’18.9.15野党結集「小沢一郎・山本太郎・自由党」応援街宣(新宿駅南口「バスタ新宿」前)
多国籍軍に陸自の派遣検討 シナイ半島の停戦監視、安保法で可能に
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018091702000062.html
政府が安全保障関連法の施行で可能となった「国際連携平和安全活動」を初適用し、エジプト・シナイ半島でイスラエル、エジプト両軍の停戦監視活動をする「多国籍軍・監視団」(MFO)に、陸上自衛隊員の派遣を検討していることが分かった。複数の政府関係者が明らかにした。政府は年内にも首相官邸、外務省、防衛省による現地調査団を派遣。安全が確保できると判断すれば、年明け以降に司令部要員として陸自幹部数人を派遣する意向だ。安保法に含まれる改正国連平和維持活動(PKO)協力法は、PKOと活動内容が似ているものの国連が統括せず、国際機関などの要請に応じて自衛隊を派遣する国際連携平和安全活動を初めて認めた。PKO参加五原則が準用される。同法で認められた、武装集団に襲われた国連要員らを救出する「駆け付け警護」と宿営地の共同防護は南スーダンPKOで新任務として付与されており、MFOへの派遣で自衛隊の活動範囲がさらに広がることになる。自衛隊の海外派遣を巡っては二〇一七年五月に南スーダンPKOから陸自部隊が撤収。現在は〇九年から続くアフリカ東部ソマリア沖アデン湾での海自、陸自による海賊対処活動と、南スーダンPKOへの陸自幹部数人の司令部要員にとどまる。「積極的平和主義」を掲げる安倍政権は、目に見える「国際貢献」として、自衛隊の新たな海外派遣先を模索していた。米国中心のMFOは一九七九年のエジプト・イスラエル平和条約に基づき、八二年からシナイ半島に展開する。エジプト、イスラエル両軍の展開や活動状況の調査、停戦監視が主要な任務。現在、米、英、仏、伊、豪など十二カ国、約千二百人の軍人が派遣されている。日本は八八年以降、財政支援をしている。
◆既成事実化の懸念
<軍事評論家の前田哲男さんの話> 「多国籍軍・監視団」(MFO)に派遣が検討されているのが司令部要員としてであれば、戦闘行為に直接参加することはないが、次の段階として陸上自衛隊の部隊派遣も想定しなければならないだろう。安倍政権としては「世界の中心にいる日本」を見せる格好の舞台と考えたのかもしれない。しかし、安全保障法制を巡っては、これまでに全国二十カ所以上の裁判所で訴訟が起こされており、国論を二分している。決着がついていない状態で既成事実化を図ろうとすれば、ますます亀裂は深まることになるだろう。<改正PKO協力法> 2015年に成立、翌年施行された安全保障関連法に含まれる。治安維持などの任務の遂行を妨害する者への威嚇射撃を認めるなど、武器使用基準を緩和。襲われた国連要員や他国部隊員を助ける「駆け付け警護」や宿営地を他国軍と共同防護することを認めた。また、国連が統括していなくても、国際機関などの要請に自衛隊が応じる「国際連携平和安全活動」も新たに規定した。
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物語をしてください 敬老の日に考える
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018091702000110.html
戦中戦後を生き抜いた人たちは、誰もが“鍵”を持っています。私たちの未来を開く鍵。だからおじいさん、おばあさん、今宵(こよい)また物語をしてください。「あたしは金日祚(キムイルチョ)=写真。日本名は松本君代。君が代ね。学校の友達にはキミちゃんと呼ばれてました。昭和三年九月十八日生まれ、数え年九十一歳。もう年寄りでね、耳が遠いけん…」ロビーのいすに腰を下ろすやいなや、金さんの小さな体から、言葉があふれ出しました。滑舌良好、正確な日本語、歯切れのよい広島弁でした。韓国南東部の陜川(ハプチョン)郡。戦前から戦後にかけて、多くの人が職を求めて日本にわたり、原爆の被害にも遭いました。戦後帰国した被爆者が今も多く住んでおり、「韓国のヒロシマ」と呼ばれています。金さんは街を見下ろす高台の中腹の「陜川原爆被害者福祉会館」に入居する約百人の被爆者の一人です。一九九六年に日本政府の支援で建設されました。金さんは開館二年目から、ずっとそこで暮らしています。金さんの両親は、大正時代に、同胞のつてを頼って陜川から日本へやってきました。金さんは京都で生まれ、二歳の時に広島へ引っ越しました。金さんの家があったのは爆心地から南へ三キロ。漫画「この世界の片隅に」の舞台にもなった「江波(えば)」という地区でした。なりわいは同胞相手の「乾物屋」。母親が特に働き者で結構繁盛したそうです。「親は苦労したけれど、私たちには苦労がなかった。日本人と一緒に暮らしていても差別はなかったし、高等小学校へ上げてもらって、卒業後は広電バスの車掌にも採用されました。べらべらしゃべるのは、そのせいね」と、おどけて笑います。「今朝のことはすぐ忘れてしまっても、日本のことは忘れられん」と繰り返し、金さんの“ファミリーヒストリー”は、よどみなく続きます。
日常が砕けて散った
そんな暮らしが粉々に砕け散った、四五年八月六日。早朝に発令された空襲警報が解除され、金さんが家で遅い朝食の後片付けをしていたときでした。「何かがピカッと光ったと思ったら、ババーンと広島がひっくり返るような音がして、天井が頭の上に落ちてきて-」気が付くと、頭から血まみれの母親が、がれきの中から引っ張り出してくれていた。家に防空壕(ごう)がなく、軍の射撃演習場近くにある避難所まで一時間ほどかけて歩いて行った。そこには、焼けた着物が体に張り付いて、男女の別さえつかなくなった数百人の人々が、力なく地面に身を横たえていた。半数以上はすでに息絶えていたらしい。やがて救護所がしつらえられたが、薬と言えばバケツで薄めた赤チンだけ。「今にも死にそうな人たちに、どうにかして水の一杯、くんできてあげようという気持ちにもなれなんだ。本当にまあ、かわいそうに、かわいそうに…」冗舌が涙で途絶え、広いロビーがしばし、沈黙に包まれました。「結局あたしが話をしたいと思うのは、被爆のこと、皆さんや子どもたちに伝えたいのはね、もう二度と戦争を起こしてほしくないからなんよ」。沈黙を破ったのも金さんでした。「本当のことを知ってわかり合えれば、みんな仲良くなれるのよ。でもね、一回や二回で語り尽くせるもんじゃないけんね、またいらっしゃい。六年前に胃を三分の二切り取って、こんなにやせてしまったけんが、口だけは元気じゃけ」と言いながら、携帯電話の番号を教えてくれました。
記憶の中にある未来
えたいの知れない黒く大きな何者かの足音が、じわじわと近づいて来ているような気がします。被爆者に限らず、戦前、戦後を知る人たちの記憶や体験が、今ほど貴い時代はありません。そしてそれらを記録にとどめ、次世代に手渡すことも。未来を照らし、生き抜くヒントは記憶と記録の中にこそ、必ず隠れているものだから。金さん、あるいは君代さん、また物語を聞きに参ります。だから、いつまでもお達者で。
海自潜水艦、南シナ海で極秘訓練を実施 中国を牽制
防衛省が海上自衛隊の潜水艦を南シナ海へ極秘派遣し、東南アジア周辺を長期航海中の護衛艦の部隊と合流させて、13日に対潜水艦戦を想定した訓練を実施したことが分かった。海自の対潜戦訓練は通常、日本の周辺海域で行われており、中国が軍事拠点化を進める南シナ海に潜水艦を派遣して実施したのは初めて。
複数の政府関係者が明らかにした。南シナ海は日本の商船も行き交う重要な海上交通路だが、中国が軍事力を背景に複数の岩礁を埋め立てて人工島を造成し、軍事拠点化や実効支配を強めている。今回の訓練は秘密裏に行われたが、事後的に実施を発表する方向で検討している。公海の「航行の自由」を強くアピールし、中国を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。
政府関係者によると、派遣したのは海自の潜水艦「くろしお」と、護衛艦「かが」「いなづま」「すずつき」の計4隻。
くろしおは8月27日に海自呉基地(広島県)を出港。東シナ海から台湾、フィリピン間のバシー海峡を通って南シナ海に入った。防衛省はこれまで、くろしおの動向について一切公表していない。
一方、かがなど3隻の護衛艦は…
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