょうなあ」。「これはしたり、頼朝を伸ばすためではござらぬ」。「ほう」。「そうしておけば、わずか14歳の頼朝、苦痛が祟って早逝するに違いない。並みの百姓どもでもあの島などは耕せぬからの。さもなければ、育つにつれてわれらが六波羅から疑われよう。また、出入りの者をいちいち見張って知らせたりなどすると、きっとあちこちに怨みの種が残って、この地の並み立つ原因にもなろうでの」。(中略)。「では、蛭ヶ小島はわれらの館よりもこの地に近い。北条どのに仮小屋の儀はお願いできるであろうか」
…これ、あまりになんでもない会話の文章ですが、「流罪」、「蛭ヶ小島」というキーワードで「きっといやがらせでここに住まわされることになったんだろうなぁ」という我らの夢想を、端的に具体的にセリフにしてくれていて、とても味わい深い。うんうん、頼朝の伝記にはちっとも出てこないことなんですけど、言われるまでもなく頼朝前半生の20年間の隠遁生活の中で一番大変だった事は、「ヒルとの戦い」だったんですよ。(うをををっ、考えるだにゾッとする生活です)。だから頼朝はあんなに伊豆の各地に出回っているんです。この小説でもヒルとの戦いは全然描かれていないのですが、ただ一ヵ所だけ、八重姫との仲を伊東祐親に裂かれて逃げ帰ってきたときに、頼朝が腕に大きなヒルを乗せてじっと血を吸われるのを耐えているところを、仕えていた安達藤九郎の妻が目撃するというシーンがある。そこで藤九郎の妻が独白で「武衛さまがあんなに嫌いだった山蛭を…」と愕然する、そこの所がなかなか味わい深い。20年間の間に激しいヒルとの戦いが繰り広げられた事を想像させます。

(3).で、箱根を越えて伊東で追い返されて山を越えて初めて蛭ヶ小島に来たとき、先回りして比企の尼が出迎えるんです。ここ、涙が出ましたね。とにかく頼る者は都での乳母のひとりだった比企の尼だけ。その心細さ。

(4).北条の里と山木の里に挟まれた蛭ヶ小島は、実質上はほぼ身動きが取れず四六時中監視されているも同然なのに、どうやら小説中では北条館からはちょっと離れた場所であるという設定になっていること。

(5).北条時政の長男である北条宗時は、ヤなヤツ(と取られるふるまいをすること)。山木館襲撃は三巻目で語られるのですがそこではどうなっているのか。

(6).伊東祐親が娘の八重姫を嫁がせようとする「江間小次郎」は、のちの「江間小四郎(小次郎)義時」とは別人であること。

(7).文覚上人は、源義朝のドクロを首にぶらさげて登場する(笑)

(8).伊東祐親が、頼朝と八重姫の事を知って激怒するシーン。実際、頼朝は伊東の地で伊東の郎党に包囲されて、山を越えて簡単に蛭ヶ小島に帰っても伊東の仲間である北条時政がいるわけで、「どうしよう」とかなり悩んだに違いなく、そこのばめんがとても楽しかったです。

(9).頼朝が「自分の伴侶に」ということで北条時政の次女を選ぶんですが、手違いで恋文が政子のところに行ってしまうところ。この小説の政子はとてもはげしく複雑な女性です。この巻では「頼朝と政子の出会い」で終わってしまうので、本格的な恋愛は次巻なんですが、、、、 八重姫は真珠淵で身投げをするんだろうか?(この巻ではそうならなそうなんですけど)

(10).文覚上人は、後白河法皇のまわしもの。ともかく、この本に出てくる文覚上人は、全部ハッタリなのかほんとに神通力があるのか、ちょっとわからない描かれ方をされており、永井路子の大姫にとてもよくなつかれていた文覚と対比しても、とてもパワフリャーだったのでした。(近くにはいてほしくない人でしたが)

(11).文覚が居着いている場所の名前が「那古屋寺」という名前で出てくるのですが、、、 ここは、「国清寺」のあった場所なのかな。(室町時代に建てられた国清寺は、文覚上人のいた場所に建てられたといわれているのですが、どうも伝説が錯綜している)


≪手塚治虫の火の鳥に出てくる文覚上人≫
私にとって、子供時代に見た文覚上人が一番インパクトがあって、
だから以後「文覚の持ってきた義朝のドクロ」にこだわることになってしまったんですが、
この山岡荘八のドクロ話も、存外楽しかったです(^-^)


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『風雲児たち1』。 | トップ | ロッシーニの『スターバト・... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
山岡版 (さがみ)
2006-09-18 17:28:35
私も昔ハマリました。当時は上下巻の二巻組でした。レビューの続き楽しみにしています!
返信する
山岡荘八。 (麁鹿火)
2006-09-18 21:36:42
今は山岡荘八の一巻を放置して、吉川英治を読んでいます。

(伊豆が出てこないから)

たしかネットではどちらかの評価が低いんじゃなかったっけ、と思いつつ、どちらも面白いので困っています。

山岡荘八も吉川英治も、私の一番読みたい「鎌倉幕府成立後の頼朝」や「頼朝・政子と頼家の関係」の部分に入る前に終了しちゃっているんですよね~、と嘆きつつ、でもそれは永井路子が詳しく書いてくれているので、まぁいいです。



さがみさんも、たくさんいろいろ読んでから小説を書かれているんですね。
返信する

コメントを投稿

  源頼朝」カテゴリの最新記事