宮本の引退試合をみて彼には3つの転機があったと思った。
①2002年WCで森岡負傷後に代表でのポジションを取り、自分も負傷したがフェイスカバーをつけた瞬間。これは宮本の存在を世界中に印象つけた。本当はフェイスカバーではなく、プレーで目立って欲しかったが。
②2004年アジアカップのQFヨルダン戦でPK合戦のピッチ変更を主審と交渉して成功したこと。あれで日本に流れが変わり、日本のアジアカップ2連覇を導いた。もちろん宮本が英語を話せたからできたことであり、PK合戦の途中にピッチを変えるなど大陸連盟主催の大会ではそう滅多にないことでしょう。
③2006年WCのクロアチア戦でPKを与えるファールをしたこと。あのときのSBSの解説は、宮本はVery unsettledであると表現した。川口がPKを防いで敗戦の原因とはならなかったが、宮本はイエローをもらいカード累積でブラジル戦は出られなかったわけだから、大きな瞬間といえる。
宮本の3つの転機というか瞬間は素晴らしいプレーで目だったわけではない。ラインコントロールがうまく、クレバーなCBとしてトルシェとジーコに信頼されたわけだが、コンフェデで失点につながるおしゃれなヒールパスでバックパスをしでかしたことなど、不安定なCBという印象しか残っていない。
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