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秋葉山三尺坊 その2。

2007年12月10日 20時40分52秒 | 遠州の歴史

体調がようやく落ち着いてきたので、再び浜松に行ってきました。今回は秋葉山だ。
浜松から秋葉山へ行くには、通称“秋葉街道”と呼ばれる国道152号線(ただし浜松市民はこの道をその名で呼ぶ事はほとんど無いです。普通は“二俣街道”と言う)を、浜松→旧浜北市→旧天竜市→さらに北へ と20kmぐらい北上するのですが、天竜市の中心地・二俣を過ぎたかなり早い地点(秋葉山までは10kmぐらいのところ)で、「秋葉山上社」へ行く道と「秋葉山下社」へとの分岐点に出くわします。下社に行った事が無いので、今日はそちらに向かってみることにしました。秋葉山は町境に位置していたので、下社は旧春野町。上社は旧龍山村に属します。(現在はどちらも浜松市ですけど)。

前回の記事で、「秋葉山三尺坊は袋井市の可睡斎に移ったので、現在は三尺坊は秋葉山にいないことになっている」「秋葉山の公式サイトでは天狗の存在をアピールしていない」と書いたのですが、その秋葉山を擁する春野町は「天狗の里」で売り出してまして、それがどういう具合なのかを見てみたいと思いました。秋葉山には三尺坊以外にもたくさん天狗はいますし、周辺の山にも名の知れた天狗が何人かいたはずなので(←まだ調べてないので詳しく知らないですが)、天狗の里の現状には心躍ります。
天竜市で分岐した下社へ向かう道(国道362号線)は春野市街を通るのですが、“天狗街道”と名付けられていました。この道路、通った事無かったので知らんかった。
全然関係の無いことですが、秋葉山の支峰のひとつには「犬居城」という戦国城塞がありまして(春野高校のウラにあります)、戦国期の城主は天野藤秀-景貫の親子でした。言うまでもなく、我らが伊豆の国が誇る謎の英雄・天野遠景公の御子孫であります。今川から徳川に寝返り、さらに武田にも寝返るなど、波瀾万丈の歴史だったようですが、まさしくここは徳川-武田の激しい領土争奪戦の舞台だったのです。もちろんその背後で、秋葉山の天狗たちも暗躍したことでしょう。(たぶんね)。そう考えると私にとっては何もかもがいとおしい。私の中の遠景公のイメージ映像は上の巨大天狗の面そのものです。なお、天野遠景の子孫の分流は、今川家、三河・尾張・甲斐・安芸にもあったらしくて、要するに「いろんなところにいた」ようです。江戸時代初期に興国寺城の領主となった天野康景は三河天野氏の流れです。

冒頭に掲げた写真は、春野町の文化センターにどーーんと据えられている「日本一大きな天狗の面」。高さ8mだそう。ただし、この町が独自に作った物ではなくて、'85年のポートピア博覧会の展示品をもらってきたのだそうです。これを作ったのは「そごう」だそうですが、そもそもの展覧会でこの巨大面がどういうコンセプトで飾られていたのか、知りたいところです。
(※上の地図で「この巨大天狗面のある場所はC.地点だ」と示すつもりだったのですが、どうも場所間違ってしまいました。もう少し北の春野森林文化伝承館の近くですね、たぶん)

「★鼻かけもみじ
全国を飛び回っていた秋葉の天狗が、ある日疲れてこのもみじの木に鼻をもたせかけたところ、木の枝が天狗の鼻の長さまで伸びた。
ここにある木はその木を移植した物で、春野の町のシンボルである」

と書かれています。なげぇ。

下社への分岐点の入り口には、このようなオブジェもありました。これは! 愛らしい!

下社到着。
また~~、素晴らしい階段です。病人には聖地巡礼するなと言っているのか。でも私は健康になったばかりなので、こんな階段走って登れます。ひゃっほ~~い。健康っていいなあ。門前には売店が数軒並んでまして、天狗まんじゅうとか売ってましたよ。私は甘い物が苦手なので買いませんでしたけど。

下社の本殿。
なんだか由緒ある神社のわりにはちゃっちく見えますが、鬱蒼とした杉の木が控えてまして、苔むした感じがいい感じ。コンクリ造りで寒々しい上社と比べてしまうとね。ただし狭い。ぐるりと社務所・お祓い所・お守り売り場に囲まれ、人が多い。常に神社関係者の人に見られている感じです。

絵馬掛け所。さすがだ。
この絵馬は500円です。これは家に持って帰りたいですね。
で、お守り売り場でお守りを売っていた巫女さん(?)が、他の神社の巫女さんと違って頭にキラキラとした金色の冠をかぶっていて色っぽかったので「写真撮っていいですか?」と聞いたら「エッ?」というような表情されたので、仕方なく傍らの天狗のお守りをパシャパシャ写してきました。チッ。私の意気地なし。

天狗扇は2000円、その下の焼き板天狗も2000円、天狗絵馬が500円で、下の天狗のお面はなんと10000円です。「秋葉山本宮では天狗の存在を抹消している」どころか天狗づくしですやん。「大天狗三尺坊は可睡斎に取られたけど、秋葉山は今でもひそやかに天狗のお山」ということでしょうね。ただ、カラス天狗はひとりもいません。白い狐も。

天狗の破魔弓。右のが2000円で左が1500円です。
さすがにこの神社では天狗は「魔」ではないようだ。

で、今日本当は行きたかったのは、秋葉山の中腹にある「秋葉寺」(←「しゅうようじ」と読みます)だったんです。山頂の上社は明治6年に「秋葉山三尺坊大権現」を捨てて迦具土神だけを祭神としてしまったのですが、明治13年に再建された秋葉寺には「三尺坊」があるというので。しかも「秋葉寺」っていうくらいだから、今の季節に行けばさぞかし紅葉が綺麗なことでしょう。(下社も上社も杉の木ばかりなので)。しかし、行き方がわからない~。下社から行けばいいんだろうか? 上社から行くんだろうか? とりあえず下社に案内板がありましたが、「秋葉寺参道 徒歩で60分」ですって。体調は快復してますが、そんなに歩いたら死ぬ。…ということで、上社を目指す事にしました。地図で見るとかなり上の方にあるみたいなので、上社から行った方が近いんでしょう。

下社から上社へ行くには、県道286号線を通って、ぐるりと山を回って国道152号線を目指します。地図で見るとやけに遠いです。地図中のB.地点までが大体20分ぐらいで、さらにそこから山頂まで20分ぐらい。あまりにも遠くて、全然別の山を目指しているような錯覚までしてきてしまいました。もっと近くのルートを作ってくれてもよさそうなんですけどね。下社から286号線に入ってすぐに秋葉寺と里坊への登り口があり、そこからは車進入禁止になっていたのですが、良い雰囲気でした。またいつかここから登ってやる。そこから天龍川沿いの152号線までが遠い事。道間違えてるんじゃないかと何度も心配になりました。遠すぎます。静かな気多川の流れと林立する杉が素晴らしく、この道こそ天狗が出そうだと思いました。地図中水色の山頂へ至る道も雰囲気たっぷりで、「いかにも修験の山だ」と思ったのですが、明治まで坊が18~36もあったような場所には思えませんでした。考えてみれば、江戸時代までの参道は下社→秋葉寺→上社のラインだったのでしょうから、こっちの道はもともと何も無くて当然なんでしようね。江戸時代の天狗な雰囲気を味わうには、やっぱり自分の足で登ってみるしかなさそうです。いずれ、いずれね。

山頂にある上社に到着。秋葉山は866mの山ですが、そもそも旧龍山村はもとから標高が高いので、ほとんど険しい山という感じがしません。しかしこの山からは遠州平野が一望出来るようになっており、それが「霊山」という地位を獲得できた理由だとか。ウィキペディアには、「ここからの眺めは東海一」と書いてあります。


入り口にある狛犬。かっこいいなこれ。「三尺坊天狗が乗っている白狐をモチーフにしているのかな」とも思いましたが、後ろに回ってみてみると、普通に犬の尻尾でした。でも、りりしくてかっこいいのでいいです。


またも延々と続く石段。でも私は健康体なので、このくらい走って登っちゃいます(途中でバテました。長いんだもの)。とても新しく白い石段です。


登りながら、「なんか獣臭いな」と思いました。ふと傍らを見ると、石段沿いに柵があって鹿が放たれておりました。10頭ぐらい。どうせ杉しか生えていないんだから柵なんて作らず放し飼いにすればいいのに、と思ったのですが、この鹿、近づいても逃げもせずこっちをじっと見つめ返してきます。野生の鹿だとこうはいかない。「神苑の鹿」って感じがしていいですね。


山門。真新しい。秋葉の神は火の神様なのに、「境内禁煙」と書いてあって笑っちゃいました。(当たり前か)


山頂到着。本殿。写真だと分からないかもしれませんが、真新しい。再建されたのは18年前ですからね。

のんびりしすぎたせいか、ここで夕方5時ぐらいになってました。お守り売り場も閉まっていて社務所の奥以外には人がいず、とても寒々しい雰囲気でした。残念、上社の巫女さんも下社の人と同じくキラキラかんむりなのかを確認したかったのに。(いませんでした)。上社は建物がコンクリ製で大きく豪華なのですが、「本殿」「社務所・宿泊所・売店が一体になった建物」「山門」とあとちいさな建物しかありませんので、どうしても寒々しい印象なのです。こっちの方が豪華なのですが、でも公式サイトを見ると、秋葉山本宮の住所は下社の方になってるんですね。公式サイトの説明はほとんど上社のものですけど。(お守り売り場を観られなかったせいか)こちらの天狗密度は低いのですが、しかし絵馬掛け場に懸かっている絵馬は、下社と同じ天狗絵馬でした。どんどん暗くなっていくのに関わらず、参拝者はちらほらやってきます。


名な「巨大なジュビロ絵馬」がありました。ハっ!!! これってもしかしてカラス天狗だったのね。


黄金の鳥居。幸運の鳥居だそうです。いかにもな感じのあやしい感じですが、昔は本当にここに金銅の鳥居があったのだそうです。ここからの景色が「東海一」なんですね。確かに浜松から掛川あたりまで見渡せて良かったのですが、写真だとほとんど何も見えない(泣)。

境内に唯一あった秋葉山天狗のなごりが、これです。「天狗の皿投げ」。下を見下ろすと、木にヒモで輪っかが吊されていまして、お守り売り場で皿を買ってここから投げるようになっている。いかにもな感じですね。ただ、この看板のイラストがいい感じです。木に、見下ろす感じで天狗の像でも造ってくれるとおもしろくていいのに。

わたし的に気になったのは、本殿の背後に聳えている杉の木立の上の方です。江戸時代末に三尺坊天狗に会った事になっている名古屋の沢井才一郎の証言によると、本殿のここの上空に、三尺坊天狗の居る巨大な宮殿が存在する事になっているので・・・・・ 空気は澄んでいて、暗い気が増していて、「目に見えない天狗が無数にいる」といわれてらそんな気になってしまいそうです。
『心霊図書館』さんから、そこの部分を(関係ない部分も含めて)引用させていただきましょう。

泰治は
「三尺坊様その他皆様の居らせられ候所は如何なる所でござるか?」
と訊ねますと、才一郎の答、
「お山には善美を尽したる広大結構なる御殿ありて、平生それに在らせられます。又空中にも大なる御殿ありて此処にも多くの御方々が在らせられます」
「左様の御殿は秋葉様ばかりでござるか」
「他の神々様の御殿や御宮等も空中に御座います。其処は雨もなく雪もなく、暑もなく寒もなく、誠に結構な所に御座いまする…」

「神様は戦場(=戊辰戦争の戦場のこと)へ御出張遊ばされますか?}
「そりゃ天照大神を始め奉り、日本国中の諸神御出張に成られまする」
「軍中には秋葉山を信心するものも御座りましたか?」
「それはありましょう。一体神様は信心不信心に係らず、人命を救ってくださるのが職分であられますから、戦争となると空中の暗くなる位にお集りお助け遊ばされます」

卓斎との間にも子供らしい問答がありました。
「空は青く、水のように見えますが、一たいあれは如何なるものです?」
「左様、空は何所まで昇って見ても、淡い雲があるのみで別に青いことはありません。大地から遠く隔たるので青く見ゆるまでです」
「あなたは自由に空を飛ぶのですか?」
「近頃までは眷族様に連れてもらい、飛ぶというよりは歩く方でしたが、追々修行成就し、今では自由自在に飛行が能きます。但し今晩は御同道で参りました」

しまった… 秋葉山の歴史について述べたい事がまだ大分あったのですが、また文字数がオーバーしてしまいました。結局この日は暗くなって、秋葉寺まで行けなかったので、また行ってそのとき書きますー。要するに、前回紹介したサイトさんにあるような建物は本当にあったのか? 36坊も本当にあったのか? 叶坊とはどこか? 三尺坊天狗は本当はどの時代の人か? ということなんですけど。才一郎がここに来たときは(慶応4年ですから)18坊は確実にあったんですよねぇ。「お山には善美を尽したる広大結構なる御殿ありて」ってのは、その18坊のことなのだろうか、全然違うのか。

全然関係ないのですが、私のパソコンは「秋葉山三尺坊」って打とうとすると、何度も何度も「秋葉山三尺棒」って出してくるんですけど(←なぜか学習しない)、「三尺棒」って実在するんですね(笑)


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2 コメント

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秋葉山 (珠洲)
2007-12-31 19:51:52
小生秋葉山へは登山で今までに春野表参道から69回、竜山の裏山道から6回、瀬尻の裏山道から3回、
天狗のある宮川1回、いろんなルートから登りましたが、このお正月はたくさんの方々がお札をもらいに行くことと思います。
秋葉山は地元であるので、トレニングにはいい山です。時間的にも80分前後で登れますのでいいです。
あなたのブログを読んで、秋葉山についてべんきょうになりました。
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近いうちに! (麁鹿火)
2007-12-31 20:32:39
おお、珠洲さん初めまして!
コメントありがとうございます。

秋葉山の登り口も、いろいろなルートがあるんですね。
私は車でしか行ったことがなかったので、登り口についてあまり知らなかったんです。近いうちに下社から秋葉寺へ行ってみようと思っています。目的は、むかしあったという坊の跡の様子を確かめること。80分か~。
この間行った時に可睡斎で三尺坊のお札を、下社で車用のステッカーを貰ったんですけど、あれは年内限定の効用でしょうか。初詣は浜松に住んでいた頃に行ったことがあります。
それにしても表口から69回というのは羨ましいです。地元の方であられるんですね。何度も行きたい山です。「天狗のある宮川」というのに興味津々です。

秋葉山三尺坊については、もっもっと知りたい気持ちでいっぱいです。
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