結局ポニョの感想までまだ手を回せてないヨ。すんません。
一日半のお休みを貰いました。
なので早速、待ちかねていたあの作品を観に行こうかとしたのですが、考えてみたら今日は1日(=映画の日)じゃん。3枚綴りで買った前売り券は一枚当たり1200円だったので、拝観料一律1000円の今日に観に行くのはソンです。好きな映画は何度も観る主義のわたくしですので、20世紀少年はきっと何度も来ることになるよ、と思ったのですが、だからこそその第一回目はワクワクしながら買った前売り券で満を持して観たい。
ということで、今日は別の映画を観ることにしました。20世紀はその翌日に行ったとよ。
観た映画は、松山ケンイチ主演の『デトロイト・メタル・シティ』と唐沢寿明その他大勢主演の『20世紀少年第一章』。どちらも漫画が原作の実写映画なのです。なおかつ、「両方音楽映画でもある」という共通点もありました。
自他共に認める「変な漫画好き」のわたくしですが、『20世紀少年』の方は偏執的といえるまでに大好きで、一方『デトロイト・メタル・シティ』の方は全く読んだことはなかった。クラウザーさんのことはウワサぐらいには聞いたことありましたけど。
漫画原作の映画化も流行っていて、好きな映画は観に行ったり敢えて観に行かなかったりするのですが、正直微妙なものがありますよね。私は「変な展開」、「巧妙な舞台背景」、「漫画ならではの破天荒」を求めているので、それが実写なんかで表現出来るはずが無いって。原作マニアとしては些細な所まで原作に忠実でいてくれないと困るし、イメージが台無しにされるのは一番イヤ。しかし一方で、映画ファンとしては通だけにしかわからないところだけなのも途方に暮れるし、なにより2時間で収めてくれないといけない。
これらの矛盾する2点について、今日観た2作は、正反対のやり方でやろうとしていたのでした。
『デトロイト~』を監督していたのは李闘士男という人だそうですが、原作を読んだことの無い人でも楽しめることを念頭において物語を作ったといいます。甘~いスイ~トな歌が大好きな松山ケンイチが、ちょっとした手違いでデスメタルの世界の人気者になってしまったというはなし。あの歌、全部松山ケンイチが歌っているんでしょうかねえ。上手い。今でも砂糖のような魂を持ち続けているのに、「この腐れ雌豚どめ」とか「10秒間に50回レ○プ発言」とか自然な感じで言えてしまう。もともと「デスメタル」という音楽の愛好趣味は失礼ながらそれほど一般的ではないかと思うのですが(クラシックしか愛さない変な私に言われたくないでしょうけどね)、その対極に位置する「ポップなラブソング」と並び立てることで、極めて面白いドタバタ劇にしたてあげている。ロックとかパンクとかすら嫌いな私ですら、純粋に音が凄く面白かったです。そしてデスメタルの信奉者たちをとても愛おしいと思うほどでしたです。…ファンたちの意見によれば「あんなの全然デスメタルじゃない」とのことですが。
ともあれ、全く前知識を持たずに行ったのに、甘い歌、堅い歌、双方の視点を体験できて、なおかつ読んだことのない原作マンガのページ割りセリフ割りすら自然に念頭に涌くほどで、要は、とても堪能できた。
でも、あくまでこの映画の価値は「マンガ的な映画」という意味でした。
一方の『20世紀少年』の方は監督が堤幸彦だったのですが、パンフレットによると、「今回は“原作原理主義”です。原作に忠実に、正しいロック魂にあふれた映画を撮りました」とあります。
(…つづきます)
物語の後半で出てくる「スーダララ、スーダララ~~」って歌、いつの時点で出てくるんでしたっけ? ってオレ、原作厨じゃなかったのかよ。実は最初、5年ぐらい前に名古屋のマンガ喫茶でまとめて読んだので、今手元には6~11巻までが欠けてる。ちょうど次の予習に必要な巻ですね。学校の(?)肝試しの話とかまた読みたい。
クラシックもアニヲタがアニメからポロロッカしていたりしますね、ショスタコーヴィチとか(笑
音楽産業も「これをやってればとりあえず儲かる!」というのが無くなってきてて大変だなぁ、と思いますが、意外なところからファンができたりするのも近年の傾向であります。
・・・マリリン・マンソンのファンがこっそりフリッパーズ・ギター(笑)とか聴いてたり、意外にあるんじゃないですか(笑
でもって、渋谷系のアレも前世紀の遺物だったんですか? てっきり最近のハヤリ物だとばかり。
音楽に限っては、万人が百様に異なった好みのものを持てるぐらいのバリエーションがあって良いと強く思う物でありますが、かくいう私だってクラシックの表面的な部分にしか手を出せていないんです。バイブルと言われた『レコード芸術』も近年質の低下(というよりページ数の減少)が激しく、購読するのをやめてしまいました。よって、得意な分野ですら近年の動向が分からない。
「お子様から老人まで一緒に歌える歌が無くなった」とは良く言われることですが、そんなことは私にはどうでも良くて、でもただ困るのは「オレの音楽で世界を変えてみせる!」という物語がますます作りづらくなるだろうなー、と余計なお世話を考えてしまうことです。…って、マクロスがあるか。普通にやったらギャグにしかなりません。ヘンデルやヴェルディにそんな意識があったかどうか。
今回のこの2作もその系統の作品。手が込んでいます。